第14回感想その2

あとまだ、『ねとぽよ』と『セカンドアフター』と『aBre』を読み終わっていないのだが、いつ読み終わるのか分からなくなってきたので、読み終わったものだけでも

『F』第10号 第一期終了記念号 特集「擬装・変身・キャラクター」

分厚い!
そして表紙が西島大介

  • 「座談会 人はなぜ変身を求めるのか ――アイドル化するわたしたちは、いかに現代を生きるのか――」

面白かったというか、『F』同人の和気藹々した雰囲気が伝わってきて楽しそうだなーと思った。

  • 「テレビドラマにおける「変身」考」  宇佐美 毅

『必殺仕事人』を「変身」と捉えて紹介しているのはよかったけれども、「成長」ものまでを「変身」だとして紹介していたのはどうなのだろうか。何しろ、この直前の座談会で、千田さんが「変身」と「成長」は違うと発言しているわけだから。広い意味で「成長」も「変身」であろうと言おうと思えば言えるけれど、そのことについての説明よりもむしろ、色々なテレビドラマを紹介しましたというので終わっている。

  • 「われには何時にても変身する準備あり――「履き物」をめぐるおはなし」 金井景子

これは面白かった。「靴」について自分の体験から始まって、大岡昇平「靴の話」と石牟礼道子『苦界浄土』の靴のエピソードを取り上げていく流れが、読ませるものだった。
ここで書かれる「変身」も、いわゆる普通にイメージされる「変身」とは違うけれども、「変身」という語を無理に使わず、人が変わっていくことをこれらの作品がどう描いたかを丁寧に論じているので、よかった。

Aの作品を元々あまり知らない上に、その中でもちょっとマニアックと思われる作品を論じていて、それだけでも勉強になる。

一般にまどマギが高く評価される中、佳作ではあるかそこまですごい作品ではないと感じていた論者による、まどマギの限界点への指摘。
まどマギは確かに同ジャンルへの批評性を持っていたが、しかしこうしたジャンルの作品群と同じ物語を繰り返すことによって、結局はその批評性を失った、保守的な作品であった、というものである。まどマギの保守性として指摘されているのは、少女の超越性に依存するという「ご都合主義」である。

  • 「〈虚構の自律性〉の揺らぎ──〈男の娘〉を巡る諸相・2」   澤野 愛

BLや男の娘など、自分はよく知らないジャンルなので、澤野論文はいつも勉強になる。
今回のは、いわゆる「男の娘」という言葉の指示するものが、「二次元における女の子にしか見えない男の子」から「三次元における女装男子」へ変化したことに着目し、齋藤環の戦闘美少女論を引きつつ論じている。つまり、斎藤がファリック・ガールといった戦闘美少女は、日本の虚構の自律性を支えていたわけだが、それが崩れてきているのではないかと見る。

    • 書き忘れてた

高原英理の少年論を引いてきていて、これ知らなかったので勉強になった。というか、高原の少年論がこの論文の中では超重要

  • 「BLにおける〈疑似家族〉表象」   石元みさと

近年、BLにおいて、疑似家族ものが増えているらしく、それについてまとめたもの。疑似家族というのは、つまりBLで描かれる男性カップルのあいだに子どもがいるというもの。どのようの作品がどう増えているのか、という調査の報告といった感じ。

  • 「BL座談会およびBL特別鼎談 前編 ボーイズ・ラブはいかに変身するか 〜BLにおける変身と展望〜 後編 ボーイズ・ラブ・カウンセリング 〜その欲望は、どこに位置づくのか〜」

こちらの座談会も面白い。
前半は、石元と澤野が動物変身系のBLを中心に語り、後半では、そこに矢野が加わる。前半も十分面白いが、後半には敵わない。矢野さんが幼い頃から持ち続けてきた欲望の赤裸々な告白を前に、腐女子2人が、この人一体何言ってんだーみたいになるw いや、ほんと矢野さんすごいw

  • 「受け継がれゆく少年の憧憬――〈変身〉ヒーローについての試論」  須貝俊大

ライダーと戦隊ものにおける「変身」を分類して、近年の傾向について論じているもの。
というものとして読めばまあ読めるのだが(詳しい人からすると物足りないだろうと思うが)、冒頭に、何故子供たちは変身に心躍らせるのかという一文が入っているのに、それに対する答えがどこにも書かれていないのが気になった。その直後に、変身とはどのようなものかという文もあって、そちらへの答えとはなっているので、先の文というのは推敲なりするときに削除しそこねただけなのだろうと思うが、その何故に対して論じていると思って読んだので肩すかしを食らった感じがある。

徳久による砂糖菓子論への反論という形をとっているのだが、この論文での要約を見る限りでは、徳久論文の方がちょっと微妙な感じがして何とも。
最後のリコメンドで『はこぶね白書』を挙げているのは素晴らしいw

  • 「シンメトリー ――ジャニーズにおけるコンビ萌え」  田村祥子

ひたすらジャニーズ語りだけど、ジャニーズにはこんなシステムがあったのかーという点で勉強になりましたw
グループの中にさらにシンメトリーと呼ばれるコンビがあるんだって。

蹴りたい背中』「マウス」「桐島、部活やめるってよ」の3作品を通して、スクールカーストによって実存が脅かされる実態を見るというもの。

  • 「ヒップホップが日本に根付いたとき――ジブラはいかなる格闘をしていたのか」  矢野利裕

これは熱い!
『F』第一期完結号に相応しい、矢野さんの渾身の一作になっている。
この文章に込められている熱量、切実さには、ヒップホップやジブラについて全然よく知らない自分が読んでも、ぐっとくるものがある。
また、当然ながらその熱量や勢いによってのみ押し切るような文章では決してなく、批評としてもすごくいい。
ヒップホップでは「リアル/フェイク」という二項対立がよく出てくる(らしい)。一方、矢野は「リアル」による評価を批判し、ヒップホップのあの「身振り」へと着目する。あの「身振り」というのは、おそらく日本人には似合わないものだ。日本人がヒップホップをやればそこにはどうしても「フェイク」感が出てきてしまう。しかし矢野は、それにも関わらずその「身振り」のかっこよさから「反復」してしまうことに着目する(そこに矢野の切実さが宿っている)。
例えば、ヒップホップとは「社会抑圧者の表現」であるとか、あるいは「サンプリングの表現」であるとかいって「本質」を取り出し定義しようと試みると、実はそれはヒップホップでなくてもよいことになってしまう(実際にそのような形でヒップホップを取り入れた者たちが、結局はヒップホップから離れていった例を本論は提示している)。
一方、ヒップホップの「身振り」は、ヒップホップに憧れる者ばかりでなく、それを笑う者たちによっても「反復」され、そのことによってヒップホップは伝播していく。そしてそのような伝播によってこそ、ヒップホップがヒップホップたりうる、と。
この日本におけるヒップホップの伝播の中に、ジブラが言うところの「責任」が、何に根ざしているかを見ていくという論でもある。

藤子不二雄におけるマンガの記号表現を論じ続けている鈴木は、『F』10号もやはり藤子の漫画表現についてである。
特集の「変身」というテーマも押さえているし、かつて『F』で論じた、「漫画における鼻(の表現)は、象徴的な性器である」ということも踏まえながら、図像とキャラクターの関係、キャラクターの身体性と生身の身体性の関係ことを論じている。
これもすごく読み応えがある。


やっぱり『F』という雑誌は、鈴木・矢野の両氏がずっと中心に居続けていた雑誌で、最後に載っているこの2つの論文が『F』を象徴しているし、『F』のすごさを表している。


で、今、付属CDの「SPACE LOVE」を聞いてるところ。
歌詞カードにば「ボーカロイドを「擬装」した曲を作り、歌ってみました。」とある。聞いてみると、確かに「ボーカロイド」を「擬装」してるww
シンプルなメロディを繰り返すサビが耳に残りそうな曲でした。

『VOCALO CRITIQUE vol.3』

ボカクリは今回の文フリでは頒布されていなかったけれど、yaokiさんから頂いた。
今回の表紙はいろは!

  • 有馬加奈子「人間化していくアイドル。偶像化していくボーカロイド。」

ミクの日感謝祭のライブレポがわりとよかった。

ニコ動などのインターネット上のコミュニティにおけるボーカロイドの広がり方について、参考文献として宇野、濱野、福嶋、村上を出して*1、論じている。
うーん、この論の問題意識が自分には実感できなかったので、何ともかんとも。

「壁を越える」とは「選択肢が増えること」というのに、なるほどなーと思った。

  • こゆき「ボカロと歌詞師の優しい関係」

ボカロ界隈が何にでも「師」をつけるのは知っていたけど、歌詞師は知らなかった。そうか、歌詞師か。
内容は、実際の歌詞制作体験についてと、そこから得られた歌詞制作アドバイス
アドバイスは非常に実践的。
体験の方は、歌詞によってボカロの声がうまく出るかどうかが変わるという話で、面白い

  • tomo「「初音ミク」で出来ること・出来ないこと」

初音ミクのイラストを使う場合にはどうすればいいのか、ピアプロ・キャラクター・ライセンスに従って検討している。
インターネット社やAHSのボカロについてはどうなってんでしょう、というのを次号でやってくれたりするかな。
さて、また前回に引き続き、本編とは全く関係ない哲学の話をしますw
判例・通説によると著作権法について考える上で、キャラクターとは「小説や漫画等に登場する架空の人物や動物等の姿態、容貌、名称、役柄等の総称を指し、小説や漫画等の具体的表現から昇華した抽象的なイメージ」となっているらしい。
キャラクターは「抽象的なイメージ」! いや、確かにそのように考えるのは、実態に適っていると思うけれど、法律の世界でそんなふうに論じられているんだなあというのは、なかなか興味深いです。
ちなみにピアプロ・キャラクター・ライセンスでは、キャラクターとは「抽象的概念を表現するために創作された絵画の著作物」とされているとか。
何にせよ、具体的な絵という「物」を離れて、抽象的な何かが想定されているのはやはり面白い。

  • NezMozz「ディアスポラ、第一便。——<現状>についての一考察」

これは、とても読ませる文章で面白かったのだけど、一方で、この対象読者に自分は含まれていないなという感じもうけた。
ねずもずさんの対象読者がボカロクラスタであるならば、自分はやっぱりボカロクラスタじゃないんだなーというか何というか。
そういう人間が読んでもいい文章だなと思うけど、まあ、そうだよねって感じして、やっぱり何ともかんとも。

  • 朝永ミルチ「小説 マーメイド BlackPast-Remix」

ごめんなさい。小説の感想はパス。

  • ねぎもち「ミクさんパンツ論草案」

結局、今回一番面白かったのは、実はこれかもしれないという……。
フィギュアや3DCGモデルでのミクさんのパンツが一体何色かというのを手作業で調べていった調査報告。
公式では白が多く、MMDでは縞パンが多いとか。


八起さんの編集後記、いいなー。

*1:東チルドレン(宇野さんは宮台チルドレンか)勢揃い感がある