映画、2日で30本!

28日、29日の2日間、表象文化論の集中講義でした
末岡一郎という映像作家の方を講師に迎え、実験映画の歴史というような内容です
実験映画なので、1本1本の長さが短いわけですが(最短で30秒、長くてもまあ15分程度なのだけど)、1日目は16本、2日目は20本、計36本の映画を見ました
軽い眼球への虐めw
以下、講義のまとめ(?)
映画の歴史というのは、(一応)リュミエール兄弟から始まるわけですが(リュミエール兄弟の作品も3本ほど見ました)、実験映画は映画誕生から30年ほどたった1920年代に誕生(一応)
1921年、リヒターの『リズム21』や、レイという写真家が、トリスタン・ツァラの依頼で撮った1923年の『理性に帰る』などが実験映画の始まり。
ツァラの名前が出てきたことで分かるように、まずはダダイズムからの影響をうけ、のちシュールレアリスムとも関係をもち、抽象的な映像や脈絡のないイメージのつながりといったものが、およそ20年代の実験映画の特徴。
代表作は『アンダルシアの犬』で、制作にダリも参加している。
また同時期に、都市ドキュメンタリーというジャンルも、実験映画の中から生まれてくる
大戦が始まると共に、ヨーロッパで前衛芸術を担っていた人々はナチスを逃れ、アメリカへと移住。現代美術の中心もパリからニューヨークへと移動する。
40年代のアメリカで、アヴァンギャルド映画が撮られるようになる。例えばデレン『午後の網目』。または、17歳でホモセクシュアルと暴力のイメージを作品にしたアンガーの『花火』。
アヴァンギャルドは、50年代まで続くが、60年代以降それはアンダーグラウンドへと変わっていく。
あるいはフィルムの物質性へと注目して、フィルムに直接絵の具を塗りつける手法も登場する。
また、今までの実験映画が、作家個人の表現したいものを具現化するための手段だったのが、次第に「映像とは何か」、という批判的な態度が現れ、形式的な作品が生まれてくる。70年代のコンセプチュアルな作品である。
こうした作品は、非常に形式的であり、映像の内容よりもその形式やそこにはらむズレを伝えようとした。その分コンセプトは単純である。
さて、70年代の作家は、あくまでも形式やそのズレを伝えようとしたのだが、その受け手はそこで使われた語りに注目した。80年代に入り、物語の復権が始まる。形式的な作品からナラティブな作品へと変化する。プライヴェート・ドキュメンタリーと呼ばれ、「外(フィルム、社会など)」から「内(個人、作家など)」へと対象が変化する。
がしかし、そうした個人的な語りは飽和し、90年代には再び「映像とは何か」という問いが姿を現すこととなった。
ちなみに、今回の講師の末岡は、60年代の実験映画の再評価や埋もれてしまったホームムービーを発掘する作業を行い、作品としている。
末岡一郎blog
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