更科功『化石の分子生物学』

古代DNAの研究についての本
研究手法や研究史を中心にしつつ、様々なトピックに触れていくスタイルのため、あまり系統だってはいないが、それなりに読みやすいと思う。
まだ、それなりに新しい分野(まあ30年くらい)であり、この本であげられている事例についていうと、成功例よりも失敗例の方が多いくらいなのだが、どうしてそのように判断したのかということが書かれており、科学的な事実だけが書かれた本なのではなく、科学という営みがどのようなものであるか書かれた本であるともいえる。
(結局、古いものを扱っていることもあり、状況証拠をつみあげてこれなら信頼できるだろ、とか、いややっぱ怪しい、とかやっていくわけで、結果的にはコンタミだった事例でも、なんで発見者が「これは本物の古代DNAだ」と判断したのか、そしてなんでやっぱり信頼できないことになったのかということが書かれている)


本の内容をまとめていて改めて気付いたのだが、この本、各章のつかみ自体はキャッチーで入りやすい感じなのだが、中に入ってみると結構濃密だということ
わりと薄めの本(新書としてはまあ普通)で、初心者向けに噛み砕いた表現もある一方で、結構ぎっしりつまっている感じがする。
古生物学で分子生物学なので触れていて当然ではあるけれど、分岐学や中立進化についてもコンパクトに説明している。個人的には、最近読んできた他の本で得た知識とのつながりができて楽しかったが、人によっては、話があちこちに飛んでしまって難しく感じるかもしれないとも思った。


第1章 ネアンデルタール人は現生人類と交配したか
第2章 ルイ十七世は生きていた?
第3章 剥製やミイラのDNAを探る
第4章 縄文人の起源
第5章 ジュラシック・パークの夢
第6章 分子の進化
第7章 カンブリア紀の爆発
第8章 化石タンパク質への挑戦

第1章 ネアンデルタール人は現生人類と交配したか

化石から古代DNAを抽出する方法や、コンタミの話
・他の生物からの混入
ヒトのDNAと比較して確認(ネアンデルタール人はヒトと近縁なので
・ヒトからの混入
Y染色体特有の塩基配列を調べて、男性からの混入率を調べる
ネアンデルタール人のDNAと現生人類のDNAを比較→アフリカ人は共有が少ない、ヨーロッパ人とアジア人は共有の度合いが大きい、ただしその度合いは同程度→西アジアで交配があったとみられる

第2章 ルイ十七世は生きていた?

DNAの塩基配列をどのように決定するか
サンガーが考案した「ダイデオキシ法」の説明がメイン
それから、ミトコンドリア・イブの話
ミトコンドリア・イブはあくまで、ヒトの持つDNAの二十万分の一の部分についてだけ「全人類の母」なのだ。(p.55)」(ミトコンドリアDNAを受け継いでいても、核DNAは全く受け継いでない関係とかもある)
「「二十万年前にはミトコンドリアDNAにいろいろな種類があったが、現在はそのうちの一種類しか残っていない」のだが、その一種類の中で進化がおこって、現在ではいろいろな種類のミトコンドリアDNAになっているのだ。」「かならずいつの時代にも、地球上のすべての女性の中にひとりだけミトコンドリア・イブがいるのだ。」(p.56)
これを読んで、自分がミトコンドリア・イブについて全然理解していなかった、ということが分かった。

第3章 剥製やミイラのDNAを探る

古代DNA研究の始まり
1984年 ラッセル・ヒグチら→クアッガの剥製
生きている動物の組織からのDNAの抽出方法(細胞を溶かす→タンパク質を取り除く→低分子を取り除く)
1985年 ペーボ、エジプトのミイラから抽出
→しかし、現在ではコンタミだとされている
クアッガとミイラの違いは?
・DNA断片の長さ
クアッガ:約120塩基対
ミイラ:約3400塩基対
長いのは不自然
・DNAの由来
クアッガ:ミトコンドリア
ミイラ:核
ミトコンドリアDNAは一つの細胞にたくさんある、核DNAは一つだけ。残ってる確率は前者の方が高い
・気温
エジプトの方が暑い
・再現性
ミイラは再現実験がなされていない

第4章 縄文人の起源

PCR=DNAを簡単に増幅する方法
(プライマーという短いDNAを入れて温度を上げたり下げたりすると、ターゲットのDNA列が倍々に増えてく)
ペーボ、7000年前の人骨に残っていた脳と思われる組織に対して、PCRを使用
宝来聰、縄文人の骨からDNAを抽出
骨の大部分はリン酸カルシウムで、DNAの量が少ない→PCRを使えばいい

第5章 ジュラシック・パークの夢

1990年『ジュラシック・パーク』出版(当時一番古いとされた古代DNAは1万3000年前のもの)
同年 2000万年前のモクレンの化石から古代DNA発見
1992年 コハクの中のシロアリから古代DNA発見
1994年 8000万年前の恐竜化石からDNA発見
ジュラシック・パーク』というフィクションと現実が交錯していた時期
しかし、後にこれらはコンタミだということが分かる

アイダホ州クラーキア化石床という、植物化石の有名なところ
緑色をした葉すら見つかる
モクレン以外の植物からも見つかる

  • コハクについて

樹液は脱水作用と防腐作用があり、エジプトのミイラ作りにも使われる。つまり、コハクは天然のミイラ製作所
ミトコンドリアのクリステの構造(100ナノメートル以下)すら保存されている
シロアリだけでなくハチのDNAも発見
1億2000万年前のゾウムシからも

  • 恐竜について

幼い頃から恐竜少年であった遺伝学者ウッドワード
化石と周囲の砂岩両方からサンプルを作り、コンタミがないかを確認し、ミトコンドリアDNAをPCRで増幅
6つの領域で増幅したが1カ所でしか成功しない→これはDNAがダメージを受けている証左であり、新しいDNAではないから、コンタミではないと判断
ところが、塩基配列を決定して、現生の他の生物と比較したところ、鳥やワニと特に近いということがなかった

  • 分岐学について

この章では分岐学についての簡単な解説ものっている
つまり、系統的に近いという際には、単に共有している形質が多いということではなくて、共有している派生形質の数が多いということ。何が原始性質で何が派生形質かは外群と比較して決める
「似ている」=「系統的に近い」というわけでは、必ずしもない


ウッドワードが抽出したDNAについて、系統解析が行われる
→一番近いのは、人間のミトコンドリアDNAだった

生物のアミノ酸は、キラリティについてL体だけだが、死後は、次第にL体とD体が半々の状態になっていく=ラセミ
ポイナー→ラセミ化の進行と古代DNAが残っているかどうかということの間に相関関係があることを見つける
(DNAの材料はヌクレオチドアミノ酸はタンパク質の材料なので、アミノ酸が壊れているからといってDNAが壊れていることにはならないが、そのサンプルの保存状態を示す指標になり、実際、相関がある)

  • 恐竜化石のDNA

セミ化の程度を調べると、古代DNAが残っていることについてほぼ絶望的な値

  • クラーキア化石床のDNA

保存状態の信憑性を疑うのに十分な結果

  • コハクのDNA

DNAが残っている可能性のある値

  • コハクDNAの追試

ウォールデンとロバートソンの追試
→いくらPCRしても増幅せず
→感度をあげたところ増幅に成功、しかし、ハチだけなく人間や魚の遺伝子も増幅
DNAは、机の上や空気中などいたるところにあるため、感度をあげると環境中のDNAを増幅してしまう
ウッドワードは3000回もPCRを行った。それだけの努力をした。しかし、3000回もやってしまったからこそ、関係ないDNAが混入してしまったともいえる




第6章 分子の進化――現在の人間は進化しているか

この章は、ほぼ中立進化の説明
形態の進化が断続的・進化速度が一定ではないのに対して、分子の進化速度がほぼほぼ一定であること(分子進化時計)
あと、種分化が島嶼化などの地理的隔離、というか集団の中の個体数が減ることで起きるという説明があった*1
自然選択と遺伝的浮動
分子進化について、進化速度が速いことと遺伝的な多型が多いことの2点から、木村が自然選択ではありえずと考え、中立説を提唱したこと
中立説:k=v(中立な進化において、進化速度は突然変異率に等しい)
ただし、ここからすぐに、進化速度の一定性が導かれるわけではない
実は、分子進化の進化速度は完全に一定なわけではなく、2〜3倍の変化がある。
それは、完全に中立というわけではなく、微妙に有利だったり不利だったりする変異があることと、突然変異率自体も完全に一定というわけではないから。
しかし、形態の進化速度に比べれば、圧倒的に一定していて、十分役に立つ


ちなみに、この章のサブタイトルとなっている問いに対しては、
現在の人間に、自然選択は働いてないだろうけど、分子進化はずっと一定速度で起きてるよね、と答えているのだけど、その説明の中に、さりげなく、ラマルクの自然発生説とダーウィンの共通祖先説との違いの説明を入れ込んでいる。

第7章 カンブリア紀の爆発

前口動物と後口動物:原口が口になるのが前口動物、肛門になるのが後口動物(人間はこっち)。左右相称動物を二分する区分で、カンブリア紀でこれらが分岐したことが分かれば、実際にカンブリア紀から動物が繁栄し始めた証拠にもなるはず
ラネガー
ヘモグロビンのα鎖とβ鎖の進化速度が一致していることを確かめる→α鎖とβ鎖はそれぞれ別個に変異しているので、速度が一致しているということは、速度が一定であるといってもよい
化石記録などを使って、時間の基準を入れる
→前口動物と後口動物のヘモグロビンのアミノ酸配列の違いから、分岐時期を推定する
→9〜10億年前
ちなみに、カンブリア紀爆発は5億3000万年前
その後、後続の研究が続くが、6億とか11億とか8億とか。バラバラなのは、分子の進化速度は一定とはいえ、2〜3倍の違いがあるから。
問題はむしろ、いずれの結果をとってもカンブリア紀よりも古いこと
この遺伝子の多様性と形態の多様性の時間差については、土屋健『エディアカラ紀・カンブリア紀の生物』 - logical cypher scapeにも言及があるし、また、宮田隆『分子からみた生物進化』 - logical cypher scapeでは説明を試みている
本書では、明確な説明はないが、この流れでエディアカラの生物群、あるいは微小貝殻様化石群やクラウディナといったカンブリア紀爆発以前の硬組織をもった生物への言及がある。このあたりは、やはり土屋健『エディアカラ紀・カンブリア紀の生物』 - logical cypher scapeにも載っている
カンブリア爆発の理由として、捕食者の存在
カンブリア爆発による特徴として、硬組織の発明

  • カンブリア爆発の時期に実際に働いた遺伝子を明らかにする、という筆者自身の研究について

現生の動物の遺伝子から、当時、貝殻を作るのに使われていた遺伝子を突き止める
現生の脊椎動物と軟体動物の両方にその遺伝子があれば、共通祖先も同じ遺伝子を持っており、共通祖先と現在の途上にいるカンブリア紀の軟体動物もその遺伝子を持っている→ダーマトポンティンというタンパク質を、どちらも持っている
ダーマトポンティンを、カンブリア紀でも使っていたか
遺伝子重複によって、ヒラマキガイは2種類のダーマトポンティンを持っていて、その片方が貝殻形成に使われる
アワビや二枚貝は、ダーマトポンティンを1種類しか持っておらず、貝殻形成に使っていない
ダーマトポンティンは中生代以降、貝殻形成に使われていたことがわかった
つまり、カンブリア紀に使われていたものではなかったわけだが、貝殻形成の仕組みの進化について調べてみると、独立に何回か進化していたらしい
つまり、硬組織自体は、結構簡単に作れるようだということが分かった


第8章 化石タンパク質への挑戦

2005年、ティラノサウルスの血管や赤血球が見つかったという報告
シュバイツァー:タンパク質、特にコラーゲンが存在しているかどうかを確かめる
(タンパク質が残っていたら、ほんものの血管・赤血球である可能性も高い)
免疫反応を使う→確かにコラーゲンはあるっぽい
本当にティラノサウルスのものか→質量分析計でアミノ酸配列を決定→短すぎてなんともいえない
その後、シュバイツァーは、ブラキロフォサウルスの化石からも有機物を発見
ティラノサウルスの時よりも長いアミノ酸配列
しかし、怪しいところもある。
とあるタンパク質について、現生の鳥の骨よりも反応する。さすがに、現生の骨より恐竜の化石の方にたくさん残っているのは怪しい
また、脱アミドがそれほど進んでいないという点も怪しい
シュバイツァーは、マストドンについてもコラーゲンのアミノ酸配列を報告しているが、こちらは受け入れられている。60万年前程度で、恐竜よりはるかに新しいから。


化石の分子生物学 生命進化の謎を解く (講談社現代新書)

化石の分子生物学 生命進化の謎を解く (講談社現代新書)

*1:人類史において、個体数が減ったときに変異が広がったという話は読んだことがあるしhttp://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20141106/p1:tiitle=、ここでもホモ・サピエンスがホモ・ハイデルベルゲンシスから分かれたことの説明としてなされている。ところで、そういえば種分化の話ってあんまりよく知らないなと思ってWikipedia見てみたら、断続平衡説について「ただし種分化と形態の進化的変化は同一ではない。」と指摘されていたり、「種分化メカニズムの解明への一歩を踏み出したのはエルンスト・マイヤーであった。」という記述があったりした。また、種分化にも色々なパターンがあるみたい。種分化 - Wikipedia