桑島秀樹『崇高の美学』

美学における「崇高」という概念についてまとめられた本。
崇高とは、何か超越的な気高いものを指しているというわけではなく、むしろ山とか石とか地面とかいったものを徹底的に凝視することで感じられる感性的な価値である、というのがざっくりしたまとめ。
第1章と第2章は、バーク以前、バーク、カントまでの崇高という概念の歴史。
第3章は、大地への凝視という美学として、ジンメルラスキン、そして日本の近代登山に見られた美学思想。
第4章は、テクノロジーと崇高の関係として、アメリカ的崇高とヒロシマの「アート化」について。

序論 石ころへのオマージュ

石を美的に見ることについて

第1章 「崇高」とは何か

まず語源。漢字の崇高と、英語のsublimeそれぞれの語源の確認から。
バーク以前の崇高。まずは偽ロンギノスの崇高論。これは修辞的文体についての議論。その後長いこと忘れ去られ、17世紀に英語、フランス語に翻訳され、芸術批評に「崇高」という語が使われるようになる。
18世紀イギリスにおいて、グランドツアーによるアルプス越えを体験した人たちによる著述が出てくる。当時は、ジャーナリズムも隆盛し、教養人のあいだでの関心が共有されるようになり、その中でアルプスの体験と「崇高」が結びつける言説が出てくる。とはいえ、理論化はまだなされていない。
その後、崇高を理論化しようとした人たちとして、シャフツベリ、サミュエル・ジョンソン、ジョナサン・リチャードソン(父)、ジョン・ベイリーが紹介されるが、どちらかというとバークの引き立て役という感じか?
で、バークについて、美と崇高、快と苦について

第2章 崇高美学の体系化――バークからカント、そして現代へ

バークの崇高論は、彼の実質的なデビュー作であるのだが、その後の彼には美学についての著作はなく、後半生は『フランス革命省察』に代表されるような保守主義者としての政治的活動を行うようになる。このため、従来は彼の崇高の美学の仕事と保守主義者としての彼とは切り離されて理解されることが多かった。近年では、「崇高」から彼の政治思想を理解しようとする研究も出てきている。
続いてカント。まず、カントといえは批判哲学だが、実はそれ以前、青年期のカントは、軽妙な語り口によるエセーを書いており、その中で既に崇高に言及している。ここでのカントは、イギリスの社交界において流行していた言葉である「崇高」を、ドイツにも紹介してみせたのであるが、ここではあくまでも社交界におけるオシャレな流行語としての位置付けにとどまっている。
そして『判断力批判』。ここで「崇高」は、外的な対象ではなくむしろ、「人間理性」の覚醒という内的な体験をこそ指し示す言葉として使われいてる。カントにおいて、崇高概念は哲学的に精緻な理論化がなされたが、そこにはカントによる理性への絶大な信頼が働いており、その点でバークの崇高論とは袂を分かっている。そして、リオタールなど現代において復活した崇高論はむしろバークの崇高論の側に立つ。
そこで再びバークの崇高論に戻り、その特徴を3つ挙げている。まずバークは、絵画ではなく詩を重視している。次いで、「触覚」の重視。感覚刺激に根ざす、いわば「関心性」に根ざした美学だった点でカントと異なる。そして3つめは「アイルランド」。バークは改宗国教徒を父親に持つ移民アイリッシュで、ロンドンで教養人としての地位を確保していった。その葛藤が彼の崇高の美学の背後にあるのではないか。
熊野純彦によるカント解釈から、人間理性によらずカントの崇高を解釈し、バークの崇高やリオタールの崇高と結びつける。それは、「限界」についての「経験」であるということ。
そしてそこから、リオタールの「表象不可能性」やラングによる「歴史的崇高」に話がいたる。それは、アウシュビッツについての話で、リオタールはバーク崇高論における「恐怖」に言及している。そしてその「恐怖」というのは、出来事が生起しないこと、語ることが出来ないことの不安であり、またラングの「歴史的崇高」とは、想像上は不可能だが、事実において可能であったこととされており、ここで「限界」というものとも結びつく。

第3章 山と大地の「崇高」――カントの人倫的崇高を迂回する道

まず、筆者はジンメルのアルプス論を山岳美学と呼ぶ。
ジンメルは、アルプスの山は造形美術にできないと考える。それは、アルプスの本質的特性が圧倒的な量感にあるから。そのような特性を「没形式性」と呼ぶ。彼は山と海を比較もしている。海には生の形式があるが山にはない。山は生から切り離されている。海は歴史的にみても交流の場となったが、山は交流を妨げるものであった。また、これはカントとも対照的で、カントは崇高の例として海も挙げている。
ジンメルは、アルプスの山肌を「凝視」し「ディスクリプション」している。彼はアルプスを三つに分ける。万年雪の領域、岩壁の領域、平地の領域である。平地の領域は「美しいアルプス」であり、万年雪の領域こそが「崇高なアルプス」である。天上への垂直的な高さと地上へ向かう岩の質量のパラドックスに崇高を見出す。
続いて、19世紀イギリスの美術批評家であるラスキン。彼はターナーをモダンペインターとして絶賛する。彼の美学を著者は地質学的美学と呼ぶ。
ラスキンターナーが過去の巨匠と違って、「科学的」に精緻に描いていることをまず評価している。
天ではなくむしろ地へと向かう視線。地層や岩や砂を「凝視」して描写していることに美的な価値を見出している。筆者はこうした美学をさらに、「死の凝視」と捉えてバークとつなげている。
続いて、日本における近代登山にも、同様の美学を見出そうとする。それは、近代における正統派の登山である「ピーク・ハンティング」とは異なり、「地」へと向かうものである。それは冠松次郎の「渓歩き」や川崎精雄の「藪こぎ主義」である。もっともこれらには、苦や限界といったものが入ってきていないので、哲学的深みとしては足りないところがあるが、天ではなく地へと向かう崇高美学として注目すべき思想であると筆者は述べている。

第4章 アメリカ的崇高と原爆のヒロシマ

今までは人間と自然の関係から崇高を見てきたが、自然ではなく技術から崇高を考える。テクノロジカル・サブライムあるいはアメリカン・サブライム
アメリカン・サブライムの歴史として、まず「ハドソン・リヴァー派」と呼ばれる風景画家たちやジョージア・オキーフの絵に見られる「野性的崇高」が見られる。アメリカの雄大な自然にアメリカ固有の崇高を見るのである。しかし、西部開拓が終わりフロンティアが消滅する。ここでアメリカ固有の文化あるいは崇高を見出す先が、自然から技術へと変わっていく。カリフォルニア的テクノ・キャピタリズム
こうしたテクノロジーは非人間的なものではないのか。ダナ・ハラウェイはテクノロジー擁護的な立場をとるのに対して、リオタールはテクノロジーに否定的である。
最後に、現在広島大学で教鞭をとり、また妻が被曝二世である筆者が、アメリカ・テクノロジーの帰結としての原爆を美学の観点から論じている。
ヒロシマは、リオタールのいう表象不可能生、ラングのいう歴史的崇高にあたる出来事であり、それは如何にして表象可能であるのか、アート化できるのか。
ここで取り上げられるのは、『父と暮らせば』である。ここに、「断片」(いわば「化石」)を「凝視」することによるアート化の可能性を見出している。また、映画版において父娘が暮らしていたのが原爆ドームであったことから、原爆ドームについてのエステティックな存在様態――幻像であり象徴的な記憶媒体であることも述べている。
生々しい映像やジオラマなどだけが、ヒロシマを表象する方法なのか、と筆者は問う。現代の我々にとって、「断片」の「凝視」*1から全体を「受肉」させるという方法が重要なのではないかと論じている。
崇高の美学(「地」の凝視から「天」に至る)を考えることによって、表象不可能な出来事のアート化についての可能性があるのだといってしめられている。


崇高の美学 (講談社選書メチエ)

崇高の美学 (講談社選書メチエ)

*1:『父と暮らせば』における「原爆瓦」を用いた「ヒロシマ一寸法師」。あるいは岡部昌生によるフロッタージュ作品、原爆ドームなど