佐々木健一『美学への招待』

とても面白かった。
その名の通り、美学の入門書だが、美学の学説などについて論じられているわけではない。
しかし、知的刺激には溢れている。


美学とは、美と感性と芸術についての学である。
美学は、aestheticsの翻訳語だが、aestheticというのは、感性とか鑑賞とかそういう感じのちょっと多義的な語であるらしい。
どのようにして、どんなものを感ずるのか。


感性・感覚、センス
芸術、アート
美術館・博物館、ミュージアム
日本語には、漢字とカタカナがある。カタカナ語になることで、英語の意味とも漢字の意味ともまた異なる意味合いを持つようになる。
センスやアート、ミュージアムというカタカナ語によって、より多くのものがその言葉の中に含まれるようになった。
芸術とは、一体何なのだろうか。
例えばデザイン。
例えば複製品(本書では、複製品の体験が重視されている。それは、単にオリジナルより劣っているとはいえない。複製は、オリジナルによる体験とは、別種の体験を可能にした)。
それらは芸術なのだろうか。
あるいは、スポーツと芸術の関係についての論文も紹介されたりする。
スポーツというのも、一種の芸術ないしアートなのではないだろうか。
茶の湯は芸術と呼ばれるが、アフタヌーン・ティーはどうだろうか。何がどのカテゴリに入るのか、をどうやって決めるのかはなかなか難しい問題である。類似によって決められる、と思われるかも知れないが、茶の湯と絵画の類似度と、茶の湯アフタヌーン・ティーの類似度であれば、はるかに後者の方が高いだろう。
身体性についての注目が近年高まっていることをうけて、イサム・ノグチモエレ沼公園についても触れている。
そこで取り上げられているのは、身体性とリズムである。リズムとは、一体何であるのか。これも考えてみると、なかなか難しい問題である。


芸術とは何か、ということで、現代芸術が取り上げられる。
不条理演劇やセリー音楽、デュシャンやウォーホルのことである。
これらのいわゆる現代アートは、古典的な作品と比べると、あまり人気がない。
古典に人気があって、最新作が不人気なのは、しかし少し異常な状態である、と著者は述べる。
多くの時代において、最新作の方が人気であった*1。しかし、美術館などが出来てくるに従って、古典の方が人気が出るようになってきた、という経緯が述べられる。
また、美術館だけでなく、全集などが発行されるような現代の状況をとりあげ、それは近代美学のイデオロギー文化政策によるところがあることも指摘される。
古典に人気があることそれ自体が、現代的芸術現象なのではないか、と。
最後に、今後の美学の展望が述べられて終わる。


かなり、駆足気味の紹介になってしまったが、様々な論点が提起されており、そのどれもが面白い。
です・ます調の話し言葉で書かれており、非常に読みやすく、わかりやすいが、味わい尽くそうと思うと結構内容は濃いと思う。
文献案内もついている。
まえがきやあとがきによれば、著者が定年退職の年に、かなり短期間に集中して書かれたものらしく、何かを参照しながら書く、というよりは、考えてはいたがまだちゃんと論じたり書いたりしたことのなかったようなテーマを書いていったものが中心になっているようだ。
とはいえ、何か専門的な話題に特化しているわけではなく、入門的なものとして読めるようになっている。

美学への招待 (中公新書)

美学への招待 (中公新書)

*1:現在だって、映画や音楽は最新作の方が人気だ