『SFマガジン2012年5月号』

渡邊利道「独身者たちの宴」

日本SF評論賞優秀賞受賞作にして、上田早夕里『華竜の宮』論
まず、他の上田作品をざっと見渡して「変化はするが成長はしない」「他者性」といったことを共通点と挙げ、次いで構成を整理した上で、内容の分析へと入っていく。
青澄のパートについて、語り手であるアシスタント知性体マキを瀬名秀明インターフェイスとしてのロボット論を絡めて紹介し、眉村「司政官シリーズ」などと比較して論じている。
それから、上田作品をSFの中にどう位置づけるかというために、一節をSF論に割いているが、そこでは科学哲学などにも触れながら、ハードSFにおける「科学性」とは何かあぶり出しながら、上田が自らを「ハードSFではない」といったところから、上田がその「科学性」とは異なるものとしての人間的なものを結びつけているとしている。
そして、再び作品に戻り、ツキソメとタイフォンのパートの分析へと移る。
登場人物たちがみな「独身者」(子をなさないもの)であることと、利他性の進化についての話を交えながら、この作品が、個人ではなく種としての人間を描こうとしているのではないかと論じる。
さらに続いて、スティグレールが「ヒト」が「人類」になったのは、「第三の記憶の層」(=言語)を持ったからだと論じたことを引きながら、この作品において言語が、人間ではない存在としてのアシスタント知性体や獣船変異体と人間との繋がりを生むように描かれているとし、またさらに、音楽が、本来異質である者同士(人間、アシスタント知性体、獣船変異体、魚船)との関係性を描く上で重要な役割を果たしていることを示している。
そして、最後に、青澄とマキの最後の対話や、宇宙に旅立った知性体が地球の生命たちを全肯定するラストシーンなどから、死の絶対的な非対称性が反転していると論じている。


8節以降、つまりツキソメとタイフォンのパート分析以降のくだりは、まとまっていてぐぐーっと読めて面白かった。
逆に、6節のSFと科学の話をしているところが、うまくまとまっていない感じがした(加筆した部分というのはここなのだろうか)。科学哲学の話やニーチェが出てきて、さらには中山康雄の現代唯名論まで出てくるのだけど、次から次へと色々な名前や議論が紹介されるのだけど、それらがどう繋がっているのかよく分からないという、自分もまたよく陥りがちなんだけど、そういうふうになってしまっている気がした。
「この「モデル」とも「法則」ともここで呼んでいるものが、プラトンイデア説にきわめて近接したものであることは容易に感じ取れることだろう。」という一文は、すごくステップを飛ばしている気がする。そのあとの、数学的・形式的な科学と日常的・素人的な直観のズレという話にも繋がっていかない気がする。
あと、これは形式的な話だけど、「この文体のなんとSF的なことだろうか。」は地の文(?)だと思うのだけど、引用文と同じインデントがかかっている、のでちょっと混乱した。
やっぱ、分析哲学系って文芸評論との相性悪いよねーというのを読んでいて感じたのだけど(別にそれほど分析哲学が引用されているわけではなく、ニーチェとかキルケゴールとかハイデガーとかフーコーとかが引用されていてそちらの方がなんか収まりがよいw)、利他性の進化についてソーバーを引いているところはうまくはまっていると思った(ところで、ゾーバーになっているけれどソーバーなのでは? 軽くググった感じ、ゾーバーはヒットしなかったのだが)。
独身者というところに着目して、「種としての人類」に至るところと、知性体のコピーが反転した死者であるという、いわばこの論の肝の部分は面白かった。

パオロ・バチガルピ錬金術師(後編)」

バチガルピのことなので、主人公が色々と失敗して終わるのかなと思ったら、そんなことはなかった(さらに考えてみると、別にバチガルピ作品といったっていつもいつもそんな酷い終わり方してるわけじゃないんだが)。
主人公を巡るストーリーの流れはオーソドックスなものだった気がする。困難がある→困難を打開する方法を見つける→しかし失敗して悪い状況に陥る→その状況から脱出する。
まあ、あの最後の脱出が本当にうまくいってるのかどうかっていうことを考えると、まあわりといつもの希望と絶望がない交ぜになった感じなのかな。
舞台は、魔法の使える世界。しかし、魔法を使うたびに、猛毒のバラが生えてくるために、魔法の使用が禁じられている。禁じられてはいるのだが、みんなこっそり使っているので、人間の住む領域はバラによって脅かされている。
主人公の錬金術師は、魔法を使わずにバラを消滅させる機械を作るのに成功する。その上、魔法禁止以後、没落していた彼の家でずっと働き続けてくれた女性とも結ばれるってのが前編。
後編で、その機械を市長に見せたところ、市長と市長に付き従う魔法使いにはめられる。この機械は、バラを消滅させるだけでなく、使い方によって魔法を使っている者を見つけ出すということもできてしまうため、市長は、これによって今まで見つけることのできなかった魔法使用者たちを次々と処刑しはじめる。主人公は、牢に入れられ、機械を作らされる。
主人公は、市長らに従うふりをしながら脱出計画を練る。


S-Fマガジン 2012年 05月号 [雑誌]

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