デイヴィッド・ライク『交雑する人類』(日向やよい訳)

サブタイトルは「古代DNAが解き明かす新サピエンス史」てまあり、遺伝学による人類史研究の本
筆者は一時期ペーポの研究所にいた人で(今は独立した研究室を持っている)、この本のタイトル的にも、ネアンデルタール人やデニソワ人と現生人類との交雑の話かなと思って手に取ったのだけど、まあ、それらについての話題も結構ページ数割いてちゃんと書かれているが、メインとなる話題は、それよりももう少し後の時代(1,2万年前〜数千年前)で、現生人類内での集団間の交雑が扱われている。
河合信和『ヒトの進化七〇〇万年史』 - logical cypher scape2を読んだのは、この本の予習(「ゲノム革命」以前の定説の確認)の意味もあったのだが、扱われている時代について重複があまりなかった。まあ、700万年のうち、DNA使って遡れる期間のこと考えてみると当たり前っちゃ当たり前の話なのだが……。
旧石器時代あたりをまとめている本があれば、ちょうどよかったのかもしれない。ただ、軽くググってみた程度だと、そのあたりの手頃な入門書が見当たらないのだが……。


本書は三部構成になっている。
第1部は、ゲノムを使った研究がどのようなものかという理論的な説明と、ネアンデルタール人やデニソワ人などと現生人類との交雑の話や、ホミニンの出アフリカは4回ではなく3回だった説などが論じられている。
第2部は最も長くてメインとなる箇所で、ヨーロッパ、インド、アメリカ、東アジア、アフリカといった諸地域についてそれぞれ論じている。
第3部は、ゲノム研究と差別に関わる問題を扱っている


この本はまず、これまで考古学、人類学、言語学などによって担われてきた人類史研究に、新参者たる遺伝学がどのような寄与ができるのか、という観点から書かれている。
新参者としての謙虚さを兼ね備えつつも、遺伝学がこの分野に対して決定的に重要な役割を担うという強い自信が垣間見える。というか、そういう遺伝学プレゼンの本だと思う(筆者はゲノムデータ分析を、放射性炭素年代測定にも喩えている(どのような影響をもたらすか、今後どのような地位を得るかについて))。
では、遺伝学、ひいてはゲノムワイドなデータを用いることでどのようなことが分かったか。
遺伝学は、人類集団の交雑の来歴を明らかにし、どれくらいの時期にどのような移動をしてきたかということを明らかにすることができる。
そこから、人類の各集団はかなりダイナミックな移動と交雑を繰り返しており、5000年から1万年ほど遡ると、今とは全く異なる集団の構成になっていたことがわかってきたという。その中には、現在にはもう存在していないし、考古学・人類学的にも確認されていない「ゴースト集団」の存在も含まれる。
こうしたことは、純粋に学術的な観点で、新説を生み出しいることなどから興味深い(新説を出しているだけでなく、従来からあった説の裏付けとなっているケースも無論ある)。
が、それだけでなく、政治的・社会的観点からも、かなり重要な問題提起をしている。
すなわち「人種」についてである。
例えば、現在ヨーロッパに住んでいる、いわゆる「白人」ないし「コーカソイド」であるが、ゲノム研究により、複数の集団の交雑によって生じた集団だということが分かってきた。「金髪」「碧眼」「白い肌」といった特徴も、それぞれ別の集団から引き継いできた形質らしい。
既に述べた通り、ゲノム研究は、人類の中には今は消えてしまった「ゴースト集団」があったことを示唆している。こうしたゴースト集団は、もし現在まで残っていたら、それ自体1つの「人種」と見なされていたであろうと考えられるほど、他の集団と違いがある。
こうした研究結果は、人種の「純血性」なるものが全くの間違いであったことを示している。
一方、集団間に差異があることについても分かってきている。もっともそうした差異は、レイシストなどが考えているようなものとは違う、と筆者は述べている。
筆者のライクは、当然ながら人種差別には否定的であり、そうした動きについては警戒している。また、おそらくそのような問題を解決したいと思っており、自分の研究がそれに役に立つと考えているのだろう。
そうした立場に間違ったところはないと思うが、あえて批判的なことを言うならば、楽観主義的なところがあるかと思う。楽観主義そのものは決して悪いことではないが、科学的に正しいことが明らかになれば、当然、人種差別という非科学的なものはなくなるというのは、危うい気はする。
科学的に正しい知識自体はもちろん必要だが、それだけではおそらく足りないのではないかと思う。もっともこの本は、あくまでも遺伝学についての本なので、それを踏み出すことまで求められていないし、その意味では十分踏み出している本だと評価することもできる。
この本に書かれている「ゲノム革命」によって分かってきたことは、いずれも面白いことばかりで、今後の進展が楽しみな分野ではあるが、こと「人種」問題に関しては、パンドラの箱感もあるなーとは思った。最後には希望が残っているとして、今の人類、ちゃんとこれ使いこなせます? 的な一抹の不安というか。
もちろんそれは、遺伝学側の問題というよりは、それを受け取るこちら側の問題であるわけだが。


冒頭に書いた通り、元々ネアンデルタール人とサピエンスの交雑の話だと思って読み始めたところがあり、それについても書いてあったから別によいのだが*1、それ以上にホモ・サピエンス内の話だったし、さらには人種差別と遺伝学の関係について考えさせる本であり、想像以上にハードな本だった。


人種関連の話が長くなってしまった。
この本は、ホモ・サピエンスの出アフリカから各地で文明が出現する前までの時代を主に扱っている。
要するに石器時代なのだが、自分はこの時代のこと、石器時代ということ以外は全然知らなかったなあということを思い知らされた。
ヨーロッパだと特に研究が進んでおり、土器の形状などから様々な何とか文化がある。ここらへんはもちろん考古学によって既に明らかにされてきたことで、この本にとっては前提にあたる部分だが、どれも全然知らなかった。

序文
第1部 人類の遠い過去の歴史
 第1章 ゲノムが明かすわたしたちの過去
 第2章 ネアンデルタール人との遭遇
 第3章 古代DNAが水門を開く

第2部 祖先のたどった道
 第4章 ゴースト集団
 第5章 現代ヨーロッパの形成
 第6章 インドをつくった衝突
 第7章 アメリカ先住民の祖先を探して
 第8章 ゲノムから見た東アジア人の起源
 第9章 アフリカを人類の歴史に復帰させる

第3部 破壊的なゲノム
 第10章 ゲノムに現れた不平等
 第11章 ゲノムと人種とアイデンティティ
 第12章 古代DNAの将来

序文

この分野の創始者であるカヴァリ=スフォルツァについてなど

第1部 人類の遠い過去の歴史

第1章 ゲノムが明かすわたしたちの過去

この章の中で面白かった話として
誰しも親は2人、祖父母は4人、曽祖父母は8人いて、世代を遡るにつれて祖先の人数はどんどん増えていく。しかし、組み換えによって生じるDNA鎖の数は、ある段階で祖先の数より少なくなる。
で、例として、エリザベス女王の24代前の祖先はノルマンディ公ウィリアムで、この家系図自体は正しいとしても、エリザベス女王がウィリアムの持っていたDNAを受け継いでいる可能性はほぼないという。というのも、24代前の祖先は1600万人以上いるが、そのうちDNAに寄与しているのは1750人程度のためだ。
ところで、時を遡れば遡るほど、DNAは分散していく。上の例にあるとおり、1000年程度だと1700人からDNAを引き継いでいるが、5万年遡ると10万人以上となる。ところが、これは当時のどんな集団よりも人数が多い。
現代の人々のDNAから、過去の情報を得ることはできるのだが、これには限界がある、という話でもある。
なお、遺伝学と人類史の話だと有名なのはミトコンドリア・イブだろう。ただ、ミトコンドリアDNAで遡れるのはあくまで母系だけ。実際にはゲノムは、非常に多くの祖先から受け継がれており、ゲノムレベルで調べるともっと多くの情報が得られるし、この遡れる限界もミトコンドリアDNAだけより、ゲノム全体を使った方がより古くまでいける。


なお、この章、本題はもう少し別のところにあるのだが、ちょっと省略

第2章 ネアンデルタール人との遭遇

古代DNA研究について
ミトコンドリアDNAの方が抽出しやすいが、ミトコンドリアDNAだけでは、ネアンデルタール人と交配があったかどうか確定できない
ペーポはネアンデルタール人のゲノム抽出に挑んだ。2010年以前はPCRが使われていたが、2010年以降、ターゲットを絞らず全DNAをシーケシングする手法が使われるようになった。
また、厳重な汚染対策も。
交配があったかどうか調べる「4集団テスト」
共有している変異の数が等しいかどうか
非アフリカ人とネアンデルタール人の距離は、サハラ以南のアフリカ人とネアンデルタール人の距離より近い(交配がなければ同じになるはず)
筆者たちは、最初、ネアンデルタール人どの交配に否定的(もともと、強いアフリカ単一起源説を推していた)であり、この結果を疑ったが、否定できなかった
どこで交配が起きたかは遺伝学からは分からない。考古学では、中東でネアンデルタール人と現生人類が交錯していた時期が2度あることが示されており、中東で交配が起きたと考えると、アジア人もヨーロッパ人もネアンデルタール人のDNAを持っていることの説明もつく。
ルーマニアで発見された骨格について、ネアンデルタール人と現生人類の交雑個体と主張されていたもので、実際、DNAのデータからも祖先にネアンデルタール人がいることが分かったが、この系統は現代にDNAを残しておらず、ヨーロッパでも交配は起きていたが、それが現代の人類につながるものではなく、やはり、現代にネアンデルタール人のDNAを残したのは、中東での交配っぽい
また、ネアンデルタール人のDNAは、自然淘汰を受けていて、少なくなっているというのも分かっているらしい。
ネアンデルタール人の集団は規模が小さく、不利な遺伝子が残っており、現生人類どの交配後、淘汰されしまったようだ。

第3章 古代DNAが水門を開く

この章は、デニソワ人発見のエピソードから始まる。
デニソワ人は、タイプ標本になるような骨格が十分に見つかってないので「新種」とはされていないが、この点について、がっかりした同僚がいたことにも触れつつ、自分たち遺伝学者は「種名を使うことに積極的ではない」と述べているのは面白い


デニソワ人は、今の人々の中では、ニューギニア人への寄与が少し多い。ニューギニア人との祖先と交配していたことを示すが、デニソワ人はシベリアで発見されており、一体どこで、という問題がある。
ニューギニア人の祖先と交配したデニソワ人のグループとシベリアで発見されたデニソワ人も遺伝的には少し異なるグループで、さらにその祖先となる集団がいて、シベリアへ向かったグループと南に向かったグループへと分岐したようだ。デニソワ人と一言で言っても多様性のあるグループだったのでは、と。
ネアンデルタール人やデニソワ人の祖先として、ホモ・エレクトスではなく、ホモ・ハイデルベルゲンシスの系統が早くから東ユーラシアに来ていたのではないかとか。
また、サハラ以南のアフリカ人について、ネアンデルタール人からもデニソワ人からも受け継いでないので両者との距離は等しくなるはずだが、デニソワ人の方が少しだけ遠い。このことから、デニソワ人はさらに別の集団と交配していることが示され、筆者はこの集団を「超旧人類」と名付け、ゲノム解析から存在が示唆されるが化石による裏付けのない「ゴースト集団」の1つとみなす。


ホミニンの進化の過程で、4回の分離があったとされる
(1)180万年前 ホモ・エレクトスの分離
(2)140〜90万年前 超旧人類グループの分離
(3)77〜35万年前 ネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先の分離
(4)47〜38万年前 デニソワ人とネアンデルタール人の分離
(1)〜(3)はそれぞれアフリカで生じ、分離した系統はそれぞれ出アフリカをした。(3)で分離してアフリカに残っていた現生人類の祖先が、5万年前に出アフリカをした(ホミニンは4回の出アフリカをして、最後に出たのが我々の直接の祖先)というのが、一般的な説とされる。
これに対して筆者は、(2)と(3)の分離がユーラシアで起きたという新説を唱える。
(3)の分離で生じた現生人類の祖先系統がいったんアフリカへ戻ってきて、5万年前に3度目の出アフリカをしたという考え
出アフリカの回数を減らせるという倹約的な説であること、この時期はアフリカで発見される骨格がユーラシアで発見されるそれと比べて明らかに現生人類に近いとはいえないこと、この説は考古学・人類学では少数派だが、100万年前のスペインで発見されたホモ・アンテセソールがネアンデルタール人と現生人類の共通祖先とする説があって、ユーラシア進化説がないわけではないことなどを、挙げている。

第2部 祖先のたどった道

第4章 ゴースト集団

ここから、さらに話は複雑になってくるが、細かに追うと訳分からなくなるので、ブログ上でのまとめはなるべく簡潔にしたいと思う。


北ヨーロッパ人は、サルディーニャ人だけでなく、アメリカ先住民とも変異を共有していることが分かった。これは、北ヨーロッパ人とアメリカ先住民の両方に寄与した祖先集団がいることを示している。
北ヨーロッパ人は、その祖先集団とヨーロッパ人の祖先集団との交雑によって生まれた。
この、北ヨーロッパ人とアメリカ先住民の両方に寄与したと考えられる集団というのが「ゴースト集団」で、筆者はこれを「古代北ユーラシア人」と名付けている。
古代北ユーラシア人はゴーストだったのだが、2013年に、シベリアのマリタ遺跡から発掘された2万4000年前の骨のゲノムが、北ヨーロッパ人とアメリカ先住民とのつながりが強く、現在のシベリア人とはつながりが弱いことがわかり、この骨がまさに古代北ユーラシア人だと考えられる。
その後、さらにマリタ、ヨーロッパ狩猟採取民、東アジア人が分離する前に分岐した「基底部ユーラシア人」というゴースト集団も示された。基底部ユーラシア人のゲノムはまだ発見されておらず、どこに住んでいたのかは不明だが、北アフリカに住んでいたのではないかとされる。


この章ではさらに、約4万年前から約1万4000年前までの間のヨーロッパの狩猟採集民の歴史や、中東での農耕の広がりについて説明している。
ずっと同じ集団がいたわけではなく、様々な集団が入れ替わり立ち替わり現れていたこと、現在の西ユーラシア人が、様々な集団の交雑によって生じたことが述べられている。
また、考古学的な証拠だけでは、ある文化の広まりが、それを担う集団自体の移動によるものなのか、知識の伝播によるものなのかは判別できなかったが、ゲノム解析は、それを明らかにすることができる、と。

第5章 現代ヨーロッパの形成

5000年前のヨーロッパには、今のヨーロッパ人の祖先はまだいなかった
(例えば、ストーンヘンジなどの巨石文明を作った人々と現在のヨーロッパ人は遺伝的に異なる集団)
現在のヨーロッパ人へとつながるポイントとして、東のステップからの集団の移住がある。
馬と車輪を使用したヤムナヤ文化の登場
縄目土器文化とヤムナヤ文化のつながり
コッシナの居住地考古学=縄目土器文化が移住によってもたらされたという考えで、ドイツ固有の領土の正当性を主張し、のちにナチスドイツにも利用された。このため、考古学では文化の伝播を移住によって説明することを警戒するという。
遺伝学がもたらすステップからの移住という説明は、このタブーを犯している。
しかし、筆者は、居住地考古学とは違い、ヨーロッパ内の移住ではなくヨーロッパ外からの移住であること、度重なる移住は集団間の交雑を伴っていることなどを挙げて 、ナチス的な純血主義とは相容れないと強調している。
ヤムナヤ、縄目土器文化、さらに後続する鐘状ビーカー文化、そしてインド=ヨーロッパ語族の広がりに、ステップからの移住という大きなトレンドが関わっていたのだという

第6章 インドをつくった衝突

筆者は、インドの研究者グループと共同でインド人のゲノム解析を行い、インド人が2つのグループの交雑によることを突き止めた。
ところで、この報告をインド側の共同研究者に伝えたのが、研究者人生で最も緊迫したと書かれている。当初、筆者はこの2つのグループのうち片方を「西ユーラシア人」と呼称していたのだが、インド側はこれに反対したのである。
結果として、筆者らは「祖型北インド人(ANI)」と「祖型南インド人(ASI)」という名前をつけることになる。
この手の研究が、政治的・社会的に非常にセンシティブなところに抵触する可能性が高い1つの例となっており、また集団の名前をなんと名付けるかは、かなり配慮の必要なところとなる。


さて、このANIとASIの交雑だが、インド人のあらゆるグループが両方のDNAを持つが、混合率が異なる。
インド=ヨーロッパ語族を話すグループはANIの比率が高く、ドラヴィダ語族を話すグループはASIの比率が高い。また、カーストが高位な集団ほどANIの比率が高い。さらに、Y染色体はヨーロッパ人とつながりを有する率が高いが、ミトコンドリアDNAはどのグループでもASI由来。
これらのことが示すのは、元々ASI集団だったところをANI集団が征服し、高い社会的地位を占め、ANI由来の男性とASI由来の女性の組み合わせがより多く子孫を残したということである。
第3部において改めて論じられるが、このような男女差は世界の様々なところで見られ、支配者集団と被支配者集団の間の差別的関係があったことを示している。


ANIとASIの交雑が始まったのは4000年前以降で、インド北部で繰り返し交雑が起こり、移動が生じたことで、現在のインド北部と南部の差が説明できるという。


カースト制度について
インドに古くからあるのか、近代のイギリス支配によって固定化されたのか議論があるが、筆者はゲノム解析が前者を支持するとしている。
ジャーティグループ間の遺伝的差異が大きく、族内婚を繰り返していたという。
変異頻度の差から、人口ボトルネックが推察される。先祖集団の大きさが小さくその隔離が続くと、たまたま先祖の持っていた珍しい変異が子孫にもずっと残り続けるという現象で、インドのジャーティは古くから人口ボトルネックが生じていることが分かった。
ここで筆者は自らがアシュケナージユダヤ人であることを明かし、族内婚の伝統が長期に渡って続くことがあることを直観的に理解できたと述べている。
また、潜性遺伝による遺伝病について、ユダヤ人について研究が進み医学的成果が上がっていることを述べ、インドでも同じことが可能だろうと述べている。


ANIとASIもそれぞれ交雑集団であり、インドとヨーロッパの歴史が似ているという。
ANIもASIもいずれもイラン由来のDNAを持つ。
ASIは、インドに元々いた狩猟採集民ではなく、9000年前にイランから移住してきた農耕民との交雑集団
ヨーロッパでは、9000年前にアナトリアから農耕民が移住している。
その後、5000年前にヤムナヤ牧畜民が移動。東に移動し、元々いた農耕民と交雑したのがANIに
西に移動したヤムナヤがヨーロッパで縄目土器文化を担う集団になった、と。

第7章 アメリカ先住民の祖先を探して

南北アメリカについて
この章はちょっと整理しきれなかったので詳しいことは割愛
アメリカ大陸にいつ渡ってきたのか(クローヴィス文化が最初というクローヴィスファースト史観に異を唱えるなど)とかや、先住民の言語を大きく3つの語族に分ける言語学上の説について、遺伝学から検証するなど。


この章で印象に残るのは、北アメリカのネイティブ・アメリカンの中に、白人による研究調査に非協力的なトライブがあって、DNAサンプルの採取が進んでいないという話だろう。
これは、かつて協力した際に約束していた見返りが得られなかった、裏切られたという過去があるため。
一方、遺骨や遺物を先住民に返還する法律というのがあり、返還が進んでいるのだが、直接文化的・生物学的なつながりがあることが返還の条件になる。
解剖学的なつながりがなく返還が認められなかった例について、DNA解析によりつながりを示し、返還につなげた例が出てくる。
このように、ネイティブ・アメリカン側に、民族アイデンティティ上のメリットがあることを示して、DNAサンプルを採取する研究者がおり、筆者もそういう新しいモデルを作って研究を進められないだろうかと論じている。

第8章 ゲノムから見た東アジア人の起源

この章についても、詳細は割愛
東アジアの現生人類の後期石器時代の文化が、西ユーラシアとは異なること
オセアニア方面について、デニソワ人との交雑の影響
揚子江ゴースト集団と黄河ゴースト集団
太平洋の島々への広がりなど

第9章 アフリカを人類の歴史に復帰させる

この章についても詳細は割愛
アフリカは人類史において、発祥の地として重要視されているが、その反面、出アフリカ以後のアフリカの歴史は省みられてこなかった。
農耕の広がりに伴い集団の移動や交雑が進み、過去が分かりにくくなっているらしい。
その一方で、個々の集団も分離していて、例えば鎌状赤血球変異は3つの地域で生じているのだが、それぞれ独立に生じた変異らしい(それだけ有利な変異なのだが、集団間の行き来がなくて広まらなかった)
アフリカにもやはり、ゴースト集団はあったらしい
古代DNAについて、暑い地域では発見が難しかったが、近年、抽出技術の改良で見つかるようになったとか(これはアジアの章で太平洋の島々についてのところでも書かれていた)

第3部 破壊的なゲノム

第10章 ゲノムに現れた不平等

インドの章でも触れられた性的バイアスの話
インドだけではなく、同様の事例が世界各地にある。
例えば、アフリカ系アメリカ人では、ヨーロッパ系の遺伝子は男性からの寄与が大きく、アフリカ系の遺伝子は女性からの寄与が大きい。ジェファーソンとヘミングスのような例が珍しくなかったことが、遺伝学的に判明したのだ。
他にも、モンゴル帝国時代のモンゴル人男性が、現在のユーラシア人のDNAに広く寄与していることが分かっている。
さらに古く遡って、現生人類と他の人類との交雑に性的バイアスがあった可能性もある。
また、太平洋の島々には台湾から東アジアのDNAが広まっているが、こちらは女性からの寄与が大きい。これは、まず東アジア系が広まった後に、パプア人系が後から入ってきたのではないかとか。

第11章 ゲノムと人種とアイデンティティ

1942年、人類学者のモンタギューが人種概念には実体がないと主張し、1972年、レウォンティンがタンパク質のデータをもとにそれを根拠付け、集団間に差異はない、あっても個人差よりも小さい、というのが正統派の見解となった。
ほとんどの形質についてその見解は間違っていないが、しかし、ゲノム革命は実際に集団間の差異があることを見つけ出して始めている。
そのような集団間の差異を見つけるような研究が、人種差別に利用されてしまうのではないかという危惧は、筆者も抱いている。
ここで出てくるのは「ゲノム・ブロガー」と呼ばれる者たちで、彼らはデータを読むことのできるリテラシーと右寄りの政治思想を持ち合わせており、まさしく、ゲノム研究のデータを人種差別的な主張に利用している。
だからこそ、筆者は、集団間の差異を頑なに認めない正統派のあり方を批判する。実際にある差異を見て見ない振りをするから利用されてしまうのだ、と。
筆者は、ステレオタイプな「人種」が正当化されることはないという。既に見てきたように、今ある「人種」と呼ばれる集団は、かつてあった集団の交雑により生まれてきており、「純血」な集団は存在しないというのが1つの理由だ。
また、差異を生み出す遺伝的な仕組みも、決して単純なものではないのであり、ステレオタイプ的な思い込みは覆されるとも。
上述のゲノム・ブロガーだけでなく、幾人か、遺伝学をステレオタイプな人種概念の正当化に用いようとしている著述家と彼らの間違いを指摘している。
挙げられている名前の中には、ワトソンもいる。ある会議で、初めてワトソンに会った筆者が「ユダヤ人の優秀さをいつになったら証明するんだい」と囁かれたというエピソードが紹介されている。


最後に、自分のルーツ探しに遺伝学を利用する動きについて触れられている。
アメリカには、アフリカ系アメリカ人に自分のルーツが何族か調べてくれる調査会社があるという。
しかし、データベースが十分でないこと、アフリカ系アメリカ人アメリカに奴隷として連れてこられた際にアフリカ各地の集団と混ざってしまったことから、もはやルーツをある地域に絞って特定することは難しくなってしまっているという。
こうした調査は、ルーツを感じる「気分」を与えてくれるが、データの正しい解釈は難しい。
筆者は、自分の研究室では、自分の出身グループとは異なるグループについての研究を薦めているという。
筆者は、自分のアイデンティティは1つのルーツだけに由来するのではなく、遺伝的にも遺伝以外の要素においても、さまざまな集団の混ざり合いによって作り出されているのだと述べている。

第12章 古代DNAの将来

ゲノム革命を、筆者は放射性炭素年代測定法が考古学にもたらした革命になぞらえている。
知らなかったのだが、放射性炭素年代測定はそれをサービスとして提供する研究室があって、古代DNAのデータ分析もそういう研究室が出てくるようになるかもと。
この章では、今後研究が進むかもしれないテーマをいくつか挙げている(病原体の進化とか)
また、筆者はこの分野でパイオニアであることもあって、相当広い範囲をカバーしているが、今後専門化していくだろうと述べている。
地域ごとに分かれていくだろうし、また、例えば言語学(あるいは考古学、人類学)について相当専門的な知識が必要になってくるので、言語学との共同研究に特化するなど。


最後に、古代DNAの研究は、古代の人々の墓から骨を掘り出してくる、いわば墓を暴くことで成り立っていることについての葛藤のようなものについてエピソードが述べられている。
筆者はユダヤ人だが、子どもの頃エルサレムを訪れ、遺跡発掘の抗議デモを見ていた。ユダヤ人にとって遺跡発掘も先祖の墓荒らしなのだ。筆者は、親戚のラビに相談する。すると、人々の間の障壁を取り除くのに役に立つのなら、墓をあばくことも許されると答えてもらったという。

感想

たまたま本屋で科学の人種主義とたたかう: 人種概念の起源から最新のゲノム科学までという本を見かけ、もしやと思って探してみたら、本書の筆者であるライクへインタビューしている章があり、そこだけ少し眺めてみた。
この本はそこだけを少し読んだだけなので、サイニーがどのような主張をしているのかは、Amazonの内容紹介以上のことは分からないのだが、ライクの態度が人種差別と戦う上で不十分と感じているようだということは察せられた。
ライクの師にあたるカヴァリ=スフォルツァは、明確な反人種主義だったが、ライクは後退しているのではという印象を受けているようだ。
そこには、本書にもでてくるワトソンがライクに話しかけたエピソードにも触れられている。ライクは、ゲノム科学が進展することでステレオタイプな人種主義は間違っていることは自ずと明らかになるという考えだが、ワトソンのような優秀とされる科学者がいまだに差別主義者のままなのはどうしてか、とサイニーはライクに尋ねている。
ライクの答えは1つは「分からない」である。もう1つの反応は、いわゆる切断処理で、ワトソンはもうあっちにいっちゃった人だから手がつけられん、というものだ。
ワトソンがもう手に負えないのは事実なのだろうが、サイニーが言いたかったのは、科学の進展に任せるだけではそういう手に負えない人物の出現を防げない、ということだろう。
もっともそれを防ぐのは必ずしも科学の役割ではないとも言えるので、ライクの「分からない」という答えはある意味誠実でもある。
また、ライクほど楽観的にはなれなかったとしても、科学の進展が間接的には人種差別への堤防になることは十分考えられる。少なくとも「純血」主義に関しては確かに科学的に誤りだと指摘できるわけだから。


本書を読む限りにおいて、ライクは善良な科学者だし、政治的な問題を抱える研究についての配慮をきちんと行っている研究者なのだとは思う。
しかし、穿った見方をするならば、気になるところはないわけではない。
ネイティブ・アメリカンの件に関していえば、やはり研究が進められないことをよく思っていないのは明らかで、ゲノム研究は、ネイティブ・アメリカンにとってもよいことがあることを主張し、研究への協力を取り付けたいというようなことが述べられている。
もちろんこうした態度が悪いといえるわけではないが、研究者サイドの言い分でしかないという側面はあるかと思う。
インドの章では、遺伝学的研究が医学的にも貢献する旨が書かれている。そこでは、アシュケナージユダヤ人は、基本的にお見合いをしており、現在では遺伝子検査を行い、潜性遺伝の遺伝病の変異を持つ者同士は引き合わせないようになっていることを挙げ、インドでも同様のことができるのではと述べられている。
このあたり、一概に良い悪いといえる話ではないが、かなりギリギリの線ではないかと思える。
医学的に役に立つのではという話は後半でも全然別の流れで出てきて、ライクの研究へのモチベーションの1つっぽいし、またライク自身には善良な意図しかないと思うのだが、しかし、こうした発想と優生思想との距離というのは結構測り難いものがあると思う。
もちろんこんなことは、自分なんかより実際の研究者の方がよっぽど考えているだろう、と考えたいが、その一線がどこにあるのかというのはかなり見定めが難しい問題のような気がする。
ゲノム・ブロガーやステレオタイプを煽る著述家などの問題は、別にライクのような研究者に悪いところは全くないし、似非科学との戦いなので、科学研究進めるのが大事というのは正しいと思うが、しかし、この手の人種主義的似非科学を止めるのは大変そうだな、という意味でパンドラの箱が開いてしまった感はある。
ライクは、ルーツ探し調査会社の件に対して、そもそも自分のことばかり探求するのってどうなのよ(だから研究室では自分とは他のグループを研究することを勧めている)という論陣を張るわけだが、科学者についてはともかくとしても、そういうルーツ探しを求めてしまう心情自体は普通の人々の中にはあるわけで、だから似非科学スレスレの調査会社にも需要があり、その延長線上に人種主義が待ち構えているとも言える。
ライクの言うことは正しいが、十分な処方箋足り得ていない感じはする。
さらに穿ったことを言うが、ライク自身がかなりユダヤ人というルーツにアイデンティティを委ねるのではないか、と感じないわけでもない。もちろんユダヤ人だからこそ人種問題に思うところもあるだろうと思うが。
正直、一番最後のラビに相談したエピソードはちょっと謎である。親戚のラビからの許しは倫理的正当化になるのか。
もっともこのエピソードは、倫理的正当化を図るためのものというよりは、自分の心構えを示すものとして挿入されている感じもするので、何とも言えないところではあるが。


人種問題について、かなり文字数を割いてしまった。
デニソワ人を巡る様々な議論はかなり面白いし、今後の考古学的・人類学的発見が期待されるところ
ユーラシア進化仮説も面白いが、ただ、4回の出アフリカが、3回の出アフリカと1回のアフリカ帰還になることが、倹約的なのかどうかはいまいちピンとこなかった


第2部は相当面白かったのだが、そもそも前提となるべき考古学・人類学・言語学のベースがなさすぎて、ついていくのが大変だったし、そもそもゲノム革命が面白いのか、ゲノム革命以外の考古学・人類学・言語学で明らかにされてきたことが面白いのか、自分の中であまり区別がつけられなかった
ヤムナヤも縄目土器文化もどっちも知らなかったからなあ……(ググった感じ、ヤムナヤは最近の話っぽいが、縄目土器文化はナチスドイツに利用されていたくらいなので、単に自分が無知だっただけで)

*1:というか、それを主題的に読みたいのであれば、そもそもペーポ自身の書いた本があるみたいだった……