毛内拡『脳を司る「脳」』

脳の活動というと、イコールでニューロンの活動と思いがちだし、実際に脳の研究はそのような前提で進められてきたが、ニューロン以外の活動(非シナプス的相互作用)も実はかなり重要である、ということを紹介してくれる本


以前から、グリア細胞が実は脳の情報処理に関わっていた的なことはちらほらと見かけていたので、気にかかっていたテーマだった。
本書は、グリア細胞も含む、様々な非シナプス的相互作用について扱っている。
脳は、ニューロンシナプスを介してつながったネットワークによるデジタルコンピュータ、というだけでなく、それ以外の側面もあり、非デジタルコンピュータな側面も含めて総合的に理解する必要があるのではないか、と。
読んでみると、ニューロン以外の要素が、ニューロンの活動に影響を与えているということが色々と分かってきているという一方で、その詳細なメカニズムやあるいはそうしたシステムの全体像はまだまだ見えてきていない、ということが分かる。


第1章と第2章は、従来的なニューロン中心の脳研究についてのまとめ。ニューロン以外の要素が重要であることが分かってきたとはいえ、やはりニューロンの働きをまず理解しておく必要がある。また、第2章は研究史のあらましとなっており、新たな研究手法がニューロン以外の細胞の働きを明かしてきたことも分かる。
第3章から第6章までが、本題であるニューロン以外の脳の働きについて
第3章は、細胞外スペースについて
第4章は、細胞外スペースでの物質運搬について
第5章は、細胞外スペースでの細胞外電場について
第6章は、グリア細胞(の中でも、特にアストロサイトと呼ばれる細胞)について
今まで抱いていた脳のイメージとだいぶ違うところもあって、難しいところも結構あったが、まだよく分かっていない仕組みが色々ある、というのが知れるのは面白い。
(具体的に言うと、電気のところが難しかった。第5章、わりと重要っぽいんだけど把握しきれず)
また、「そういえば名前は知っているけど(自分が)よく分かってなかったわー」というところもポロポロあって勉強になった(具体的には、脳波についてとノルアドレナリンセロトニンについての理解が更新できた)。

プロローグ 「生きている」とはどういうことか
第1章 情報伝達の基本、ニューロンのはたらき―コンピュータのように速くて精密なメカニズム
第2章 「見えない脳のはたらき」を“視る”方法―脳研究はどのように発展してきたか
第3章 脳の「すきま」が気分を決める?―細胞外スペースは脳の“モード”の調整役
第4章 脳の中を流れる「水」が掃除をしている?―脳脊髄液と認知症の意外な関係
第5章 脳はシナプス以外でも“会話”している?―ワイヤレスな情報伝達「細胞外電場」
第6章 頭が良いとはどういうことか?―「知性」の進化の鍵を握るアストロサイト
エピローグ 「こころのはたらき」を解き明かす鍵―変化し続ける脳内環境が生み出すもの

プロローグ 「生きている」とはどういうことか

死亡後に部分的に蘇生した豚の脳、脳オルガノイド、人工知能の3つの例をあげて、「生きている」ことを定義する難しさに触れている前フリ的文章

第1章 情報伝達の基本、ニューロンのはたらき―コンピュータのように速くて精密なメカニズム

カルシウムイオンとカリウムイオンの細胞内外での濃度差が大事

ミクログリアとマクログリアにまず分類され、マクログリアはさらに、オリゴデンドロサイトとアストロサイトに分かれる
オリゴデンドロサイトは、髄鞘となる。
アストロサイトについては、第6章で。

脳は外部から隔絶されている。
血液脳関門によって、血液にのって運ばれている多くの物質がブロックされている。
例えば、うま味物質のグルタミン酸は、神経伝達物質の一つで、そのまま脳に流れ込むと興奮状態になってやばいのでシャットアウトされている
また、免疫細胞も入ってこれないので、脳ではミクログリアが免疫細胞の代わりを担っている
さらに、脳以外では、老廃物の排泄をリンパが担っているが、脳はリンパともつながっていない。実は、脳における老廃物の排泄の仕組みは謎(詳しくは4章で)
髄膜と脳実質の間は、脳脊髄液で満たされている。これは、血液をもとに産生されている

  • 受容体と作動薬(アゴニスト)・阻害薬(ブロッカー)/シナプス可塑性

神経伝達物質を受け取る受容体には、これを活性化させる化学物質を作動薬、抑制する化学物質を拮抗薬または阻害薬と呼ぶ
活性化や抑制によってシナプス伝達の効率性が変化することを、シナプス可塑性と呼ぶ
シナプス可塑性の長期的な継続を長期増強と呼ぶ
普段、不活性なNMDA受容体が強い刺激などで活性化すると、AMPA受容体の数が増え、長期増強となる

放出された神経伝達物質シナプス間隙に残り続けると、ずっと興奮状態になり、てんかん発作を起こす
このため、伝達物質は速やかに取り除く必要がある
取り除く方法の一つが再取り込みで、アストロサイトが担っている

第2章 「見えない脳のはたらき」を“視る”方法―脳研究はどのように発展してきたか

脳研究の発展は、(1)脳障害の記述、(2)電気的な測定、(3)顕微鏡技術の3つから
(2)電気的な測定

  • パッチクランプ法

1976年。ガラス電極を押し当てることで、細胞表面の電気を測定
イオンチャンネルの実態が証明。発明者のネーアーとザックマンは1991年にノーベル賞

  • 細胞外電位記録法

シリコンプローブにより細胞外に流れる液体の電流を検知。いわゆる脳波。
細胞の一つ一つは測定できない。むしろ神経細胞集団全体の活動を測定
アルファ波、シータ波など、脳の話ではよく名前を聞くけど、これもよく分かっていなかった。まあ、これで完全に理解できたかというとまだ心許ないが、少しイメージはつかめた気がする。

  • イオン選択的微小電極法

ガラス電極にイオンを検知すると電気が流れる樹脂をつけて、イオン濃度を測定する方法
テトラメチルアンモニウムという体内には存在しない物質を検知する樹脂を使って、テトラメチルアンモニウムを脳内に放出して感知するまでの時間を測定すると、テトラメチルアンモニウムがどの経路を辿ったかが分かり、細胞外スペースを予測できる。詳しくは3章で


(3)顕微鏡技術

  • カルシウムイメージング法

蛍光法により顕微鏡による細胞観察がしやすくなった
カルシウムイオンの濃度変化を蛍光によって測定する方法
電気を発生しないグリア細胞などの生理現象などを見ることが可能に。詳しくは6章で
また、顕微鏡技術の発展は、情報量の増加をもたらし、神経科学もビッグデータ研究へ

第3章 脳の「すきま」が気分を決める?―細胞外スペースは脳の“モード”の調整役

  • 間質

近年、人体最大の器官として間質が発見されるという研究があった、と
人体最大の器官はそれまで皮膚と考えられていたが、皮膚が人体の15%を占めるのに対して、間質は20%
何故見逃されてきたかというと、なんの働きもしないと思われていたからで、それは、「生きたままの状態」で観察できていなかったから。顕微鏡用の標本にすると、水分を抜いたりするので、もっと小さいと思われてきた。
実際には間質液という液体に満たされており、この液体が物質を運ぶ働きをしていた。
脳の間質=細胞外スペースも同様で、低温電子顕微法で観察が可能になり、脳の20%ほどが間質であることが分かってきた。

  • 細胞外スペースの測定

テトラメチルアンモニウムを用いたイオン選択的微小電極法により、細胞外スペースの大きさが測定できるようになった
これにより、起床時より睡眠時に、年老いた個体より若い個体で、細胞外スペースが広いことが分かった。
イオン選択的微小電極法は、細胞外スペースの大きさを間接的に推定しているだけで直接観察できるわけではない。
急性スライス標本を用いた観察で、生きた状態での細胞外スペースを観察することが可能に。

  • 神経修飾物質

細胞外スペースに拡散し、脳の広範囲の活動を調節する物質を神経修飾物質と呼ぶ
これによる働きを広範囲調節系と呼ぶ。これを担うニューロンは、脳幹や基底部に集まっている。
調節系のニューロンは、多数のシナプス結合により広範囲に影響を与えるだけでなく、シナプス結合をせず、細胞外スペースに直接物質を拡散させることで不特定多数の細胞に信号を伝える、拡散性伝達を行う。
神経修飾物質の代表として、ノルアドレナリンセロトニンドーパミンアセチルコリンが挙げられている。
ノルアドレナリンは、細胞外スペースの面積制御にも関与
抗うつ剤は、セロトニンの再取り込みを阻害することで、セロトニン量を増やす
アセチルコリンは、記憶と関連。長期記憶定着のために役割を果たすと考えられているシータ波の発生に重要。また、アルツハイマー病や認知症との関連も報告されている。
ところで、ここで挙げられている物質と、普通の神経伝達物質として名前の挙がるグルタミン酸やGABAとの違いが今まであまりよく分かっていなくて(ノルアドレナリンセロトニンなどって何か特別扱い(?)されているような気配を時々感じていたのだけど、その正体がよく分からなかった)、今回「神経修飾物質」「拡散性伝達」という概念を知ることで、ようやくイメージできた気がする。

第4章 脳の中を流れる「水」が掃除をしている?―脳脊髄液と認知症の意外な関係

脳脊髄液と間質液
髄膜と脳の間を流れているのが脳脊髄液で、それが脳組織の中に入ってくると間質液。
老廃物の排泄について、脳以外はリンパが行っている
脳にはリンパがないが、2015年に髄膜にリンパ管があることが判明した
しかし、いまだ、脳組織内の排泄システムは不明

  • 血管周囲腔とグリンファティック・システム

脳内に入る血管の周囲を覆う細胞外スペース=血管周囲腔
ここから、脳脊髄液が脳に流入し間質液となる
血管にからみつくアストロサイト、その突起には、アクアポリン4という水だけを通過させるタンパク質がある
このアクアポリン4を通じて、動脈側の脳脊髄液を脳内へと送り込み、間質液を静脈側へと送り出す流れができているのではないか、という仮説
これを、グリア細胞によるリンパ的な(リンファティック)システムという意味で、グリンファティック・システムと呼ぶ
2012年に、イリフとネーダーガードに発表されて以来、非常に注目を集めているらしい。
しかし、まだ賛否両論分かれている、とのこと。
蛍光トレーサーによって検証が行われているが、これはあくまでもトレーサーの流れであって、水の流れを直接可視化しているわけではないから。
また、グリンファティック・システムというのは注目を集めすぎて、グリンファティック・システムではない脳脊髄液の循環もそう呼ばれがちらしく、筆者は、グリンファティック・システムというには以下の3つの条件を満たさなければならないとしている
(1)アストロサイトに発現しているアクアポリン4が関与していること
(2)単なる拡散ではなく、動脈側から静脈側へと積極的な流れがあること
(3)ノルアドレナリンが関与していること


脳脊髄液の流れが注目されることで、その観点から、アルツハイマー病や脳卒中脳梗塞などが研究されるようになり、新たな治療法も生まれつつある、と


そもそも、脳内の老廃物の排泄系の仕組みがいまだに謎って、わりと驚きだった。

第5章 脳はシナプス以外でも“会話”している?―ワイヤレスな情報伝達「細胞外電場」

細胞外スペースは、
(1)神経修飾物質による伝達を行っている(第3章)
(2)物質の運搬を行っている(第4章)
だけでなく
(3)シナプスを介さずに電気信号を伝えている、というのが本章

  • エプファティック・コミュニケーション

シナプスを介さない伝達方法を、シナプティック・コミュニケーションに対して、エプファティック・コミュニケーションと呼ぶ。

    • アルヴァニタキのエプファティック・カップリング

アンジェリーク・アルヴァニタキ
エジプト生まれのギリシア人でフランスの女性神経科学者
1941年、近接した2本の神経線維のうち、1本が活動すると、その影響で近くの神経線維が活動することを発見し、エプファティック・カップリングという現象を提唱
彼女の功績は、同時期に行われた、ホジキンとハックスレイによるイカの巨大軸索の研究の陰に隠れて、当時も、今現在もあまり知られていない
また、彼女は、実験動物としてのアメフラシにも注目していた(アメフラシを使った実験は、のちにカンデルが行ったことでアメリカに広がる。当時、アメフラシを用いた実験は、パリのタウクとマルセイユのアルヴァニタキがやっていが、カンデルの妻がマルセイユよりパリを望んだため、カンデルはパリのタウクのもとへ留学したらしい)

    • 細胞外スペースの電気伝達

2019年、デュランらによる、海馬を急性スライス標本にした実験
ニューロンを介さずに電気信号が伝わっている
2002年、ブジャギらによる、海馬のシータ波の記録
→細胞外電場

  • コンピュータシミュレーションによる研究

ニューロン集団が生み出した特定の周波数(例えばシータ波のような)の電気信号が、周辺のニューロンの活動に影響をもたらす可能性

  • 電気の媒質となっている細胞外スペース

誘電率:電気を蓄える能力の指標
誘電緩和現象:周波数によって誘電率が変化する現象
生体組織は、従来、生理食塩水と同じで、電気を蓄える性質は無視しても構わないという前提が置かれていたが、実際には、そうでもなさそうということも分かっていた。
実際、周波数によって誘電率が変わり、低周波領域においては、生理食塩水の1万倍、金属の1000倍の誘電率を示す
さらに、丸い形の赤血球より、縦長の筋繊維の方が誘電率が高い(異方性)
神経線維は、赤血球の誘電率が100倍高い
コンピュータシミュレーションでは、神経突起が長いほど、細胞外スペースが狭いほど、誘電率が高くなる
((睡眠時と比較して)起きている時に細胞外スペースが狭くなるのは、誘電率を高くするためかもしれないという筆者の推測)


コラムで電磁波の影響について触れている。
マイクロ波の領域では生理食塩水とほぼ同じなので、携帯電話の電波による影響はほとんどないかもしれないが、低周波を出す高圧送電線はもしかしたら影響あるかも、と。
ところで、筆者は、結構倫理的というか随所で慎重な(ないし常識的な)意見を書いており、他のコラムでは例えば動物実験の倫理などの説明もしていたりする。

第6章 頭が良いとはどういうことか?―「知性」の進化の鍵を握るアストロサイト

  • アストロサイトのはたらき

グルコース(エネルギー源)の貯蔵
細胞外カルシウムイオンの取り込み
グルタミン酸の取り込み
いずれも、ニューロンが活動するための準備・後始末的な働き

ニューロングリア細胞の比の動物間比較。ニューロンの数を1とした時のグリア細胞の数の比率
ヒルは0.25、げっし類で0.3、ネコで1.1などなのに対して、ヒトは1.3~2(霊長類の中でもヒトのグリア細胞比は高い)となり、知能が高いほどグリア細胞比率も高いような傾向がある。
ただし、ゾウやクジラでは4~7.5なので、脳が大きくなると、グリア細胞の比率も高まる、ということっぽい
なお、アインシュタイングリア細胞は、一般人の2倍だったという話も

  • ヒトのアストロサイト

マウスのアストロサイトと比較した写真が掲載されており、大きさも大きく、突起の数も多く、複雑な形をしていることが示される
突起が1mmと長いものがあったり、数珠状のふくらみがあるものがあったりすると多様であることも紹介されている。
突起が多く、また長いので、多数の細胞や遠い場所の細胞ともネットワークしている

  • マウスへの移植実験

ヒトのアストロサイトをマウスに移植したら、学習能力が高まったという実験があったりする
なお、ここで筆者は、この手の実験に対する慎重意見を述べている。

  • アストロサイトの情報伝達

アストロサイトは、電気的に不活性なのでこれまで注目されてこなかった
しかし、カルシウムイメージング法を使うことで、神経伝達物質を受け取ると、カルシウムイオン濃度が高まる、つまり、信号に対して反応していることがわかった
また、グリア伝達といって、グリア細胞からも情報伝達物質を発している可能性があるということも論じられている。
グリア伝達についてはまだよくわかっていないが、その伝達物質の候補としてD-セリン(NMDA型グルタミン酸受容体に作用する作動薬)がある。
つまり、グリア伝達は、長期増強をもたらしている可能性がある(これを支持する実験結果もあれば、これに反するような実験結果もあるようだ。これに関する実験報告があがるたび、筆者は一喜一憂しているとのこと)

  • 経頭蓋直流電気刺激

頭皮の上から微弱な電流を流すと、うつ病が治ったり、記憶力や学習効率が高まったり、はたまた運動成績がよくなったりするなどとも言われている治療法
ただし、メカニズム不明で、FDAの認可もおりていない
これについて、筆者らは、この電気刺激によってアストロサイトのカルシウムイオン濃度が上昇していることを確かめる実験をした。
そして、この電流刺激によりノルアドレナリンが放出され、その結果としてアストロサイトのカルシウムイオン濃度が上昇し、それにより何らかの伝達物質が放出され、シナプス可塑性が引き起こされ増強されたのではないか、という仮説を立てている。
この電気刺激は、ニューロンにはなんの影響ももたらしていないので安全とされていたが、カルシウムイメージング法により、アストロサイトには影響をもたらしていることが分かった、と。
また、ノルアドレナリン放出が(セロトニンと関わる形で)、うつ病にも関係しているのでは、と
神経修飾物質は、拡散性伝達をするがそれでも影響範囲は限られている。アストロサイトは、数万のニューロンとかかわっており、また長い突起も持つ。これにより、離れたニューロン同士の同期をとったり、ひらめきと関係していたりするのではないか、という筆者の仮説

エピローグ 「こころのはたらき」を解き明かす鍵―変化し続ける脳内環境が生み出すもの

「生体組織機能学」の提案
ニューロンレベルのミクロの知見と、行動学・心理学レベルのマクロの知見を結ぶものとして「生体組織」=非シナプス的相互作用に注目する