アストロバイオロジーの哲学

アストロバイオロジーの哲学、という分野があるらしいということを、以前、以下のシンポジウムで少し聞きかじったので、ちょっとググったりして見つけた論文を読んでみた。
軽く検索して見つけられて、pdfがそのままweb上で公開されていて、テーマ的に読みやすそうなものを選んで読んだので、この分野の代表的なものなのかどうかは分からない
sakstyle.hatenadiary.jp

DEFINING ‘LIFE

CAROL E. CLELAND and CHRISTOPHER F. CHYBA
http://www.aim.univ-paris7.fr/enseig/exobiologie_PDF/Biblio/Cleland%20and%20Chyba%20_2002.pdf
著者のCAROL E. CLELANDは、コロラド大学に所属していて、同大学アストロバイオロジーセンター、NASAのアストロバイオロジー研究所に参加している哲学の先生らしい。また、同大学のCenter for Study of Origins.のセンター長もしている。

1.Defintions of Life 生命の定義
2.The Darwinian Definition ダーウィン的定義
3.The Nature of Definition 定義の性質
4.Natural Kinds 自然種

生命の定義には、色々な種類がある(セーガンが1970年の論文で分類してたりする)けど、どれも反例がある。
例えば、ダーウィン進化することのできるシステムが生命だ、という定義がある。
けど、初期の(まだ複製システムを持っていなかった時期の)生命は、まだダーウィン進化していなかっただろうし、ラバのような生殖できない存在は生命でないことになってしまう。
ところで、定義って一体なんだ、と
「独身者」という言葉の定義なんかは、言語的な慣習の問題で、人々の興味関心の在り方に依存して決まってくる。
しかし、「水」という言葉の定義は、人々の興味関心のありか方だけでなく、自然によって制限されてくる。
これは「水」が、哲学において自然種と呼ばれるものだから
水をH2Oとして定義するにあたって、分子についての理論が背景にある。
さて、「生命」が、自然種でないのであればその定義は単に言葉の問題であるけど、自然種であるなら、背景に理論が必要になる。
そういう理論はまだないのではないか、と。


短いので、こんな感じ。
それもそうだなとは思うんだけど、そんなこと言われてもどうすりゃいいのか、という感じもしないでもない

Conceptual Challenges for Contemporary Theories of the Origin(s) of Life

CAROL E. CLELAND
https://docs.google.com/file/d/0B21I5QBBzGT_eDdiZmFoX29lbTg/edit
上述の生命の定義論文と同じく、CLELANDの、生命の起源に関する研究についての論文
この論文の前半では、生命の起源に関する研究が2つの潮流に分かれていることについて、アリストテレスに遡って論じる。
後半では、これら2つの潮流が陥っている困難について論じている。

INTRODUCTION
THE LEGACY OF ARISTOTLE
THE NATURE VS. ORIGIN QUESTION
CONTEMPORARY THEORIES OF THE ORIGIN OF LIFE

2つの潮流としては、代謝ファーストか遺伝ファーストかに分けられる。
前者の代表的なものは小分子仮説、後者の代表的なものはRNAワールド仮説


これは、生命の本質natureは何か、という考え方にも2つの流れがある。
すなわち、自己組織化((O)と略す)か複製((R)と略す)か
で、生命の本質的な特徴はOなのかRなのか、という観点自体は、アリストテレスまで遡ることができる、と。
どっちがより根本的なのか問うという点では現代も同じ。
Oの方が根本的だと考える派として挙げられている例は、オパーリンのような代謝-生化学的なもの、カウフマンのような熱力学的なもの、ヴァレラのオートポイエーシスなど
Rがより根本的だと考える派としては、ドーキンスのようなダーウィニズムジョイスのような遺伝-生化学的なもの、Bedauのようなより包括的な進化論的なもの、だと筆者は分類している。
で、これを明らかにする科学的証拠ってのは今のところほとんどないのではないかと指摘している。
今のところ、どっちも必要というのが正しくて、どちらが根本的と言ってしまうのは誤り
また、この二つのいずれよりも根本的であるような、未知のファクターがまだあるのかもしれないし。
それから、地球の生命は、LUCAという単一の起源に遡るとされている、がゆえに、研究できる例が一つしかないわけで、まだ一般化した理論を作れないのではないか、とも


生命の起源についての理論も、生命の本質は何かという理論と同じ形で分かれている
代謝ファーストはOを、遺伝ファーストはRを強調する
しかし、筆者は、本質は何かと、起源については別ものじゃないか、と
例えば、結晶の鉱物学的性質は、その結晶が何の鉱物であるのかを知るために使えるもので、結晶の本質といえる特徴だが、そこから、その結晶が作られた過程は分からない
あと、ダーウィンの進化論は、どのようにして、非生物から生物が生じたかについては何も言っていない、ということも指摘している。


これらの説の問題点について
まず、代謝ファースト説=小分子理論の難点として、これらの説が「創発」という概念を使っていることを挙げている。「創発」概念よくわからんよね、という話。
一方、遺伝ファースト説=RNAワールド説だけれど、こっちはこっちで「自発的」という概念が怪しいのでは、と指摘している。
あと、ここの説では、生命の起源の理論について、これら2つ以外にcontainment theoriesというのも挙げている。アミノ酸やリボースなどの前駆的な分子などの化学反応から云々というもの
だだ、これと、小分子理論、RNAワールドはそれぞれ両立する
ただ、この論文の主たる内容はおそらくこの先の部分で、生命の起源と生命の本質についてパラレルに考えているけど、この2つは切り離して考えたほうがよいのではないか、という指摘
で、実際、それぞれの派閥の中でもそういうことを考えている人たちはいる。
いわば折衷案みたいな提案がなされていて、代謝ファースト説と遺伝ファースト説の違いって、ぼんやりしてくるのではないか、と。


さて、この両派が解決すべき難問の1つでありながら、どちらもあまり手がけていない問題は、タンパク質と核酸とが複雑に協働する仕組みについて
RNAが遺伝を担うことによって、この点を説明するというものがあるけれど、RNAの段階だとまだ表現型と遺伝型が区別されてなくて云々
どのようにして、自然状況のもと、現代の生命を特徴づけるタンパク質-核酸の二重システムになったのか?
おそらく、ごく初期に、ハイブリッド分子ワールド(アミノ酸、小さなペプチド、金属イオン、リン、リボース、窒素塩基を含む様々な小分子が複雑で洗練された化学反応のネットワークに関わっているような)において、たんぱく質核酸の統合が始まり、あとになって、現代的な二つのシステムが出現したのではないか、と
ダイソンの二重起源理論が、この可能性を扱っている
小分子理論とRNAワールド仮説の対立をやわらげ、ハイブリッドな理論を考えていく方向がよいのではないか、と


結語では、どちらが正しいか結論するのはまだ早く、現状を、光の正体が波か粒子かで論争していた時代に喩えて、終わっている。
(波でありかつ粒子であったわけで、代謝か遺伝かの二者択一ではなく、と言いたいのだろう)

  • 感想

生命の定義論文の比べると、かなり突っ込んだ内容になっていたような感じ
遺伝ファーストか代謝ファーストかという整理は、高井研編著『生命の起源はどこまでわかったか――深海と宇宙から迫る』 - logical cypher scape2でも載っていたけれど、やはり結構メジャーな整理ということでよさそうなんだな、と。
一方、この論文で代謝ファースト説とされているものの中に、高井のような深海熱水域起源説があまり取り扱われていないように思えた。
というか、ヴェヒターズホイザーの「パイライト説」から始まる奴は、「創発」概念には頼ってなかったはず。この論文も参考文献の中に、ヴェヒターズホイザーとラッセルのものがあがっているのだが、本文中での言及が全然されていなかった気がする。
(ヴェヒターズホイザーは、containment theoriesの1つっていう整理っぽい)


最後、遺伝ファーストと代謝ファーストのハイブリッド説を示唆するところで、ダイソンがまさにそういうことを言っていることが書かれているが(ダイソンは、代謝ファースト説側の人っぽいけど)、高井本でも、ダイソンが遺伝と代謝のサブシステムが融合したというモデルを作っているということが言及されている。
ググったら邦訳もありそうだし、気になってきた。


さて、CLELANDの主張としては、生命の定義論文と同じで、生命についてまだ我々は十分に分かっていない、というところにあるのだろう。
生命の定義論文では、分子説が出てくるまで水がH2Oだって分からなかったでしょ、という喩えで
この論文では、量子説が出てくるまで光が粒子か波か議論していたでしょ、という喩えを出している
今現在の研究は、まだ全然問題解決に至っていない、というある意味ではネガティブな結論とも言える。
哲学者が何を偉そうに、というような感じもないわけではない。
実際に研究に携わっている人たちの視点から見れば、「みんな間違っている、ないし、まだちゃんとした理解までたどり着いていない」と言われているわけし。
しかし、一方で、実際のプレイヤーからすると、もしかしたら、分かってはいるけれど自分たちからはなかなか言い出せない状況について、言っているのかもしれない(これは推測にすぎないけど)。
門外漢からすれば議論の整理にもなるし、まあ、哲学としての役割は果たしているのかな

Extraterrestrial Life and the Human Mind

David Duner
http://projekt.ht.lu.se/fileadmin/user_upload/sol/ovrigt/projekt_ccs/Duner.pdf
アストロバイオロジーの歴史と哲学についての論文集*1があるらしく、それの序文
筆者のDavid Dunerは、スウェーデンのルンド大学・教授。


「アストロバイオロジーの歴史と哲学」がどのような範囲を探求するのか、その意義についてなどを簡単にまとめた後、この論文集の章立てである「認知」「コミュニケーション」「文化」に沿って、解説されている

Conversations on the plurality of worlds
The history and philosophy of astrobiology
This volume
Cognition
Communication
Culture
The unknown


人文的な探求が、アストロバイオロジーにどのような寄与をするか

アストロバイオロジーの歴史

アストロバイオロジーの歴史研究がどのような範囲を探求するのかについて

  • 科学
  • 探査

装置や技術について。アストロバイオロジーの歴史は、技術の変化の歴史

  • 理論

アストロバイオロジーには、よく知られた理論だけでなく、例えばパンスペルミアのような論争的なものも含まれている

  • 組織
  • 科学と社会

アストロバイオロジーは、決して政治、経済、宗教、公共の言説から独立しているわけではない
宇宙に生命はいるのかという議論で、科学と宗教は互いに影響しあっている。

  • 想像

想像についての研究というのは、直接アストロバイオロジーの歴史を明らかにするものではないけれど、特定の時代にどのようなことが夢として考えられたのか理解するのに役に立つ

アストロバイオロジーの哲学
  • 自己理解

人類としての自己理解

  • 概念分析

代表的なのは、生命の定義とか
ここでは、いわゆる必要十分条件的な定義ではなく、プロトタイプ的な定義の方が、生命を論じる上ではいいのでは、みたいなことも言ってる。
それから、アストロバイオロジーでは、生命以外にも、ハビタブルとか系外惑星とか色々議論できそうな話題があるよね、とか

  • 倫理

テラフォーミングは許されるのかとか、ほかの星の資源は誰に権利があるのかとか
あるいは、アストロバイオロジーに何故お金を投じるのか、とか

  • 認識論

知識の哲学的な話題ではなくて、むしろ、仮に結果がでなくても人類はずっと探査をし続けられるのか、みたいなことを問うもの、というようなことが書いてあった

地球外知性体とのコミュニケーションに関わる問題

  • 認知

何が知性なのか、という問題

認知

ここでは、アストロコグニションというものが提案されている。
認知科学の知見をベースに、宇宙における認知能力について考える
アストロコグニション=the study of the thinking Universe
これは、NASAが1996年に、アストロバイオロジー=the study of the living Universeとしたものに倣ったもの
ここでいう認知は、「環境において行動のために感覚入力を処理する能力」
認知スキルが進化するのに何が必要かとかそういうことを問うのが、アストロコグニション
認知は、物理的・生物学的な環境と文化や社会といったものにそれぞれ適応する。
地球人類の認知というのは、この地球・この文化に適応したもの
アストロコグニションは、認知科学の知見なんかを応用しながら、宇宙中心主義的に、認知をとらえ直すということを目指す、とかまあそんなようなことが書いてある

コミュニケーション

地球外知性体とのコミュニケーションについて
ユニバーサルな、コンテクストに依存しないようなコミュニケーション(記号のやりとり)というのは、おそらくできない。
コミュニケーションというのは、認知と同じで、地球環境、生物の進化のプロセス、人間の文化などに依存している。

文化

ここでいう文化というのは、行動パターンの違いなどが、環境によって決まるのではなく、世代間での伝達や学習によって伝えられ学習されていくこと
文化が、科学や技術を可能にしたのであり、アストロバイオロジーも、文化が生んだ科学の一つである、と。

感想

ここで展開されている、アストロバイオロジーの歴史と哲学は、狭い意味での科学哲学というよりは、アストロバイオロジーに、人文系学問がどのように関わっていけるか、という観点かなあ、という気がした。
もちろん、当該学問へのメタ的・反省的な視点をもたらすという意味での、歴史・哲学の意義というのもあるが、「認知」「コミュニケーション」「文化」という章立ては、むしろ、こうしたテーマは人文的アプローチも必要だよ、という話なのかな、と思った。
アストロバイオロジーは、かなり学際的な分野で、理系だけでも、生物学・惑星科学・天文学が関わり合っている*2
そこに「認知科学」や「言語学」なんかも関わる余地があるんだよ、と(これらがいわゆる人文系かどうかはともかく)。
で、そういうこともあってか、かなりSETI寄りの話だったなあという印象をもった
地球外知性についての研究も、アストロバイオロジーの一部だと思うので、それはそれでありだと思うし、面白いとは思うが、
もう少し、生物学の哲学寄りの方が、自分の期待するアストロバイオロジーの哲学かなあと思った。

*1:https://www.amazon.com/History-Philosophy-Astrobiology-Perspectives-Extraterrestrial/dp/1443850357

*2:そして「生物学」「惑星科学」「天文学」というのは学問分野としては大雑把な括りで、その中でさらに細分化した様々な分野がそれぞれ関わり合っている