リアリティという語について

上では、芸術についてと述べたが、芸術といってもその中で特に興味関心があるのは、フィクションであり、小説、映画、マンガである。
僕は大概、小説、映画、マンガを総称してフィクションと呼んでいる。
フィクションには、国家とはフィクションであるとか、そういった使い方があるけれど、そういう使い方は一応除外する。
フィクション作品と呼んだ方がいいのかもしれない。
さて、フィクション作品の価値を表すような語として、とりあえずリアリティという語を使っている。
リアリティというのは、もちろん本来は、現実という意味なのだが、日本語で使われる場合に、何かちょっと違うニュアンスがあるような気がしている。
例えば、リアルとリアリティの違い。
リアルは形容詞で、リアリティはそれが名詞化したものであって、別に意味に違いはない。
しかし、フィクション作品を評価する文脈で、この2つを使い分けていることがあるような気がするのだけれど、どうだろうか。
ただ、実際のところ、いつ、どこで、どのようにして使い分けられているのか、という実例は出てこない(誰か知りませんか)。


あと、日本語だと、リアルとリアリティの品詞の違いがあまり意識されていないように思う。リアルを名詞的に使ってしまったりすることがある。というか、自分がそう。


追記
コメント欄でのid:massunnkによる指摘の通り、伊藤剛はリアリティを「現前性」と「もっともらしさ」に区別している。
通常、フィクション作品を評価する際には、リアリティがある、リアルだという言い方が定着しているので、この語が頻繁に使われるが、この語の中にはいくつかの意味が混ざっているので、ちゃんと分析するべきなのかもしれない。
「現前性」と「もっともらしさ」というのは、いい区別だと思うのだけど、「現前性」っていう語も何だか分かりにくい感じはする。


まず、リアリティというのは、当然のことながら、現実っぽさ、現実との類似度という意味がある。
ただ、何をもって現実と類似しているかというのは難しい。
まず一点目は、設定やその中で起こっていることが現実と似ていること。
例えば、物理法則であったり、社会制度であったり、慣習であったりといったことが、現実のものと同じであること。
じゃあ、架空の国や架空の技術を使っているようなものは、どうなるのか。もちろん、架空だからリアルではないということもできるが、つじつまがあっているとか、緻密に設定されていて破綻がないとか、そういう条件がクリアされていれば、リアルであるとされたりする*1
第二点としては、描写が写実的であること。
棒人間が描いてあるより、ちゃんとした骨格と肉付きのある人間の絵の方がリアル。
それから、何か迫ってくるというかせり出してくるというか浮き上がってくるというかそういう感じがあること。
伊藤剛のいうところの「現前性」と、多分言いたいことは同じだと思うのだけど。これは、描写が写実的であるということによって達成されることもあるし、それ以外の方法で達成されることもある、多分。だから、写実性とか現実性とか言ってしまうと掴みきることができない。
僕は、フィクションにとってこれがとても重要ではないかと思っていて、リアリティという場合、この性質のことを指したいと思っているのだが、これはしかし、現実との類似とは明らかに異なる。
リアル・リアリティには、さらに話の筋や登場人物の心情などが確からしい、あるいは心に響くなどということを指す場合もあるだろう。
ケータイ小説がリアルだ、という時、それはつまり、登場人物に共感できるとかそういうことを指しているのであろうし、現実と類似しているか否かというのはさほど問題になっていない。

*1:これがつまり、「もっともらしさ」ということではないかと思う