ウラジーミル・ナボコフ『青白い炎』(富士川義之・訳)

老詩人の遺作となった詩「青白い炎」に、元隣人がつけた大量の注釈が、とある王国から革命の末亡命してきた元国王の物語になっているという作品。
著者のナボコフというのは『ロリータ』のナボコフである。というか、自分はナボコフについて『ロリータ』の作者である、というえらく薄ぺっらい知識しかなかったので、木原善彦『実験する小説たち』 - logical cypher scape2を読んだ時に、実験小説を書いていると知って驚いてしまった。そして面白そうだったので、海外文学読むぞということで読んでみた。
なお、ナボコフWikipediaを見ると代表作の一つとして本作の名前も挙げられている。


構成としては、前書き、詩、注釈、索引となっていて、小説ではなく学術書的な体裁をとっている。
しかし、読んでみれば、学術書風を装いながらも、一人称の小説になっているのはすぐ分かる。
チャールズ・キンボートという文学者が、ジョン・シェイドという詩人の遺作に大量の注釈を書いているのだが、その注釈はすぐに詩そのものから逸脱して、キンボートの出身国であるゼンブラ王国の国王の話が語られていくことになる。
なお、キンボートは、自分がジョンにゼンブラ王国の話をしたことが、この詩の発想源になっていると考えていて、それを伝えるために書いている注釈なので、キンボート的には逸脱ではない。むしろ、ゼンブラ王国の話=シェイドの詩への正当な注釈nanoである、あくまでもキンボート的には。
もちろん、読者からすると、詩とは全く関係ない話をしているようにしか読めないし、実際まあ、キンボートの妄想みたいなものではある。
このため、本作は「信頼できない語り手」の代表的作品と紹介されることもあるようだ。

前書き

キンボートが、シェイドの亡くなる数ヶ月前にシェイドの隣へと引っ越してきて知り合いになった経緯ならびに本書の出版の経緯が書かれている。
他のシェイド研究者による追悼記事などを批判しつつ、本書出版にあたって、ジョンの妻であるシビルや他の研究者からキンボートが批判されているっぽいことが分かる。
キンボートは、ジョンとは短い間で親友になったが、シビルからは嫌われたと思っている。シビルがキンボートのことを胡散臭く思っていたのは事実だろう。ジョンが実際のところキンボートをどのように感じていたのかは、はっきりとは分からない(面白い隣人だ、くらいには思っていたようだ)。
また、この詩が、カードのような原稿用紙に書かれていたこと、そこにはその詩を書いた日付が記されていること、また、最終的には採用されなかった異校も残されていることが説明されている。
なお、文中に突然「隣の遊園地の音がうるさい」的なことが書かれたりして、この文章を書いているキンボートが、あまりまともな語り手ではなさそうだ、ということが読者には分かるようになっている。

ジョン・シェイドの「青白い炎」という詩は、シェイドの自伝的な詩になっている。
四篇からなり、おおよそ第一篇は子ども時代、第二篇は妻との高校時代の出会いから娘の死のことまで、第三篇は心臓発作を起こした際の臨死体験、第四篇は晩年について書いている。
妻のシビルを「きみ」と呼びかけている。
両親を幼い頃に亡くし、叔母のモードに育てられている。
また、娘が20才くらいの頃に事故で亡くなっている(湖での溺死だが、自殺の可能性もかかれている)
心臓発作を起こして臨死体験をしているのだが、その後、似たような経験をした女性がいることを知り会いに行ったら、その経験について書かれた記事に誤字があって、全く誤解だったことが分かる
(ところで、キンボートはシェイドと神の存在について議論したりしている。キンボートの方がよりキリスト教の信仰を持っているっぽい)

注釈

ちゃんとした(?)注釈になっているところもなくはないが、ごくわずか。
キンボートがジョン・シェイドとの思い出話を語っていたり、そこから、ゼンブラ王国の話をしたりしている。
キンボートとシェイドはともに同じ大学で文学研究者をしており、大学の同僚の話なども出てくる。シェイドが同僚を自宅に招いて夕食会をしたりしているからだが、ちなみにキンボートは菜食主義者であるため、夕食会では食事を拒否したりしている。このあたり、金ボートは自らを被害者として書いているが、顰蹙を買いそうな振る舞いをしている気配がある。
キンボートは、元々シェイドの詩のファンであり、隣人となってからは、自らの祖国であるゼンブラの詩を書いてもらおうとして、ゼンブラととりわけチャールズ最愛王の脱出行について、ことあるごとにシェイドに語って聞かせるようになる。
一方、シェイドの方は、キンボートと散歩に行って花の話などをしたりしていたようだ。
キンボートは、執筆中の詩をどうにかして読もうとするが、シビルから、夫は書いている途中の原稿を誰にも見せることはないとぴしゃりと言われてしまう。そのため、シェイド家をたびたび出歯亀している。
さて、ゼンブラ王国だが、北ヨーロッパの小国で、ロシアと隣接もしくはロシアの影響下にある国のようである。この作品の舞台は1950年代後半で、ゼンブラでは革命が起きて、チャールズ王は城内に軟禁される。が、愛国者の協力と地下道によって脱出し、パリに逃れ、さらにアメリカへと向かうことになる。
で、キンボートの語りの中では、キンボートの正体は、変装したチャールズ王なのである。
当初は、王のことを三人称で書いているが、後半からは、王についての話も一人称で書くようになっていく。
チャールズ王は同性愛者であり、政略結婚した王妃とはあまりうまくいっておらず、王妃は革命前にフランスに移住している。
さて、この注釈の中には、もう1人の主要登場人物がいる。それは、過激派グループの一員で、国外へ脱出した国王暗殺を命じられたジェイコブ・グレイダスである。
度々、シェイドが詩を書いた日付と、グレイダスの行動した日付(出発した日とかパリに着いた日とか)の一致が指摘されていて、あたかもシェイドの詩と暗殺者の行動がリンクしているかのように書かれている。

結末など

グレイダスは色々と無駄足も踏むのだが、最終的にはキンボートとシェイドの住むニュー・ワイの町までやってきて、暗殺を決行する。しかし、銃弾はシェイドを貫いてしまう。
その直前、詩人から完成したばかりの原稿を読ませてもらえることになったキンボートは、シェイドが凶弾に倒れた直後、なんと、その原稿を自宅の中に隠してしまうのである。そういうとこやぞ。
また、キンボートはグレイダスからここまで何があったかを聞き出すのだが、逮捕後、彼は警察に対してジョン・グレイと名乗る。グレイは精神病院の患者であった。
その後、キンボートはニューワイを離れ、詩人の原稿に目を通すことになるのだが、ゼンブラについて何も書かれていないことに気づき、憤る。しかし、いくつかの箇所や、ボツになった方の原稿から、(勝手に)自らが詩人に物語った話の片鱗を見いだし、この注釈を書くに至るのである。
また、世間ではジョン・グレイは最初からジョン・シェイドを狙ったのだとしているが、しかし、実際には王である私を狙っていたのだ、というのもこの注釈の狙いだったらしい。


最後に、訳者解説があるが、本書を巡っては解釈上の論争があるらしく、語り手が何人いるのかということが議論されてきたらしい。
普通に読むと、この本にはシェイドとキンボートの2人の語り手がいる。つまり、詩の部分はシェイド、注釈の部分はキンボート、と。
しかし、実は語り手はシェイド1人説、というのがあって、キンボートの手による注釈部分もシェイドが書いたものだとする論が、ナボコフ研究者によって書かれているらしい。
ただし、訳者はこの説に懐疑的で、語り手2人説をとっている(ちなみに、ナボコフもシェイドを語り手とする説には否定的な反応を示したらしい)
なお、作中でキンボートは自分の正体はゼンブラのチャールズ王だと名乗っているわけだが、実際には、シェイドの同僚であるボトキンというロシア文学者の妄想だというのが一般的解釈のようだ(ボトキンのアナグラムがキンボート)。
ジョン・グレイも、王を暗殺しようとしていたわけではない。キンボートが住んでいる家は、元々ある裁判官の家で、いっときキンボートが借りているのだが、グレイはその裁判官を逆恨みして、年格好の近いシェイドを撃ってしまったらしい。


ところでシェイドの詩の939行目には

難解な未完の詩への注釈としての
人間の生涯。のちのちの使用のための注

本作そのものを言い表しているような表現である。
『偶然性・アイロニー・連帯』でも引用されているらしい。全く覚えてないけど。