高山羽根子『暗闇にレンズ』

高山羽根子芥川賞受賞後第一作で、映画・映像をテーマにした長編小説
ということで、以前から気になっていたが、大森望編『ベストSF2021』 - logical cypher scape2 の中で、大森望が、プリースト『隣接界』*1に喩えていたのが最終的なきっかけとなり手にとった。
一方で、現代(というか近未来)を舞台に2人の少女が密かに映像を制作し世界に影響を与えていく話(SideA)が進み、他方で、19世紀後半・明治時代から現代に至るまで、映像に関わる仕事をしてきた嘉納家の女性たちとこの世界の歴史(SideB)が描かれる。
SideBで描かれる、照、未知江、ひかり、ルミという母娘の系譜は、最終的にSideAの「私」へとたどり着く。大森望がプリーストに喩えていたので、もしかしてSideAとSideBがつながるようでつながらない展開になるかと思ったけれど、それはさすがになかったと思う。
照→未知江→ひかり→ルミ→「私」は母娘関係ではあるが、未知江は照の養子だったり、ルミは正確にはひかりの姪だったりと、いわゆる血のつながりとは少し違ったつながりを持つ(考えてみればSideAも、ルミの娘なのは「私」だが、照からの系譜を積極的に受け継ごうとしているのは、むしろ「私」の親友の「彼女」であり、「私」と「彼女」の2人でルミの娘たらんとしているところがある)
SideBは、映像をめぐる偽史あるいは歴史改変もので、照から始まる女性たちの物語とは別に、断章形式で様々な、主には映像兵器という謎の兵器にまつわる挿話が差し挟まれている。
しかし、本作は、映像兵器を巡るSF作品というわけではなく、それとは別の形で、映像を通して戦ってきた照たちの物語である。
以前、『首里の馬』を読んだ際に

いや、何というか分かったような分からなかったような状態で、うまく説明できない。
高山作品はそんなに読んでいないが、いつも掴みきれないが、かといって、全くわけわからん、となる感じでもなく、何かあと一つ自分に刺さらないのだが、もう少し読んでみようか、という気にもさせる。

という、よく分からない感想を書いたが、この点に関して言うと『暗闇にレンズ』もやはり分からないといえば分からないし、特に最後の終わり方があまりピンと来なかったのだが、しかし、年代記というのはそれだけで面白いし、差し挟まれる様々なエピソードが単体でも面白くて、楽しく読むことができた。
未知江の話が特に面白い。
この作品は、LIGHT、CAMERA、ACTION!の3部構成になっているのだけど、ACTIONに入ってからのSideBの広がり方とかも楽しい。


LIGHT SideA

「私」と「彼女」の出会い
「私」よりも、私の母や祖母に似ていて彼女らに傾倒している「彼女」
監視カメラに囲まれた社会

LIGHT SideB

嘉納照の物語と映像の歴史の話が交互に語られていく。
照は、横浜の遊郭にあった娼館・夢幻楼の経営者ときゑの娘
幼馴染の銀吉や、夢幻楼で働く多磨と過ごした子ども時代がまず描かれている。銀吉とともに活動写真のカメラマンに撮られた話。活動写真を見るために逃げ出しては折檻されていた多磨と、活動写真を見ることのなかった照
照は、機械工学を学んだが日本では働くくちもなく、世界中を放浪していた父親の紹介で、パリの撮影所で働くことになる。女性監督のマリイに気に入られる。
ときゑからの手紙で、学者となった銀吉と結婚することになるとともに、多磨が子を残し亡くなったことを知らされる。銀吉と、多磨の遺児である未知絵がパリを訪れ、3人で暮らし始まる。
一方、映像史について、日本に活動写真・映画が入ってきた経緯や、映像が武器・兵器として使われるようになったことなどが語られていく。

CAMERA SideA

「私」と「彼女」は、自分の周囲のことを撮影し、それを編集し、さらにアップロードするようになる。とはいえ、それは作品を広く公開するためというわけでもなかった。
がしかし、その「作品」は次第に耳目を集めるようになっていく。
そして、その「作品」が被害を出したという騒動が引き起こされる。

CAMERA SideB

ときゑの死、銀吉の留学期間の終わりにより、照は銀吉、未知江とともに日本へ帰国
帰国後の照は、映像関係の仕事からきっぱりと手を引き、未知江を自宅で教育するようになる。
成長した未知江は翻訳の仕事をするようになり、そして、照吉経由で、記録映画の会社から声をかけられ、働くようになる。
記録映画の仕事を覚え、日本国内だけでなく世界を廻るようになる。遊牧民の撮影をドイツの撮影班と共同で行ったとき、女性の監督リリから記録映画撮影のノウハウを教わる。
その後も世界を回りつづけ、ドイツ人男性と結婚し、双子を産む。
会社が満州を拠点にすることになり、未知江は、双子の女の子の方であるひかりを連れて満州に移り住む。
やはり、未知江の物語と並行して、映像史の話も進む。
劇映画と記録映画の対比。ナチスによる映像兵器開発。対映画砲。
そして、戦時中の日本で女性たちがぬか床で育てた”種”の話。

ACTION SideA

「私」は、母親が家に残していったビデオテープやフィルム(再生機器がないので見ることができないが)を取り出す。
「私」は母親と会ったことがない。母親は、世界中を回って紛争地帯などを映像記録に残し、場合によっては法を犯すことも厭わないような活動をしていた。結婚せずに子ども(つまり「私」)を産み、今も海外にいるが、「私」との電話も、傍聴された上で行われている。
「彼女」は学校に行きたくないと言い、2人で海までいく。
かつて「ケーヒン工業地帯」と呼ばれた廃工場地帯は、あるとき、エクストリームスポーツ(おそらくSASUKEのような)の拠点となり、それがもとで観光地として再興するようになる。

ACTION SideB

未知江はひかりを連れて満州から引き揚げ、嘉納の家に身を寄せることになる。
未知江とひかりは、引きこもって暮らすようになり、特に未知江は、同僚が戦犯となったりするなどする中で、心身ともに弱っていった。ひかりは、勉強しない代わりに、そこら中に煤で落書きをした。そんな中でも未知江は、自分が見てきたことをひかりへと伝え続けた。
ひかりへの勉強は照が行い、その後、照はひかりをある工房へと通わせた。そこは、内装や壁画などの実地の仕事を請け負いながら、美術の勉強もできるというものだった。
そして、ひかりは、工房を訪れたエルという女性とともに渡米する。
このエルという女性は、実はディスティニー・スタジオというアニメーションスタジオの代表で、魔術師とも謳われた人物で、ひかりは、彼女のもとで映像技術を学ぶとともに、ユンというアジア人と友人になる。
日本に戻ってきたひかりは、大学に入り、照や未知江の制作してきた作品をアーカイブしていくことを試みながら、映像制作を行うようになる。そうしてできた一本のフィルムは、学内でひそやかに上映され、その後、噂が噂を呼び、あちこちで上映会が行われるようになる。しかし、いずれオリジナルは失われ、劣化したダビングだけが出回り、いよいよ伝説と化していくのだったが、ひかり本人はその頃にはもう日本にはいなかった。
ひかりは、双子の兄とその子どもルミとともに、ベトナムにいた。ベトナムで撮った映像を、自分が作ったものとは分からぬようにして、世界へ送っていた。
そして、ベトナムで「扇動者」と呼ばれている者から接触を受ける。
接触者とは他ならぬユンであった。
ユンもまた、スタジオで得た「魔術」を駆使して、戦いを続けていた。
しかし、ひかりとユンは虐殺される。幼いルミは、箱の中に匿われ密かにその一部始終を撮影していた。
ルミはその後保護され、そのセンセーショナルな映像が事実上、彼女のデビュー作となる。


さて、ひかりとルミの物語とは並行して、やはり映像史の話が続くが、それぞれにあまり連関がなく、またいつのどこについての話なのか分からないエピソードが増えてくる。
「映像による蘇生」は、反政府運動をして亡くなった男の遺族のもとに送られる政府制作の遺言ムービー、「カカオ」は、検閲社会において作られる海賊版ビデオの吹き替えを担当する女性の話、フィラデルフィア実験を元ネタにしたと思われる「船体消失」、ロボットセルパとともに光葬と呼ばれる独特の風習を行う宗教施設を訪れる大学院生の話など。


そして最後に、「私」と「彼女」は、映像を巡るフィクションとノンフィクションの関係について語り合う。
何故、飛行機がビルに突っ込んでいく映像を見て、映画みたいだと思うことに後ろめたさを感じてしまうのか。



分かったような、分からないような作品だと先に書いたが、こうやって、ざっとあらすじを書いてみて、テーマ性のあるモチーフが色々連なっていることを改めて感じた。
多分、もっと丁寧に追いかけていくと、もう少し分かってくるような気がする。
今回上にまとめたのは、本当にあらすじだけで、もう少しテーマに繋がりそうなキーワードはあまり拾えていない。
映像というものの、真実性とフィクション性のせめぎ合いの話。どうやっても物語化してしまいフィクションじみてしまうもので、どうやったら真実を記録することができるのか。
嘉納家の女性たちの系譜は、その方法をどうにかして追いかけ続けてきた物語だと