須田桃子『合成生物学の衝撃』

『日経サイエンス』の合成生物学記事 - logical cypher scape2に引き続き、合成生物学の勉強
毎日新聞科学環境部の記者である筆者が、ノースカロライナ州立大学に留学し*1、取材したルポ
合成生物学の研究史・研究内容について書かれているが、生物兵器開発やデュアルユースと合成生物学の関係について特にページを割いている印象


キー・パーソンが何人か出てくるが、特に中心になるのは、クレイグ・ベンターだろう。
ヒトゲノムの解読を行ったセレラ社の設立者で、この本でも、ヒトゲノム計画の頃から遡り、合成生物学への流れが書かれている。
また、彼のミニマル・セルの研究が、人工細胞を生み出したことが書かれていて、ここらへん面白い。この研究が2010年で、ピーター・D・ウォード『生命と非生命のあいだ』 - logical cypher scape2は2008年なので、ウォードの本では全然出てきていなかったと思う。上述の日経サイエンスだと、2010年9月号に少し載っていた。自分のブログ記事には「ラルティーグ(Carole Lartigue)とスミス(Hamilton Smith)らは細菌のゲノムをゼロから作って,これをある微生物に導入することで別種の微生物に変えた。」 とだけ引用したけど、この2人は、クレイグ・ベンター研究所のメンバー。

第1章 生物を「工学化」する
第2章 人工生命体プロジェクトはこうして始まった
第3章 究極の遺伝子編集技術、そして遺伝子ドライブ
第4章ある生物兵器開発者の回想
第5章 国防総省の研究機関は、なぜ合成生物学に投資するのか?
第6章 その研究機関、DARPAに足を踏み入れる
第7章 科学者はなぜ軍部の金を使うのか?
第8章 人造人間は電気羊の夢をみるか?
第9章 そして人工生命体は誕生した

合成生物学の衝撃

合成生物学の衝撃

プロローグ わたしを離さないで

「合成生物学」という言葉を最初に使ったのは、20世紀初頭フランス人の医者ステファヌ・ルデュルック
1978年、ポーランドの遺伝がk須屋ヴァツワフ・シバルスキが、現在のような意味で「合成生物学」という言葉を使っている。
が、実際に本格的に研究が始まるのは、ここからさに20年後のこと

第1章 生物を「工学化」する

合成生物学発祥の地であるMITの話
MITのトム・ナイトは、元々、電子工学・コンピュータ科学を専攻していたが、1990年代初頭にムーアの法則はいずれ限界に達すると考え、分子生物学を学び始める
DNA部品の規格化「バイオブリック」を考案
そこに、若き研究者ドリュー・エンディが合流する。彼は、学部生時代に土木工学を専攻したのち、大学院で分子生物学を専攻していた。やはり、工学の発想で生物を考えていた。
MITは、冬休みに自主活動期間と呼ばれるものがある
ナイトは、かつてMITで開講され、のちにコンピュータチップの開発へとつながったと言われているVLSI設計の講座を参考にして、合成生物学講座を、この自主活動期間に開講する
学生たちに、人工DNAの設計図を書かせて、それを合成会社に発注し、大腸菌に組み込んで、設計した回路が機能するか実験する
この講座は、のちに「iGEM」となる
バイオブリックは、学生向けのもので実用的なものではないという批判もあるが、エンディはこれを「生命をプログラミングするための言語」だと述べている。

第2章 人工生命体プロジェクトはこうして始まった

第1章で紹介したMITの流れとは別の、合成生物学もう一つの潮流、クレイグ・ベンターについて
NIH(国立衛生研究所)という「科学者の楽園」というべき研究所で、ヒトゲノムプロジェクトへと関わったベンターは、解読方式でジェームズ・ワトソンと対立していく。
1992年、ワトソンもベンターもNIHを辞める。ベンターはバイオベンチャー投資家からの申し出を受けて、非営利の研究所「TIGR」を設立。さらに1998年には、セレラ社を設立することになる。
ベンターは、ヒトゲノムプロジェクトを通じてかなり毀誉褒貶の激しい人物だったらしい。
この時期のセレラがどうのこうの、というのは自分もうっすらと記憶がある。
このゲノム解読研究を進めている時期に、ベンターは、ハミルトン・スミス、クライド・ハッチソンと出会う
彼らは、インフルエンザ・ウイルス、マイコプラズマ・ジェニタリウムのゲノム解読を行う
彼らが探求していたのは、「ミニマル・セル」であり、生命を生命たらしめる最小の遺伝子セットである。
マイコプラズマ・ジェニタリウムは遺伝子の数が最小と考えられていたが、生命にとって必須な遺伝子セットは何なのか、完全に確かめることができない。ベンターらは、それを人工的に組み上げて確かめられないかという計画を考え始める。
ヒトゲノム計画が完了する直前の1999年、ベンターは、ゲノムを「読む」のではなく「書く(合成する)」ことを目標に、ミニマルセルプロジェクトを立ち上げる

第3章 究極の遺伝子編集技術、そして遺伝子ドライブ

合成生物学にとって重要な技術である「CRISPER-Cas9」と、「遺伝子ドライブ」というアイデアについて
ケビン・エスベルトは、「CRISPER」と「遺伝子ドライブ」とを組み合わせることを考え出す。
「遺伝子ドライブ」とは、特に有利になる形質ではないのに50%以上の確率で子孫に受け継がれる遺伝子が、ある集団中に広がっていく現象である。
エスベルトは、染色体の中にCRISPERシステム自体を組み込むことで、人為的に遺伝子ドライブを発生させる手法を作り出す。
これは、マラリアを媒介する蚊の撲滅や外来生物の駆除に力を発揮すると考えられている。
つまり、不妊遺伝子を遺伝子ドライブさせることで、集団全てが滅びる。
実験室レベルでは成功しているが、まだ環境への投入はされていないし、エスベルト自身もこれについては慎重な立場ではある。
実際にどのような影響がでるかは分からないという問題があるが、そもそも設計通りに機能したとしても、影響力がとても強いのは明らかだろう。
筆者は、ここから、合成生物学と生物兵器の関係へと取材を進めていく

第4章 ある生物兵器開発者の回想

まだ、合成生物学という言葉がなかったころ、ソ連では、合成生物学的な手法によって細菌兵器の研究が行われていた。
第4章は、実際にソ連生物兵器研究に携わり、ソ連崩壊後に渡米したセルゲイ・ポポフという研究者へのインタビューとなっている。
細菌とウイルスを組みあわせて、高い病原性をもつ細菌を造ったり
あるいは、エンドルフィン(痛みを和らげる)を大量に分泌する細菌を作り、兵士を強化(エンハンス)するという研究もあったらしい(エンドルフィンの大量投与は、逆に麻痺などをもたらして兵士の強化にはつながらなかったようだが)
それから、機密研究について。隠語の使用とか、他の部署がなにやってるかわからんとか、結局、機密でやってると非効率だったとか
当時、アメリカは生物兵器開発をやっていなかったらしいのだけど、アメリカはソ連に作れるわけないだろと思い、逆にソ連アメリカも作ってるに違いないと思っていたらしい

第5章 国防総省の研究機関は、なぜ合成生物学に投資するのか?

合成生物学へのアメリカ政府の出資に関するレポートの中で、2012年以降最大の出資機関となっているのがDARPA
この章では、DARPAについての概略・歴史と、DARPAが合成生物学に出資するようになった経緯について触れられたのち、軍事予算による生物学研究を批判している、カリフォルニア大学の分子生物学者キース・ヤマモトへのインタビューがなされている。
いわゆる「防衛目的」とされているが、それが攻撃目的へ「応用」される可能性や、そもそも公開されていない予算があり、そこで何が行われているか分からないという指摘
合成生物学が、兵士の強化(エンフハンスメント)に使われるのではないかという推測

第6章 その研究機関、DARPAに足を踏み入れる

筆者は実際にDARPAを訪れ、合成生物学に関わる、室長、プログラム・マネージャー、広報担当者への取材を行う。
ここではもちろん、DARPAのいわば「口当たりのよい」公式見解が聞かされるわけだが、機密研究についての質問に対して担当者が明言しないなど、ところどころ緊張感のあるやりとりもあったりする。

第7章 科学者はなぜ軍部の金を使うのか?

筆者の留学先であるノースカロライナ州立大学の研究所でも、DARPAのプロジェクトへの応募が行われた。研究所の中でもこれに参加する者としない者とに分かれた。
筆者はそれぞれの立場の研究者にインタビューする。
いずれの立場も、それぞれに悩んだうえでの決断であることが書かれている。
また、遺伝子ドライブの生みの親であり、それの応用に慎重であったエスベルトが、DARPAのプロジェクトに応募していたことが分かり、筆者はエスベルトにも話を聞く。
エスベルトは、軍部の予算が合成生物学に使われることで、ミサイルなどの開発の予算を減らせるのだという理屈を語る。一方で、若手研究者として研究室を率いるプレッシャーや、上司らからの説得、そして公募にあたってDARPAからの働きかけがあったらしいことも、筆者は書いている。

第8章 人造人間は電気羊の夢をみるか?

2017年にキックオフした「ゲノム合成計画」について
ヒトゲノム計画が、ゲノムを「読む」計画だったのに対して、こちらは「書く」ことを目指す。
マンモスの復活を目指す計画を率い、エスベルトのかつての師匠であり、合成生物学分野では大きな存在であるジョージ・チャーチらが、この計画のリーダーとなっている。
この章では、この計画をめぐる顛末が描かれている。
元々、この計画は「ヒトゲノム合成計画」という名前だったが、様々な批判から「ゲノム合成計画」と「ヒト」を削ってのキックオフとなっている。
この計画が、ある種、拙速に進められているのではないか、また、少なくとも計画の当初、秘密裏に事が進められていたのではないか、といった懸念や批判が、他の研究者から出ている。

第9章 そして人工生命体は誕生した

ヒトゲノム計画を牽引しながら、ゲノム合成計画では全く姿を見せないクレイグ・ベンターのもとを筆者は訪れる
ベンターは、2006年にクレイグ・ベンター研究所を設立している
ミニマル・セルプロジェクトを進めるため、ベンターは「DNA合成チーム」「ゲノム移植チーム」「最小遺伝子チーム」の3つのチームを作る
2007年、ゲノム移植チームは、ある天然の最近のDNAを他の細菌に移植し「起動」させることに成功する(ここで、上述のラルティーグの名前が出てくる)
2008年、DNA合成チームは、マイコプラズマのDNAを合成することに成功
人工DNAには、それが人工でわかるような仕掛け(青色になる、研究者の名前やアドレスの書かれた「透かし」配列が入っている)がなされている
2010年、人工DNAの細胞への移植と「起動」に成功
(最初、人工DNAは天然DNAと違ってメチル化がされていないので、「起動」することができなかったとあった)
そして、最小遺伝子について
当初は、マイコプラズマの人工DNAから必須ではない遺伝子を削ぎ落していく手法が試されたが、それでは時間がかかりすぎてしまうため、必須と思われる遺伝子の仮説を立て、スクラッチする手法がとられた
そして、2016年、最小遺伝子によるミニマル・セルが誕生する
この最小遺伝子のセットの約30%の遺伝子が、機能の知られていない遺伝子だったことは、研究者コミュニティに衝撃をもたらした。


筆者からチャーチやベンターへの質問の中には、親のいない人間を作ることになってしまう可能性や、新しい種を作ってしまうことに対する疑義があり、チャーチやベンターの返答に対して、筆者が納得していないことも伺われる。


ベンターの作った最小細胞は、親となる生物はいないが、一方で、自らのゲノムを複製することができる。
新種、というか、そもそも地球の生命とは異なる新しい系統樹の起点となりうる生命を作った、というふうにもとれそうだな、と思った。
ウォードのいう異質生命ではないかと思ったが、ウォードの定義的には、ドミニオン・テロアに入ってしまうのだろうか? (材料や仕組み自体はテロア(地球生命)と同じわけなので。ただ、同じ系統樹には連なっていない)

*1:立場は客員研究員