https://www.jstage.jst.go.jp/article/bigaku/75/1/75_49/_pdf/-char/ja
『美学』264 号(2024年7月)
去年のものだが、最近読んだ(刊行を知ったタイミングだとまだオンラインで公開されていなかった気がする。待っているうちに忘れていて、最近オンライン公開されていたことに気付いた)
ブクマでもよいのだが、ブログに書いておくことにした。
フィクション観賞における情動的反応について、既存の「キャラクター共感説」「意図説」「類似説」を検討したのち*1、ギルモアによるデザイン説を紹介し、これにジャンルの観点を踏まえるなどの修正を加えている。
岡田による、ギルモアのデザイン説の紹介は、2024年2月に関西学院大学で行われたWSでもなされており、以下がその時の資料となる(自分はこのWSに参加していない。あとから資料だけ見た)。
https://researchmap.jp/shinokada/presentations/45570521/attachment_file.pdf
ギルモアは、情動的反応を引き起こすものとして「芸術的デバイス」というのがあって、さらにその例として「感情ヒューリスティック」「情動的感染」「視点」をあげているという
この「芸術的デバイス」の話は面白そうだな、と思う。
そこを紐解こうとすると、哲学というよりは、個別のメディアごとの研究になりそう、という感じもするけど、それも含めて面白い。
ググっていたら、ギルモアの当該書籍について、高田さんがブログで紹介していた。
この記事、当時見た記憶はある。
https://at-akada.hatenablog.com/entry/2023/12/22/220057
フィクションによる感情と、日常での感情は、別物だけど、ウォルトンのように種類が異なるというのではなくて、規範が異なるとするということかー、なるほど
ところで、このギルモアの本が気になったのだけど、kindleでも1万円越えしていてちょっと……。
「なぜ存在しないものについて語るのか」
『美学』265号には、岡田さんの第75回美学会全国大会の発表要旨も掲載されていた。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/bigaku/75/2/75_98/_pdf/-char/ja
こちらもフィクションの情動についての話だが、そこから、フィクションの中の非虚構文にも射程を広げている。
フィクションの観賞態度を、虚構性に気付きつつ注意しない態度、と考えるもの
これ、不信の宙吊りとかとどう違うんだろ?
岡田さんの過去の奴
researchmap眺めてて見かけた
https://researchmap.jp/shinokada/presentations/48523430
このスライドは、以前眺めたことがあった気がする。
- 「物語におけるストーリー─関心相対説─」(『美学』261号)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/bigaku/73/2/73_13/_pdf/-char/ja
これ読んだことなかった。
ストーリーという存在者について、高田さんの論文があったけど、その高田説も含めていくつかの先行研究を批判している。
ストーリーとは何か、を存在論的な問題ではなく、認識論的な問題として捉え直す。高田説含む先行研究は、存在論的な問題として解こうとしたのが間違い、と。
ディスコースに先立ってストーリーが存在するのではなく、ストーリーはディスコースから関心に応じて構成される、というのは、確かに、納得のいく話で、我々の実践にも沿っている。
アダプテーションの話をするときの基礎となる話。
関心相対説、基本路線としてはよいとして、もう少し深掘り(?)できそうな
これだと、ストーリーは人それぞれ、みたいにもとれる。実際、ある面ではそういうこともあるとは思う。
ただ、「この作品はあの作品の映画化作品なのでストーリーは共有してるよね」という判断は多くの人に共有されていて、それはつまり、多くの人が同じ関心を共有してる、ということかな、と思う。
で、映画化にあたっては異なるところももちろんあって、そこが気になる人にとっては、別物なんだけど、そうだとしても、やはりある面では同じだ、というのは共有されるはず。
アダプテーションって、この、ある面では同じだけど、ある面では違う、みたいなのをうまく定式化するのが難しいなと思って。
関心相対説はいい感じだな、と思うけど
岡田さんについては、以前、以下のも読んだ。
『ユリイカ2023年11月臨時増刊号 総特集=J・R・R・トールキン』 - logical cypher scape2
フィクションってのは作り物・拵えものであって、現実とは違う、というのがやっぱりフィクションの特徴であって、芸術的デバイスとか不連続性とか、あるいはストーリーはディスコースに先だって存在してるわけではない、とかってそういうことだと思うし、そこが共感できる。
*1:これら3つは、表出についての諸説と対応しているのかな、という気がした。違うところもあるけど