キム・チョヨプ『この世界からは出ていくけれど』

韓国のSF作家キム・チョヨプによる短編集
キム作品の邦訳としては『わたしたちが光の速さで進めないなら』『地球の果ての温室で』に続く3冊目となる。1、2冊目も存在は知っていたのだが、書評等読んでもあまりピンと来ていなかった。3冊目は書評等を読んで、知覚や認知に関わるSFだということを知って、非常に気になって読んでみることにした。
読んでみたらこれは大当たりで、非常に面白かった。
知覚・認知ネタもあるが、収録作品の中では、宇宙というか異なる惑星を舞台にした作品も多かった。
収録作「ローラ」の中に「愛することと理解することは違う」という印象的なフレーズが出てくるが、愛する者を理解することができないことを巡る作品が多くでてくる。
あるいは、自分らしく生きようとすることに伴う孤独、とでもいうような事態が繰り返し描かれる。
自分の知覚・自分の文化・自分の性質そうしたものに従って生きようとした時に、しかし、それが愛する者、ごく近しい者から理解されない。あるいは、愛する者がそのように生きようとしているが、自分にはそれが全く理解できない。
SF的ギミックにそれほどウェイトを置かず、登場人物たちのエモーショナルな部分が描かれている。しかし一方で、SFネタとしても結構面白いネタが使われている気がするし、SF的なワンダーさも味わえる作品になっていると思う。
「ローラ」「マリのダンス」「古の協約」あたりが特に面白かった。

最後のライオニ

主人公は、様々な惑星を探索しては資源や情報を持ち帰ってくる種族の1人なのだが、恐怖心をあまり持ち合わせない彼らとしては珍しく、怖がりであり、いわば落ちこぼれであった。
そんな彼女に、彼女を名指しで、廃墟となったとある惑星の探索についての依頼がくる。
彼女の種族は、冒険家ではあるけれど、見返りのない土地には赴かない実際家でもあって、その惑星は見向きもされていなかった。
しかして彼女は、その惑星にわずかに残っていた機械たちに捕まり、セルというロボットから「ライオニ」という人間と勘違いされる。
なぜセルは、彼女のことを「ライオニ」だと思っているのか。そもそも、この惑星の人間は、ライオニは何故いなくなったのか。
マスターに忠実なロボットものであり、そういうのが好きな人には刺さるだろう。
主人公は、当然自分はライオニではないと言い続けるのだが、後半になって、下位の機械たちからこの惑星で起きたこと、セルとライオニの間で起きたことを全て聞かされ、かつ、セルの寿命ももう長くないことを知らされた後、ライオニのふりをしてセルに接する。
一方のセルも、どこか彼女がライオニではないことを察しつつ、ライオニだと信じて接する。
主人公は、彼女の属する種族の中では落ちこぼれなのだが、それについても意味づけがなされて終わる。

マリのダンス

主人公はフリーのダンス講師。マリという少女に一時的にダンスを教えていたことを回想する形で語られる。
ある種の薬害で、5%程、視知覚障害が生まれるようになっている。マリはその患者(モーグと呼ばれている)の1人。
主人公は、目が見えない*1マリに、視覚の美であるダンスが理解できるのか、そもそもなぜダンスを教わることができるのかと訝しがるが、好奇心から結局引き受けることになる。
果たしてマリは、主人公が思うよりは踊れる、というか動けるわけだが、教えるほどに、差異もはっきりとしてくる。
マリは、ダンスのような動きはするけれど、しかし決してダンスではなかった。少なくとも、主人公が理解するダンスはしていなかった。マリは、目が見えないので、モーションキャプチャー的な装置を介して、体の動きを知るのだが、それゆえに、細かな部分の動きはあまり理解できない。というか、そこに意味があるということ自体が理解できないのである。
しかし、マリはなんとダンスを発表する機会を得てくる。しかも、グループで。
モーグたちは、独特のデバイスでネットワークを作り上げていた。それは別にモーグ用に開発された技術ではない、一種のVRのようなものなのだが、モーグでない者の多くには情報が過剰すぎてあまり受け入れられていなかった。
しかし、モーグたちは、そこを非常に豊かな情報量の世界として生活していた。
主人公からダンスを教わっていたのはマリ一人だが、そのネットワークを通じて、ほかのボーグたちにも教わった内容が伝えられていた。
主人公も、そのネットワークを体験させてもらうが、彼らが体験している一部しか体験できない。それは声の世界であった。
主人公は、モーグを視覚が「欠損」した者だと思っている。しかし、マリは、むしろモーグたちは新しい感覚を得ている者なのだという。
ただ、マリたちは、単にダンスの発表をしようとしているわけではなかった。
後天的にローグ化してしまう薬物を散布することを計画していたのだ。
マリは、ダンスをそのための手段としてしか考えていなかったのか。それとも、彼女なりにダンスに何かを見出していたのか。

ローラ

この作品なんか読んだことあるなと思ったのだが、【キム・チョヨプ来日決定! 記念企画第2弾】新刊『この世界からは出ていくけれど』より傑作短篇「ローラ」をWeb全文公開!【2カ月限定】|Hayakawa Books & Magazines(β)で無料公開されていたので、その際読んだのだった。それを読んだ時も面白いなと思ったが、再読してやはり面白かった。
本短編集のタイトルは、収録作のいずれかのタイトルでもない(「この世界からは出ていくけれど」という作品はない。なお、日本語版オリジナルタイトルらしい)が、もし仮にいずれかの作品を短編集全体のタイトルにするならば、言い換えれば、この短編集を代表する作品はどれかと聞かれれば、自分なら「ローラ」を選ぶと思う。
主人公はかつて『誤った地図』というノンフィクションを発表して、それがそれなりに話題になったことがあるライター。
「誤った地図」というのは、人間の脳内にある固有感覚に基づく自分自身の身体の地図が、実際に持っている身体とズレてしまっている、ということをさす。具体的には、身体が欠損しているという感覚に悩まされている人たちを取材している。実際には五体満足であるのに、例えば脚がないという感覚をもっていて、脚を切り落としてほしいと訴えている。あるいは、それとは逆に、トランスヒューマニストたちのことも取材している。彼らは、実際の身体にはない機能を付け加えようとしている。
主人公は一体なぜそんな本を書いたのか。
それは実は、元恋人のローラのことを理解するためだった。
彼女は子供のころから、自分に3番目の腕がある、という感覚に悩まされていた。そして彼女はついに、義腕を3番目の腕としてとりつける手術を決行する。
主人公は、彼女がそのような感覚を持っていて、さらに手術まで考えているということをかなりギリギリになるまで聞かされていなかった。そのためひどく混乱してしまう。
『誤った地図』では、自分の身体に違和を覚えるという意味でローラと似ている人たちを取材しているが、彼らは自分の腕なり脚なりを切り落としたいと考えている点でローラと異なる。トランスヒューマニストは、それまで自分の身体になかったものを付け加えるという意味でローラと似ているが、彼らは別に身体感覚に違和を持っているわけではない。
結局主人公は、本一冊を書いてもローラを理解することはできなかった。
さらに悪いことに、ローラの第三の腕手術は失敗する。腕の取付自体はできたのだが、接合がうまくいかず、自分の思うようには動かせず、さらに化膿を起こしてしまう。しかし、ローラはその腕を外そうとはしなかった。
実はその後も、主人公とローラは、別れたりくっついたりを繰り返す、という微妙な関係を続けている。
ローラの3本目の腕をめぐる2人の距離は埋まらないままだが、しかし、2人は共に生きようとしている。

ブレスシャドー

これも舞台は地球とは異なる惑星
もともと人類が入植した惑星だが、この星ではコミュニケーションが大気中の分子を通じて行われ、逆に、音は用いられない。
大気中の分子、とは要するに匂いのことだが、彼らは分子を明確に意味としてデコードするので、「匂い」のようなものとしては知覚していない。聴覚的コミュニケーションと異なり、その場に居合わせなくてもコミュニケーションができるという特徴がある。
また、この惑星は外気が汚染されていて、人々は地下施設で生活している(あまり大気が拡散していかない環境)
主人公のダンヒは、まだ子どもだが、分子が意味を持つことに強い関心をもち、(飛び級的に)研究員として働き始めた。
その研究所には「怪物」が隠されているという噂があったのだが、実はその正体は、極地で発見されたかつての人類の子どもだった。移民宇宙船の中で冷凍睡眠されていた中の唯一の生き残りであった。
彼女(ジョアン)はもちろん、匂いでのコミュニケーションはできないが、翻訳機を用いながら、同世代のダンヒと少しずつ心を通わせていく。
しかし、元々人間関係の狭いコミュニティの中、ダンヒ以外はジョアンのことを真に受け入れることはなかった。
ダンヒとジョアンの友情と、しかし、それでも埋められないジョアンの孤独

古の協約

主人公は、惑星ベラータの司祭の一人である女性
この星に、地球からの探査船が訪れる。地球との関係が途絶えて久しいベラータは、地球人一行を歓迎する。彼らは他の惑星の探査計画もあり、しばしの滞在ののち、ベラータを去る。
この物語は、主人公が、去っていた地球人科学者の一人へ書いた手紙、という形をとっている。
出会った直後から2人は意気投合し急速に親しくなっていくのだが、彼と地球人たちは、ベラータに隠された秘密に気づいてしまう。
それは、ベラータ人が惑星の大気に含まれる毒性の成分のため、30歳を前に亡くなる短命であるということ。しかし、彼らが宗教的な禁忌としている植物が解毒剤になっていることだった。
地球人たちは、そのことをベラータの人々に伝えるが、宗教的な怒りを向けられて、ほうほうの体で去っていくしかできなかった。
主人公は、しかし、この宗教的な禁忌の裏に隠されたさらなる秘密を、直接は打ち明けることができず、去っていった後に手紙として伝えることにしたのである。
これは、ベラータの司祭にしか伝えられていないことなのだが、今は人類以外、ほとんど生命がいないように見える(少なくとも動物はいない)惑星ベラータだが、実はもともとはそんなことはなかった。しかし、入植直後の人類が次々と死んでいくのを見たベラータの生物が、大気中の有毒成分の量を減らすために、長きの眠りについてくれたのだった。これがベラータに入植した人類と、ベラータの原住生物の間に取り交わされた「古の協約」だった。
毒性が薄まり、生きられるようになったとはいえ、それでも短命にならざるをえなかった。しかし、人類のために、自らの時間を譲ってくれた原住生物に人々は敬意を抱き、この主教的禁忌を生み出したのだった。そしてまた、世代を経るごとに少しずつこの毒性への耐性が生じていることに、一縷の希望を託すのだった。
ベラータ人女性の主人公と、地球人科学者の男との間に、文化の違いから壁が生じている話で、主人公は、彼が自分たちのことを本当に思って提案してくれていることを知った上でなお、その提案を拒まざるをえない

認知空間

これもまた地球とは異なる惑星の話
認知空間と呼ばれる幾何学的な構造物があって、それが社会の集合的記憶や科学的知識の蓄積を担っている社会。
認知空間という名前からヴァーチャルなものかと思ったけど、物理的な実態のある空間で、この社会の人々は、ある一定の年齢以上になるとその空間の中に入って、そこを登っていっていろいろな知識を得るようになる。一方、個人的な記憶・知識を極端に軽視している。
主人公のジェナの幼馴染であるイヴは、幼少期から低成長で、肉体的に認知空間に入ることがかなわなかった。しかし、イヴは、認知空間には限界があって、それだけが知識の総体ではないのだと考えるようになっていた。
ジェナは、イヴの親友であったが、認知空間に入れるようになってからは次第に疎遠になっていく。ジェナは、イヴがそのように考えるのは、認知空間に入れない無知ゆえのものだと思っていた。
イヴは若くして死んでしまうのだが、その遺品のノートを読んでいくなかで、ジェナはイヴの考えが正しかったことを知る。
この作品は「ローラ」にも似ていて、一方的に欠損がある、劣っていると思っていた者が、実はその欠損・劣位ゆえにまったく異なる認知の仕方をしていて、そこに優劣はなかった、あるいは、もしかするとより優れた認識を持っていたのかもしれない、という話になっている。

キャビン方程式

これは地球が舞台
天才的な物理学者の姉を持つ妹が主人公
ある時姉が、とある障害をもつ。それは、彼女の脳内の時間が非常に遅くなってしまうという障害。当初、生きているのに何の反応もせず、閉じ込め症候群か何かのように見えたのだが、実はものすごく反応速度が遅くなっていることがわかる。
妹は必死に看病して様々な治療法を試すのだが、ある日、姉は失踪してしまう。
数年後、失踪した姉からの手紙には、地元にある観覧車の幽霊の噂話について書かれていた。
幼いころから筋金入りの唯物論者であった姉が、なにゆえに、そんなローカルな幽霊話に興味を持ったのか。
それが実は姉の研究していた時空バブルへとつながっていく。
テーマ的には、本短編集のほかの作品群と通じあう話ではあるのだけど、個人的には(特に最後が)あんまりピンとこなかった作品だった。

*1:正確には、目や視神経に問題はなく、それを認識する脳領域に障害がある(なので、単に視覚障害ではなく視知覚障害という書き方なのだろうと思う)わけだが、簡便のため、ここでは単に「目が見えない」と書く