とある家族とそこの客人たちが夏の別荘で過ごす1日を、意識の流れという手法によって描いた、ウルフの5作目の長編小説。
舞台となっている別荘は、ウルフ自身が子ども時代に夏に訪れていた別荘が、本作の主人公の1人でもあるラムジー夫人は、ウルフの母親がそれぞれモデルになっているとされる。
「意識の流れ」「モダニズム文学」の代表作として有名だが、そうした手法自体は、今現在読むに当たっては、そこまで特別ではないだろう。ただ、それを通じて描かれる内容自体は、今も色あせぬ名作、という感じで、非常に面白かった。
原著は1927年。今回、鴻巣友季子訳を読んだ。『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集」で新訳として出されたもの。池澤夏樹の世界文学全集について2023年頃に数冊読んだが、その際にも気にはなっていた。2024年に文庫化されたのを機に読むことにした*1。
先に述べたラムジー夫人と、客人の1人であるリリー・ブロスコウの2人が主人公といえるが、登場人物の多くの内面を自由に描き出す手法がとられている。つまり、内的焦点化された三人称なのだが、その焦点化される人物が次々に変わっていく。ある人物の心の中の声が書かれているかと思えば、次の段落では、また別の人物の心の中の声が書かれている、という感じ。
その手法も確かに注目すべきところではあるが、読んでいて、物語内容に面白みがあった。
といっても、描かれるのはたった1日(×2)の出来事であり、さらにその出来事自体も、そこまで何かドラマティックなことが起きるわけではない。しかし、やはりその中にドラマがあるのである。
三部構成となっている。
第一部で、とある1日が描かれており、第三部は、第一部から10年後のとある1日が描かれている。第二部は、その間の10年間を一気にまとめたパートとなっている。
登場人物について
- ラムジー夫人
本作は群像劇的であるが、おおむねラムジー夫人を中心に話がめぐっている。
慈善家的な面があり、貧しい入院患者などを見舞ったりしている。結構俗っぽいというかお節介というか、な性格で、知り合いの独身者たちを組み合わせて結婚させようとしていたりしている。結婚こそ女の幸福、という、ある意味で保守的な価値観の持ち主だが、女主人としてバリバリと色々仕切るところもある。そういうところを苦手に感じる人たちも出てくるが、おおむね好かれている。
すごく美人である、というのも度々言及されている。ウルフの母親も美人で、ラファエル前派の絵のモデルをしていたらしい。
哲学者。若い頃、高く評価される業績をあげたが、結婚し、子どもを多くもつようになり、その後の研究の進展は芳しくない。が、家族を養うために本を書かないといけない。新しい本の評判も気になる。突然、癇癪をおこしたり、むっつり黙り込んだりして、人からの同情を買おうとするというなかなか嫌なタイプである。実際、子ども達からは嫌がられている。しかし、ラムジー夫人は、あんな言い方しなくてもと時々思ったりはするものの、この夫のことを愛している。
- ラムジー家の子ども達
8人の子どもたちがいる。その中では、末っ子のジェームズと末娘のキャム(ジェームズの姉)が第一部と第三部の両方に出てくる。また、長女のプルー、長男のアンドルーもわりと登場が多い。それ以外に、ローズ、ジャスパー、ロジャー、ナンシーがいる。このあたりは読んでいてあんまり区別がついていない。
ジェームズが6歳でキャムが7歳。それ以外はあんまり年齢がよく分からないのだけど、プルーが大人の仲間入りをしつつある年齢で、他の子たちの動きもよく見ている。
- チャールズ・タンズリー
客人の1人。学位論文を書いているところ。漁師の家の出で、そこから研究者になったことに自負を抱いている。何かに付け、話題を自分のことと結びつけずにはいられない。
- ミンタ・ドイル/ポール・レイリー
若い客人。ラムジー夫人は2人をくっつけようとしている。
- オーガスタス・カーマイケル
客人の1人。老詩人。
- リリー・ブロスコウ/ウィリアム・バンクス
リリーは、ラムジー夫人と並ぶもう1人の主人公。客人の1人で、オールドミスの画家。
ラムジーとかタンズリーとかが絡んでくるのを、めんどくせーおっさんだなあと思いながらいなしている。絵を描いているところを人から見られたくない。
バンクスはやもめの研究者で、ラムジー夫人が晩餐に招いた。ラムジー夫人はひそかに、リリーとバンクスを結婚させたいと思っているが、リリーは結婚する気がないし、バンクスも1人の方が楽と思っているタイプ(だったはず)。
ラムジー夫人がリリーに対して期待しているところは、リリーにとってはちょっと的外れなところもあるのだけど、しかしリリーは、夫人と自分の価値観の違いは認識しつつも、夫人のことを非常に慕っている。
第一部 窓
ラムジー家の末っ子ジェームズは、明日灯台へ行くことを楽しみにしているのだが、父ラムジーが、明日は天気が悪いから灯台には行けないということを告げる。ラムジー夫人は、息子の気持ちをくみ取って、もしかしたら行けるかもしれないというが、ラムジーやタンズリーは、無理だ無理だとにべもない、というところから物語は始まる。
その後、ラムジー夫人が買い物にでかけ、タンズリーがそれにつきあったり、
リリーとバンクスが散歩しながら、ラムジーの人物像についてそれぞれ考えたり
ラムジーが自分の仕事について考え事をしていたり、ラムジー夫人がジェームズに「漁師と女房」という童話を語り聞かせながら考えたことをしたり、リリーは庭で絵を描いていたり、
ミンタとポールとアンドルーとナンシーとが、海辺に行っていたりする。
で、第一部は、晩餐のシーンへと収束していく。
この晩餐のシーンがとても面白い。表向き、みんなつつがなく会話をしているようで、みんな内心色んなことを思ったりなんだりしていて、それぞれ思惑違いがあったり、相手の心中をうまく推測していたり、相手に何か言わせようとしたりしている。
第一部のラストで、晩餐も終わり、夫婦の寝室でラムジーが晩餐の席で話題に上がった小説を読み、ラムジー夫人は詩を読んだり編み物をしたりしながら、会話をしたりしなかったりしている。ラムジー夫人は、夫がそう言葉にしなくても、自分のことを愛しているのだと確信して、人生に勝利を覚えるところで終わる。
第二部 時はゆく
第二部は、第一部や第三部に対して分量は短いのだが、10年の月日が流れる。
自然の風景描写だったり、第一部や第二部とは書きぶりも異なる。
その中で、ラムジー夫人が早逝し、アンドルーは戦死、プルーが出産時に亡くなった、ということが矢継ぎ早に述べられていく。
ラムジー家の別荘を訪ねる者はなくなるものの、家政婦の一人だった老婆が家の管理をしてくれている。
そして、ある日、別荘に行くから元通りにしてほしいという依頼がくる。
第三部 灯台
第三部は、第一部から10年後
ラムジー、ジェームズ、チャム、リリー、カーマイケルが別荘を再訪している。
ラムジーは2人の子どもを連れて灯台へ向かおうとしている。子ども2人は「暴政」に抵抗するための同盟をくんでいる。
リリーは家に残り、庭で再び絵を描き始める。ここでは、リリーの、ひいてはウルフの創作論のようなものが展開されていくと同時に、リリーが在りし日のラムジー夫人を偲ぶ。
すでに悲しみも癒えていたはずのリリーに、突然、ラムジー夫人を悼む強い感情が引き起こされ、そして、ついにリリーは絵のビジョンを掴む、というところで物語は終わる。
『灯台へ』の面白さを説明するのは難しい。
まずは文学的な技法の話が取り沙汰されることが多いし、それはそれで素晴らしいのだが、実際読んでみると、もう少し内容は俗っぽい話というか、日常っぽい話で。
本当に出来事しては何か派手なことが起きることもないし(『灯台へ』というタイトルだけど、例えば第一部はまったく灯台にすら行かないし)、でも、晩餐のシーンに顕著だけど、何かハラハラドキドキというのともまた違うのだけど、次は一体どうなる、と読ませていくものがある。
ラムジーとか哲学者ではあるけれど、彼の考えているほとんどのことは哲学のことではなくて、自分の本の評判であるとか、いかに人の同情をひくかとか、そういう俗っぽいことが多くを占める。
そういう大したことないことを考えているのだけど、なんだかそれが面白い。
で、第三部は、第一部以上に何も起きない。いや、実際に灯台に行くべく舟に乗ったりしているので、第一部より動きがあるといえばあるが、しかしその舟での様子はずいぶんのんびりとしている。しかし、例えばジェームズの心中は全然穏やかではなかったりするのだが、でも、その感情を向けられている父親の方のラムジーはどこ吹く風だったり。
でも、10年経っていろいろな人が亡くなっていて、ラムジー夫人を思うリリーがいて、そしてリリーが10年を経て絵に取り組んでいて、創作論が語られていて、と第三部も読みどころが多い。
うーん、今本文読み返さずにこの記事を書いているので、薄い感想しか書けていない
ただ、本文を引用しながらがっつり、とかは、今はするエネルギーがない、自分に。
*1:文庫が出てわりと早々に購入してた気がするのだが、1年寝かしてたのか。半年くらいだと思っていた
