アリステア・マクラウド『彼方なる歌に耳を澄ませよ』(中野恵津子・訳)

カナダ東部を舞台としたファミリーサーガ
物語の舞台は1990年代後半で、主人公は、18世紀にスコットランドのハイランド地方からカナダのケープ・ブレトン島へ移民してきた男の子孫であり、自らの半生と一族について物語っていく。
カナダというのは何となく知っているような気がしてしまう国なのだけど、しかし、いざカナダを舞台とした小説を読んでみると、全然知らない国だったなと思い知らされる*1
例えば、確かに多文化共生の国、というのはキャッチコピー的には知っていても、具体的な多民族国家っぷりはあまりよくイメージできていなかった。多民族といっても、本作で出てくるのはヨーロッパ系の人々ばかりではあるけれど、しかし、主人公を含むキャラム・ルーアの人々からして、英語とは別にゲール語という母語を持ち、英語を母語として話す人々と一線を画している風が見て取れる。
もっとも本作は、あくまでもある家族の物語であって、カナダの多民族性とかをテーマにした作品ではない(が、色々と垣間見えるところはある)。
ところで、原題はNo Great Mischiefといい、日本語にするなら「たいしたことない損失」となる。邦題は随分と異なるのだが、この作品は死者への思いといった面があり、原題も邦題も死者のことを示唆している点で共通しているのだろう(原題は、反語的表現で、世界や社会全体から見たらたいしたことない損失だが……、ということだと思う)。
主人公は、いわば階級上昇を果たした側だが、自分のルーツや家族への愛着や、あるいは負い目のようなものをずっと抱えているのだと思われる。
  

本作は、カナダでは1999年に発表され、2005年に日本語訳が出版された。
それまで寡作で知る人ぞ知る作家だったマクラウドを、世に知らしめるベストセラーになったらしい。
『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 短編コレクション1』 - logical cypher scape2を読んだ際に、マクラウドの「冬の犬」という短編が面白かったので、それまで全く名前も知らない作家だったけれど、今回、海外文学読むぞ期間の一環として読むことにした。
新潮社クレスト・ブックスは、レーベル名だけ知っていたけれどこれまで読んだことがなかった。
版元のページには「これまでに、『朗読者』『停電の夜に』などのベストセラーをうみだし、カナダのアリステア・マクラウドウクライナアンドレイ・クルコフなど、世界各国の知られざる作家たちを紹介してきました。」とあり、このレーベルを代表する作家だったようだ。
https://www.shinchosha.co.jp/crest/

あらすじなど

主人公が、半ばアル中と化した兄のキャラムをボロアパートに見舞うシーンから始まる。
歯科医として成功し裕福な生活を送る主人公と、生きることに倦み酒に溺れる兄、何が彼らの境遇を分かち、そして何がそれでもなお彼らの関係を繋ぎ止めているのか。
物語はその後、おおむね主人公の生い立ちを時系列順に辿りながら進んでいくが、現在の出来事もたびたび挟まれる。
具体的には、主人公の回想を主な筋としつつ、主人公が歯医者になって以降の出来事の断片的な回想、妹が主人公に語ったこと、兄のキャラムを見舞っている時に酒を買いに行きながら眺めた風景がたびたび挟まれることになる。
節に分けられているが、大きな章分けなどはされていなくて、わりと淡々と進んでいく。


主人公の本名は、アレグザンダー・マクドナルドというが、家族の間では「ギラ・ベク・ルーア(小さな赤い男の子)」と呼ばれている。
20世紀の終わりには55歳になる年齢
彼の祖先は、1779年にスコットランドからケープ・ブレトンに移住してきたキャラム・ルーア(赤毛のキャラム)という男で、彼の子孫は「クロウン・キャラム・ルーア」と呼ばれている。
彼らの一族は、赤毛が多いことと双子が多いことが特徴で、主人公は赤毛かつ双子である(双子の妹がいる)*2
また、英語ももちろん話すのだが、身内しかいない時にはゲール語を話し、ゲール語の歌を歌う。彼らは一族の歴史、言語を非常に大事にしている。


主人公の家族構成だが、
父方の祖父母(おじいちゃん・おばあちゃん)と母方の祖父(おじいさん)
歳の離れた3人の兄、主人公とその双子の妹となっている。
主人公の両親と、4番目の兄は、主人公が3歳の時に亡くなっている。
父親は灯台守をして家族は小島に住んでいたのだが、ある日、4番目の兄と双子を連れて祖父母のところへ来ていた。双子は祖父母のところに泊まることになり、両親と兄は帰宅したのだが、流氷の上を犬ゾリで走っていたら海の中へ落下してしまったのである。
その後、双子は祖父母のもとで育てられることになった。
一方、3人の兄たちは既に10代後半で彼らだけで掘立小屋で暮らし始めるのである。
主人公は、親が亡くなったことで「運の悪い子ども」と言われる一方、祖父母に育てられることについて「運の良い子ども」とも呼ばれる。
というのも、兄たちが、漁労で生計をたてその後大人になると鉱夫になる一方で、主人公は州都ハリファックスの大学に進学し矯正歯科医となり、妹は遠くアルバータ州の大学に進学し、石油会社勤務の夫を得、2人は都市部で裕福な生活を送れるようになるのである。
(親よりも祖父母の方が経済的余裕があったことが示唆されている)
主人公と兄の道を分けたのは、両親の死だったといえるわけだが、さらに彼らを結び付け、かつ道を分けてしまったのは、もう一人別の親族の死である。


主人公が大学を卒業した日、主人公の従兄弟であるアレクザンダー・マクドナルド(主人公と同姓同名)が、鉱山で事故死する。
この頃、長兄キャラムがリーダーとなって、主人公の兄たちや従兄弟のアレクザンダーら、キャラム・ルーアの男たちは鉱夫として働いていた。キャラムらは、新たな坑道を切り拓く際のプロフェッショナルと会社から買われており、カナダだけでなく南米などにも働きにいく日々を送っていたが、その時は、カナダ・オンタリオ州サドベリー近郊のウラニウム鉱山で働いていた*3
従兄弟の葬儀を終えた後、キャラムらが鉱山に戻る際、従兄弟の穴を埋めるため主人公も同行し、その鉱山で働き始める。
この鉱山には、キャラム・ルーアの男たちだけでなく、アイルランド系、イタリア系、ポルトガル系、果ては南アのズールー族など様々なルーツを持つ労働者グループがいたが、そのなかでもキャラルたちと確執の深いグループとして、フランス系カナダ人グループがいた。
従兄弟の死は、単なる事故ではなかったのではないかという話もあるなか、最終的に、2つのグループの間で乱闘騒ぎが起きて、キャラムは、フランス系カナダ人たちのリーダーを殴り殺してしまうのである。
あれほどバイタリティのある生活を送っていたキャラムが、今やアル中同然の生活をしているのは、この罪により10年以上刑務所に入っていたためだったのである。


というのが、非常に大雑把なあらすじだが、そこに至るまでに様々なエピソードが展開されていく。

カナダに渡ってきたキャラム・ルーアは、主人公から数えて6代前であり、その子孫は相当数おり、必ずしも互いに面識があるわけではない。しかし、どこかで赤毛ゲール語を話す人に出くわすと、彼らはそこに絆を見いだす。
そういったエピソードがいくつもあるのだが、例えば、キャラムたちが宿を探していて断られた際に、ゲール語で罵り言葉を叫んだら、そこの家の奥さんがやはりスコットランド系だったために泊めてくれた話とか。
あるいは、主人公の双子の妹は、こうした見ず知らずの親戚との出会いにエンパワーされているところがあるらしく、主人公に対してこの手のエピソードをいくつか語っている。その大きな一つとしてスコットランド旅行がある。夫の出張に同行してスコットランドに行った際に、1人で、キャラム・ルーアの出身地を訪ねたところ、そこにいた女性から「あなたはここの人でしょ」と話しかけられ、宴席がもうけられたエピソード。妹は、大学以降アルバータ州で暮らしていたのでゲール語から長く遠ざかっていたのだが、そのときは、自然とゲール語の歌を歌えたことを感慨深く主人公に語っている。
ところでこの手のエピソードで一番印象深いのは、鉱山でのジェームズ・マクドナルドだろう。
主人公がキャラムらとともに鉱山で働いていた際、鉱山のゲートの外には、仕事を探したり人探しをしたりしている人やあるいは借金取りがたむろしていたのだが、その中に、赤毛でヴァイオリンを持った男がいて、キャラムは仕事を探していた彼を鉱山の中に連れてくる。
キャラム・ルーアの人々は、歌う際にヴァイオリンをよく弾くのだが、このジェームズ・マクドナルドはその名手であって、彼がヴァイオリンを弾き始めると、キャラム・ルーアの人々だけでなく、フランス系カナダ人までもがヴァイオリンを持ち出してきて一緒に演奏したのだ。彼らもおそらくケルト系ということで、共通した音楽を知っていたのだ。
この音楽でつながりあうシーンは感動的ではあるのだが、すぐに終わってしまう。
ジェームズは音楽の才はあったが鉱山で働く肉体は持ち合わせておらず、ある日、ひっそりとお礼の手紙を残して姿を消す。

  • おじいちゃんとおじいさん

主人公には、父方の祖父母(おじいちゃん・おばあちゃん)と母方の祖父(おじいさん)がいて、彼らとの話が非常に多い。
また、彼らの昔語りの中で、祖先の話もよく出てくる。
おじいちゃんとおじいさんは、非常に対照的な性格をしているのだが、それでいて互いに親しい友人同士でもある(子ども同士が結婚する前からの知り合い)。
おじいちゃんというのは、お酒大好き、下ネタ大好き、何でも陽気に笑い飛ばす感じの人で、
対して、おじいさんは、酒も下ネタも好まず、教養のある物静かなタイプの人。
おじいさんは元々大工で、彼が地元の病院を手がけたさいに、建設後にその病院の管理人になる人物として、おじいちゃんを推す(そのために、病院のことを教え込む)。
それまで、日雇い仕事で収入が不安定だったおじいちゃんは、定職を得ることになる。
で、このおじいさんだが、生まれる前に父親が亡くなっており、この父親は自分に子どもがいたことをおそらく知らないままに亡くなっている。母子家庭で育ち、進学せずに大工になっているのだが、歴史に興味があって読書家で、一族の歌の歌詞を一言一句間違えずに覚えている。中年になってから一人娘(=主人公の母)が生まれるのだが、お産の際に妻が亡くなり、父子家庭として娘を育てることになる。そして、その娘にも先立たれることになる。
このおじいちゃんとおじいさんの存在が、主人公(とその双子の妹)に強い影響を与えている。
主人公の妹が、おじいさんが母親をどのように育ててきたのかを想像混じりに語るところはなかなかぐっとくるものがある。

  • 犬や馬との絆

初代キャラム・ルーアがカナダへ渡る時、飼い犬を置いていくつもりだったのだが、その犬は漕ぎ出した舟を泳いで追ってきて、キャラムはその犬もカナダへと連れて行くことにするのである。
こうして「情が深く、頑張りすぎる犬」の一族もまた、ケープ・ブレトン島に住み着くことになる。
主人公の両親が海に落ちたとき、難を逃れた犬もまた「頑張りすぎる犬」だった。この犬は、主人たちの危機を伝え、そして主人たちの無事を信じて、再び海へ向かうような犬だった。この犬はのちに、主人公の父親を継いで灯台守になった男に射殺されてしまうのだが。
この「頑張りすぎる犬」に、キャラム・ルーアの人々はシンパシーを抱いている。
また、動物との関係としては、主人公の兄キャラムと馬のクリスティとの信頼関係も見逃せない。
舟を、波でさらわれないところまで運び上げるのに、キャラムが口笛を吹くとクリスティはやってくるのである。キャラムが自分の虫歯を抜くのをクリスティに引っ張ってもらうというエピソードがある。

全体の中ではかなり些細なエピソードだが印象に残ったものとして
主人公が歯科医として学会に行った際に話しかけてきた人が、「ウクライナ人なんていない。彼らはロシア人だ」という主張を主人公に対してしてくる。
主人公は、国境が変わってウクライナ人もいるんですよというようなことを答える。おそらく時期的にソ連崩壊によるウクライナ独立をさしているのではないかと思われる。
ここでは、連合王国やカナダ連邦の中でゲール語を話す人々である主人公たちの一族の関係と、旧ソ連ウクライナの関係が、うっすらと重ね合わせられながら示唆されているのだろうと思われるエピソードだが、2023年に読むとなかなかドキッとさせられる言動ではある(むろん、1999年当時であっても、この発言はいささか厄介な言動だっただろうが)。
ところで、この作品は必ずしも民族問題を主題に扱っているわけではないものの、しかし、やはりそのことも意識されているところはある。
既に述べた通り、主人公が兄たちとともに働いた鉱山は、各国からの出稼ぎ労働者たちがいたわけだが、それ以外にも、主人公が兄を見舞った時点の話で、郊外の農場の描写が度々出てくる。そこでは、農業体験に訪れた都会に住む裕福なカナダ人家族と、海外からの出稼ぎ労働者が対比的に描かれている。また、鉱山には、彼らハイランダーケベックのフランス系カナダ人との根深い対立があった。多様なルーツを持った人たちが同じ場所に暮らしながらも、必ずしも融和していない状況が描かれている。


この作品は、文章としては読みやすいし、単純に家族賛歌・血族の絆を尊ぶ物語として読むことができるし、実際、それは主要なテーマとなっているだろう。
しかし、この主人公による語りは、どこか淡々としていて、描かれている出来事に対してどこか距離を保っているところがある。また、ここで語る内容が、聞き伝えと自分の想像が混じったものであって、必ずしも正確な事実ではない、ということに何度か注意するようなところもあって、あくまでも、一つの視点からの主観的な語りなのだということにも自覚的な文章になっている。
主人公が、島から出て都会で裕福な生活を送っていて、また、あるいは歴史に詳しいおじいさんからの影響もあって、ハイランダーや自分の一族の歴史について少し距離を置いて見ることができる視点を持ち合わせているのだろう。
しかし一方で、自分の今の立ち位置が、これまでの祖先や家族たちによるものであることも自覚していて、その連なりへの愛着と、しかしそこから自分が距離を置いた生活を送っていることの後ろめたさのようなものもまたあるのだろう。
既に述べた通り、主人公が高等教育を受けられるようになった背景には、両親の死がある。そしてまた、従兄弟の死もまた、彼と兄との関係に重要な影響をもたらしている。主人公と兄は、もし親があのとき死ななかったなら、ということを話しているくだりがある。
それだけではなく、彼らはさらにハイランダーとカナダの歴史にも思いをはせる。あの戦争の時、あの将軍が死ななかったなら、キャラム・ルーアの運命もまた違っていたのではないだろうか、と。
しかし、そうした反実仮想は必ずしも広がってはいかない。彼らの死がなければ違った運命が待ち受けていたかもしれないが、しかし、彼らは死んでしまったのだ、と。その死は変えられない。


ちなみに、原題はNo Great Mischiefだが、これは、カナダ史の中のある言葉からとられている。
ハイランダーたちは、名誉革命の際に英王室への併合に抵抗して反乱を起こし、その際、フランスとの同盟を結んだことがある。が、後に、フレンチ・インディアン戦争の際には、イギリス側に立っている。このため、イギリス側の将軍は、ハイランダーたちを必ずしも信用しておらず、彼らは秀でた兵士だが、死んでも「大した損失ではないNo Great Mischief」とされる。なお、この戦争では、フランス語を話すことのできたハイランダーたちが、フランス兵を欺瞞したことで、イギリス側が勝利したとされている。

*1:ちなみに『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 短編コレクション1』 - logical cypher scape2では、アトウッドがアメリカに留学しても留学生だと思ってもらえないカナダ人学生について描いている。カナダ人とアメリカ人、確かにあまり区別して認識できない気がする

*2:ただ、物語中には赤毛はたくさん出てくるが、双子は主人公しか出てきていない気がする

*3:日本への輸出用ウランの需要により、再開発が進められたらしい