『群像』『新潮』5月号

『群像5月号』

円城塔烏有此譚

円城作品って、デビュー作の「オブ・ザ・ベースボール」が一番読みやすく分かりやすく、そして後の作品になればなるほど、分かりにくくなっていっている気がする。
この話はお手上げ。
前半と後半の大きく二つに分けられる。
前半には「二」、後半には「日」というタイトル(?)がふられている。
数年ごとに居を転々とする生活をしている「僕」の、様々な生活哲学は面白い。
その「僕」に対して、「匿ってくれ」という頼み事をしてくる末高という男と、その妻である緑という女の正体が何なのかよく分からない。
そもそも、この緑という女が果たして人間かどうかもあやしく、そうなってくると末高という男も人間かどうかあやしい。
さて、後半になると、「僕」は穴になっている。
灰に満たされた空間(?)の中に空いた穴こそが「僕」である、というのである。
ちなみに、前半部分で、末高という男には「灰が降って」いた。「降灰」と「鬱」の違いが分からない奴がいて困る、という記述があったり、「灰が降る」とはどんな気分だと聞かれて、記憶がなくなったりするわけじゃないのだが、とかいう答えをしていたりするので、人間の内面に対して何らかの影響を及ぼす現象を「灰が降る」と表現しているのだと思われる。で、末高には灰が降っていた。
後半では、「僕」が灰に囲まれた穴になっているのである。
僕は穴だ、とか言われても、やはり何のことを言っているのかはさっぱり分からないのだが、穴になって移動する方法とかポンペイとの比較とか、あるいは穴と穴との接合とかそういった話は、非常に面白い。
最後には、末高という少年が「僕」の前に現れてきて終わる。
この話は一体どういう意味なんだ、とか思いながら読もうとすると、さっぱり分からない。
その一方で、そういうことを考えるのをやめて、ただ書かれていることに従って読んでいくと、これはなかなか面白い。
今まで考えたことも想像したこともないようなイメージと触れることができる。
小説の面白さ、というのはそういうものでもあるよな、と思った。

中島義道「『純粋理性批判』を噛み砕く」

今月から、実際に本文に触れて読み始めた。
非常に丁寧で、分かりやすく、読みやすい。
中島義道というのは、半ば読まず嫌いしていたところがあった。


「理性」というのは、独断論懐疑論に陥ってしまうのが、自然な本性である。
むろん、独断論懐疑論に陥るのは、哲学としてはよくなくて、自分の批判哲学というのはそれに対する処方となるのだ、というのがカントの考えらしい。
世界全体とか宇宙とかを考えるとき、それは「理念」なのであって、「認識の対象」とはならない。ところが、それを「認識の対象」と誤解すると、つまり真か偽かということが判断できるものだと誤解すると、独断論懐疑論になってしまう、とか。

カントの思考回路にそってわかることと自分の実感にそってわかることとの差異をたえず自覚することは、哲学をするうえできわめて重要

侃々諤々

今月号のは、破壊力が高すぎるww
先月の『文學界』の座談会ネタだが、アズマやナカマタ、タナカカズオにショウノやウノツネヒロまで出てくる。
一体、どんなニッチな読者層に対して書いてるんだ。*1

『新潮5月号』

東浩紀ファントム、クォンタム(序章)」

うーん、あんまり面白くない、現段階では。
面白そうな言葉や設定を、とりあえず並べてみましたっていう感じがするだけ。
まあ、この話に出てくるような言葉やネタを使うんだったら、確かに評論よりも小説の方がよいとは思うんだけど、やっぱり評論なり何なりを書いて欲しいと思う。
あと、あの新聞記事のあたりとか、何だろうなーとか思う。

大谷能生「鏡の国のデューク・エリントン楽団」

何故か、読んでいる最中に『ラスト・ワルツ』*2を思い出したりした。それほど似ているわけじゃないけど。
1943年、アメリカ大陸をあちこち周りながら演奏旅行をしていた、デューク・エリントン・楽団(オーケストラ)が、アメリカだけでなくて時間をも横断してしまう。
というか、楽団員の何人かが、ベトナム戦争中のアメリカ人と遭遇してしまう話。
ジャズは詳しくないので、作中に大量に出てくる固有名詞の多くが、よく分からなくて残念だった。
ジャズ史を、メルヘン的に(?)叙述したって感じだろうか。

筒井康隆「反復する小説――『ダンシング・ヴァニティ』再考」

ダンシング・ヴァニティを読んでいたので、冒頭だけ読んで読むのをやめた。
詩、音楽や映画など、他のジャンル、メディアではよく使われている「反復」という技法が、何故小説ではあまり使われていないのか。それで、「反復」という技法を使って書いたのが『ダンシング・ヴァニティ』。それらの技法を種類別に整理したのが、この論文。
というわけで、『ダンシング・ヴァニティ』を読まなければならないなあと思った。
「反復」は、中原昌也は結構使っているし。

書評

鹿島田真希が『ニートピア2010』を、斎藤環が『乳と卵』を、佐々木敦が『オブ・ザ・ベースボール』を取り上げていた。
佐々木曰く、円城はテクノなベケット

群像 2008年 05月号 [雑誌]

群像 2008年 05月号 [雑誌]

新潮 2008年 05月号 [雑誌]

新潮 2008年 05月号 [雑誌]

*1:川上のミニスカピンナップに言及しているのは偉い(?)と思った。川上って、ヴィジュアルの売り出し方と、実際の作品やインタビューで話していることがズレてきているような気がするので。印刷媒体だと、あの写真に言及しているのって、これくらいなんじゃ。

*2:参照:http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20071025/1193317237