スティーブン・ミルハウザー『私たち異者は』

日常の中に紛れ込んだ奇妙なものを描くミルハウザーの短編集
原著は2011年
標題作をはじめ「私たち」という一人称複数形を使う語りによる作品が多く(7作中5作)印象的だった
帯にも引用されている訳者あとがきに「ミルハウザーといえば「驚異」がトレードマークとなってきたが、この短編集では驚異性はむしろ抑制され」とあるように、大掛かりな仕掛けのようなものはないが、「ミルハウザーってこんな作品も書くのか」というよりは「ミルハウザーっぽい作品だなあ」と思わせるものばかりだった。
ミルハウザーっぽいとは何か、というと難しいが……


スティーヴン・ミルハウザー『バーナム博物館』 - logical cypher scape2
スティーブン・ミルハウザー『魔法の夜』 - logical cypher scape2
スティーブン・ミルハウザー『三つの小さな王国』 - logical cypher scape2
スティーヴン・ミルハウザー『マーティン・ドレスラーの夢』 - logical cypher scape2
スティーブン・ミルハウザー『十三の物語』 - logical cypher scape2
最近どうも年1くらいのペースでミルハウザーを読んでいるのだが、新刊も年1のペースで出ている模様。18年に出た本を19年に、19年に出た本(これ)を20年に読んでおり、ちょうどこのタイミングでまた新刊が出ているっぽい。
なお、邦訳された既刊でまだ読んでないものは他にもある。「ミルハウザー全部読むぞー」と思っていたわけではなく「ちょっと読んでみるか」「あ、面白いからもうちょっと」みたいな感じで読んでいたので。


ミルハウザーは、20世紀初頭くらいを舞台にした作品も多いが、この短編集の作品はいずれも現代を舞台にしているっぽい(というかあまり年代を明らかにはしていない)が、何となくアメリカの白人中流階級の社会が前提になっている風なところはある。それについてのよしあし自体は自分には判断できないが、読んでいて不意にそれが気になってしまうこともある。

平手打ち
闇と未知の物語集、第十四巻「白い手袋」
刻一刻
大気圏外空間からの侵入
書物の民
The Next Thing
私たち異者は

私たち異者は

私たち異者は

平手打ち

とある郊外のベッドタウンに、突如、無差別平手打ち犯が現れる。不意に現れ、平手打ちをして去っていく謎の男
次々と、様々な住民が被害に遭っていく過程が断章形式で書かれるとともに、一連の犯行に対する住民たちの反応や憶測が「私たち」という一人称で語られる。
「私たち」の「私」が誰かは特定されないで進むのが、単数形の一人称とも三人称とも違う雰囲気を語りに与える。
この街の住人たちという集合が、主人公であり語り手になっている。

闇と未知の物語集、第十四巻「白い手袋」

タイトルにある「闇と未知の物語集」が何なのかはよく分からず。
男子高校生の「僕」は、エミリーという女の子と仲良くなり、彼女の家によく遊びに行き、彼女の両親とも親しくなるような関係を築くのだが、ある時から、彼女は突然左手に白い手袋をするようになる。
何故白い手袋をするのが、彼女も彼女の両親も教えてくれない。その秘密が、僕と彼女の間の隔たりになっていく。

刻一刻

奇妙な要素が全くない作品なのだが、読んでいてとてもミルハウザーみを感じた。
これも人称が独特
9歳か10歳の「こいつ」が、家族とともにキャンプに来て、川に泳ぎに入る瞬間までをそれこそ「刻一刻」と描いた作品
待ちわびた瞬間がやってくることに期待を膨らませつつ、むしろ、それが訪れてしまうとあとは終わっていく一方であるので、来ないでくれ、出来るだけ遅らせてやれ、という心情が描かれている。
大したイベントも起きない、それほど長くもない時間(半日程度)を、やや大仰な感じもする心情描写とともに克明に描いていくところに、ミルハウザーみを感じているのかもしれないし、いわゆる文学と呼ばれる小説の面白さの一端もある気がする(例えば磯崎憲一郎とか)。

大気圏外空間からの侵入

「刻一刻」とこの作品が、この短編集の中でももっとも短い気がする。ショートショートっぽい
ある時、地球にUFOが訪れ、すわ未知との遭遇か、となるのだけど、黄色い粉が降ってくるだけという、肩透かし感のあるものだったという話
これもまた「私たち」という、街の住人たち全体が語り手になっている。

書物の民

13歳になった学徒たちに、我等書物の民の秘密を教えるスピーチ

The Next Thing

この短編集の中でもっともミルハウザー的「驚異性」の高い作品かもしれないが、訳者あとがきにある通り、ある種のリアリズムがあり、寓話っぽくもなっている。
この作品もまた「私たち」という複数形の一人称が使われているが、主人公かつ語り手として1人の人物が明確に特定されている。作中でも「私」という単数形の一人称の方がよく出てくる。
The Next Thingという施設が建てられる。当初、目新しいショッピングモールみたいな感じで現れる。
一階にはたくさんのブースがあり、エスカレーターで地下に降りると、巨大な商品棚がずらりと並んでいる。違うところも多いけど、何となく着想源はIKEAなのかなと感じるとこがあった。
The Next Thingは単なるショッピングモールではなくて、次第に地下に街を作り始める。どことなくマーティン・ドレスラーっぽいというか、ミルハウザーの他作品を彷彿とさせる。
で、今の仕事よりもっといい仕事ありますよと斡旋され、転職し、地下に移住してくる(というかさせられてくる)
The Next Thingの上級職はむしろ地上に引っ越してきて、元々地上に住んでいた中級・下級職の人(「私」もその中の1人)は家を売って、地下の賃貸に暮らすようになり、もっといい仕事ありますよと言われていたはずなのに、以前よりノルマのきつい仕事させられている、という辛い話(まあでも地上にいた時も大変だったし、時代が変わっただけ、と主人公が受け入れているあたりもつら)
ただ、The Next Thing自体は、地下に巨大なショッピングセンター作って、さらに街を作ってといつところにワクワク感があり、読んでいて楽しい

私たち異者は

主人公のポールはもともと50代のバツイチ男性開業医だったのだが、突然死して「異者」となってしまう
作中では一貫して「異者」と称され、決して「幽霊」という言葉は使われないのだが、有り体に言ってしまえば、異者というのは幽霊のことである。
で、40代の陰キャ独身女性モーリーンの家の屋根裏に入り込み、そしてどうも彼女に気に入られてしまい、不思議な共同生活が始まるのだが、やはり陰キャの彼女の姪が遊びに来て、崩壊していく。
「私たち異者」は、「あなた方」つまり生者に対して強い好奇心や欲望を抱いているのだけど、それは生者同士の間にあるそれとは全く異質のもので、自分たちがもう持ちえない性質へと昏い憧れのようなものなのである。
これ、モーリーン視点だと、孤独な生活送ってたら家に謎の気配がするようになり、怖っと思ったら、よさげな男性だったのでむしろ嬉しくなってきたのだが、姪にちょっかいを出し始めて「は、何それ? 死んでやる」という話にもなり、三角関係メロドラマ的な話でもあるのだが、ポールの方は「自殺できるなんていいね」(なお女性の自殺自体は失敗する)とか「私たちは有害なんだ」とか、そういうようなこと言って逃げだすというウジウジした感じの話だが、でも最後の私たちに近づくなという旨のことを叩きつけてくる文章は小気味よい感じの終わり方ではある。