井奥陽子『近代美学入門』

タイトル通り、近代の美学についての入門書なのだが、とても良い本だった。
「芸術」「芸術家」「美」「崇高」「ピクチャレスク」という概念ごとに章立てした5章構成の本となっているが、これらの概念は全て近代に成立した概念である。
「崇高」と「ピクチャレスク」はあまり一般的には馴染みのない言葉だろうが、「芸術」「芸術家」「美」といった、現在の我々にとってはわりとあって当たり前の概念が、歴史的にはそれほど古くない概念であることを示している。
常識だと思っていることを相対化して捉え直すことを目指していて、おおよそどの章も、古代ではどうだったか、近代でどのように成立していったのか、そして、現代的な論点についてどのように考えられるか、という構成をしている。
なので、確かに「近代の美学」についての本ではあるのだが、美学一般の入門書という位置づけで読んでしまってよいと思う。
新書レベルの読みやすさ・分かりやすさで書かれているので、美学ミリ知らの人でも読めると思うし、そして、美学という分野ではこういう入門書が今までほとんどなかったのではないか、と思う。


個人的には、「恐竜図鑑―失われた世界の想像/創造」展 - logical cypher scape2の最後に触れたが、ちょっとピクチャレスク概念に興味が向いていたタイミングで、ピクチャレスクに1章さかれている本だったので、読もうと思ったのだが。
それに加えて、松永さんが井奥『近代美学入門』の感想 - 9bitでお薦めしていた。
この本の良さは、この松永さんのレビューでかなり説明されている。


例えば「アーティストにはオリジナリティが必要だ」とか「美しいかどうかは人それぞれだ」とか「○○映えのために自然の風景を見に行く」とか、美学という学問は知らない人であっても、日常的に前提にしていたりする考え方とかについて、一体どのように成立してきたのか、そしてそれをちょっと相対化して考え直してみることを美学という学問はやってますよ、と教えてくれる本になっていると思う。

第1章 芸術―技術から芸術へ
第2章 芸術家―職人から独創的な天才へ
第3章 美―均整のとれたものから各人が感じるものへ
第4章 崇高―恐ろしい大自然から心を高揚させる大自然
第5章 ピクチャレスク―荒れ果てた自然から絵になる風景へ

第1章 芸術―技術から芸術へ

  • 「建築は芸術か」
  • アート=技術(古代~中世)

アートの語源は、ラテン語のアルスであり、これはギリシア語のテクネーを翻訳したもの。技術という意味であって、今でいう芸術とは異なる概念。例えば、医術とかを指す。
中世以前に芸術はなかったということを論じたのが、P.O.クリステラー
クリステラー説は現在定説。
だが、クリステラーに反して、古代ギリシアにも芸術概念のようなものがあったという主張もあり、その場合には、「ミメーシスの技術」がそれにあたるとされる。ただ、ミメーシスの技術に含まれるものと、近代以降、芸術とされているものとで外延は一致しない。
中世では、リベラル・アーツとメカニカル・アーツに分かれる。
詩や音楽は前者で数学や弁論術など学問と同じ扱い、絵や彫刻は後者で職人の技術と同じ扱い。

  • アート=芸術(近代以降)

近代的な芸術概念が成立するには、詩や音楽が学問と分離し、絵や彫刻が職人仕事と分離し、これらが同じカテゴリーのものとみなされ、さらにこれらを同じカテゴリーにする原理として美が見いだされる、という過程が必要になる。


新旧論争という、古典文学と新しい文学とどちらに価値があるかという論争がある。シャルル・ペローが近代の優位を説いた。長期にわたる論争で、明快な決着がついたわけではないが、科学と文芸が区別されるようになる。
詩画比較論は、詩と絵画の類似性を主張するもので、絵や彫刻を他の職人技と区別する。詩と絵画を類比させるフレーズは古代からあったが、絵画の優越を説くようなものではなかった。ルネサンス以降、これが逆転され、絵画の優越すら主張されるようになった。レオナルド・ダ・ヴィンチなど。
また、絵画の独立としては、アカデミーの成立も関わっている。工房における徒弟制の中で技術が継承されていたのが、教育にとってかわるようになる。ところで、最初のアカデミーは「ディセーニョのアカデミー」を名乗っていたが、このディセーニョは、デッサンとデザインの意味を持つ。このアカデミーを創設したのがヴァザーリヴァザーリは『芸術家列伝』で有名だが、このタイトルはそのまま訳すなら『非常に優れた画家、彫刻家、建築家の生涯』で、絵画・彫刻・建築が一つのグループにされたこと、それでいて芸術家という概念はまだなかったことが分かる、と。


そんな中、リベラル・アーツともメカニカル・アーツとも違う「○○なアーツ」という言い方が色々と提案されるようになるが、「美しい諸技術」という言い方が普及するようになる。
さらに、ペローは「美しい諸技術」をタイトルに冠した著作を書いた最初期の人物。
哲学者のバトゥーは、「美しい諸技術」に共通する原理を考察し、それは「美しい自然の模倣」であるとした。
クリステラーは、バトゥーこそが時代を画する人物だと評する一方で、ポーターやJ.O.ヤングは、バトゥーの過大評価だとする。
本書は、ポーターの批判に一定の理解を示しつつも、クリステラー寄りの見解をとっている。


18世紀に形容詞なしで単数形の「アート」という言い方になる。
18世紀末頃、アーティストが芸術家という意味になる。


日本語の「美術」「芸術」について
前者は訳語、後者は古くからある言葉だが、技術の意味。
明治30年代頃に、「芸術」と(造形芸術を指すものとしての)「美術」の使い分けが定着。

  • 何が芸術で、何が芸術でないのか?

クリステラーは、詩、音楽、絵画、彫刻、建築を近代的な芸術の基本ジャンルとしたが、ペローとバトゥーでも具体的にあげている領域は少し食い違っている・
ペロー:詩、弁論、音楽、彫刻、建築、絵画、機械学、光学
バトゥー:詩、音楽、絵画、彫刻、舞踏を「美しい諸技術」に挙げ、弁論と建築は「第三の技術」とする
着目している特徴が異なる。
「~は芸術である/芸術でない」という議論をする際、どのような特徴に着目しているのか、という点が大事。人によって意見が異なるのは、そこが異なっている可能性がある。


ここ、分析美学の芸術定義の議論とはわりと違うんだけど、しかし、分かりやすいというかとっつきやすい感じで、また、上に書かなかったけど、ペローやパトゥーが(あるいは一般的に)芸術の特徴として挙げているのはこういうのだよねというのが、なるほど納得できる、というものだった
その上で、これは着目してる特徴であって必要十分条件じゃないよ、と指摘している。

第2章 芸術家―職人から独創的な天才へ

  • 「独創的な芸術家は世界を創造する」
  • 芸術家をとりまく環境と作者の地位の変遷

中世は絵画は工房で作られていたので、複数人によって制作されていたし、また、作品をどのように作るか等は全てパトロンが決定していたので、著作権とかそういう概念も当然ない。
作品へのオーサーシップの嚆矢として、デューラーのサインが取り上げられることが多い。実際、このサインを複製した者に対して訴訟が行われてデューラーは勝っている。しかし、それはあくまでもサインの図案に対してであって、作品自体の著作権が守られたわけではなかったという。
18世紀になってフリーランスの画家が登場するようになる。工房とパトロネージというあり方が崩壊し、個人制作と市場での売買で生活が成り立つようになったことによる。


エイブラムズ『鏡とランプ』の中で、模倣理論と表現理論という対比が論じられている。
芸術作品は、自然の模倣だとする考えと、作者の自己表現だとする考えで、後者の考えが登場したのも近代からである。
ロマン主義へとつながっていくが、表現理論自体は、ロマン主義以降も続く。
(模倣理論と表現理論の対比ってどっかで見た覚えがあるけど、こういう元ネタがあったのかー、と思った)


天才論
17世紀末から18世紀にかけて流行する。ニュートンのような科学者とシェイクスピアのような芸術家の両者について言われた。
天才の特徴として、先天性とインスピレーションがあげられた。
カントは、自然科学と芸術の違いを天才論と結びつけて、芸術家こそが天才にふさわしいとした。
新旧論争により、自然科学と芸術の違いが意識されるようになり、規則や技術に頼らないものが芸術であり、そして天才と結びつくのだとされた。


芸術家を神と結びつけるような言説はルネサンス期からある。アルベルティやシャフツベリ伯爵
あるいは、ベートーヴェンの彫像にも見られる

  • 芸術家にまつわる概念の変遷

芸術家にまつわる「ジーニアス(天才)」「クリエイション(創造)」「オリジナル(起源)」という概念は、もとは全て神などに使われていた言葉で人間に使われる言葉ではなかった。それが以下に変遷したか。


ジーニアス
これはもともと「守護天使」を指す。「アレクサンドル1世のジーニアス」という作品名が「天才アレクサンドル1世」と翻訳されていたことがあるが、「アレクサンドル1世の守護天使」が正しい、と。
ゲニウス(ジーニアス)とインゲニウム(生得的な素質という意味)という、本来異なる単語が混同されていき、ゲニウスが卓越した素質という意味で使われるようになり、天才論と結びつく。
クリエイション
元々は、神による創造にしか使われない言葉だった。
ルネサンス以降、芸術家によって世界が創作される、という言い方はされるようになるが、直接的に創造という言葉は使われなかった。17世紀にクリエイションという言葉が使われるようになるが、18世紀までは「いわば」とか「のような」とか留保付きで、また、クリエイションという語を使うのには反対する人もいた(バトゥー)。
18世紀には、科学と芸術両方に対して「インベンション」が使われていたが、ウィリアム・ダフが科学についてはディスカバリー、芸術に対してはインベンションを使うようになり、19世紀には留保なく、クリエイション、クリエイターという言葉が使われるようになった。
オリジナル
これも起源という意味で神に由来する言葉。中世においては、コピーに対する原本という意味で使われた。ルネサンス期は、贋作に対する真作という意味で使われた。
新しさのある作品という意味でオリジナル・オリジナリティという言葉が使われるようになるのは18世紀になってから。エドワード・ヤングやウィリアム・ダフによる。これも天才論との関わりによって。


このあたりの概念史とか全然知らなかったので面白かった

  • 作者と作品の関係をどう捉えるか?

筆者が、ケルン大聖堂でリヒターのステンドグラスを見た際の体験について記されている。
リヒターのステンドグラス自体はよい作品だったが、宗教建築の中でリヒターという個人が想起されてしまうのは興ざめする経験だったと率直に語られている。
作品鑑賞は、作者を知ることで、作者の独創性が重視される、というのを我々は前提にしがち(筆者ですらもそうで、だからこそリヒターの作品を見るとリヒターを思い浮かべてしまう)だが、あくまでも近代やロマン主義の考え
ここでは、ニュー・クリティシズムやバルトの「作者の死」から受容美学、参加型アートに触れつつ、ポスト・コロニアリズムフェミニズム批評で再び作者の存在の重要性が浮かび上がってきた流れを紹介し、作品を解釈するにあたっては、多様な手法があり、その時々によって色々な手法が使えるのがよいことだと述べられている。

第3章 美―均整のとれたものから各人が感じるものへ

  • 「美は感じる人のなかにある
  • 美の客観主義(古代~初期近代)

古代ギリシア語の「美しい」は「カロス」と、さらに派生した「カッロス」がある
カロスには、美しいだけでなく、立派な、見事な、優れた、道徳的によい、高潔な、などの意味もあり、英語にするなら「ビューティフル」よりも「ファイン」だとも言われる。
一方、カッロスは、人体の外見的な魅力、ものがもつ見た目のよさを指す、より限定的な言葉。


ピュタゴラスによる音と調和(ハーモニー)の研究やプラトンの「幾何学者としての神」という考え
(なお、ピュタゴラス自身については分かってないことが多く、彼に帰せられる発見・検証を本当に彼が行ったのかどうか疑問視されている、とのこと)
→美のプロポーション理論
美はプロポーション、つまり比率に宿るという考え。シンメトリーという場合もある(現代ではシンメトリーというと対称性のことを指すが、もともとはこれも比率という意味合いで使われる)。
美=プロポーション=シンメトリー=ハーモニー=オーダー
美について「多様の統一」という考え方もある。こっちはわりと曖昧で、プロポーション理論と両立するけれど、独立した考え方。プロポーションは、個々の部分がどのような比率になっているかなので、部分に分けられることが前提となる。部分に分けられないものを称揚する考え方もあり、例えば光の美学などになった。


人体比例論
カッロスという言葉が、特に人間の身体の美しさを指すように、美と人体を関係づける考えも強い。人体のプロポーションについて述べたのが人体比例論
ポリュクレイトス、ウィトルウィウス、レオナルド、デューラー
レオナルドによるウィトルウィウス人体図!


黄金比
美の比率として黄金比が取り上げられることが多いが、これは結構怪しい。
この比率自体は古代から知られていたが、特別視するようになったのは近代以降。黄金比という名前は19世紀。
測定が恣意的ではないかなどの疑問点があり、美学・芸術学の研究者は、黄金比とは距離をとっていることが多い、と。

  • 美の主観主義(18世紀以降)

18世紀の科学革命が「幾何学者としての神」概念の崩壊を、イギリス経験論が、理性から感覚・感情へという転回をもたらしたことで、美についても客観主義から主観主義にかわっていったとする。
バーク
→美は数学的に分析しなくても瞬間的に分かる→美はプロポーションではない
ヒューム「趣味の基準について」
→主観主義と客観主義の調停を目指す
道徳感覚学派
→道徳的なよしあしや美醜を見分ける能力を「趣味」と呼び、美醜と善悪をあまり区別しない。味についていえることは美についても言える
カント
→美は道徳や味とは違うことを示す。道徳はその目的に照らして判断されるが、美は目的によって判断されない。美は主観的であり普遍的ではないが、普遍性を要求する(他の人も同意してくれると期待する)点が味と異なる。


科学革命と主観主義つなげるの興味深い。
バークとか道徳感覚学派とか上でさらっとまとめてしまったが、なんか結構しっかりみといた方がいいような気がくる。

  • 美の概念とどのように付き合うのがよいか?

「真善美」という言い方が普及するのは19世紀から。カントの三批判書に由来する。
これによって、真と善と美とがそれぞれ独立した領域と考えられるようになり、唯美主義へと繋がった(廃墟や反道徳的なものにも美を見いだす)。
美の自律は芸術の自律へも繋がる
天才としての芸術家、表現理論、主観主義美学、美と芸術の自律→こうした変化を背景として、「美しい諸技術」は「アート」へ変化した


美の政治性
美の自律性は無条件によいことか
ここでは、リーフェンシュタールの例が挙げられている。
また、美しい体型や美白といったように、美が社会的・文化的に形成されている例も

第4章 崇高―恐ろしい大自然から心を高揚させる大自然へ(

  • 「崇高なものが登山の本質だ」

「そこに山があるからだ」で有名なマロリーだが、著作ではもう少し詳しく山に登る理由を語っていて、そこで崇高感情に触れている。

  • 山に対する美意識の転換

古代においては崇拝と忌避の対象であり、中世では、醜悪なものとされた。
今と違って、そもそも山に入るということを基本的にしない時代、住んでいる場所によっては山を見たことない場合もあった。
「山岳論争」
何故かくも醜悪な山を神は創ったのかという議論で、16世紀に再燃し、17世紀にピークを迎える。大洪水の時に由来する、という点でおおむね一致する。
史上初めて登山した人物として名前を挙げられるのが、14世紀のフランチェスコ・ペトラルカで、高い場所から見たらどう見えるのかという好奇心によって山を登ったが、しかし、それに対する反省の弁も語っており、山への価値観を変えたわけではなかった。
山への価値観が変わってくるのは、17~18世紀のグランド・ツアーの時代。
イギリスの富裕層の子息が、教育の集大成としてイタリアへ旅行するというものだが、アルプスを越えなければならない。必要にかられてアルプス越えをする人が増加するとともに、アルプスの風景に醜悪さ以外のものを感じる人たちが出てくる(山は醜悪なのでアルプス越えをする間、ずっと目隠しをしてもらっていた人とかもいたらしいが)
代表的なのが、バーネットとデニス
トマス・バーネット『地球の聖なる理論』*1
ジョン・デニスは「歓喜に満ちた戦慄」「恍惚とさせる喜び」といった表現をしている。
バーネットもデニスもこの段階で「崇高」という言葉を使ってはいない。
しかし、2人は「崇高」を念頭に置いていたはずだという。

  • 「崇高」概念の転換

修辞学において三文体論、というものがある。
文章の目的に応じて、簡素な文体、秀麗な文体、その中間の文体があるというもので、「崇高」という言葉はもともと、文体をさす言葉だった(崇高体)。
ロンギノス『崇高について』
崇高体だけを論じた著作。ロンギノスは3世紀の人物だが、著作の内容は後の研究で1世紀頃のものとされており、成立については謎が多い。
文体についての著作なのだが、崇高概念を単に文体にはとどめないものとして論じている。例えば、人格を陶冶するものとして崇高を捉えている。
「稲妻の一撃」といった比喩がなされている。
忘れられていた著作だが、17世紀フランスでボワローの翻訳によって再評価される。
翻訳自体はそれ以前にもなされていたが、ボワローが本書は哲学的著作だと指摘してきたことが再評価につながった。
バーネットやデニスはこれを読んでおり、また、バーネットやデニスがアルプスの景観に対して用いている形容詞が、ロンギノスが崇高について使った形容詞と一致しており、彼らは崇高を念頭においていたと考えられる


ロンギノスの名前は知ってたけど、内容よく分かってなかったので勉強になった
あと、それがどういう風に近代の崇高論につながったかのも分かりやすい。


バーク
崇高概念を本格的に論じた者としてバークがいるが、バークは、自己保存に関する感情と社交に関する感情という分類を行い、崇高は前者に、美は後者に対応するとした。
また、崇高に「尊敬」という特徴を与えた。
カント
バークの崇高論をさらに深め、数学的崇高と力学的崇高の区別などを行ったが、カントは崇高の対象が、実は自然ではなく人間とした点に独自性がある(悟性では捉えられない無限を理性で捉えた時に崇高が感じられるが、それは人間が理性を持っているからこそなので)。


詩としては、ハラー「アルプス」
絵画としては、ターナー「悪魔の橋の中央から見たサン・ゴッタルド峠」、フリードリヒ「雲海の上の旅人」

  • 芸術は圧倒的なものとどのように関わることができるか?

19世紀に美的範疇論というものが成立する。これにより、様々な美的概念が考察されるようになり、崇高はそうした諸々の美的概念の中の一つと位置づけられたので、相対的に崇高の議論は停滞する。
しかし、20世紀になり再び崇高概念が注目されるようになる。例えば、技術的崇高
シュペーアによるナチス党大会の「光の大聖堂」など
また、抽象表現主義のオールーオーバー絵画
ニューマンやリオタールは、表象不可能性と崇高を結びつけるが、表象不可能性はホロコーストとも関連する
ホロコーストを描いた映画として、『シンドラーのリスト』と『ショアー』という対照的な2作品がある。『ショアー』は、ホロコーストを表象不可能なものとして描く。『ショアー』の監督は『シンドラーのリスト』を批判している。


本書巻末の読書案内にもあるが、崇高については以前、桑島秀樹『崇高の美学』 - logical cypher scape2を読んだ。技術的崇高や表象不可能性はこちらの本にもあった。


第5章 ピクチャレスク―荒れ果てた自然から絵になる風景へ

  • 「絵になる景色を探す旅」

近代において、美、崇高、ピクチャレスクという三大美的概念が成立する

  • 風景画とピクチャレスクの誕生

17世紀に風景画というジャンルが成立する。
クロード・ロランとサルヴァトール・ローザが代表的画家。
ウィリアム・ギルピンやユーヴェデイル・プライスが「ピクチャレスク」という概念を提示する。
「ピクチャレスク(絵になる)」とは、ロランやローザが描く風景画のような風景のこと
粗さと構図が特徴。
美がなめらかさであるのに対して、ピクチャレスクは「粗さ」が特徴で、これはピクチャレスクが崇高からの派生概念であることも意味する。岩のごつごつした感じとか、廃墟とかに美的価値を見いだす。
一方、単に粗さがあるだけではだめで、「構図」によって一つのまとまりのある風景になっている必要がある。

  • ピクチャレスクの広がり(観光と庭園)

観光
ギルピン自身が、ピクチャレスクな風景を見て回る旅行をピクチャレスク・ツアーと称してガイドブックを作っている。イギリス国内で観光産業が成立するようになっていく。
ピクチャレス・ツアーに行く人の必須アイテムが、スケッチするための道具とクロード・グラスという器具
ギルピンは風景画を描く際に、まず一つの色で塗ることを提案しているのだが、クロード・グラスは色つきサングラスみたいなもので、色調補正して風景をみることができる。また、コンパクトの鏡タイプもあって、凸面鏡なので、広い範囲を一望できる。
ギルピンのスケッチには、ふちが丸くなっているものがあって、鏡タイプのクロード・グラスを見ながら描いたのだろう、と。
また、ピクチャレスクな風景というのは、美しい風景と違って、普通に見ているだけだとその魅力に気付かないのだけど、風景画に描かれることで魅力に気付くみたいな風景で、それを発見できる能力が必要とされる。
それで、「ピクチャレスクな人」という言い方もでてくる。画家のような目をもった人、とでも言える。
ナイトが特に観点について論じていて、美の主観主義的な主張だが、一方でナイトにはエリート主義的な面もあった(ピクチャレスクな風景は、普通の農夫には気付くことができない、教養のある人物でないと気付けない、と)


庭園
18世紀前半に庭園革命というのがある。
庭園はもともとフランス式の、自然と区画の分けられたものだったが、いわゆるイギリス式庭園という、自然の景観を模して、庭園の内と外の区分けが分かりにくいタイプの庭園ができてくる。
ところで、このイギリス式庭園を生み出したのがブラウンという人なのだが、実は、ピクチャレスクはブラウンへの反発でもある。
自然のような庭園を目指すという意味では同じだけど、もっと、変化のある風景を創るべし、という形でピクチャレスク側の主張が出てくる。
ギルピンと違って、プライスやナイトは地主で、彼らにとってピクチャレスクとは、自分の所有する庭園をどのように造るかということを示す思想でもあった。
ギルピンはあくまでも静止して自然を鑑賞する立場だったが、プライスやナイトは庭園を歩き回って鑑賞する。

  • 美や芸術は自然とどのように関わることができるか?)

19世紀になり、ギルピンは批判されるようになる。
ギルピンは、風景画について、ありのままに描くのではなくて、ピクチャレスクに見えるように改変して描くことをよしとしていて、要するに見たいものだけを見ている、と。視覚偏重なところも批判されたらしい。
ロマン主義自然主義から、形式主義だと批判されている。
自然を観賞することへの倫理的問題への指摘もある。
鏡タイプのクロード・グラスを見るとき、自然そのものには背を向けているのが象徴的であり、そしてそれは現在における自撮りもそうでは、という指摘
その一方で、何かを美的に見るためには自分といったん切り離す必要がある(「美的距離」)のであり、ギルピンは自然鑑賞を成立させるために必要だったのだ、とも。


スミッソンの「ランドアート」と、彼の作品に見られる自然との対話というテーマが紹介される。

あとがき

謝辞に見知った名前がちらほら。
初めての育児中での執筆であったことが書かれている。すごい。
一番最後に、2023年モスクワって書かれていて、モスクワにいるのかーとご時勢的に思わざるをえなかった。

読書案内

自分は、美学といってもそのほんの一部について少し読んできただけで、美学一般についての勉強とかをほとんどしていなかったことに、改めて気付かされた。
美学を勉強しようと思うと、こういうところが教科書になるんだな、ということが分かった。
個人的に気になったのは以下
美学会編『美学の事典』(これは以前から)
今道友信編『講座 美学1 美学の歴史』
M・H・ニコルソン『暗い山と栄光の山』(これは以前、本書の筆者のポストを見ていたから。https://twitter.com/yoko_a17/status/1643555112340553728)

追記(20231114)

自然観賞と「美的距離」の話がされているけれど、美的距離が鑑賞にとって必須なのかどうかは、要検討なのかもしれないと思った。
というのはドミニク・マカイヴァー・ロペス、ベンス・ナナイ、ニック・リグル『なぜ美を気にかけるのか』(森功次・訳) - logical cypher scape2において、ナナイは、「美的距離」っていう言葉は使っていなかった気がするけど、そういう対象と距離をおくようなことを美的経験の条件とするのは、近代ヨーロッパでの流行に過ぎない、みたいなことを言っていた気がするからだし、
また、ロペスが、「美的関与」と「美的に認めること」の違いということについて説明するのに挙げていたのがたまたま自然美の話で、あまり詳細な説明はしていないのだけど、自然美へ関与することはその自然環境を保護する活動を含んでいるのだということをロペスは当然のように前提にしていたから。
「鑑賞」というと、どうしても我々は視覚的なもの、もう少し広げるとしても知覚的なものを前提としてしまうけど、自然との美的な関与は知覚的なものに限られるのかどうか、というのは論点になるのかもしれない。
(自然についての知識は美的価値に影響するのか問題)
しかし一方で、知覚的なものだけでは十分条件ではないかもしれないが、必要条件にはなるのではないか、という気もする(例えば、メアリーの部屋よろしく、自然を直接知覚したことはないんだけど自然の素晴らしさを知識としては知っていて、保全活動にも積極的に関与していて、自然美を謳う表現活動をしている(例えば、見たことないけど風景画を描いているとか、自然の美しさを紹介するブログを書いているとか)人がいるとして、その人は、自然に対して美的関与しているのか問題)。
ところで、自分が自然美について関心を抱いているのは、「恐竜の美学は可能か、可能だとしてどのようにか」ということを少し考えているからなんだけど(特に進展していないのだが)。個人的に、恐竜についての美的経験・美的判断はあるよな、と思っているんだけど、しかし、恐竜って直接知覚できねーんだよな、というところに特有の面白さがあるのでは、と思っていたりする*2

*1:マーティン・J・S・ラドウィック『化石の意味』 - logical cypher scape2でみた書名だった

*2:直接知覚できない対象は美的対象たりうるのか、という問題は、数学の美とか、物語の美(?)とかにある問題だと思うのだけど、よく知らない