瀬名秀明『ポロック生命体』

AIをテーマに4篇収録した短編集
積ん読しているさいちゅうにいつの間にか文庫化されていた。
今まさに現実世界で話題になり続けている技術であるだけに、あっという間に古びてしまいかねないテーマではある。
ディープラーニング系のAIなどの発展が、人間の創造性などを身も蓋もなく機械化してしまう時、人間社会はどう反応するのか、みたいな話

負ける

将棋AIと人間の棋士の話
人工知能学会開発による「舵星」というAIが、毎年棋士との頂上決戦をしている。
将棋AIそのものではなく、ロボットアームの研究者が主人公
カメラを搭載せずに動く独特のアームで、人間らしい動きの再現に挑む。
初めて舵星が棋士と対戦した際、いわば見苦しい戦いをしたことで、永世名人に恥をかかせたと炎上
開発チームは、来年の対戦に向けて「投了できる」AIを開発目標とする。
主人公の久保田(博士課程学生)が、新たに開発チームに加わった、やはり大学院生の国吉が何を考えているかを徐々に探っていく。
「負ける」ことを目標と定めつつも、国吉は次の対戦ではAIが圧勝するだろうことを既に悟っていた。
手の動きに宿る知性みたいなものを探求する話で、人間とAIの間にどのような敬意が生じうるかみたいな話だったような気がする。
また、完全解がでてきたゲームはどうなるのか的な話もしている。
Stable DiffusionだのChat GPTだのが話題になっている2023年初頭に読むと、ゲームAIの研究はまだ続いているとはいえ、あー将棋や囲碁で人間とAIどっちが強いかで盛り上がっていた時期もあったなあ、と思ってしまうところがないわけではない。
棋士とAIの共存は今のところできつつあるように思うし。詳しくないのでよくわからんが。
とはいえ、じゃあこの作品は現実に追い抜かれてしまったのかというと、やはり、ロボットアームに着目したところで面白さはあるのかなとは思う。
ただ、ここらへんは瀬名作品独特の難しさがあって、どう読めばいいのかが難しい。
右利きと左利きの話とかな。
このロボットアームは、どちらの利き手にもなることができるんだけど、一方、国吉という男は左利きであるがゆえに、将棋を指すのを幼い頃にやめてしまった過去があるというエピソードがあったりして、そのあたり、物語としてどう解釈すればいいかな、と。

144C

新米編集者が研修でメンターから、小説を書ける人工知能の開発史について教わる
小説の書ける人工知能の開発にあたって、ある1人の小説家が協力した
ストーリーの創作には、寓話を使うのがよい、というのが分かるきっかけになったのは、皮肉にも、読者は新しいもの(創造性)など求めていないということにその小説家が気付かされたから。
「人間らしさ」とは何かを問いかけてくるメンター

きみに読む物語

理系の大学を出た後、出版社の編集者になった主人公の「私」(優子)が、同じ大学の文学部で心理学を研究していた知人の多岐川が生み出した共感指数(SQ)という概念により、世界が変わっていった様、あるいは変わらなかった様を語る。
人が物語に感動するのは何故か、というテーマを研究していた彼は、物語の登場人物への共感度合いという点に着目し、読者と小説それぞれに対してSQという指数を適用する。
SQの高い(低い)人は、共感する能力が高い(低い)。
SQの高い(低い)作品は、共感させにくい(やすい)。
なお、シンパシーは、共感した状態、エンパシーは、感情移入する能力のことを指し、SQもどちらかといえば能力を測定している。実際、作中でもこの指数はもともとEQと名付けられている。
その後、別の経営コンサルタントなる人物が、この概念をSQと呼びかえ、大々的に宣伝したことによって、世界に広まることになる。
共感させやすい作品というのは、文脈が細かく解説されている作品とされている。つまり、この登場人物はこういう人で、過去にこういうことがあったがから、今、この出来事に対してこう思っているみたいなことが説明されている作品は、読者も共感ないし感情移入しやすい。こういう文脈の説明が多いのがいわゆるエンタメ作品で、少ないのが文学作品だ、とも。
また、ここではざっくり共感と書いたが、概念としては、シンパシー、コンパッション、エンパシーがある。
世界にSQという概念が広まることで、色々な作品や、あるいは文学賞の審査員のSQが次々と明らかにされていく。SQに対する反発も強まるが、SQのない世界には戻れなくなっていく。
そうした世界の変化を、主人公は編集者として見ていくことになる。
ところで本作では、「物語の感動は計量化できるのか」というテーマと「世界の価値観の変化とSF」というテーマの2つが並行して走っている。
世界が未来に進むとは倫理が変化することで、人類の大多数がテロリストになったときだ、と述べているところがある。
ある何らかの技術の誕生が倫理観の変化を引き起こし、その変化をテロとして表現するのは「希望」とも通じるかもしれない(「希望」は実際にテロが起きる、本作は単にテロリストという言葉を使ってるだけ、という違いはあるが)
主人公は、学生時代に、多岐川と2人でSFコンベンションに参加したことがある。
主人公は全くSFファンではないのだが、そこで、SFファンタジー作家協会長である今井を知る。これが明らかに瀬名秀明本人をモデルにした人物だったりする。本作は2012年が初出なので、まさに瀬名がSF作家クラブ会長やっている最中に書かれているわけだが、コンベンションのなかでちょっと腫れ物に触るような扱いになっている描写があって、複雑な気持ちになる。
さて、本作は冒頭と末尾で、主人公が「きみ」に語りかけている体裁をとっている。
普通に考えると主人公の娘っぽいのだが、実はAI育ててたりするんじゃないだろうな、と勘ぐってしまった。

すっかり忘れていたけれど、以前読んだことがあった。 
『SFマガジン2012年4月号』 - logical cypher scape2

ポロック生命体

こちらは、絵画生成AIの話。ただし、この作品の初出は2019年~2020年の連載であり、今流行りの画像生成AIとはちょっと違う(技術的には同様のものだが)
亡くなった画家と同じ画風の作品を生成するAIが登場してきて、2016年ころのネクスレンブラントとかを念頭においていると思う。また、美空ひばりAIとかも作中で(固有名詞は伏せているけど)言及されている。
若手のSTS研究者でAI倫理を研究している女性(水戸絵里)が主人公
石崎という研究者が、5年前に亡くなった抽象絵画の画家・光谷一郎の画風を模倣した絵画生成AIで新作を発表し始める。水戸の友人である光谷の孫娘が、水戸にそのことを相談してくることから物語が始まる。
水戸は自分の後輩である飯島と、石崎がAIに作らせている作品と光谷の作品を調べ始める。
そして飯島は、作品の「生命力」の指標化に成功し、石崎のAIが単に光谷の作品を模倣しているのではなく、光谷よりも「生命力」を上回った作品を描いていることを見出す。
この「生命力」というのは、絵画作品の中のリズムを指標化したもので、作家人生の中にピークがあることを、飯島は見つける。AIは、作家が老い、衰えなかった場合、どのような作品を生み出すことができたのか、というシミュレーションになりうるのか、ということが問われ始める。
光谷は生前、小説家の上田猛とタッグを組み、上田作品の装丁を手がけたことで有名であったが、実は、石橋は上田の息子。上田も故人となり、石橋はAIを使って上田の新作も発表するのである。
石橋がAIで作る作品は、絵画も小説も、いずれも故人が生前に作っていた作品よりも優れた作品だった。
故人の作風を模倣して創作を行い、あまつさえ故人以上の傑作をなしてしまうAIの登場に、人々は様々な反応を示す。
石橋は自殺し、人々はAI上田の新作について黙殺するようになった。その一方で主人公は、石橋から遺された動画から、光谷と上田が積極的に石橋のAIの学習に協力していたことを知る。
作品に宿る生命が作家を生かし未来へつなぐのではないか、ということに主人公は希望を見出す。
タイトルのポロック生命体は、石橋の自らのAIに対しての呼称


きみに読む物語」と「ポロック生命体」はよく似ている
まず、テーマやモチーフがよく似ている。
作品の魅力がもし定量化されるようになった時、社会の芸術創作に対する倫理観・価値観が揺らぐのではないか、ということを描いている。
それだけでなく、登場人物の配置も似ている。
まず、主人公はいずれも、文理横断的なバックボーンを持つ女性であり、社会を動揺させることになる新技術を開発した男性研究者と親しい。また、学生時代の同性の友人が物語を動かすために時々出てくる。
そして、業界と距離をとる理系作家が出てきて、主人公は、この作家に話を聞きたいと思いつつなかなか聞けない。そして、終盤でこの作家がキーパーソンになる。
というあたりが、この2編でほぼ同じ。
ただし、上で「社会を動揺させることになる新技術を開発した男性研究者」と書いたが、「きみに読む物語」では多岐川1人なのに対して、「ポロック生命体」ではこの役割は石橋と飯島の2人に分かれている。
主人公にとって、多岐川は同期、飯島は後輩だが、それぞれ2人で出かけるシーンがあり、デートっぽく見えるけれど男女の関係ではない、ということがわざわざ宣言されたりする。
上のあらすじでは省略したが、「きみに読む物語」では、主人公と多岐川を繋げる役目をした友人がいて、「ポロック生命体」には柾目という作家が出てきて、登場人物たちに影響を与えている。