郝景芳『郝景芳短篇集』(及川茜訳)

中国のSF作家である郝景芳(ハオ・ジンファン)の短編集
もともと中国では2016年に『孤独深処(孤独の底で)』というタイトルで出版された短編集全11篇の中から7編が収録されている。
郝景芳は、ケン・リュウ編『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』 - logical cypher scape2に「折りたたみ北京」と「見えない惑星」が収録されていたのを読んだことがある。なお、「折りたたみ北京」は本書でも「北京 折りたたみの都市」というタイトルで収録されている。
このケン・リュウのSFアンソロによる「SFと純文学など、ジャンル横断的な作家とのこと」であるが、確かにSFではあるのだが、現代に近い世界を舞台にしており、SF的なプロットよりも、主人公の悩み・苦しみみたいなものがメインになっているようなところがある。
全体的に、ちょっと暗い雰囲気の漂う作品集になっているのではないかと思う(表紙イラストの雰囲気)。
なお、早川からではなく、白水社のエクス・リブリスというシリーズからの刊行

郝景芳短篇集 (エクス・リブリス)

郝景芳短篇集 (エクス・リブリス)

北京 折りたたみの都市

既に述べた通り、ケン・リュウ編『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』 - logical cypher scape2で読んでおり、当たり前だがストーリーは同じなので「こういう話だったなあ」と思いながら読んでいた。
翻訳が違うのだが、前読んだのがもう1年前なので、何か特に違いを感じることはなかった。だが今、上の記事を読み返してみたところ「第一スペース、第二スペース、第三スペース」と書かれているが、本書では「第一空間、第二空間、第三空間」となっている。
なお、ケン・リュウのアンソロの方は英語訳からの翻訳だが、本書は中国語からの直接の翻訳
訳者あとがきによると、映画化の計画が進行中とのこと。
実際、この作品はぜひ映像で見てみたい作品である。何しろ、文字通り北京が折りたたまれるのだから。
機械化が進んで人間の労働力が余剰したらどうするか、折りたたんだ空間に住まわせればいい、という発想の世界が舞台になっている。
48歳の主人公は、幼い娘(捨て子だったのを拾った)を1人で育てており、彼女を幼稚園に入れるため、第一空間へ忍び込む仕事をすることになる。第一空間、第二空間、第三空間の間にはそれぞれえげつない格差が広がっているのだけど、主人公はとにかく娘のために金を手に入れる、ということ以外のことは考えない。考えないようにしているんだろうけれど、そのあたりは書かれてはおらず、ある意味ではわりと淡々としている。ただ、そこが淡々としているがゆえに、何ともいえない雰囲気が出ている。

弦の調べ

鋼鉄人という異星人に支配されてしまった地球
鋼鉄人は圧倒的な武力を持っており、地球人はある程度の軍事的抵抗を続けているものの決定的な劣勢にある。そんな鋼鉄人はしかし、芸術や歴史的建築物などは破壊しない。そのため、各地で、鋼鉄人からの攻撃を避けるためのコンサートが行われるようになっている。主人公の陳君は、そんなヴァイオリニストの1人。
彼は、林先生の計画のために、世界各地の演奏家に声をかけて楽団を集め始める。
抵抗運動などとは無縁そうな林先生が考えたのは、共鳴によって宇宙エレベータの弦を震わせ、鋼鉄人の拠点となっている月を破壊しようという計画なのだった
ところで、宇宙エレベータが月とつながっているっぽいんだが、それが一体どういうことなのかよく分からなかった
宇宙エレベータ自体はキリマンジェロにあって、そこでブラームスを演奏する
才能ある科学者や芸術家たちは、鋼鉄人が密かにスカウトしていて、シャングリラというところへ移り住んでいる。
陳君は、抵抗することに何の意味があるのだろうか、単に新しい支配者層ができただけで何も変わってはいないのだろうか、と思い、また、先生の計画通りに本当に月が破壊できるとも信じてはいないのだが、計画に協力している
長いこと別居していて、ロンドンにいる、やはり音楽家の妻にも声をかける。妻からは「あなたはわざと反対する理由を探しているけれど、心の底ではそう思っていないのだ」と喝破される。愛情もまた共振なのだと主人公は考える。
最後、やはり月は破壊されることはなかったが、鋼鉄人を撃退するのには成功する。というのも実は、林先生にこの計画を話した物理学者は、計画のすべてを明かしていたわけではなくて、鋼鉄人を倒すためのさらに別の企みがあったのだ。
しかし、鋼鉄人は去るが、先生と妻は亡くなってしまう。

繁華を慕って

「弦の調べ」を、陳君の妻である阿玖視点で描いた作品
彼女は、音楽家としての成功を夢見てロンドンへと留学したが、しばらくして鋼鉄人の支配が始まる。
そして、鋼鉄人からの密かな誘いを受け、世界中の才能ある人々が既に鋼鉄人と手を組んでいることを知る。
「弦の調べ」を裏側から見た物語で、彼女がどうして陳君と出会ったときにそのようなことを話し、また泣いたのか。そして、何故死ぬことになったのかが語られる。

生死のはざま

前3作とはかなり雰囲気の異なる作品なので、最初面くらうが、奇妙な世界の空気感がなかなかよい
タイトルにある通り、生死のはざまの世界というか、死後の世界なのだが、輪廻転生があって、死んだあと・生まれ変わる前の世界
主人公は最初そのことには気づかなくて、奇妙な街、謎の女、めちゃくちゃ高いところにある女の家など、不思議な世界を散策することになる
まあ、なんでそんな散策する羽目になったかというと、事故死した時の顛末で一緒にいた恋人に負い目があったせいで、いや、これ完全に主人公がひどい男だっただけじゃんっていう話なんですがね

山奥の療養院

若い宇宙物理学の大学講師が主人公で、幼いころから物理コンテストやら数学コンテストやらで優秀な成績をおさめていて、いずれアインシュタインのような天才になるんだと思っていたのだが、30過ぎてみるとただの人というか、妻は子供の世話の話ばかりだし、義父は住宅ローン組んで早く家を買えと言ってくるし、しかしそんな給料はなく、そのためには実績を積まないといけないのだが、そもそも、生活のために研究するのか、そもそも研究は手段じゃなくて目的じゃなかったのか、みたいな悩みに苦しめられている。
で、山奥の療養院で療養中の友人に再会するという話
この作品はSFみがほとんどなくて、この主人公の悩みに付き合っていく感じの作品だけど、科学とか芸術とかの世界での成功とは何か、あるいは外的な成功と内的な充実・達成はどのように関係しうるのか、みたいなところで「弦の調べ」「繁華を慕って」とテーマ的にはつながっているのだと思う

孤独な病室

ネットの発展の末に、他人への関心を失って寝たきり状態になる患者の続出している未来社
主人公はそんな患者たちの療養施設で働く看護婦の一人だが、彼女自身、恋人のSNSでの動向を逐一監視しながら気持ちをいら立たせているネットジャンキーで、というかなり短めの短編

先延ばし症候群

明日中間発表があるのに、Wordを立ち上げては、ウェイボー(中国版twitter)を開いてしまったり、ネット動画を見てしまったりする学生の話