サブタイトルは「最新「光遺伝学」と人間の脳の物語」
光遺伝学技術を開発したダイセロスによる精神医学ノンフィクション
これ読むまで知らなかったのだが、ダイセロスは基礎研究に従事していると同時に精神科の臨床医であるらしい(宿直もやっていると書いている。また、プライベートではシングルファザーとのことで、かなりすごい人だな、と)。
本書は、ダイセロスが精神科医として経験したことを中心に書かれており、目次を見ても、症例ごとに章わけされているのが分かる。
邦訳だとサブタイトルに「光遺伝学」とあるが、原題は”PROJECTIONS: A STORY OF HUMAN EMOTIONS”とあり、光遺伝学はフィーチャーされていない。実際、内容的には、光遺伝学について「も」書いてあるが、必ずしも光遺伝学は主題ではない。
邦題メインタイトルの『「こころ」はどうやって壊れるのか』あるいは原題サブタイトルの”A STORY OF HUMAN EMOTIONS”あたりが内容には沿っているように思える。つまり、精神病患者たちの物語を綴った本である。
なお、光遺伝学についてのまとまった解説は、巻末の解説を読むのがよい。
光遺伝学(オプトジェネティクス)については、2017年頃に脳神経科学関係の本をいくつか読んでいたら、あちこちに書いてあったことがあって、それで印象づけられていた。
この本は2023年に邦訳が出た本で、存在は知っていたものの、読む優先度はそれほど高くないままだったが、最近、光遺伝学デバイスのニュース記事を見かけたのをきっかけに、ちょっと読んでみるかと思い出したという次第。
しかし、上述の通り、本書は精神病患者の話がメインなので、光遺伝学についての話を期待するとやや肩透かしをくらす
そういうこともあり、ほとんど読み飛ばすようにざーっと眺めるだけとなった。
以下、本文よりもむしろ解説を中心にメモを残す。
序章
第1章 涙の貯蔵所―脳幹がん、大鬱病
第2章 初発―躁病、双極性障害
第3章 情報保持能力―自殺願望、自閉スペクトラム症
第4章 傷ついた皮膚―境界性人格障害
第5章 ファラデーケージ―統合失調症
第6章 自己充足―不安障害、摂食障害
第7章 モロー―認知症
終章
光遺伝学
ところで、本の内容に入る前に、個人的にこの名前に思うところというか、注意すべきところだけ書いておく。
光遺伝学はoptogenetics(オプトジェネティックス)の直訳なのだが、遺伝学のサブジャンルというわけではない点に注意が必要だと思う。
神経科学分野における研究手法ないし技術、のことを指す。
遺伝学のサブジャンルでないばかりか、学問分野・学問領域を指す言葉ですらない。
チャネルロドプシンという、光に反応するイオンチャネルを持つタンパク質がある。
イオンチャネルというのは、神経細胞が信号をやりとりする時にも使われるものでもある。遺伝子導入により、神経細胞にチャネルロドプシンを発現させると、光をあてることで神経細胞をオンオフすることができるようになった、というのが光遺伝学
従来の神経科学は、脳の活動を観測することによって、あるいは、脳の部位が損傷している個体を観察することによって、脳のどこがどういう機能をもっているのか、ということを調べてきた。
しかし、光遺伝学によって、直接、脳のある一部を活動させたらどうなるのか、という実験を行うことができるようになった、というものである。
序章
光遺伝学とハイドロゲル組織化学(CLARITY)について紹介している。
ダイセロスって光遺伝学だけでなくCLARITYの開発者でもあったとは……
ってこれ読んで初めて知ったような顔してたけど、『日経サイエンス2017年3月号』 - logical cypher scape2に書いてあった
第3章 情報保持能力―自殺願望、自閉スペクトラム症
とあるASD患者を治療していて、不安症状はなくなったけれど、アイコンタクトの問題は残ったまま。
→不安とアイコンタクトの問題は別の理由によるものと推測
実際、患者自身から、社交については、情報量が多くてオーバーロードするんだと言われる。
神経細胞の興奮抑制のバランスが崩れているのではないか、という仮説
従来型の青色光駆動のチャネルロドプシンに加えて、赤色光駆動のチャネルロドプシンが開発されることで、興奮性の細胞と抑制性の細胞という、2種類の細胞集団を制御することが可能に。
マウス実験で、仮説検証
第5章 ファラデーケージ―統合失調症
この章、ちょっと書き方が面白くて、患者側の視点で小説のように書かれている。
なので、この章は神経科学的な解説などはなし
投薬治療受けて少しまともになったのだが、自己判断で薬やめて、またなんかおかしくなっていくのが読んでてわかるのがなんとも(患者本人視点で書かれていて、おかしくなっている自覚とか全くなく、文体なども全然変わらないのだが、読んでいると、内容だけどんどん妄想めいていくのがわかる)
終章
マウスへの実験で、光遺伝学用いて、あっさり暴力行動を生じさせることができるものの紹介(倫理的な課題というか)
最後の方で、意識についてもちらっと触れている。ハードプロブレムという言葉は一切使っていないけど、神経科学的に研究してもハードプロブレムあるよね的なことを書いている(というかまあ、ダイセロスは意識研究はほとんどやってないんだろうな、ということがわかる)。
ところで、意識のこと考えるのに思考実験やってみようというくだりがあるのだけど、何故かゲダンケン・エクスペリメントとドイツ語を使っている上に、「ゲダンケン・エクスペリメント」って書いているところと「思考実験」って書いているところが混ざり合っていて、どうして使い分けたのか全くわからなかった……
どの章に書いてあったか忘れたんだけど、元々は、同じ種類の細胞「集団」を単位とした制御だったのが、だんだん、精度があがってきて、もっと個々の細胞とかを単位に制御できるようになってきているらしい。
解説 加藤英明
解説を書いているのは、ダイセロスと共同研究もやっている生物化学者
ダイセロスと異なり、完全に基礎研究の人で、医者とかはやってない(それが普通だと思うが)
チャネルロドプシンのX線結晶構造解析をやっている人
この加藤さん的には、ダイセロスの個人的な人となりがわかるのが、この本の面白かったところらしい。
1870年代 キューネ カエルの網膜から「ロドプシン」の単離成功
赤い色素なので、バラroseから命名されている
桿体細胞(rod cell)だからロドだと思っていたが、roseだったのか……
1971年 エスターヘルト、ストケニウスによる古細菌からの発見
ここから、微生物ロドプシンの研究が始まる
1977年 向畑 ハロロドプシン 塩化物イオンを運ぶポンプ型ロドプシンの発見
2002年 ヘーゲマンら クラミドモナスという藻類から、チャネルロドプシン発見
このチャネルロドプシンに注目したのが神経科学者たち
世界各国5つのグループが、研究開始
2005年 5つの研究グループのうちダイセロスらが最初に実現 in vitro実験
2007年 in vivo実験 マウスに対して光ファイバー使って行動制御に成功
光遺伝学という言葉がいつ生まれたのか正確にはわからないが、2006年の北米神経科学学会内でOpto-Geneticsの言葉が確認できるとのこと。
チャネルロドプシンは様々な微生物から発見されており、それぞれ少しずつ種類が異なることに加え、アミノ酸変異を加えることでの改良も行われている。
これによって色々な応用が可能に
特に、改良にあたっては、X線結晶構造解析によるチャネルロドプシンの立体構造情報が助けになったと。
チャネルロドプシンの研究の進み方について、下村脩のノーベル賞受賞で知られる緑色蛍光タンパク質研究の歴史とも似ている、ということが述べられていた。
また、下村と同時受賞しているチェンは、チャネルロドプシンの応用研究にも関わっていたらしい。
- 応用
全光生理学
光遺伝学は光によって神経活動を生じさせるものだけど、全光生理学は、神経活動によって光を生じさせて、それを観測するというもの。
GEVIやGECIという、カルシウムイオン濃度変化に応じて蛍光を発するタンパク質を使う。
光ファイバーを使う方法から、二光子レーザーを使う方法へと進歩
青色光駆動チャネルロドプシンに加えて赤色光駆動チャネルロドプシンの開発
弱い光にも反応するように改良し、光ファイバーを脳内に入れることなしに、頭蓋骨越しの光照射でも可能に。
神経科学以外の医学領域への応用も進められており、網膜色素変性症の治療に使われた例もある。
解説の中では、2021年に、ダイセロスが、エスターヘルト、ヘーゲマンとともにラスカー賞を受賞していることをあげ、ノーベル賞受賞への期待が語られている。
Wikipediaを見ると、ダイセロスはほかに、京都賞もガードナー賞など多数の賞を受賞している。京都賞もガードナー賞も、ノーベル賞受賞者がノーベル賞とるまえにとっていたことで知られる賞。
ダイセロス、まだ年齢が若いのが受賞に当たってはネックかなあとも思うが、山中さんの例もあるので可能性はある。ラスカー賞共同受賞のエスターヘルトは既に亡くなっているらしい。ヘーゲマンは年齢的に妥当な気がする。
