グレッグ・イーガン『しあわせの理由』(一部・再読) - logical cypher scape2に続き、イーガンの短編をいくつか再読
キューティ
4歳で亡くなる、人工的な愛玩用赤ちゃん(人間の姿をしているが知能は著しく制限されている)「キューティ」って、設定がグロテスクすぎる。
主人公は、子どもが欲しかったが、妻はそうではなかったために離婚。で、キューティを購入。自ら妊娠し、仕事を辞めて育てる、という話(男性妊娠も珍しくなっている未来)
百光年ダイアリー
時間反転銀河の発見により、未来のことが分かるように。ただし、帯域幅の制限あり。
未来が分かっているけど変えられない時、そこに自由はあるか、というと、それで自由の感覚は変わらないんだよ、と。過去が変えられないからって自由がないと思うか、と。
しかし、そもそも未来からの情報は間違っていないが、そっくりそのままとは限らなかった。伏せられていることもある。
誘拐
妻を誘拐したので身代金を払え、という映話が入ってくる。捕まえられた妻の姿も見せられる。が、その電話が切れた後、自宅にいる妻に電話をかけると、妻は無事だった。
その映像は合成映像だったのである。妻本人は、ただのイタズラだと軽く流しているし、警察もまあ通り一遍の反応。
主人公も、これはイタズラだと理解するが、しかし、何故こんなにすぐバレることをするのか、悩む。
ところで、この世界、人格や記憶のスキャン技術が実用化しており、亡くなった後仮想世界で復活することができる。主人公の父はこの技術が出来る前に亡くなったが、母はスキャンを受けて今は仮想世界で暮らしている。主人公もスキャンを受けているが、妻はスキャンを受けていない。
そして主人公は、母との会話からあることを察する。つまり、スキャンを受けていない人物でも、他のスキャンを受けた人がその人について記憶していた場合、仮想世界上に再現することができる、と。少なくとも、仮想世界では、そういう方法で再現された人物も、普通にスキャンされた人物とを区別できないようだ、と。
誘拐犯は、何らかの不正な方法で主人公のスキャンデータを盗み、そこから主人公の妻を再現したのだ。
自分が見て知ることができるのは、自分の知覚像だけなのだから、自分の知覚像に忠実に再現された人格は、自分にとっては本物とは区別できない。あの妻も、自分にとっては、妻本人と何も変わりがないのだ、と。
認識論哲学の応用みたいな話だ。
放浪者の軌道
「メルトダウン」後の世界。人々の価値観・宗教的道徳的信念みたいなものが、互いに明らかになる、みたいな現象が生じて、そういう価値観が「アトラクタ」というものを形成する。同じ価値観を持つ人たちが集まってきて、それが「アトラクタ」となる。そのアトラクタに近付くと、その価値観の影響を受けるようになるし、近い価値観を持っているとそのアトラクタに引き寄せられる。なので、同じ価値観を持っている者同士が、物理的にも近接して住むようになる。
が、どのアトラクタとも距離をおく「放浪者」と呼ばれる少数派の人々もいる。主人公はその1人
アトラクタとアトラクタの間を、常に動き回って、どこかのアトラクタにも取り込まれないように生活していて、それが自分たちの「自由」だと考えている。
どのアトラクタにも影響されない田舎へと脱することを夢見ているが、そういう「軌道」を見つけられず、都市の中で絶えず動き回る生活を強いられている。
で、ある時、放浪者はアトラクタから自由なのではなく、放浪者たちもまた自身のアトラクタ(「奇妙な(ストレンジ)アトラクタ」)を形成している、という主張をする者が現れる。
ミトコンドリア・イヴ
主人公は量子力学の研究者。恋人が、ミトコンドリア・イヴを信奉する組織に所属している。全人類の家系図を作ってる。
主人公の研究で、一度でも物理的に接触したことがあると、それによる量子エンタングルをたぐれる、というのがあって、恋人がこれに目を付ける。大学のポストがとれるか怪しかった主人公は、それはどうかと思いながらも、恋人の提案にのる。
一方、世界では、Y染色体アダムを見つけてきて、人種差別の正当化を図る集団が多く台頭するようになる。恋人は主人公の研究を急がせる。
主人公の研究結果は、Y染色体アダムもミトコンドリア・イヴも否定するもの。単一起源説ではなく、ホモ・エレクトゥスが出アフリカで拡散して、各地でサピエンスに進化したという説が立証される(全人類の共通祖先がいるとしたらアウストラロピテクスくらいまで遡るんじゃないですか、といって皆を煙に巻くような会見をして終わる)。
イェユーカ
「指輪」によってあらゆる病気が駆逐されつつある未来、医者である主人公は、イェユーカウイルスの流行するウガンダへと渡る。自分の手術の腕がまだ必要とされる土地へ。
いずれ医者は必要なくなる。一方、ウガンダは、内戦は終わり平和になったものの、最先端の「指輪」はまだ行き渡っておらず、イェユーカという新しい腫瘍に悩まされている。
主人公は、実際のところ、そこまで強い信念があったわけではなく、「俺はこのままでいいのだろうか」みたいなある意味では青い考えでアフリカへ行く(渡航直前まで、恋人が止めてくれないかなあ、と内心思っているのだが、恋人からわりと見透かされている)。
現地は危険で汚いのではないかと思っていると、着いてみると意外とそうでもなかったりする。
しかし、現地の医学生から、イェユーカの解析は既に終わっているのに企業の利益のためにそれが実用化されていないことを知らされる。主人公の「指輪」を(賊に盗まれたことにして)渡せば、特効薬を作ることができるけど、どうしますか、と迫られる。
祈りの海
惑星コヴナント
主人公は、子供のころ、改宗した兄に誘われ、手足を縛られた状態で海に潜るという「儀式」を行い、その宗教体験によりベアトリスへの深い信仰を得る
コヴナントには、はるか昔に「天使たち」が入植してきたとされている。天使たちは不死者だったが、死すべき存在となって死を受けいれたとされる。ベアトリスは天使の1人。
コヴナントの人々は、大きく、海人と陸人に分けられる。これは、海上生活をしているか、地上で生活しているかの違い。主人公とその家族は海人だけれど、親戚には陸人もいる。主人公は、陸の大学に進学する。海人は、家船というので暮らして、ランチで移動している。このランチがわりと自律的な存在っぽい。なんとなくこの辺、オーシャンクロニクルっぽさも感じた。
それから、男女について見た目の区別がないらしい。ペニスが「橋」と呼ばれており、性交すると橋がちぎれて相手に移る。男だけど橋がない状態、女だけど橋がある状態とかがあるみたい。このあたりの設定、全く忘れていた。結構生々しくちぎれるシーンがあるので、読んでて「痛たた」ってなる。
本題としては、主人公は、子どもの頃の神秘体験を信仰の核とするのだが、一方で科学研究をする中で、懐疑的精神も持つようになる。ただ、彼の場合、自分の神秘体験は揺るがないのでベアトリスへの信仰自体はずっと持っていて、それ以外の既存宗教の教義などに対して懐疑的になっていく。
元々、天使達による惑星環境の改変について研究しようとしていたのだが、実際にはコヴナント現住の海洋微生物の研究をすることになる。その分野自体は斜陽で、同期は他の研究室に移っていって、さて自分もどこか別のところへの就職先探すかと赴いた学会で、自分の研究をベースにした研究発表を目にする。
それは、海洋微生物の排出物が多幸感をもたらすというもので、いよいよ、自分の神秘体験についての科学的説明を手にしてしまい、神秘が神秘でなかったことに気付かされる主人公。
自分の人生の核だと思っていたものが偽りだったと分かった時、そこにどう向き合うのか。
主人公は、ある夜、声をかけてくれた見知らぬ男に「神を信じるか」尋ねる。今は信じていないと答える男にさらに「つらくないか」と尋ねると「四六時中ってことはない」と返される。
「ミトコンドリア・イヴ」は、ある種の信念や神話を科学で暴露するところで終わる話だったのに対し、「祈りの海」は、これもまた科学による暴露がクライマックスではあるのだけど、そこからさらにもう少し進んで、それでもなお生きていくんだよ、というような感じになってる
