黒田賢治『イラン現代史』

サブタイトルは「イスラーム革命から核問題、対イスラエル戦争まで」
タイトル通り、イランの現代史についての本
羽田正・編著『《YAMAKAWA SELECTION》イラン史』 - logical cypher scape2に引き続きイランについて
本書は、イラン革命後のイスラム共和制イランの歴史を扱っている。
イラン革命は1979年
第1章は、ホメイニーとイラン革命・イラン共和国体制について
第2章が、イラン・イラク戦争の時期でほぼ1980年代
第3章が、1990年代から2000年代前半(ラフサンジャーニー政権とハータミー政権)
第4章が、2000年代後半から2010年代前半(アフマディーネジャード政権)
第5章が、2010年代後半(ロウハーニー政権)
終章が、2020年代(ライースィー政権とペゼシュキヤーン政権)
こうやって見てみると、マジ最近の話をしているなあ、という感じなんだけど、イランのこと自分全然知らなかったな、と。大統領の名前ですら全然記憶にない。
イランは、最高指導者の権力が非常に強くて、一応三権分立しているのだが、その三権すべての上に最高指導者の権力がかかっている上に、国防・安全保障が行政権から半ば独立している。
初代最高指導者がホメイニー、2代目最高指導者がハーメネイで、2026年にハーメネイはイスラエルの空爆で死亡している。
(けれど、本書は2025年11月刊行なので、そこまでは書かれていない。無論、2026年のアメリカ・イスラエルによるイラン攻撃とホルムズ海峡封鎖の話は書かれていない(そもそもホルムズ海峡についての話自体がそれほどなかった気がする))
でまあ、ホメイニーとハーメネイの名前はもちろん知っているけれど、大統領については全然知らなかった。
なんか、最高指導者による独裁政治であって、大統領とかってそんなに実権ないんじゃないかと勝手に思っていたが、本書のように、大統領ごとにその政権の特徴を描くという形式で記述された歴史を読むと、大統領によって結構カラーが違っており、それぞれの政策をやってきていたのだなあ、ということがわかる
イランの宗教的な統制というか、あのヒジャブ被らんと逮捕、みたいなのは比較的最近の話なのだな、とか。
自分の中のイランのイメージが更新された感じもするのだけど、しかし、やっぱりイランのことが分かったともいえないな。

はじめに
序 章 近代国家建設と東西冷戦構造
1 パフラヴィー朝の成立と近代国家への道
2 モハンマド=レザー・シャーの専制政治と白色革命
3 反王政運動と王の国外退去
コラム① 在外イラン人学生の運動
第1章 ホメイニー体制と革命勢力の角逐
1 ホメイニー師の帰還と革命の達成
2 バーザルガーン暫定政府と憲法制定
3 イスラーム共和国体制と大統領選挙
コラム② 反西洋とファストフード
第2章 イラン・イラク戦争とイスラーム共和体制
1 押しつけられた戦争と「法学者の統治」
2 広がる戦火と「コントラ事件」
3 戦争の終結と新たな体制の模索 
コラム③ 亡命者とテヘランゼルス
第3章 ハーメネイー体制と政治的自由
1 新体制と戦後復興 ラフサンジャーニー政権(一九八九〜九七)
2 体制の変容と政治的自由 ハータミー政権(一九九七〜二〇〇五)
3 体制の問い直しと宗教実践の多義性
コラム④ レスリングとサッカー
第4章 新保守派の台頭と「緑の運動」
1 国際関係の緊張とアフマディーネジャード政権(二〇〇五〜一三)
2 国際的孤立と「緑の運動」
3 市民生活の変容と核開発問題
コラム⑤ 科学者と頭脳流出
第5章 防衛戦略と核問題
1 革命防衛隊の社会への浸透
2 革命防衛隊とロウハーニー政権(二〇一三〜二一)
3 核問題の解決と中東情勢の変化
コラム⑥ 日本とイランの国交一〇〇年
終 章 暗雲垂れ込めるイスラーム共和体制の未来
1 ライースィー政権(二〇二一〜二四年)への期待と終焉
2 急変する国際情勢とペゼシュキヤーン政権の発足
3 イスラーム共和体制の未来
あとがき
主要参考文献
関連年表

序 章 近代国家建設と東西冷戦構造

序章は、パフラヴィー朝の話


レザー・シャーは、中央中堅と軍事力強化を図って、徴兵制とか強いて兵力を増大


レザー・シャー時代の話は飛ばして、石油国有化をやったモサッデグ政権について
その崩壊は、内部分裂に端を発する、と
で、英国がその内部分裂に介入しようとするのだけど、もう英国にパワーがなくて、米国が介入することになる
アメリカにとっては、この地域でのソ連の影響力を押さえておくため、という動機があった。
で、モサッデグ政権崩壊によって起きたのは、民主政治の退潮、米国との関係強化、無理な開発
国王の権威主義化が進み、不正選挙が行われるなど
また、SAVAKという情報局が、CIAやモサドの教育・指導のもと作られることになる

  • 法学権威

シーア派においては、信者はみんなイスラム法学に通じてないといけないらしいのだが、それは無理な話なので、従う法学者を決めているらしいのだが、そのトップにたつのが「法学権威」と呼ばれる法学者らしい。
当時、宗教都市ゴムにいた、ポールジェルディーが法学権威だったのだけど、この人が亡くなったことで、宗教界の再編が起きたらしい
ポールジェルディーは、国王の進める農地改革とかに反対していたので、その死をきっかけに、国王が宗教界にもちょっと手を出す、と。


白色革命
上からの近代化政策で、参政権の拡大とかもあったみたいだけど、主眼として農地改革があって、だから地主層からの国王支持が失われる要因となる。


この当時のイランは、イスラエルとの関係は友好
また、イラクのクルドを支援し、イラクとの間にイラン有利の国境協定を結ぶ


イランの近代化が進み、当時のテヘランではミニスカートの女性が歩いていた云々みたいな話が有名だけれど、一方で経済格差も生じる
そういう近代化の起こす矛盾に対して、イスラーム系の政治勢力が力を持っていく。
そういう政治勢力として、イスラム法学者、世俗的知識人、マルクス主義の3つが挙げられている。
世俗の知識人というのおそらく、イスラム法学者ではないという意味で世俗的なのであって、思想的にはイスラム。
あと、マルクス主義もイスラム化していて、というか、マルクス主義思想をイスラムの用語に翻訳(?)することでマルクス主義思想が広まったらしい。
なお、イスラム法学者勢力というのは、つまりホメイニー勢力だけれど、この時期、もう一人別の法学者の勢力もあったらしい。
反王制とイスラムというのがイコールで結ばれていた。


アメリカのカーターが人権重視政策を打ち出したことで、イランにも圧力がかかり、政治活動が合法化される。


在外イラン人の話が、本書では時々出てくる。
政治運動として在外イラン人の集まりというのが、結構重要だったみたい

第1章 ホメイニー体制と革命勢力の角逐

第1章は、ホメイニーについてとイスラム共和制の成立過程

ホメイニーというのは、イスラム法学者としてイスラム法について詳しかっただけでなく、イスラム神秘主義についても詳しく、そっち方向からの支持もあったらしい。
上述のポールジェルディーが亡くなった頃から、政治活動も始める
1943年 初の著作『秘密の顕現』を発表。ここでは立憲君主制を支持していた
1961年 白色革命批判
1964年 逮捕釈放を繰り返しつつ、国外追放。イラク・ナジャフにいたらしい。
なんか、政治活動で国外追放されたり亡命した人ってなんか欧州いくイメージあったので、イラクにいたんかーいって思ってしまった。隣国からカセットテープとか送ってたらしい。
1970年 『法学者の監督』を発表。『秘密の顕現』の時から変わって、イスラム法学者が指導する国家像を打ち出す
→シーア派において、イマームが最適な後継者だが「お隠れ」になっているので、法学者が代わって法の執行を行う


革命諸勢力
自由主義勢力→国民戦線など、マルクス主義勢力→トゥーデ党など、イスラーム主義勢力→ホメイニのイスラーム共和党
暫定政府とホメイニーの対立
アメリカ大使館占拠事件→ホメイニーが「第二の革命」と位置づける


革命が起きた後、王政を倒すという点では一致団結していた諸勢力が分裂していく、というのはよくある話だけど、その段階でのホメイニーの政治力がすごいというか
革命がなったあと、すごい勢いでイスラム共和体制を確立していく感じ
暫定政権は自由主義系だったけど、議会をイスラーム共和党で押さえて、暫定政権を死に体にしちゃう。

第2章 イラン・イラク戦争とイスラーム共和体制

第2章は、タイトルにあるとおりイラン・イラク戦争について


イラクが起こした戦争というと、どうしても湾岸戦争の印象が強く、イラン・イラク戦争についてあんまりよく知らなかった(湾岸戦争開戦時はすでに生まれていた(ニュースの記憶はないけど)のに対して、イラン・イラク戦争はそうではないし、かといって世界史で習うには近すぎた感じがある)
戦死者の多さ的にも期間の長さ的にも、でかい戦争で、イランにもたらしている影響が大きいのだな、と。
もともと、イラクがイランへと侵攻して始まったが、その後、イランがイラク領内まで攻め入って混沌とした戦況と化したみたい。


革命後のイランというと、一貫した反米国家なのかなと思っていたが、この時期、イラン指導部とアメリカ政府は陰で色々つながっていたらしい(この地域でのソ連の影響力を増やしたくないアメリカの思惑。イランはイランで、米ソの間での「中立」を目指していたというが、イラクと戦争するにあたって現実主義路線でアメリカの協力を得たかったっぽい?)
イラクと戦争するにあたって、なんとイスラエル経由で武器を購入していて、これがスキャンダルへとつながる。


イラン革命の大義として、「被抑圧者」の解放というのがあるらしい。
この大義は、あとからも出てくる。貧困層とかの救済とか
で、そこから「革命の輸出」という外交方針が打ち出されてくる。


イラクでは1979年にフセインが大統領に就任し、1980年開戦
地域情勢の不安定化、国境問題、イランの軍事力弱体化という3つの要因からフセインは開戦する。
一方のイラン、初代大統領のバニーサドルはもともとホメイニーの覚えめでたく大統領に選ばれたのだが、ホメイニーと対立するようになる。
で、イラン軍というのは、国軍と革命防衛隊の二重体制になっているのだが、バニーサドルはイラクとの戦争において国軍中心で戦おうとする。
しかし、これがうまくいかない
結局、バニーサドルは罷免され、ハーメネイが大統領となる


ホメイニーは、革命防衛隊だけでなく、バスィージ(防衛隊非抑圧者動員組織)というのを作って、人海戦術を仕掛ける
バスィージの中には少年兵もいたという。
侵攻してきたイラクを押し返すだけでなく、イラク領内へと攻め入る。イラン側は、フセイン政権打倒が目標になってしまったので、戦争が終わらない


ホメイニーは、「大悪魔アメリカと小悪魔イスラエル」というこの2国を批判する世界観を広めていたのだけれど、イラン指導部はまさにこのアメリカ・イスラエルと秘密交渉して、武器輸入をはかる。
でも、これがばれてしまうイラン・コントラ事件というスキャンダルが起きる
ホメイニーは実はモンタゼリーという法学者を後継者として育てていたのだが、モンタゼリーの関係者がこのスキャンダルにより処刑されてしまったことで、モンタゼリーとホメイニーの関係が悪化


イスラーム共和党の中に「保守派」と「急進派」という政治勢力ができて党内での対立が激化し、1987年にはイスラーム共和党は解党


ホメイニー時代の末期
憲法改正
→モンタゼリーを後継者にすることができなくなり、ハーメネイーが後継者と目されるが、ハーメネイーは法学権威ではなかった。憲法上、最高指導者は政治的な知見と宗教的な知見の両方が必要。つまり、後者において法学権威であることが要件だったのだが、ハーメネイーを後継者とするためにこの要件が緩和される
この時期、『悪魔の詩』のサルマン・ラシュディへの死刑という宗教令が出されている。
憲法改正により、政治>宗教みたいになったところ、このラシュディの件では宗教を重視するという強硬姿勢をホメイニーはとった、とかなんとかそういう話っぽい?


イラン・イラク戦争の終結とホメイニーの死がほぼ同時

第3章 ハーメネイー体制と政治的自由

第3章は、1990年代から2000年代前半(ラフサンジャーニー政権とハータミー政権)について

  • ラフサンジャーニ

戦後復興と経済の自由化を図るも、石油価格低迷・人材不足などで失敗
人材不足というのは、イランは大学定員が少なくて、高等教育受けるために留学する人が多くて、結局そのまま帰国してこない、と。

  • ハータミー

急進派に属するハータミーが大統領に
「文明の対話」を外交方針として打ち出す(『文明の衝突』論への異議申し立てでもある)
なおこの頃、急進派は改革派に再編される
政治の自由化もすすめられ、この時期、新聞・雑誌の創刊が増える
しかし、学生運動に対して治安維持部隊を出動させたために、ハータミーへの期待は失望に変わる
ハータミーは、自由主義経済政策を継承し、為替レート・貿易収支は回復するも、失業率回復せず。景気回復が人々の実感にまでは至らず、この点でもハータミーの支持は落ちていく

  • 90年代以降のイスラーム

法学者同士の見解の相違が許容されるようになっていく。
ハーメネイは、法学者としての研鑽もするものの、結局法学権威にはならず、ということは、最高指導者とは別に法学権威がいる、という事態になる。
ポスト・イスラーム主義とか「新思考」とか言われるような潮流が出てきて、イスラーム信仰やイスラーム法解釈について、個人化・多様化・多元化が進んでいく
イランって、厳格な宗教国家のようにも思われるけれど、この時期の国民の信仰生活は結構自由で多様だったよ、ということらしい。

第4章 新保守派の台頭と「緑の運動」

第4章は、2000年代後半から2010年代前半(アフマディーネジャード政権)について


アフマディーネジャード、顔写真見ても全然ピンとこなくて、いかに自分がイラン関係のニュースを見てこなかった、と
(ロウハーニーやライースィーについていうと、ターバンに髭でメガネという容貌で、見たことがあるのか、他の人と混同しているのかわからない……)
ポピュリスト政権だったようで、ハータミーの自由主義的な経済政策を批判し、社会福祉政策に舵を切る一方で、対外的には孤立主義をとり、これが経済制裁を呼び込み、経済政策の方の財源がなくてうまくいかず。
「緑の運動」という民衆の反政府運動が起きて、アラブの春に先立ち、SNSを利用した市民運動が起きていた、と。
で、アフマディーネジャードは結局、前政権と同様に、国営企業の売却をしていくことになるのだけど、このとき、社会福祉政策の一環として、民営化した国営企業の株を貧困層に持たせる、ということを実施していたらしい(配当金を年金とかの代わりにするけど、そもそも短期的な利益のために売っちゃう人もいる)……。

  • イランの核疑惑問題

2002年 ウラン濃縮施設の暴露
2003年 英独仏とテヘラン合意
2004年 英独仏とパリ協定


イランの政治勢力は、保守派と改革派だったけれど、2003・04年頃から、「原理派」(保守強硬派)が台頭してくる


アフマディーネジャードは、ウラン濃縮はイランの権利であると主張し、また、イスラエル批判の中でホロコーストを否定したことで、イラン国内の良識派からも顰蹙を買う。
ところでイランには、プロパガンダ壁画(殉教者壁画)というイラン・イラク戦争の戦死者を描く壁画があって、しかしこれらは次第に姿を消していたのだけれど、アフマディーネジャード政権下で復活していく。


2009年 大統領選挙
不正選挙があったのではないかとされ、対立候補だったムーサヴィ陣営の抗議運動が起きる
これが「緑の運動」という反政府運動となっていく


国営企業民営化政策の中で「公正な取り分」というのが行われる
これが、国営企業の株を貧困層に、という奴。
「被抑圧者」の解放という革命の大義と、自由主義経済の折衷というか


第二期アフマディーネジャード政権では、社会福祉路線が立ちゆかなくなってきていて、補助金削減へといたるが、インフレの打撃を受ける
このインフレは、経済制裁によるもので、核開発問題が関係してくる


2006年、イランの核開発協議には、米ロ中も参加することになり、常任理事国とドイツというP5+1体制となる
2011年 軍事転用の可能性が指摘され、核開発問題は、核兵器開発問題へ移行
2012年 石油禁輸

第5章 防衛戦略と核問題

イランといえば革命防衛隊、かどうかはわからんけど、第5章は革命防衛隊やイランの核政策の話とロウハーニー政権時代の話


これは最初の方の章に書いてあったことだが、革命防衛隊はもともとホメイニーの私兵
革命の際に、ホメイニーだけでなく他の法学者のところにも、武力組織が乱立してたらしいのだが、これらをホメイニーのもとに集めて結成されたのが革命防衛隊
で、イランの軍事組織は、革命以前から存在する国軍と、この革命後にあらわれた革命防衛隊の二本立てでいくことになったらしい。
革命防衛隊の中にも、陸海空軍があるらしい。
安全保障については、三権の長と、国軍の最高指揮官、革命防衛隊の最高指揮官からなる安全保障会議が意思決定機関となっていて、国軍、革命防衛隊の指揮官の人事権は最高指導者が持つ。
イラク・イラン戦争の際に、ハーズィという動員組織があったけれど、これも革命防衛隊の中の一組織となっている
革命防衛隊の中には、陸海空軍の3軍以外にゴドゥス軍というのがある。ゴドゥスというのはエルサレムという意味で、対外工作活動部隊で最高指導者直属部隊らしい。
革命防衛隊の面白い(?)ところは、経済活動にも参画しているところ
国営企業の民営化というのがあったけれど、売却先がどこだったかというと、革命防衛隊の財団とからしい。
革命防衛隊の企業が、各産業に進出していて、インフラ整備や雇用創出に一役買っているらしい。軍産複合体という言葉があるけれど、イランの場合、軍需産業に限らずあらゆる産業について軍産複合体ができているのだ、と


元々ホメイニーは、革命防衛隊が政治に関わることを抑制していたのだが、ハーメイネー時代になると、革命防衛隊も政治へと進出してくる
アフマディーネジャード政権では、革命防衛隊が閣僚になったりしている
上述の通り、革命防衛隊の経済進出も進められる。

  • ロウハーニー政権と核開発問題

2013年 保守派のロウハーニーが大統領に
アフマディーネジャードとは打って変わって「西向き」で、協調的な外交方針へ転換
オバマとの電話会談も行っているが、これは革命後初のイランアメリカ公式の大統領会談だったらしい(そんな最近まで大統領会談なかったのか、とも思ったけど)
2015年 包括的共同行動計画(JCPOA)合意
ウラン濃縮認めつつも上限設定。IAEAの査察への協力も含まれるが、しかし軍事施設への査察はな
→制裁措置解除
石油生産再加速しつつも失業率の回復には至らず

  • シーア派の三日月地帯

イラン、イラク、シリア、レバノン
「アラブの春」が起きた後シリアが内戦突入。これに対して、アサド政権側から介入(ゴドゥス軍)
「イスラム国」掃討作戦にも参加
イエメンのフーシ派とも協力するが、フーシ派ってザイド派らしい。
シーア派の中にもさらに派閥があって、イランは十二イマーム派で、ザイド派とは相容れないところもあるらしいが、対サウジアラビアで利害が一致している、ということがらしい
シリアやイエメンへの介入は「聖廟の防衛」と呼ばれている(イマームの聖廟を守るという名目)
で、『聖廟の防衛者』というタイトルの歌謡曲、ロック、ポップスがたくさん作られてたらしい。


2016年 トランプ政権誕生
2017年 ロウハーニー再選
2018年 トランプJCPOA離脱 原理派からのロウハーニー突き上げ
市民の反体制運動
ロウハーニー政権は革命防衛隊を牽制しようと試みるが、革命防衛隊は政権から独立して軍事行動を行えるようになっていた。
2020年 評議会選挙で原理派大勝の直後から、コロナ流行が始まる

終 章 暗雲垂れ込めるイスラーム共和体制の未来

終章は、コロナ禍の話から始まり、ガザ戦争の話などしているので、本当に直近の話だが

2021年 原理派のライースィが、投票率の低迷する選挙の中、大統領に
上海協力機構加盟

  • 風紀警察とヘジャーブ強制

イランの風紀警察というの、元をたどると革命直後にあったコミテというのが前身にあたるらしいが、2005年に設立
ヘジャーブについて、従来はわりと着用はあくまでも自発的なものであって強制されるべきものではないとされていて、「原理派」もあまり関心はなかったという
ところが、風紀警察により指導だけでなく逮捕されるようになり、2017年から抗議運動がおこり、さらに2022年には取調中の暴力による死亡事件もおき、より抵抗運動も激しくなったが、風紀警察により取り締まりは今も続いている、という


革命イランはもともとパレスチナ支持であったが、本格的に介入するのは1991年から
オスロ合意の際には、アラファトを裏切り者と呼んだとか


2024年 ライースィがヘリコプター事故で亡くなる
元々、高齢のハーメイネーが後継者としていたのがライースィ。大統領になったのもそういう経緯から
この事故で、そういう目論見がご破算に


同年 改革派のペゼシュキヤーンが大統領に。投票率は過去最低
ペゼシュキヤーンは、元医者で、イラン・イラク戦争従軍経験者という経歴が保守派にもアピールしつつ、少数民族出身者でもあり、シングルファーザーであることが支持にもつながった、と。
就任直後から、外交問題や閣僚人事をどう捌くかという難局に対処(評議会は原理派優勢なので、ライースィー政権の閣僚を引き継いで評議会からの承認を得つつ、とはいえ、女性閣僚を入れたりとか、その中での革新色も出しつつという)
で、直後に第二次トランプ政権の成立と、アサド政権崩壊というイランにとってのピンチ
アメリカの攻撃もあったが、核開発問題はアメリカの思うようにはならないだろう、と
なぜなら、中ロとの関係強化や国内生産の充実が図られているから、ということと、イラン社会に醸成された世界観があるという。それは、アメリカが世界を支配しようと企んでいるというもので、陰謀論くさいが、イランでは一定のリアリティがある、と。西側諸国は、イランに「正しい」国になってほしいが、イランの世界観では「正しさ」が異なる、と


イランの大統領選挙って、「西側」の基準でいくと非民主的な感じもするが、こんな風にやっているのかという面白さもある
まず、立候補者が3桁人数いたりする。どうも基本的に政党がないらしい
ただし、立候補したからといって立候補者として認められるかは別で、その後審査される。ここがまあ、ある種の非民主的なところで、最高指導者の息がかかった監督者評議会によってふるい落とされる。実際の選挙戦は数名で争われることになる。
イラン、政党はないが、政治勢力として「保守派」「改革派」「原理派」がいて、派閥ごとの候補者の人数調整が資格審査によって図られているところがある。改革派の候補者は資格審査でめっちゃ落とされるとか。でもそれで逆に、票割れが起きずに集中したため改革派が当選する、みたいなことが起きてたりする。
あと、選挙戦の最中に候補者が、同じ派閥の他の候補者を支持して自分は辞退する、ということが時々起きている。なんかアメリカの大統領予備選みたいだなって感じもする。
それから、2020年代の投票率が低くて、コロナの影響もあったようだけど、なんかちゃんと投票率下がるんだな、と思った。