オーナ・ハサウェイ、スコット・シャピーロ『逆転の大戦争史』(野中香方子・訳)

1928年のパリ不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)を画期として、国際的な法秩序が転換したとして、戦争にかんする国際法の歴史を描いた本
本書では、戦争を合法であるとするグロティウス的な法思想を「旧世界秩序」、戦争は違法であるとする法思想を「新世界秩序」と呼ぶ。
本書は、第一部旧世界秩序、第二部移行期、第三部新世界秩序の三部構成となっているが、メインとなるのは、第二部だろう。
第二部は、第一次世界大戦終結からニュルンベルク軍事裁判までの時代を扱っており、この期間に、少しずつ「新世界秩序」が成り立っていき、第二次世界大戦は「旧世界秩序」と「新世界秩序」との間の戦いだった、ということが示される。
なお、パリ不戦条約の締結で即座に「新世界秩序」が成立したわけではなく、パリ不戦条約をきっかけとしつつ、それを法秩序システムとして成り立たせるために、それに伴う国際法の変化が必要であった。そうした変遷が起きていたのが、移行期となる。二つの秩序観に基づくルールがどちらも生きているので、混沌とした時期となったのだ。


パリ不戦条約ないしケロッグ・ブリアン条約という名前は、確かに世界史で習った記憶があり、今でも名前を覚えている程度にはしっかり出てきたのだと思うが、一方で、この時期の軍縮の流れの中であった様々な会議やら条約やらのワンオブゼムという感じで、この条約の重要性の認識は特になかった。
そして、実際それは大勢の見方なのだと思う。
本書について、一般的にはあまり重要視されてこなかったパリ不戦条約が、実はかなり重要だったのではないか、というところに主張の新規性があるのだろう。
ただ、単純にパリ不戦条約はすごかった、という話ではない。
「戦争は合法である」または「戦争は違法である」というところからさらに導き出される4つの構成要素によって、戦争をめぐる国際法システムが成立する、という説明図式が用意されている。
そういう国際法システムの転換が、1930~40年代にかけて生じた、ということになる。


元々書評 「逆転の大戦争史」 - shorebird 進化心理学中心の書評などで紹介されていた本で、当時(2019年)、自分でも「面白そう」というコメント付きでブクマしているのだが、その後、完全に忘れ去っていた。最近、全く別件で検索している時に、この記事を再発見した。
内容的にジェイムズ・カー=リンゼイ、ミクラス・ファブリー『分離独立と国家創設』(小林綾子・訳) - logical cypher scape2の補完になるかなという気がして、読むことにした。
本書は、分離独立についての本ではないが、戦後、侵略がなくなって国家が増えたが、それゆえに内戦・失敗国家も増えた、というのは共通する見方だろう。その上で、『分離独立と国家創設』は政治学・国際関係論からの本で、国際法研究の立場からは一線を画していた感じがあったが、こちらは国際法からの見方ということで。
もっとも『分離独立と国家創設』は、1945年で時代の線引きをしており、パリ不戦条約にそこまで重きは置いていない。とはいえ、パリ不戦条約への言及がないわけではなく、『分離独立と国家創設』で重視している領土保全の原則の源泉をパリ不戦条約にみており、本書第七章に出てくる満洲の事例も紹介されている。
他にも、本書で出てくる事例のいくつかは『分離独立と国家創設』でも紹介されており、その点で補完しあうところがある。
また、『分離独立と国家創設』が非常に重要視している概念として、国家の「承認」があるが、本書では、「新世界秩序」を成り立たせるための手段として、度々「承認」が出てきている。


この本を手に取った動機としては他にも、ロシア・ウクライナ戦争のみならず、イスラエルアメリカがイランを攻撃するという前代未聞の事態が起き、本書が「新世界秩序」と呼ぶものを、ロシアとアメリカという二大国がそれぞれ脅かしている現在の状況から由来するものもある。
原著が2017年、邦訳が2018年であるため、ロシアのクリミア侵攻や第一次トランプ政権への言及はあるが、もちろんウクライナ戦争などへの言及はない。
本書は2017年時点で、ロシアやトランプ政権の動きに警鐘を鳴らしているが、2025年現在、事態はより深刻になっていると言わざるを得ないだろう。
この本を読むことで、何故、どのように問題なのか、ということが、よりはっきり見えてくるのではないかと思う。


さて、本書のタイトルについてだが、原著のタイトルは”The Internationalists: How a Radical Plan to Outlaw War Remade the World” となる。
本書では、この「新世界秩序」を生み出すために尽力した人々のことを「国際主義者」と呼び、歴史を彼らのドラマとして描いている。おそらく、この人たちはあまり有名な人たちではないのだが(例外的にケルゼンは圧倒的に有名だろうが)、そういう人たちの活躍が詳しく描き出されている。それゆえにページ数は結構分厚目になっているのだが……。
なお、「国際主義者」の対義語として、旧世界秩序を奉じる人たちのことを「介入主義者」と呼んでいる。こちらは、グロティウス(奉じる人というよりは創始者だが)、西周、シュミットなどが名を連ねていて、有名人が多い。
邦題についてはshorebirdさんも良くないと述べており、Amazonレビューでもかなり不評であるが、一方で原題の「国際主義者たち」もタイトルとしてあまりキャッチーではないところではある。

序章 一九二八年という分岐点

第一部 旧世界秩序

第一章 戦争を合法化したオランダ人弁護士

グロティウスについて
オランダ船が、シンガポールポルトガル船を襲撃して積荷を奪った事件があり、オランダ東インド会社に、弁護文書を書くように依頼されたのがきっかけ
(オランダ側の船長が、グロティウスの親戚でもあった)
とんでもない長文になって、結局、全文は公表されなかった(書き上がるのに時間かかりすぎて、そのうちこの事件の弁護自体はあまり必要なくなっていった)。
しかし、その中の一部をもとに書かれたのが『戦争と平和の法』
正戦論の系譜にあることはある。
正当な戦争と不正な戦争にわけて、正当な戦争によって獲得された場合、所有権の移動も正当なものになる、という論陣を張ろうとした。
じゃあどうやって正当な戦争かどうか決めるのか、ということになるが、裁定するような機関がないところでは、戦争が裁判の代わりになるとグロティウスは主張した。結局、それぞれが自分の正当性を掲げていた場合、第三者からはどっちが正当かは分からない。戦争で勝った方が正義になる、という「力こそ正義」論となる。
で、戦争そのものにルールを課すことで、制限するように、という方向になる。
戦争する際の根拠は全て私人の自然権に由来する。
その際、白人か非白人かは区別しない。非ヨーロッパの国が、ヨーロッパの国に対して、自国が略奪されたから、という理由で戦争するのも認められている。
これは、とても平等な感じがして、先進的な考え方に見えるし、実際、その点で、グロティウスは国際法の父として現在高く評価されている。
しかし、本書では、グロティウスがオランダ東インド会社の利益の代弁者であったことに注意を促す。非白人、非ヨーロッパにも権利を認めたのは、そのことによって、契約が可能になり、所有権の正当な移転が可能になるから(オランダ側に利益があるからこそ)だ、と。


グロティウスの半生についても書かれている
神童で、10代から弁護士として活動する。ただ、それゆえに、大人になってからは、子どものまま大きくなった人みたいな評価をされている。学者気質で、自分の主張だけを延々と喋るので周囲からは呆れられていた、とかなんとか。オランダ内での政争に敗れて逮捕、投獄されてしまう。のち、脱獄してパリへ移住。『戦争と平和の法』もパリで書いていて、オランダには戻れなかった。

第二章 四五〇の宣戦布告文書を分析する

宣戦布告はグロティウスが戦争のルールとしてあげたものだが、別にグロティウスが初めて定めたわけではなく、昔からあった(グロティウスの戦争法の功績は、ルールを新しく作ったというより、これまで慣習として行われていたものを集めて整理したこと)
戦争を始めるとき、必ず正当化が行われる。
その理由が書かれているのが、宣戦布告ないしマニフェスト。これは訴状みたいなものでもある。戦争を始める人の本音が書かれているとは限らないが、ここでは、どういう理由だと説得させられると思われていたかを調べるために、宣戦布告文書を調べている。
自衛のため、条約違反のため、という今でもある理由が昔から多い
その一方で、負債の回収のためとか、宗教的な理由とか、今では正当化として認められない理由もある(なお、王が妻を取られたからという理由で宣戦布告したものもあるが、さすがにこれは希有な例)
それから、現代的な理由にも思える人道上の理由も、実は結構昔からあった、と。


ところで、結局戦争に勝てば言い分が認められる、力こそ正義の世界において、なぜ開戦理由の正当化が必要だったのか。
一つは、自国のモチベーションのため。あからさまに不正な理由だと、兵士たちもモチベーションが下がる。
もう一つは、宗教的な理由。現世では、勝てば官軍、力こそ正義だけど、不正な理由で戦うと最後の審判で不利になるというのがあった。
そして最後は、同盟の援助を引き出すためという理由。同盟国は助ける義務があるけれど、それは開戦理由が正当な理由であるときだけ。

第三章 殺しのパスポートをいかに得たか

平時において殺人は罪だが、戦時中の兵士は人をどれだけ殺しても罪に問われない。
これを示すエピソードとして、スー族の青年がアメリカの兵士を殺した時の裁判が紹介されるのだけど、スー族とアメリカは戦争中だった(から無罪)というのが弁護側の主張で、その後、米軍側の将軍も戦争中だったことを認める。というのは、それより前に米軍側で虐殺していたので、戦争していなかったことにすると、今度は自分たちが罪に問われることに気付いたからとか。
さて、何故戦争中の兵士は罪に問われないのか、ということで、無知によるもの、という考えがあった。兵士たちは自分たちの戦っている戦争の理由をよく分かっていないから、というもの
しかし、その理屈が正しいとすると、戦争する理由を分かっている君主や指揮官は罪を問われうることになる。が、実際はそうなっていない。
三者からは、紛争当事者同士のどっちに正当性があるか分からない。だから、戦争を裁判代わりに用いて決着を付ける、というのがグロティウス流の戦争正当化論になる。そして、戦争が正当な手段である以上、そこで行われていることを罰することはできない。勝った側も負けた側も無差別で罪には問われない。
指揮官も罪に問われないっていう実例としては、ナポレオンの例が出されている。
エルバ島への流刑も、正確には刑罰じゃなくて、エルバ島を独立国家にして、フランス皇帝じゃなくてエルバ島皇帝にする、という処置だったらしい。
その後、ナポレオンはエルバ島脱出してまた戦争するけど、イギリスに拿捕される。で、セントヘレナ島に送られるけど、これイギリスの司法関係者は、法的に正当化できない処置ではないかと困ったらしい。


不正な方法で戦争すると、というか、戦争してないと、無罪にはならない。
宣戦布告なしで奇襲しかけて逆に捕まった例があるのだけど、この時の兵士は殺人罪で死刑になっている。
宣戦布告しなかったので戦争状態になっていない、という理由。
不正行為をしたから罪に問われたのではなく、戦争を起こさなかったら罪に問われたのだ、と。


戦争中の行為で罪に問われないのは殺人だけではなくて、他にも略奪も拷問も放火も罪に問われなかった。
グロティウスが戦時中でも禁止したのは、毒殺、裏切りによる殺人、強姦
捕虜への拷問とかはもともと許されていた。
これが、まあ次第次第に禁止事項が増えていくようになる。
ある時期から、兵士と市民の区別がなされるようになる。兵士が兵士を殺すのは無罪だけど、兵士が市民を殺すのは戦争中でも有罪になる。ただ、これは市民は武装していないから、という理由なので、武装して反撃すると兵士と見なされる。

第四章 経済制裁は違法だった

戦争が合法化されている「旧世界秩序」において、中立国は絶対的に中立を維持しないといけなかった。紛争当事者国の片方に対して有利ないし不利なことをすると、参戦とみなされる。
なので、章タイトルにあるとおり、戦争に参加していない国が経済制裁をすることは考えられなかった。
フランス革命が起きた後、フランスはアメリカ合衆国に援助を求める。
この時、アメリカにフランスの外交官ジュネが派遣される。この時の任務としては、合衆国と交渉するだけでなくて、アメリカで私掠船の船団組織して英国領カナダとかを攻撃するというのが含まれていて、この時、ジュネは、合衆国政府と交渉始める前から、私掠船作っちゃう。この時、合衆国の港湾を使ったのが問題となった。
フランスとアメリカの間の条約に、お互いに相手の敵国に港湾を使わせない、という条項があって、フランス側は、同盟国には使わせてよいと解釈した。対して、合衆国は、敵国に港湾を使わせないことは、同盟国に使わせていいことを含意しないと反論。
そもそも、この時点で合衆国は中立国なので、フランスに港湾を使用させると中立性が失われてしまう。合衆国は、中立国は絶対中立を維持しなければならない、という国際法を遵守しようとした。
当時の合衆国首脳陣は、フランスに対して好意的ではあったのだけど、この港湾無断使用にはガチギレしている。あの外交官、国際法なんも勉強してないんじゃねーか、とか。
合衆国は建国時、このあたりに結構敏感になってて、憲法の上位に条約(国際法)があるから州はこれを守れ、ってのも憲法に書いてあるらしい。

補遺1 グロティウスが平和主義者と誤解された理由

元々グロティウスの国際法についての仕事は、オランダ船によるポルトガル船に対する襲撃・略奪を正当化するというところから始まっていた。
しかし、そのために書かれた文書は公表されなかったので、グロティウスの元々の目的というのを多くの人は知らなかった。この論文『捕獲法論』は、1864年にオークションにかけられ研究者の手にわたり、1868年にラテン語で出版された。
この初期の仕事が知られることで、グロティウス理解が変化した、と(それまでは平和主義者として理解されていた)。


グロティウスの構築した法秩序が図示されている。
「武力を用いる特権」から「征服する権利」「殺しのパスポート」「砲艦外交」「公平さなどの中立性」の4つが生じている図となっている。

第二部 移行期

第五章 戦争はこうして違法化された

「旧世界秩序」は第一次世界大戦という帰結を生む
これをどのように回避すればよいのか、ウィルソンは周知の通り、国際連盟を作ることによって戦争を防ごうとした。
しかし、ウィルソンの案も戦争を禁止したわけではなくて、一定の制限をかけているだけ。また、戦争を抑止する強制力として、国際連盟参加国は、戦争を止めるために戦争をする義務が課せられる。
これに対して、シカゴの弁護士レヴィンソンは、戦争をそもそも違法化する、というアイデアを思いつく
(このレヴィンソンという人、実際の国際情勢にはさして関心がなく、ヨーロッパにも生涯行くことはなかった旨書かれているが、すごく積極的な平和活動家だった様子も書かれている)
レヴィンソンは、妻を通じてデューイとも親しくしていて、このアイデアについてまずデューイと相談して賛同を得ている。で、このアイデアをどんどんアメリカ中に広めていく。
その過程で、ウィルソンの国際連盟案への反対運動を組織していく。
結局、ウィルソン案は戦争は合法であるという前提で作られていたので、レヴィンソンはこれに反対で、もうアメリカをヨーロッパの戦争に巻き込まないでほしいと考える上院議員らと手を組んだのである。
さて、賛同者が増えるにつれて、レヴィンソンのアイデアへの疑問も出てくる。戦争を国際法違反とするとして、どうやって各国をそれに従わせるのか、と。
レヴィンソンは、個人を罰することになるだろうと。で、かつては奴隷制度が違法なんて考えられなかったが、今では当然のことになっているように、人の価値観は変わるので、それに期待しようというのが、レヴィンソンの考えだった。これについても、デューイからの影響らしい。


レヴィンソンとは別に、ショットウェルという歴史学者がやはり戦争の違法化を考えるようになる。
ウィルソンがパリに何人も学者を連れていったらしく、ショットウェルもその1人。その際は、ILO関連の交渉に関わっていたらしいが(それにしても中世史の学者が何故という感じなのだが)、それをきっかけにショットウェルは国際関係の仕事に関わり始める。
ショットウェルは、侵略の定義に悩むが、国際司法裁判所の裁定に従わなければ侵略、ということとし、侵略した場合、一切他国との貿易ができなくなる厳しい経済制裁を考えた。
ショットウェルのアイデアは、ジュネーブ議定書として練り上げられていくが、問題があり、この議定書は締結されなかった。
中立国は、一方の紛争国に肩入れしてはいけないが、双方と対等に貿易するなら、紛争国と貿易する権利はある。この経済制裁策は、こうした中立国の権利と衝突するからだ。
ショットウェルは、レヴィンソンが似た考えを持っていることを知り、両者は交流を持つようになる。「戦争の違法化」という表現をショットウェルはレヴィンソンから借用している。一方、レヴィンソンはショットウェルの考える経済制裁には反対していた。
結局、上述のようにショットウェルの考えは流れてしまう。


ヨーロッパの政治家のもとにもロビー活動するショットウェルは、フランスに目を付ける。
軍縮会議に参加していなかったフランスは、孤立しつつあった。フランス外相ブリアンに、アメリカとの条約を提案するのである。
ここから、ブリアンと、アメリ国務長官ケロッグ、そしてショットウェルやレヴィンソンらがそれぞれ少しずつ違う思惑を持ちながら、駆け引きが行われていく。
ブリアンはアメリカとの関係を結んで孤立を解消したい。ただ、戦争放棄ロカルノ条約など他の条約と抵触することを気にしていた。
ケロッグはフランスとの同盟に巻き込まれたくはないが、平和への取り組みをしたという栄誉は欲していた
ケロッグは、フランスがのまないだろうと思って多国間条約を提案するのだが、これをブリアンは承諾する
その後、侵略とは何かとか制裁はどうするのかという問題は起こるが、侵略戦争自衛戦争かの定義はしない。紛争解決手段としての戦争を放棄する、という条文となった。なお、戦争違法化ではなく、放棄という表現になったのはレヴィンソン=デューイ側が、「違法」という言葉が制裁や罰を想起させてしまうと考え、戦略的にやめたという経緯がある。
制裁についても、経済制裁や武力制裁といった具体的な条文は置かない。もし条約を破って戦争を起こした国が出てきた場合、他の条約国は条約から解放され自分でよかれと思った方法がとることができる、としたのである。
かくして、パリ不戦条約(ケロッグ=ブリアン条約)はまず15カ国で締結され、その後、世界各国へ広がる。
かつてレヴィンソンと国際連盟反対運動をしていた上院議員の根回しにより、アメリカ議会でも即座に承認され、パリから帰国したケロッグは一躍ヒーローとなる。
ケロッグノーベル平和賞を望んで、各所に推薦を依頼しはじめるばかりか、すでに平和賞ノミネートされていたというレヴィンソンを貶めるようになる(「戦争違法化を思いついたのはレヴィンソンではなくて自分」「レヴィンソンは条約締結に何の役割も果たしていない」「ノーベル平和賞の推薦キャンペーンなんてやってない」など)。そして、ケロッグは実際にノーベル平和賞を受賞することとなった。


パリ不戦条約は、たった2条の条文からなる

第一条 締約国は、国際紛争の解決を戦争に訴えないこととし、かつ、互いとの関係において、国策の手段としての戦争を放棄することを、各国の国民の名において厳粛に宣言する。
第二条 締約国は、相互間に起こる一切の紛争または対立を、その性質や原因がなんであれ、平和的手段以外の方法で、処理または解決しないことを約束する。

第六章 日本は旧世界秩序を学んだ

ペリー来航について
旧世界秩序による砲艦外交。ペリーの強面っぷり。日本はペリーから旧世界秩序を学ばされた。
西周についてフィーチャーされている。西周というと「哲学」という訳語を造語したことで有名だけれど、幕府の命でオランダ留学した際に師事していた教授こそ、グロティウスの『捕獲法論』を発見し、研究した人物であった。
帰国後、西は日本初の国際法入門書を書くが、これはまさにグロティウスの法秩序についての解説であった、と。
日本はよき生徒として旧世界秩序を学び実践していく。
江華島事件は、ペリー来航を真似たもので、日朝修好条規は日米修好通商条約とよく似ている、と。
それから満鉄は、単なる会社であることをこえて行政組織的になっているところが、東インド会社っぽいよね、とか。

第七章 満州事変は新世界秩序の最初の試金石だった

満州事変は、パリ不戦条約違反とされリットン調査団が派遣されることになる。
日本側は、パリ不戦条約によって国際法が変わってきているとは考えていなかった。パリ不戦条約は自衛を認めており、この自衛について、日本側はかなりフレキシブルに解釈していたのである。
イギリスは、植民地を含む自国の経済圏を守るものとして自衛を解釈していた。だから日本も、そういう意味で自衛をとった。しかし、これは、パリ不戦条約以前に植民地を獲得していたイギリスやフランスはそれを守れる、というものであって、不戦条約以後に植民地を獲得できる、という意味ではなかった。
新世界秩序は、そういう点で、既に経済圏を確保していた英米仏にとっては有利で、日独伊にとっては不利なもので、そういう不利なルールに、気付かぬうちにするっと変わっていた、ということになる。
日本からすれば、せっかく学び取った国際法のもと、さあ今からこれを駆使していくぞ、となったところでのルール変更だったということになる。
第二次大戦において、日本とドイツは旧世界秩序にもとづいて自らの正当性を主張していくわけで、第二次大戦というのは、単に英米仏露と日独伊の戦争だったというだけでなく、新世界秩序と旧世界秩序との間の戦いだったのだ、と本書は主張している。
日本は、真珠湾攻撃する際の宣戦布告で、アメリカがいかに国際法に違反したかということを述べるが、これは旧世界秩序における中立性をアメリカが損ねた、という主張であった。


満洲事変に話を戻すと、どうやって日本に制裁をくだすのかという問題が生じてくる。
そして、満洲国を承認しない、という判断が下される。
国際連盟規約と不戦条約は矛盾していることが明らかになってくる。
フーヴァー政権で国務長官となったスティムソンは、レヴィンソンの「平和的制裁」を取り入れる。
旧世界秩序のもとでは、経済制裁は中立国の義務に違反するので、行うことはできない。
しかし、スティムソンは、不戦条約による戦争の違法化によって、紛争の非当事者国も何らかの行動をとる義務が生じたとする。しかし、武力制裁はやはり不戦条約によって禁じられている。そこで、征服によって生じた権利を一切承認しない、という方策をとることにした。
これが、スティムソン・ドクトリンである
直後、フーヴァーがルーズベルトに敗れたためスティムソンは一時期政権から離れるが、国際連盟が、このスティムソン・ドクトリンを受け入れる。
長年、国際法にあった中立性の義務に反するため、このドクトリンに対する反対意見も多かった。
さて、国として一切承認されないので、郵便連合とかにも入れなくて、国際郵便は満洲国を通れないということになる。ところがこれは、日本や満洲にとってだけでなく、国際社会にも痛手で、色々抜け穴ができるようになる。
国際化された世界において、どこか一領域を孤立させるというのは難しいということが分かってくる。
イタリアのエチオピア侵攻について欧米諸国は有効な制裁をくだせなかった。
これは、満州事変に対する制裁への反省があった。
アジアの辺境国を孤立させるのですら、完全とは言いがたかった。ヨーロッパのただなかにあるイタリアを孤立させられるのか、それによる影響は計り知れないのではないか。
エチオピア皇帝は訴えを起こしているのだが、イタリアに対して制裁をしない事に対する痛烈な批判が引用されている。
「ヨーロッパでは、約束を踏みにじる政策の悲惨な結果が姿を現しつつあり、世界を血で染めるような全面戦争が今にも起きそうだ」
この批判、ロシアやイスラエルに有効打を打てない現代に、そのまんま跳ね返ってきそうな内容となっている。


アメリカは中立性を維持しながら「制裁」を行うために、紛争当事国双方に対する、全面的な禁輸措置を講じるようになる。
しかし、これはドイツだけでなく英仏にとっても不利に働く。ルーズベルトはこれを危惧した。
とはいえ、アメリカ世論はなおも中立性を支持していた。連合国へ味方しつつも禁輸を維持することを望んでいた。
ルーズベルトは、スティムソンを陸軍大臣に任命し、少しずつ中立性の解釈を押し広げて、連合国への輸出を始めていった。さらに選挙に大勝すると武器貸与法が成立した。


読んでいて、戦争の違法化していくという過程において、この「中立性」なる概念をどうするのかが一番大変だったのかなあ、という感じがした。
戦争を放棄しましょう、みたいな話は、少なくともお題目としてはみんな受け入れやすいのだが、その帰結として、中立性は放棄する必要性が出てきます、というと、そこに抵抗が生じてくるというか。

第八章 新世界秩序の勝利

この章の主役は、ルーズベルト政権で国務次官をになっていたサムナー・ウェルズである。
彼は、1940年代前半から戦後の国際秩序について構想し、新たな国際機関こそが必要であると考えていた。
ウォルター・リップマンが、ウェルズに戦後構想を計画するよう依頼するところから始まる。リップマンは、第一次大戦後にウィルソンのもと組織された委員会のメンバーだったが、それが不十分だったという思いがあったらしい。
リップマンというと『世論』しか知らなかったので、そんなところでそういうところしていた人だったのかーと思った。
さて、ウェルズについてだが、国務長官のハルからは好かれていなかったという話なども展開されている。というのは、ウェルズは、以前からルーズベルト夫妻と親しかったこともあり、ルーズベルトにより影響力をもっていたからだ、と。
ルーズベルトチャーチルは、1941年に会談をしているが、その時の大統領顧問団の中にウェルズもいる。そして、チャーチルとその顧問カドゥガン、ルーズベルトとウェルズによって大西洋憲章が起草される。そこでは、スティムソン・ドクトリンが確認され、すべての国の武力の放棄がうたわれている。
この憲章をベースに、連合国の共同宣言もなされる。
ウェルズはその後、国務省内に、国際機関特別小委員会を設立
この委員会には、ショットウェルもメンバーになっていた。
そして、この小委員会が作成した草稿が、のちの国連憲章へとなっていく。
この時、ショットウェルは不戦条約をその草稿の冒頭にもってきている。
本書によると、ショットウェルと国連憲章草案との関係は、これまで見逃されてきたらしい。

第九章 ソ連を組み込む

戦後の国際機関を構築するにあたり、ソ連は二つの難題を英米につきつける。
一つは、ソ連を構成する共和国全てを国連加盟国にすること
もう一つは、理事会での拒否権である。
結論として、前者は、ウクライナベラルーシを例外として認められず、後者は認められることになった。
ところで、拒否権については、米英側はかなり反対しつづけていたようである。拒否権があると、国連による安全保障がうまく機能しなくなるということを、当時の人々もよく理解していたようである。
最終的に、拒否権があることとソ連が参加しないことが天秤にかけられ、妥協が図れることになる。
この妥協にあたって、拒否権とは何であるかということについて議論され、議題の提案自体は拒否できない。行動は拒否できる、という形にした、と。
ヤルタ会談の様子も描かれているが、英米首脳がソ連へ赴くという形でソ連に配慮した場所選びで、アメリカから行くのはかなり遠くて大変だったようだ。既に体調を崩していたルーズベルトにとっては結構リスクのある旅行であったらしい。
ソ連にとっては、いかに自国が犠牲を払ってきたかをチャーチルルーズヴェルトに見せつけるという意図があったようだが、一方で、英米代表団を迎え入れる準備をしなければならないというコストもあったみたい。


サンフランシスコ会議において、武力行使の禁止に異を唱える国はなかったが、これはパリ不戦条約にほとんどの国が批准していたからだ、と本書は述べている
戦争の禁止は、日独伊の憲法にも書き込まれた(ドイツ基本法第26条、日本国憲法第9条、イタリア憲法第11条)。

第一〇章 ナチスの侵略を理論化した政治学

カール・シュミットについてである。
シュミットは、パリ不戦条約が締結される前から、これの「危険性」を見抜き反対していた。
ジュネーブ議定書失敗後、ショットウェルがドイツで講演をしている(アメリカが戦後のドイツ支援をする中での施策での一環でもあったらしい)。シュミットは、ショットウェルによる戦争違法化の議論を聞いて、即座に反論を組み立てる。
一つは、国家にとって戦争というのは重要な手段なので、戦争が違法化されると国家はたちゆかなくなる、というもの
もう一つは、戦争の違法化により戦争を起こした者は、人道に対する敵対者となる。そうすると人間扱いされなくなり、戦争が合法化されている時よりも、より残酷な戦争が起きる、と。
前者はシュミットの国家観や友敵理論を前提としているので、その前提がのめないと、あんまりピンとこないが、後者は、結構鋭いかもな、と思った。


パリ不戦条約に一番最初に賛同したのはドイツだった
シュトレーゼマンは、戦後のドイツが回復する方法は、貿易であり、そのためにはアメリカの金融が必要であり、その姿勢を示すための布石が、不戦条約調印だったのだ、と。
ところで、ショットウェルがブリアンに会いに行く途中で、シュトレーゼマンとあっているエピソードが書かれている。この時、ショットウェルは、あえてシュトレーゼマンには戦争違法化の話題を出さなかった。ドイツがリードする形になるとアメリカは受け入れないだろうと考えたため。
シュトレーゼマンの策は成功し、1920年代後半のワイマール共和国は「黄金時代」を迎えるわけだが、本書で、上がっている具体例が、表現主義(映画)、アールデコバウハウスモダニズム文学、量子力学論理実証主義とここまではいいとして、最後にピラティスが出てきて、結構びっくりした。この時代のドイツ発祥とはまったく知らなかったし、その流れで名前があがることにも驚いた*1


本書は、シュミットの友敵理論の背景として、彼の生い立ちをあげている。
一般的に、ある学者の理論をその学者の経歴や人格から説明することは妥当じゃないとは思うが、彼のとった行動については何となく説明を与えているかもしれない。
ドイツはプロテスタントの国だが、その中でラインラントはカトリックが強い地方である。シュミットが産まれたのはラインラントにある街だが、そこはプロテスタントが強く、しかし、シュミットはカトリックの家に生まれる、というかなり入れ子状の宗教的状況の中で育ち、自分の立場が失われてしまうかもしれないという不安や恐れを強く抱えてた人のようだ(少なくとも本書は、そういう不安感から彼の行動のいくつかを説明している)。
『政治的なものの概念』が評価され、ケルン大学の教授へと出世するが、そこにはシュミットにとって「敵」にあたるケルゼンがいた。ケルゼンは、その学説・政治的立場からもシュミットとは相反していたが、裕福なユダヤ系の出身であることもシュミットとは相反していた。
ケルゼンは、シュミットのケルン大学教授着任に賛成票を投じたの対して、のちにナチスが台頭してきた際、大学の追放が相次ぐ折、シュミットはケルゼンを辞職へ追いやった。
シュミットというと、ナチスを正当化した法学者として有名だが、一方でナチスと距離があったともされる。
この本読んで知ったのだが、シュミットはもともとシュライヒャーの御用学者だったようだ。
シュライヒャーについて、自分は林健太郎『ワイマル共和国』 - logical cypher scape2で知ったのだが、軍人から政治家になった人物で、ヒンデンブルク大統領時代に暗躍していた。
ワイマール憲法において大統領による独裁が可能である、ということを示したのがシュミットで、シュライヒャーはこれを利用した。
シュライヒャーは、ワイマール共和国の民主主義を破壊した1人なのだが、一方でヒトラーのことは嫌いでナチスとは対立していた。最終的に彼はナチスに殺されることになる。
シュミットも元々はナチスのことを稚拙な党と思っていたのだが、保身のために身を翻してナチス党員となるのである。ナチスの中で出世することで嫉妬にさらされることになり、元は全然ナチス主義者じゃないじゃんって批判されたりもしている。
ヒトラーは「生存圏」概念により侵略を正当化したが、この人種差別的な概念を、シュミットは国際法的に理解可能な「広域圏」概念として正当化した。アメリカのモンロー主義をあげて、ドイツも同じことをやろうとしているだけだ、というもの。なお、ヒトラーはこれをえらく気に入り、自分が思いついたと言い始めたので、ヒトラーが発案したことになった。

第一一章 ニュルンベルク裁判の論理を組み立てる

この章でまず出てくるのは、法学者のハーシュ・ローターパクトである
ローターパクトはケルゼンの弟子で、『オッペンハイム国際法』の改定を行い、不戦条約に多くのページをさいて、不戦条約が国際法を変えたことを主張した
アメリカ司法長官のジャクソンから、武器貸与法ひいては連合国への援助の正当性を支えるため、中立性についての助言を求められ、不戦条約により、侵略国と被害国の区別が可能になったと主張し、ジャクソンもこれを取り入れた。
枢軸国を訴えるにあたって、訴求効の問題があった。
一つの解決策として、罰するのも正しくないが、罰しないのはより正しくない。あまりに非道なので遡及してでも処罰すべきであり、それにより正当化される、という考えだ。しかし、これは、ナチスとシュミットが、ヴァン・デル・ルッベに対して行ったことと同じ正当化の理屈だった。
これに対して、チェコの法律家エチェルや、ニューヨークの弁護士チャンラーが、それぞれ独立に同じような議論を到達した。それは、旧世界秩序のもとでは、免責されていたが、不戦条約によってその免責条項がなくなった、とするものだ。つまり、不戦条約は新たな犯罪を作ったわけではない。もともと、犯罪だったのが免責されていただけなのだ、と。
また、問題として、そもそも政治家や国民は裁判を求めていなかった、というのもある。スティムソンは司法手続きにのっとることを求めていた。
チャンラーがコネを使って大統領に覚書を提示し、その覚書から、枢軸国指導者に対する司法手続きを求めることになった。
司法長官ジャクソンは、首席検事に任命された。
スティムソンは、ホロコーストを訴追内容に含める気はなかったが、ジャクソンはこれを含めることにした。
ジャクソンのアドバイザーとなったのが、ローターパクトであり、ジャクソンの草稿を整理し、(1)平和に対する罪(2)戦争犯罪(3)人道に反する罪という整理を行った。
ジャクソンとローターパクトによる訴追提案には、まだ欠陥があった
このミスを指摘し、修正する案を提示したのがケルゼンだった。
国際法は集団責任の原則に基づいており、個人責任を問うようにできておらず、それが国内法との違いだった。

第十二章 戦争犯罪を個人の責任として裁く

何故ニュルンベルクで行われたかというと、爆撃で街は破壊されたが、裁判所と拘置所、その近くのホテルだけ残っていたため。
『意志の勝利』の舞台の一つであったり、ナチスを象徴する都市でもあった、と


ニュルンベルク裁判では、イギリスの首席検事ショークロスが冒頭陳述を行っている
このショークロスという人、まだ1年生議員で、突然アトリーが法務長官に抜擢していたという人らしい。
もともとショークロスが書いた陳述文は出来がよろしくなく、顧問になっていたロータ-パクトが改稿した、と。


シュミットの議論をベースにしたと思われるヤライスによる反論
不戦条約は、刑法の形式をとっていないので訴追できない、という点に加えて、もし不戦条約が国際法を変えていたのであれば、各国の慣習、特に戦時国際法、中立国の義務、制服の承認に、それに伴う変化が観測されたはずだが、そうした変化は見られなかった(例えばエチオピア侵攻でイタリアが罰せられなかったことなど)、と。
これに対して検察側も、ローターパクトの用意した反論(実際には中立性は変化していた、と。また、国際連盟はうまく機能しなかったかもしれないが、それは犯罪を取り締まる仕組みがうまくなかっただけで、犯罪が犯罪ではなかったわけではない、と)をもとに反論している。
個人的にはしかし、このあたりの議論、シュミットの方が鋭いな、という感想だった。
エチェル=チャンラーの理屈もケルゼンの理屈も、まあ理屈としては成り立っているかもね、とは思うが、結構綱渡りのところがあり、説得力があるかというと疑問に思うところがあった。自分は法学は全く疎いので、このあたりの感覚がよく分からないところではあるが。
実態を観察して、そこから国際法の変化は起きていない、というシュミットの議論の方が、説得力があるな、と思った。
もちろん自分は、シュミットのように戦争の違法化そのものが問題とは思っていない。むしろ、戦争が違法化された世界の方が、戦争が合法の世界よりもよりよい世界だと思っているし、ニュルンベルク裁判も極東裁判も妥当な手続きだったと信じてはいるが、難しさをもっていることが理解できた。
ところでシュミットは、戦争を起こしたことを訴追することはできない、という議論を展開しており、戦争犯罪(グロティウス的な立場に立っても罪)とホロコーストについては訴追されるべき、と考えていたらしい。



ニュルンベルク裁判にあたり、検察側は、エチェル=チャンラーの議論(遡及効の問題)とケルゼンの議論(個人責任の問題)の二つの論理を用いて、被告人らに対して何故戦争の責任を問うことができるのかを法的に正当化した議論を組み立てた。
しかし、判決は、有罪判決を下したものの、検察側の用意した議論は採用せず、かつてナチスが用いたのと同じ論理を採用した。このため、判決文だけを読むと法的に正当化されていないように読めてしまう、と。

補遺2 新世界秩序の父ローターパクト

ローターパクトは、ニュルンベルク裁判において、戦争を犯罪とみなすこと、訴追の枠組み、検察の陳述など
本書は、ローターパクトこそ新世界秩序の父だとして、グロティウスと対比させている。
実はローターパクトは、戦後にグロティウス研究もしている。
グロティウスのことを批判しているが、評価している点もあり、それは国際法が成り立つには法システム全体の安定性が必要だ、ということを示した点。
単純に、戦争を違法化するだけではだめで、法システム全体を作り替える必要があった。
本書がローターパクトを新世界秩序の父だというのは、法システム全体を作り上げたから、そしてその要素は、グロティウスのそれと全く同じで、指し示す向きが反対だった、と。
補遺1では、「武力を用いる特権」から「征服する権利」「殺しのパスポート」「砲艦外交」「公平さなどの中立性」の4つが生じている図が掲載されていた。
こちらでは、全く同じ形の図で、中身が入れ替わっている。
すなわち「武力の禁止」から「征服の禁止」「侵略は犯罪」「強制された合意の禁止」「制裁は許される」の4つが生じている。
ローターパクトは、国連の国際法小委員会委員に任命され、武力による威嚇によって強制された条約は無効になる、という報告書を書いている(「砲艦外交」から「強制された合意の禁止」への転換9


ローターパクトは、ニュルンベルク裁判の影の立役者であるが、最初の公判以降、ニュルンベルクからイギリスへと帰国して、参加していない。
ローターパクト自身ユダヤ人で、姪以外の親族全員がホロコーストによって殺されている。ニュルンベルクではホロコーストの残虐性も追求されていたが、それに耐えられなくなったのではないかと。ただし、ローターパクトは自身の心情について書き残していない。

第三部 新世界秩序

第一三章 一九二九年以降、永続的侵略は激減した

第三部は、2014年ロシアによるクリミア侵攻の様子を描くことから始まるが、新世界秩序においてはこれは例外ケースであり、1928年以降、侵略が激減したというデータを示す。
領土変更がいつどのように起きたかというのを調べたデータセットがあって、筆者らはそのデータセットを足がかりに、侵略の数を数えた。
1928年以前、ある国が侵略を受ける確立は1年あたり1%強という頻度で侵略は起きていた(筆者は、人生の中で1度は侵略を受ける頻度と言い換えている)。
では、1928年でその数は減ったのか、というと、実は減っていない。ほぼ同じ頻度で起きている。激減するのは、第二次大戦が終わって以降である。
これは一見、不戦条約は侵略の減少に貢献していないことを示しているように見える。
しかし、そうではないという。第二次大戦以降、領土の返還が行われており、1928年の不戦条約以降に起きた侵略により変更があった領土が元に戻されている、と。不戦条約以降の侵略を、国際社会は承認していなかった。1928年以降の侵略は、軍事的には成功していたが、法的には成功していなかったのだ、と。
第二次大戦で連合国は新たな領土を取り込まなかった。その唯一の例外がソ連


第二次大戦以後、戦争が減ったのは事実として、その理由は果たしてパリ不戦条約をはじめとする国際法なのか。
政治学者の多くは、核兵器、民主主義や国際貿易が原因だと考えている。
しかし、筆者は、そうした考えは、戦争の違法化を見逃していると。

第一四章 国の数が増えたのには理由がある

征服されることがなくなったから。
大国や帝国でなくても存続できるようになった
これにより、保護貿易より自由貿易への道が開けた
また、国際機関の存在により、大国でなくても資源にアクセスすることが可能になった

第一五章 失敗国家の内戦

小国が存続可能になったことは、統治に失敗する国家の存続も可能にしてしまった。
武力行使が禁止されている以上、他国がそうした国に介入することも難しい。「新世界秩序」は国家間の戦争をなくす、ないし劇的に減らすことには成功したが、そのかわりに、内戦を増加させた。


「新世界秩序」は、武力による国境変更を認めないが、そもそも国境が曖昧な場合はどうなるのか。脱植民地化がすすめられるなか、旧宗主国による「線引きの曖昧さ」と「引き継ぎの失敗」が新たな紛争の種をまいた。
引き継ぎの失敗の例として、パレスチナが出てきている。


以前は、重視されていなかった(つまり、領有権があいまいでも問題なかった)小さな島が、急に価値をもつようになった。海の資源のため、また、防衛コストが低くなったため
南シナ海の「牛舌線(九段線)」(中国が領有を主張しているエリア)

第一六章 「仲間はずれ」という強制力

武力制裁ができない場合、どのように国際法に強制力を持たせるか。
それが「仲間はずれ」という方法で、本書ではその起源というか原型というかを中世アイスランドの制度に見ている
ブッシュジュニアが関税をかけたさいに、EUWTOに訴えを起こし、EUは報復関税を課すことによって、ブッシュは関税を取り下げざるを得なくなった。
これはいわばしっぺ返しだが、それができない場合もある。
例えば、トルコのキプロス侵攻、侵攻し返すというわけにはいかない。あるいは、オゾン層保護のためのフロンガス規制について、どこかの国が守らないことのお返しに、自国も守らない、ということをしたら本末転倒となる。
トルコのキプロス侵攻の場合、欧州評議会から追放するという制裁内容が、オゾンホール条約の場合、規制に参加しないと、原料を輸入できないというルールが効いた。
いずれも「仲間はずれ」を制裁とすることで、ルールを守らせることができた。
しかし、あまり効かない場合もある。
北朝鮮は既に経済制裁されまくりで、十分「仲間はずれ」にされてしまっているので、これ以上、追加の制裁しようがなくなっている。
また、ロシアのクリミア侵攻について、ヨーロッパもロシアに依存しているため、経済制裁が限定的。本書では、クリミア侵攻時のロシアへの経済制裁は、長期的な効果を狙ったものなので、長期的に続ければじわじわ効いてくるはずだ、という評価ではあった。
本書は2017年に刊行された本なので、それを念頭に置いて読まないといけないところである。

第一七章 イスラム原理主義は違う戦争を戦う

いわゆる「イスラム原理主義」の主導者となったサイイド・クトゥブの思想と生涯、ならびにその影響について論じられている。
(この章ではイギリスの三枚舌外交についてもページを割いて説明している)
そして、「イスラム原理主義」が、本書がいうところの「新世界秩序」と真っ向から対立するものであると論じている。
クトゥブは、1906年生まれで、1948年にアメリカへ留学するがそこで西欧文明の退廃を痛感する。エジプト帰国後、ムスリム同胞団に参加。獄中で書いた『道標』が、のちのイスラム過激派へ多大な影響を与える。
クトゥブの思想は、アラブ諸国ナショナリズムをベースに植民地から独立するぞー的なものでは全くない、と。近代西欧の国家システム自体を否定していて、国境を否定し、全世界がカリフの統治のもとに置かれることを目指す。
旧世界秩序において戦争は国家の権利であった。そして新世界秩序では戦争は罪となり禁止された。それに対して、クトゥブによれば、イスラムにとって戦争(聖戦)は義務である。
「新世界秩序」どころか「旧世界秩序」とも相容れない世界観である。例えば、「旧世界秩序」において国家が戦争する権利は、個人の自然権に由来するとされたが、クトゥブは自然権を否定する。主権は人にあるのではなく、神のみにあるのだとする。そしてだからこそ、聖戦は義務なのである。
クトゥブに影響を受けたテロリストとして、ウサマ・ビン・ラディンがいる。
また、イスラム国(IS)も、クトゥブの思想から影響を受けている。
ビン・ラディンのアルカイーダと、イスラム国は、その点で兄弟みたいなものなのだが、聖戦起こすタイミングがいつか、という点で対立していたらしい

終章 国際主義者たちを讃えよ

戦争は禁止された、がしかし、その後も戦争は起きている。
ということは、新世界秩序は失敗したのではないか、という疑問に対して、筆者は確かに新世界秩序にはうまくいっていない面があることを認める。
しかし、法秩序というのは全体がシステムとして機能するものであり、一カ所だけ直す、とかそういうことは難しいのだという。
その上で、旧世界秩序と新世界秩序とであれば、明らかに後者が望ましいのであるから、我々は後者を維持しなければならない、と。


失敗国家と内戦は悩ましい問題であるが、これに対する介入を、新世界秩序の元で合法化できるかといえば難しいという。
戦争は違法である、というルールに例外をつくるのは困難だ、と。
新世界秩序は、自衛を認めているが、これも武力侵攻があった際に限られるのであり、それ以上を認めてしまうと、防衛戦争の名の下に再び戦争が合法化してしまう。


ロシアのクリミア侵攻や中国の南シナ海での領有権主張、イスラム原理主義、トランプ政権にみられる自国第一主義といったことを、新世界秩序を脅かす危険として指摘している。
その上で、本書で取り上げた国際主義者たちの多くが、必ずしも著名な人物でも国を代表するような政治家でもなかったことを述べ、無名な者たち(つまり我々)が行動していくことで新世界秩序は守られるのだ、というようなことを結びとしている。

感想

繰り返しになるが、本書は2017年に刊行された本である。
その時点で既に、ロシアやトランプの危険性が明らかになってきていたこともあり、本書はそのような危機感の中でそれらに対処する方向性を示すべく書かれたようである。
そして2025年現在、その危機感は全く杞憂ではなかったばかりか、いよいよ「新世界秩序」を脅かす危険性は高まっていると感じずにはいられない。
本書は、イスラム国とその思想的背景について一章を割いている。自分はクトゥブという人を全然知らなかったし、イスラム国とアルカイーダの相違なども含めて、とても勉強になる章だった。
ただ、イスラム国の危険度評価についていえば、2017年と2025年ではだいぶ変わってしまったところがあると思う。
もちろん、クトゥブの思想に連なる過激派組織がまたいつ何時現れるかは分からないので、全く過去の物になってしまったとはいわないが。
それに対して、(中国のことはいったん保留するとして)2025年現在、世界にとって喫緊の課題は、明らかにロシアとイスラエル、そしてアメリカである。
ロシアもイスラエルも自衛を理由とはしているが、「新世界秩序」が許容するような自衛の範囲を大いに逸脱しているのは明らかだ(そしてこのロジックを最初に用いたのは、大量破壊兵器を名目にイラクを攻撃したアメリカだ)。しかし、国際社会は、彼らの行動を止める有効な手段を現状とりえていない。
「新世界秩序」に対して、大きな罅が入り始めているように思えてならない。
本書は、中露の動きを警戒しつつも、しかし「新世界秩序」の代替になるような新たな法秩序を示し得ていないことをもって、必ずしも秩序が移行しつつあるとは捉えていないようである(本書がイスラム国を強く警戒していたのは、その是非や妥当性は別として、彼らが新たな国際的な法秩序観を持っているからであろう)。
しかし、例えばトランプの言動は「旧世界秩序」と呼んでも差し支えないものだろうし、ウクライナ戦争や近年の中東情勢は、「新世界秩序」から「旧世界秩序」への揺り戻しを図ろうとしている事態といえそうである。
ロシアやイスラエルの所業、あるいはアメリカによるイラン核施設攻撃は、国際法違反であり、これまでも批判されてきたし、これからも批判していなければならないが、ここでいわれている国際法体制というのは、70年維持されてきたものである。逆に言えば、たかだが70年の歴史しかないものである、ということもまた意識しなければならない、と改めて思い至った。

*1:気になってWikipediaを見てみたら、ヨーゼフ・ピラティスというドイツ人が創始者らしい。ピラティスは1925年にアメリカへ移住しているが、それ以前、確かにワイマール時代のドイツで活動していたようだ。しかも、その際、舞踏家のラバンと関わりがあったようだ。ここで出てくるのか、ラバン。ラバンについては最近岡崎乾二郎『抽象の力』(一部) - logical cypher scape2でトイバー=アルプの師として言及があった