ローレンス・レッシグ『CODE』

『CODE』というと、人の振る舞いを規定する4つ――法、市場、規範、アーキテクチャを示したことで有名だけど、この本にとって、そのことはわりと前提みたいなもので、主題はもうちょっと踏み込んだところにある。
それは、この4つの中でも、法とアーキテクチャが特に重要だということ。
東海岸コードと西海岸コードと呼び変えていたりもする。
何故か。
一つには、可変であるということがある。
特にサイバー空間において。物理空間のアーキテクチャは、あんまり変わらないけれど、サイバー空間のアーキテクチャは簡単に書き換えてしまうことができる。
ネットは匿名で自由な空間だ、と言われている(た)けど、それは偶々そういうアーキテクチャだっただけで、コードを書き換えてしまえば、そうではないネットもありうる。
もう一つ。これは、特に法に関すること。
他の3つに対しての影響力がある。法は、直接人の振る舞いを規制することもあるけれど、市場や規範、アーキテクチャに訴えかけて、間接的に規制することも可能だ。


レッシグは、価値観を選ばなきゃいけないと再三主張する。
法やアーキテクチャというのは、自分たちで作り上げるものであって、勝手に出来るものではない。
もし自由なアーキテクチャが欲しいのであれば、自由なアーキテクチャは自分たちで作らなければならない。
様々なアーキテクチャがありうるのだから、何が守るべき価値観で何がそうでないかを選ばなければならない、と。
選択というのは既になされた、という考えがある。
ここでは、アメリカの憲法のことだ。守るべき価値観というのは、そこに書いてある。
ネットが生まれてから起こった様々な事件や対立も、過去に起こった事件や対立と結局は同じことだ、と。
もちろん、それは一理ある。ネット以前とネット以後の差は、種類の差ではなく、程度の差にすぎない。だが、その程度の差はかなり大きい。
つまり、憲法起草時には前提とされなかってテクノロジーの登場によって、当時は区別されなかったことを区別することが可能になった。憲法に書かれている価値観に、曖昧なところが出てくるようになった。
この曖昧さをはっきりと明確化させた上で、改めて選択を行わなければならない。


この本は、一面ではインターネットと法の本ではあるけれど、もう一面では、民主主義とは何かという本であり、民主主義を言祝ぐものである。
そういう意味で、後半はかなりレッシグの理想や理念といったものが語られるわけだが、訳者あとがきで山形浩生が「感動的」と言っていて、まさにそうだと思う。
レッシグは、反政府的だったり、あらゆる規制に反対したりするわけではない。
むしろ、政府や規制は必要だと考えている。
ただし、それは集合的な価値観というものを生み出すことにかかっている。
合理性や効率性といものも必要だ。
ただし、それもやはり何が合理的か、何が効率的か、という集合的な価値観があってこそだ。


個々の論点に関して。

  • 知的財産

財産の保護と、インセンティブの保護というのは区別して考える。
知的財産は、非競合的な性質をもっているコモンズ

  • プライバシー

プライバシーの根拠を選ぶ必要がある(負担軽減、尊厳、権力への実体的制限)

フィルタリングとゾーニングの違い

CODE―インターネットの合法・違法・プライバシー

CODE―インターネットの合法・違法・プライバシー