フリオ・コルタサル『悪魔の涎・追い求める男他八篇』(木村榮一・訳)

タイトルにあるとおり、10篇を収録した短編集
日本オリジナル短編集っぽくて、『動物寓話譚』『遊戯の終わり』『秘密の武器』『すべての火は火』といった短編集から、いくつかずつ採って編まれたもののようである。なお、これらの短編集もそれぞれ翻訳されている。
海外文学読むぞ期間の一環として、コルタサルは読もうと以前から考えていたが、『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 短編コレクション1』 - logical cypher scape2で「南部高速道路」を読んだら面白かったので、当初の予定通り読むことにした。
SFやファンタジーのような設定やガジェットはでてこないし、目立った奇想もでてくるわけではないのだが、いつの間にか日常から少しズレた世界へと誘い込まれるような作品が多い。
そのズレ自体も面白いのだが、読んだあとには、そうした奇妙なアイデアだけでなく、どこか不穏な感じも印象に残る。多くの作品において、結末に、何らかの形で死があるからかもしれない(登場人物が死ぬとか、殺されそうになるとかそういった結末が多い)。
(その点「南部高速道路」は、(物語の途中で人は死ぬものの)結末に人の死はなくて、これに当てはまらないのだが、一時的な共同体の終わりにより物語も結末を迎える)
イデア面以外に、なんとも言えない味わい(?)がある気がして、そこがコルタサルの魅力なのかもしれない。
表題作の「悪魔の涎」はちょっとあんまりよく分からなかった。
もう一つの表題作「追い求める男」は、日常からズレるような話ではなく、薬物中毒のジャズマンを描いた話だが、こちらはそこそこ面白い。
やはり「南部高速道路」が一番面白いと思う。


コルタサルは、アルゼンチン出身ラテンアメリカ文学作家の一人であるが、親の仕事の関係で生まれはブリュッセルであり、30代後半にパリへ移住している。このためか、本作収録作品のほとんども、舞台はヨーロッパ(多くがパリ)である。

続いている公園

数ページのショートショート
主人公は不倫している男女の小説を読んでいる。2人は夫を殺そうと決めて、女がナイフをもって夫の部屋に入っていく。すると、そこには小説を読んでいる男が、というメタフィクション的なオチ

パリにいる若い女性に宛てた手紙

タイトル通り、手紙の形式で書かれている。
手紙を書いている男は、彼女がパリに行っている間彼女のブエノスアイレスの部屋を借りている。
ところで、この彼は子兎を吐くという謎の体質を持っている。普段は子兎を吐くインターバルが決まっていて、借りている間は吐かずにいられそうだと思っていたのだが、いざ借りた部屋で暮し始めたら、何匹も子兎を吐いてしまい、彼女の部屋のタンスの中でこっそり育て始める。が、最終的にはこの子兎らを殺すことにする
ということを、彼女に対して告白している手紙

占拠された屋敷

40代で独身のまま2人暮らしをしている兄妹
仕事もしていないっぽくて、午前中は掃除や食事の支度などをして、午後や夜は、兄は読書、妹は編み物をしている
ところが、突然屋敷の一部が何者かに占拠される。何者かなのかは全く分からない。とにかく突然占拠されて、2人は屋敷の一部に行くことができなくなる。
最初は、掃除するところが減ってよかったというくらいでいるのだが、次第に占拠されている範囲が増え始めて、色々と不自由が出てくる(本が占拠された側にいってしまって、読書ができなくなるとか)。

夜、あおむけにされて

バイクで事故った男が、入院中に見る夢と現実が入り交じり、どちらが夢でどちらが現実か分からなくなっていく。
夢の中ではどこかジャングルにいて、他の部族に捕まって、殺されそうになる。

悪魔の涎

パリで写真を趣味にしている主人公が、少年と女の姿を半ば盗撮する。少年は逃げ出し、女はフィルムを渡せと怒るが、主人公は応じない。
その後、現像した写真を見ていたら、その写真が動きだす。
なお、アントニオーニ『欲望』はこの作品に触発されて撮られた映画だとのこと。

追い求める男

100ページほどあり、本短編集収録作品の中では一番長い作品。
サックス奏者ジョニーについて、彼の伝記を書いた音楽批評家であるブルーノの視点で語られる。
ジョニーは天才的な演奏家であるのだが、その一方で、薬物中毒者であり、突然演奏をすっぽかしたり、サックスを壊したりなくしたり、よく分からないことを語ったりして周囲を困惑・翻弄させている。
ジョニーは時々時制のおかしなことを話し、独自の時間についての考察をしたりする。
客観的には、よく出来た演奏のレコーディングを消せと言ったりもする
ブルーノは、かなり長きに渡ってジョニーの友人であり続けているけれど、彼の言うことをあまり真に受けないという距離感でいるために、うまく関係を続けていられている。
ブルーノは、ジョニーは全く偉人ではないし、どこにでもいる普通のサックス奏者と地続きの人間でありながら、天才的な奏者でもあると。
ジョニーには、その時々の恋人がマリファナを調達している、というか、ジョニーに絆されてマリファナを渡してしまうのだが、さらに別に、公爵夫人という人がいて、ジョニーへの金銭的支援を陰に陽にやっていて、実際のところ、マリファナもおそらくこの公爵夫人が手を回しているっぽい。
ジョニーは、ジャズを通して何かを追い求めようとしている。
別れた妻との末子が急死する。
ジョニーがブルーノに、ブルーノの書いた本の感想を告げる。ジョニーが言う通り、ブルーノはジョニーの伝記を脚色している、というか、彼の薬物体験の話などは伏せている。彼の音楽についてを書き、ジャズ論を展開して、好評を博している。
ブルーノは、自分の書いたジョニーの伝記と矛盾することをジョニー自身が公に言い出したらどうしようと危惧し始めるが、杞憂に終わる
ジョニーは結局ニューヨークで亡くなる

南部高速道路

『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 短編コレクション1』 - logical cypher scape2で読んだので、あらすじ等省略
この作品はやはり面白い。
食料や水の調達は何度も出てくるのだが、車のガソリンの調達はあまり出てきていなくて(燃料を節約して、みたいな記述はあったような気がするが)、そこらへん突き詰めちゃうと、当然だが、あまりに非現実な話だということがあらわになってしまうのだろうが、その点を置いておくと、現実にありそうな渋滞が現実にありそうな雰囲気のまま、このありえない事態を描いていて、面白い。
災害時に生じる共同体、みたいな雰囲気があって、そのあたりにリアリティがあるのかもしれない。
上述したとおり、この作品は他の作品と違って、人の死は結末に置かれていないが、共同体の終わりが物語の結末となっていて、その点で、読後感は他の作品と異なるが、他の作品読後感をどこかスケールアップしたような感じともいえるかもしれない。
なんだろう、そこでぷっつりと切れてしまう感じが共通しているような。

正午の島

飛行機の客室乗務員である男が、正午に上空を通るギリシアの島に魅了される
その時間帯は、窓からその島を眺めて、業務を他の乗務員に任せてしまう。
そして、ついにはその島へと来訪する。漁で生活している一家族しか住んでいないような島で、そこに住み着くことを決める
最後、飛行機が墜落して乗客・乗員の遺体が海岸に流れ着く。

ジョン・ハウエルへの指示

ロンドンの劇場にふらっと立ち寄って芝居を見始めたライスは、突然座席で話しかけられて、舞台裏へ連れてこられる。
謎の男に、あなたはハウエルですと言われて、第2幕から突然舞台に立たされる。
ハウエルの妻のエバ役の女性が、舞台上ですれ違いざま「助けて、殺される」とライスに囁くが、その後、他の役者に邪魔されて彼女には近づけない。
第2幕は流されるままだったライスだが、第3幕では指示に逆らうような芝居をして、最終幕を前に放逐される。
最終幕では、再び客席に戻るライス。第1幕でハウエルを演じていた役者が再びハウエルを演じている。そして、エバが舞台上で殺される(これはお芝居上の殺人なのか実際の殺人なのかは明らかではない)のを見て、ライスは思わず劇場から逃げ出すのだった。

すべての火は火

古代ローマの闘技場と現代のパリとが交互に出てくるのだが、技法上面白いのが、この舞台の切り替えが文章上切れ間なく行われるところ。
最初は、段落が変わると舞台も変わる。これだけでも、行空けだったり、明示的なフレーズだったりがなく突然行われるので一瞬戸惑うのだが、読み進めていると、同じ段落の中でも突然舞台が切り替わったりするようになる。
古代ローマの方は、とある地方の闘技場で、その地方の総督夫妻が主人公。腕のたつ剣闘士を呼んでいるのだが、総督の妻がその剣闘士を気に入っている。総督は、ヌビア人の大男を相手にした対戦カードを組む。
パリの方は、男の元に浮気相手らしき女性から電話がかかってくる。男のパートナーがその女のもとにいったらしい。電話が切れた後、パートナーが男のもとに帰ってくる。
どちらもある種の浮気が描かれているのだが、最後に、パリパートで起きた火災と古代パートで起きた火災とが重ね合わされる。パリパートの主人公が見ていた夢が古代パートなのかなとも思わせる描写にはなっているが、この2つの関係ははっきりとはしていない。

解説

コルタサルは、1914年ブリュッセル生まれ。1918年にアルゼンチンへ帰国。病弱で本をよく読む少年時代を送り、ヨーロッパの幻想文学ロマン主義シュールレアリスム文学に傾倒。
大学を中退し、1937年から1945年まで教員生活をしていたが、その後、ブエノスアイレスで出版関係の仕事につき、「占拠された屋敷」を雑誌編集部に持ち込み掲載に至る。なお、その際の編集者がボルヘスだった。
1951年、留学生として渡仏し、以後はフランスに定住する。
パリに行く直前に友人たちがコルタサルの原稿を取り上げて出版社に持ち込んだ末出版されたのが『動物寓意譚』で「占拠された屋敷」「パリにいる若い女性に宛てた手紙」収録
「続いている公園」「夜、あおむけにされて」は『遊戯の終わり』(1956)
「悪魔の涎」「追い求める男」は『秘密の武器』(1959)
「南部高速道路」「正午の島」「ジョン・ハウエルへの指示」「すべての火は火』は『すべての火は火』(1966)に、それぞれ収録されている。
ともに短編の名手とされるボルヘスコルタサルが比較されており、ボルヘスは異様に見えてもある秩序のもとに世界を捉え、外部世界を収めた光輝く球体のような作品を作るのに対して、コルタサルは個々の人間に潜む狂気や夢、幻想に興味を持ち、意識の深奥を照らす一条の光のような作品を作るとしている。