小川哲『ゲームの王国』

カンボジアポルポト政権時代と近未来を舞台に、2人の主人公が、政治・社会とゲームとの関係を巡って、対立し惹かれ合う物語
小川哲『ユートロニカのこちら側』 - logical cypher scape2に続く、小川哲の長篇2作目だが、個人的には、ユートロニカとはまただいぶ雰囲気の異なる作品だな、という印象
でもって、とても面白い!


上には、とりあえず1文でまとめるために、「2人の主人公が、政治・社会とゲームとの関係を巡って、対立し惹かれ合う物語」と書いたが、ちょっと抽象化しすぎかもしれない。


まず、この作品には、ムイタックとソリヤという2人の主人公が出てくる。
ムイタックは、1964年生まれで、幼い頃から聡明であったものの賢すぎて子ども時代は変人扱いされていた。のちに神経科学分野で大学教授となる。兄のティウンとともに、参加者全員が(負けた人も含めて)楽しくなるようなゲームを作りたいというのを、子ども時代から大学教授になったあとも考え続けている。
ソリヤは、1956年に、のちにポル・ポトと名乗るようになるサロト・サルの子として生まれる。生後直後に、全く無関係の人間のもとに預けられ、カンボジアの政治情勢に翻弄される子ども時代を送ることになる。ポル・ポト政権時代が終わったあとは、NPO職員を経て政治家となり、よいより国作りを志す。
ムイタックとソリヤは、子ども時代に一度邂逅し、互いの才能を認め合う仲となる。しかし、青年時代のある事件を機に、ムイタックはソリヤを憎むようになる。


また、この作品は上巻と下巻に分冊されているが、それぞれ舞台となっている時代が異なっている。
上巻は、おおよそ1960年代~1970年代(正確には、1956年から1978年まで)のカンボジアを舞台としている。まだ、カンボジア共産党が地下活動していて赤狩りが行われていた時代から、ポル・ポト政権時代まで。
下巻は、時代が大きく飛んで21世紀のカンボジアを舞台にしている。上巻がほぼ時系列順に話が進むのに対して、下巻は時間が行きつ戻りつしながら進行するのでややわかりにくくなっているが、2003年頃、2013年頃、2023年頃が舞台となっている。おおよそ、ソリヤのNPO職員時代、政治家になった頃、政治家として登り詰めた頃くらいの感じ。


秘密警察による無理矢理な捜査と拷問、ポル・ポト政権下の惨劇、貧困から根本的に抜け出せないという状況など、様々な社会問題・歴史を扱っており、そうしたところも読み応えあるものとなっているものの、一方で、マジック・リアリズムというか、かなり突拍子もないことが平然と描かれていて、それがある種のおかしみみたいなものを帯びたものとして読むことができる。
泥を食ってその声を聞き取ることができ、最終的に砂を操ることができるようになった者
輪ゴムの声を聞き、輪ゴムが切れることで人の死を予言できる少年
不正を感じ取ると激しく勃起し、それを糾すことでオーガスムに至るTVディレクター
といった、かなりわけのわからない能力者(?)たちが出てくる。
カンボジアは、特に地方において、教育が行き届かず、21世紀以降も呪術と迷信が蔓延っていることが、本作では描かれているのだが、そうした呪術や迷信とはまた別のレイヤーの事象としてこれらの能力は描かれている
(作中、いわゆる祭司など伝統的な呪術に関わる者たちからも、輪ゴムの声を聞く能力とかは真面目に取り扱われていない)


ゲームについて
この作品は、ゲームのルールを巡る話である。
秘密警察の捜査や拷問、共産党内部の内ゲバ的論理などは、人々が目に見えない理不尽なルール、しかも度々書き換えられるルールに翻弄される様だと言える。
ポル・ポト(サロト・サル)やソリヤは、そうした社会のルールを守るのではなく、作り替える立場に立つことで、よりよい社会を作ろうとする。むろん、ポル・ポトは、よりよい社会を作るという点では明らかに逸脱してったわけだが。そして、2人は、そのルールを見抜き、勝ち抜いていく才を持ち合わせていた。
一方のムイタックは、どちらかといえば、そうした社会のルールを見抜く能力に優れているわけではない。例えば彼は生まれながらの潔癖症だが、その潔癖症と論理能力が、周囲の人間に気持ち悪がられる、ということにしばらくの間気付いていなかった
ソリヤは、社会をゲームに喩えるが、ムイタックはそうした喩えを退ける。ゲームは、社会的な実利と切り離されているからこそ、ゲームたりえる。純粋にロジックだけで構築される点にこそ、彼はゲームに魅力を感じたのだろう。
ただ、彼も、ゲームのルールを守ることではなく、ルールを作ることへと興味を持つ。敗者も含めて参加者全員が楽しめるゲームとは何か。そして、ゲームのルールではなく、ゲームの構造を作り替えることが必要だと考えるようになる。
下巻では、下巻から登場するアルン(2003年生まれ)という教え子とともに、脳波を使ったゲームを開発する。

ゲームの王国 上

ゲームの王国 上

ゲームの王国 下

ゲームの王国 下

上巻

プノンペン
ソリヤは、生まれたばかりの頃に、ある郵便局員の夫と妻のもとに預けられるが、数年後、秘密警察の手により夫婦は殺されてしまう。秘密警察でありながら、共産党のスパイであるソムの手により、ソリヤはチリトというベトナム人の老人のもとで生きることになる。
なお、ソリヤは、人の嘘を見抜くことができる能力を持っている。
ロベーブレソン
カンボジアの地方にある村、ロベーブレソン。小高い丘を中心に、一世代前に開拓された村である。その村で暮らす少年ティウンに、ムイタックという弟が生まれる
ティウンとムイタックは、2人とも好奇心の旺盛な賢い子だけど、その聡明さは田舎の村ではむしろ不気味がられる。ティウンはそのことを幼い頃に悟り、大人受けのよい子として振る舞うことを学ぶが、ムイタックはそういうことはせず、ティウンよりもさらに高い知的能力を持つ。
ロベーブレソンには、ムイタックと同世代で、輪ゴムの声が聞こえると言っていじめられていた少年クワンがいたり、泥の声を聞くという能力により、村の開墾に一役買っている泥、泥の弟で全く一言も話さない鉄板などがいる。
ティウンやムイタックの叔父にあたり、共産党員のフォンが、プノンペンから逃げてくる。


ムイタックの家族は、親戚の結婚式で都会に出てくる。
その親戚に家には、アドゥという男に引き取られたソリヤも暮らしていた。
ムイタックとソリヤがゲームとクイズで勝負をする。
そしてその日、クメール・ルージュが革命をなして街に訪れる。


ポル・ポト政権下、クメール・ルージュの政策はカンボジアに悲劇をもたらしたが、ムイタックは、叔父のフォンらとともに、信頼できる者達を集めて、ロベーブレソンを、ある程度自由のある村として運営していた。
フォンは、ポル・ポトの方向性自体は間違っていないが、やり方がうまくいっていないことを理解していた。ムイタックは、ロベーブレソンの統治にあたり、ルールを変えるルール(2階のルール)を導入することで、なし崩しにしていく。
しかし、ラディという男に、この2階のルールを悪用されてしまう(ムイタックはこのことに気付いていたが止められなかった)
ラディは、かつて秘密警察のソムの部下だった男で、拷問に明け暮れていた男だった。
泥vsラディ


ポル・ポト政権下では、カンボジアの知識人は騙されて集められ、殺されていた。
そんな中、ソリヤはうまく立ち回り、クメール・ルージュ内で出世することで、この状況を打開しようと考える。
しかし、クメール・ルージュ内で出世するためには、かつてよくしてくれた人を裏切ることにもつながった。
そして、ソリヤの率いる部隊は、ロベーブレソンへと向かうことになる。

下巻

ロベーブレソン生まれの少年アルンは、村長となったクワンの厚意により、独学で科学や英語を学び、脳波に興味を持つようになる。
彼は、ソングマスターとなりその後色々あってロベーブレソンに戻ってきた鉄板に協力することで、プノンペンの大学へとやってくる。
そこで、ソリヤの養女であるアリスメイ、そして大学教授となっているムイタックと出会う。
アルンが脳波測定器をもとに作ったブラクション・ゲームをもとに、彼らは、チャンドゥクというゲームを開発する。
特定の脳波を出すと、それがゲーム世界で魔法となって出てくる対戦型ゲームだ。



NPO職員として働くようになっていたソリヤは、カンボジアの問題を解決するためには、首相になって上から変えていくしかないと考えるようになり、政治家となる。子どもはいなかったが、党内での順位を上げるために、養子をとる。
ポル・ポト政権以後に、国家警察の総司令官となり、その後、ソリヤの属する党のコンサルタントともなっているラディーとも、彼女は手を組むようになる。
そしていよいよ、首相になるかと思われた直前、暗殺未遂にあう。


下巻は、ソリヤ暗殺未遂事件の謎と、チャンドゥクの中に隠されたムイタックのメッセージをアルン達が解く、というのが大きなあらすじになっている。


ロベーブレソンの件で、ソリヤを憎むようになっていたティウンとムイタックの兄弟だが、実際のところ、それが憎しみなのかなんなのか分からず、自分がソリヤに対して抱く感情が何かを確かめるために、ムイタックは事件の捜査に協力する。


チャンドゥクは、何らかの記憶を思い出したり、想像したりする際にでる脳波に応じて、攻撃を魔法を繰り出すことのできるゲームである。
強い思い入れのある記憶ほど、強い魔法がでる。
水に関する記憶であれば、水の魔法がでるなどの関係があるものの、脳波に応じて、魔法は異なる(ムイタックの研究は、脳波を読み取ることである程度考えている内容が分かる、というものである)。
ゲームの方をうまくデザインすると、ある特定の記憶を思い出すと、強い魔法を出せるという攻略法が編み出される。この攻略法を身につけると、プレイヤーはそれに適応して偽記憶を思い出すようになる。
これを使って、ムイタックはゲームの中にメッセージを隠すのである。それは、ポル・ポト政権時代のカンボジアの物語であり、ムイタックとソリヤの物語なのである。


なお、ネットの感想を見ていると、ゲームが脳に直接作用していると思った人たちもいるみたいだが、プレイヤーたちがゲームを攻略するために、ある特定の脳波を出す必要があって、自覚せぬままに偽記憶を作ってしまう、というものだと思う。


最後の方がやや駆け足気味で、殺し屋のWPや、不正を勃起で暴き出すTVディレクターのカンがどうなったのかというのが、いまいちよく分からないままだったような気がする。


ところで、ムイタックとソリヤは、2人とも、2人が出会った晩にしたゲームで自分が負けた、と思っている。
実際に負けたのはムイタックで、ソリヤは「勝った気がしない」と言っている。それで、ソリヤは、本当は勝ったのに、負けたと誤って記憶してしまっているようである。


下巻では、アリスメイとムイタックが「人生」というゲームをしている。相手が適当に書いた数字の入った山札を一枚ずつ引いていって、これが一番大きな数だと思えばそこでストップ、まだ大きな数字があると思えば引くのを続けるというゲームなのだが、これは人生みたいだよね、という話をしている。
また、人生というのは、物語であって、それは特定の出来事だけを思いだし、そしてその記憶も少しずつ書き換わっていって作られるものなのではないか、という話もされている。
そして、チャンドゥクは、記憶を使ったゲームであり、ムイタックは自らの人生をそのゲームの中に隠す。
こういった後半の、この作品のテーマに関わる部分もなかなか面白いと思うのだけど、どうやって一本の線になっているのか考えるとなかなか難しい
政治や社会というゲーム、ゲームと人生、ルールとルール以外の関係
それよりも、上巻のカンボジア史とマジック・リアリズム、みたいな方が、わかりやすく面白い、というところは否めないといえば否めないが。