甘耀明『鬼殺し』(白水紀子・訳)

台湾を舞台に、怪力でならす客家の少年が第二次大戦中から戦後にかけての動乱を生き抜く姿を描く長編小説。
「鬼殺し」というタイトルだが、「killing the Ghosts」と英訳されていて、中国での「鬼」は、日本語ではむしろ「幽霊」にあたる。「鬼」には基本的に「グイ」というルビが振られているが、「鬼家」には意訳的に「ゆうれいやしき」というルビが振られていたりもする。
東山彰良の推薦コメントの中に「マジックリアリズム」とあるが、実際、幽霊など超自然現象が度々登場してくる。ただ一方で、「これは超自然現象なんだな」と思いながら読んでいると、登場人物の幻覚だったり、トリックがあったりして、リアリズムの世界にとどまっていることもある。そういう絶妙な塩梅に幻惑されながら、奇妙なエピソードが重ねられていく。
そもそも主人公の「怪力」自体が、リアリズムを逸脱した超人的なもので、文字通り力づくで色々解決していったりする。
で、その怪力故に、日本軍の鬼中佐に気に入られて養子となる。一方、かつて抗日運動をしていた祖父とは仲違いして、少年は、日本軍教育班の鬼軍曹となっていく。


海外文学読むぞの一環で、白水社のサイトを眺めていた時に、面白そうだなと思った作品。
以前、同じ理由でパトリク・オウジェドニーク『エウロペアナ 二〇世紀史概説』(阿部賢一・篠原琢訳) - logical cypher scape2を読んでいるが、これと同じ、白水社エクス・リブリス
単に面白そうだからという理由に加えて、台湾文学というのも選んだ理由ではある。
以前海外文学読むぞまとめ - logical cypher scape2に書いたが、アジア文学をこれまで全然読んできていなかったので、こちらの方向も僅かばかりではあるが、少し食指を伸ばしてみようと思った次第。


台湾文学はおろか、台湾そのものについてもあまりよく知らない、と言うのが正直なところ。
台湾は他民族国家であることは知っているが、実際の雰囲気(?)とかはよく分かっていなかった。この作品で描かれるのも、1972年生まれの作家が描く1940年代の様子なので、「実際の雰囲気」を反映しているかどうかは分からないが、しかしまあ、当時の多言語状況を伺うよすがにはなった。
細かく分かれた少数民族たちがいて、漢民族がいて、そして戦前だと彼らを日本人が支配しているわけだが、漢民族についても、客家がいたり、戦後だと大陸から来て、日本人に替わって支配層に入ってきた人々もいる。
そして、主人公自身にこの多言語状況が反映されている。
主人公は、基本的に帕(パ)という名前で呼ばれているが、彼には複数の名前がある。漢名の劉興帕、日本名の鹿野千抜、タイヤル名のPa-pak-Wa-qa。彼自身は客家人であるが、台湾原住民のタイヤル族から名前をもらっている。そのPa-pak-Wa-qaから、劉興帕という名前になって、普段は帕(パ)と呼ばれている。さらに、日本軍の鹿野中佐の養子となったことで、日本名もつけられている。
日本の占領統治下にあったので、日本語も出てくるが、「沙喲娜啦(サヨウナラ)」のように漢字の当て字がなされていたりする。前半は、軍国少年となった帕の話で、戦時中の日本の田舎を舞台にした物語であるかのように読めるのだが、時々、日本の作品であればわざわざ説明をしないような日本の事項(風習とか名前とか)の説明がされていることがあって、そういえば台湾の作品だったなと思ったりした。
また逆に、食べ物の名前がかなりたくさん出てくるのだけど、ほとんど知らない食べ物ばかりで、日本人としては異国情緒を感じたりする(本文中には説明がなく、訳注が入っている)。また、ガジュマルとかハイビスカスとかが出てきて、南国なんだなあと思ったりもした。


上下巻からなる長編だが、物語の雰囲気も上巻と下巻とで少し異なる。
大きく分けると、大体3つくらいに舞台をわけることができる。
まず上巻は、関牛窩(グワンニュボー)という村を舞台にした戦中の話で、様々なエピソードが展開されていく。一貫した物語というよりは、そうした個々のエピソードの面白さで繋がっている感じである。
次に下巻の前半で、帕が率いる白虎隊が関牛窩を出て「本土決戦」を行うところが、一つのターニングポイントとなっている。帕はアンフェタミン中毒と戦争症候群を患い、関牛窩では日本軍にかわり中国国民軍が入ってくることになる。
下巻の後半からは、台北が舞台となって、帕と祖父の関係にクローズアップした物語となっていく。

(上巻)
名前の中に蕃(ばん)の字がある少年
今日から、俺は日本人になる
火輪車を倒した九鏨頭(きゅうざんとう)
父さん、生きてください
俺は鹿野千抜だ
少年の夢の中は戦車のことばかり
天公伯はとうとう目が見えなくなった
沙喲娜啦(サヨウナラ)、大箍呆(トアクゥタイ)の閣下殿
蟹人間と火の卵を投下する鉄の鳥
彼女が「加藤武夫」と呼んだとき、布洛湾(プルワン)は消えた
母さんは自分の夢の中で死んだ
あじあ号とホタル人間
(下巻)
神風が吹いて、桃太郎おおいに鬼王と戦う
九青団と小さな黒人が汽車に乗った
聖母マリア・観世音菩薩が下界に降りた
構樹(かじのき)もの言わざれども、下自ずと蹊(こみち)を成す
七重の空への道
鬼屋(ゆうれいやしき)は貧乏人の楽園
俺は鬼子(グィズ)だ、手紙を出しに来た
さようなら、南部の黒狗(かっこいい)兄貴
再び関牛窩への帰途につく
月日が経てば異郷も故郷
解説 白水紀子



帕はまだ小学生なのに180cm近くの身長があって、人間離れした怪力を持っている。関牛窩から少し離れた山の上に、祖父の劉金福と2人暮らししているのだが、めちゃくちゃ仲が悪い。帕は皇民教育を受けていて、日本語を喋るし日本のものに抵抗がないのだが、かつて抗日運動に参加していた劉金福は、日本と関係のあるものが家の中に入ってくるものを拒み、常に喧嘩をしている。
劉金福は、元々地主で、龍眼という果物の果樹園を経営していて、妻と妾が3人いる。この人、別に高潔な人物とかでは決してないし、身近にいたらくそじじいだろうなとは思うが、かといって、決して悪人というわけでもない。それなりに孫のことを思ってはいる。ただ、物語の最後まで2人は仲が悪いというか、劉金福が亡くなる間際まで、帕はこの祖父のことが嫌いなままなのだが、しかし、帕は祖父のことを完全に見捨てたり縁を切ったりすることはできなくて、常にどこかで気にかけ続けている。この祖父と孫の関係が物語の縦軸となっていく。抗日運動をした祖父と、日本人になるための教育を受けた孫、そして、戦後、台湾から日本軍はいなくなるわけだが、さりとて彼らにとって平穏な居場所が手に入るわけでもない、という物語になっている。


関牛窩は、架空の村なのだが、筆者である甘耀明の出身地をモデルにしているらしい。台湾北部の桃園市の近くにあるようだ。客家人が多く住んでいるが、原住民族のタイヤル人もいるようなところっぽい。
汽車がやってきて、日本軍が駐屯し始めるところから物語が始まる。
上巻の表紙のイラストに大きく汽車が描かれているのだが、実際、上巻はかなり汽車の存在感が強い。
台湾の漢民族は近代化を遂げているが、汽車を見た際の反応を見るに、原住民族はあまりそうではないらしいことが分かる。米軍の空襲時にも、爆撃機を鳥、落ちてきた燃料タンクだったかを卵と表現していたりする。


帕の怪力に目をつけた鹿野中佐によって、帕は鹿野の養子となる。このことにより、帕はよりいっそう皇民の道を邁進していく。教育班の鬼軍曹となって、新兵をしごく立場となり、(石を食べるとか)めちゃくちゃな訓練方法を実践して、恐れられる。
この鹿野中佐という人も、かなり特殊な出自の人である。満州での孤児なのだが、生まれた直後に鹿の胎内に隠されていて、鹿に育てられているところを発見された。そのため、鹿野という名前をつけられた。その後は内地で育ち、陸軍学校を出て将校となる。大陸で負傷したため、台湾に転任してきた。


物語の最初の方で、帕が鬼王(呉湯興)と出会うエピソードが出てくる。呉湯興は、抗日運動を率いていた統領で、劉金福はかつて彼の部下だった。戦死した後、鬼となっているが、鬼となると殺しても殺しても死なない。目を失っていて見えないが、簪を地面に立てるとその土地の様子がわかるという能力を持っている。荒くれ者の少年であった帕が鬼王と格闘して、こいつは闘い甲斐があるなあとか思っている話。
鬼王は、終盤になってまた出てくる。途中でも時々出てくるが、基本的には物語にはあまり絡んでこない。


物語の前半で強く印象に残るのは、拉娃という幼い少女とその父親のエピソードだろう。
タイヤル族で、父親が出征することになるのだが、それを嫌がった彼女は、汽車の座席にしがみつき、父親を両脚で挟むと頑として動かなくなってしまう。
大の大人が何人で引っ張ろうとも無理で、彼女が泣きわめく程、脚はさらにきつく締まっていく。彼女の気をひくために、出身地の学校の生徒たちがやってきて劇を演じたりもするのだが、これもうまくいかない。
兵糧攻めをしたりもするのだが、なんと、この父娘の体組織が癒着して、父親側から栄養をもらって生き延びる。
結局、この父娘は汽車に住み着くことになる。
拉娃は、帕のことを好きになる。のちに、それで帕の本名であるタイアルの名前がなんであるかを探ろうとする。ただ、本名は言ってはならない名前なので、帕はそれを阻止する。


劉金福は、日本軍に捕まって最終的に地下牢に入れられる。
この地下牢が色々あって線路の下にあったりする。
帕が超人的な存在なのだが、この地下牢に入れられるくだりの劉金福もなかなか超人的で、それもう死ぬだろみたいな過酷な状況でも生きていたりする。
祖父のことが嫌いだけど死んでほしくはない、ちゃんと生きていてほしいと思う帕も描かれる。
ここのくだりだったか、別のエピソードだったか忘れたけど、誰よりも日本人であろうとしていた帕が、中佐に切り捨てられそうになって、中佐に訴えかけるというシーンもあったりして、アイデンティティを確立する上での葛藤みたいなものは垣間見える。
地下牢に入れられた後も劉金福は度々登場しないわけではないが、下巻になるまで物語の本筋からは離れる。


台湾でも学徒兵が徴用されるようになり、台湾各地の原住民族を中心に学徒兵が関牛窩に集められてくる。帕は彼らの教育班長となり、彼らを会津白虎隊にちなんで白虎隊と名付ける。帕は恐れられるが慕われるようにもなっていく。
なお、彼らは何故か墓石をいつも背負っている。
帕には、坂井という日本人の部下が1人つくようになる。彼は俗に万年二等兵と呼ばれる兵隊で、古参だが素行が悪くて二等兵より上に階級が上がらないのである。台湾人の学徒兵たちと日本人の古参兵たちとの間では時々対立が生じることがある。
また、彼らは、台湾に米軍が上陸してきた際に、戦車に特攻を行う役目を担い、特攻訓練を行う。


白虎隊を含む兵隊たちは竹で飛行機の張りぼてを作ったが、帕は鉄の皿のような円盤を作る。これを凧のように飛ばす。
米軍の空襲があった際、この鉄の皿を持って走ると、米軍機がこれを射撃してくる。最終的にその皿をぶん投げたら、米軍機にあたって見事墜とすことに成功。これにより少尉に昇級する。
黒人の米兵が発見される(この黒人兵を探すのに帕は鬼王を騙して使役したりする)。
また、爆撃機に描かれていた水着の女性の絵が、マリア・観音として祀られるようになる。


帕のいとこである金田銀蔵が、特攻隊パイロットの1人として関牛窩に訪れる。
彼は見事な鉄棒技を披露したあと、逆立ちで競争して勝った方が隊長になるんだと勝負をしかけてくる。
銀蔵は子供のころから空飛ぶことを夢見続けてきていて、帕とともに飛行機を見に連れて行ってもらった際に、山道で美しい空の色を見ている。
そして、銀蔵は実際パイロットになり、マレー半島で戦闘機乗りになっていたが、ドッグファイトで足を骨折し、その治療のため、高雄に戻っていた。飛べなければ死んでも同じ、と特攻隊に志願する。
銀蔵は、帕に対して逆立ち競争で勝って「死ぬな」と命令する。
そして銀蔵は、特攻隊として飛び立つ。
銀蔵の空への憧れというのが、死への諦念みたいなものにすりかわってしまうところが悲しい(マレーのドッグファイト時と台湾から出撃しての特攻時とでは、銀蔵の空への思いが明らかに変わっている)。
ここまでわりとムチャクチャな、というか(極端な言い方をすれば)面白人間エピソードみたいな話だったが、この銀蔵の話あたりから、少しずつ戦争青春ものといえばいいのか、そういう要素が入ってくる。


大爆撃のあと、生き残ったものの重傷を負った尾崎という兵隊は、腰のところが炭化して火が燃え続けていてホタル人間と呼ばれた。
尾崎の父親に尾崎が死んだと思わせないために、白虎隊の隊員が変わるがわる手紙を書いたりする。
尾崎は、正直なんで生きているのかよく分からない状態なのだが、この後も普通に登場する。ただ、歩けないのでなんか籠かなんかの中に入れられていたような気がするが……。
これも面白人間的エピソードではあるのだけど、尾崎が「百年後も空は青いのか」みたいなことをつぶやいて、そのフレーズが白虎隊の中で流行るという、ちょっとエモい感じのエピソードにもなっている。


駅に、「加藤武夫」という名前の書かれた札をかけた、気の触れた女が現れる。
彼女は原住民族の1人で、「加藤武夫」は出征した彼女の恋人の名前(日本人というわけではなく和名)で、恋人を探すためにやってきたが、言葉が通じず、汽車の車内で血を流して死にかける。
帕はどうにかして彼女と会話するため、白虎隊の隊員たちに通訳できる者がいないか探すのだが、彼女の言葉が分かる者でも、彼女の祖先と我々の祖先は仇敵だったので、という理由で断る。原住民族内部での対立が垣間見える。祖先の頃の話を持ち出して、たった一言の通訳ですら拒もうとする彼らに、帕はキレる。
また、彼女の流血は、日本人古参兵の1人が彼女のことを雑に堕胎させようとしたことによるものだったことが分かる。
帕は、皇軍の精神性みたいなのを信じているので、これに対しても怒りを抱く。


紫電という名前の汽車があるのだけど、橋に落ちかけて動けなくなる
これを白虎隊をはじめとして、兵隊や技術者が一丸になって助けに行くけど、なかなか動かない話。
超阿塗という機関士が出てくるのだけど、彼は汽車バカで色々細々言ってくるので、学徒兵たちと気が合わない。しかし、帕は次第に彼と親しくなっていく。
汽車には車両によって色々と秘密があったりしてという話をしているうちに、超阿塗のあじあ号への憧れの話を聞き出す。
小学生の頃から憧れていて、それで機関士を目指すことになって、勉強も技術も優秀な機関士になったのだけど、そもそもあじあ号満州でしか走っていなくて、台湾では見れないことを知る。なんかの大会で優秀者になったので満州に行ける予定だったのだけど、戦争が始まって行けていない。でも、あじあ号の技術者の人と文通ができたりしている。


「本土決戦」
いよいよ実戦の時が来て、関牛窩を出て山越えをしようとするのだが、山中で道に迷い堂々巡りをするようになる。
ここで、帕の本名が明かされるが、これは聖山の名前であって、この聖山の力によって捉えられてしまっている。
一般兵と学徒兵との間での対立が悪化してきて、帕はこれら二組を分けて、さらに傷病兵を分けてキャンプする。白虎隊の名前の由来である白虎隊は1名を除いて全滅したが、この白虎隊で1人生き延びるとしたら帕だろうとみな考えるようになる。帕は、3つのキャンプを回ってそれぞれの世話をしていたのだが、逆に疑心を招くようになる。
ところが、実際のところ、傷病兵の状況が非常に思わしくなくて、獲物もとれなくなっていたため、帕は死んだ傷病兵の人肉を密かに食糧にしていた。人肉を食べると幻覚を見る。
台風を米軍の上陸と誤解して彼らは突撃する。
帕は手りゅう弾を食らい目を負傷。大量出血する帕の様子に慌てた学徒兵たちは、檳榔を血管注射する。
聖山が動いて、米兵だと思っていた相手が実はみな野生動物(山羌とか)だったことがわかる
実は檳榔として飲んでいたのがヒロポンアンフェタミンによる幻覚も伴っていたのだが、血管注射された帕は、特に今後ひどいことになる。
なお、帕は劉金福から嚢中の妙計というのを渡されていたのだが、それは北京語で「我々は中国人だ。日本人じゃない」というような内容が書かれたものだった……。


終戦後、関牛窩では、劉金福が復権する。三民主義ならぬ九民主義だとうそぶき、劉金福を含む9人の老人たちの合議体である九青団を結成する。合議体といっても、何かを決定するのではなくて、何かが起きるとそれについてわいわい議論するだけなのだが。
国民軍が入ってきて、国語が日本語から中国語になるのだが、タイヤルの老人が劉金福に対して、自分たちはしたを3枚に割いて、日本語と客家語とタイヤル語を話してきた、これ以上「もう舌を割きたくない」と述べてきたりする。


国民軍の呉漢大佐が、帕のことを知って、自軍に引き入れたいと考えるが、この時の帕
アンフェタミン中毒と戦争症候群でボロボロになっており、劉金福はなんとかこれを拒む。
鬼中佐らは、村から少し離れた訓練場に石垣を築き始める。


劉金福が策を講じて拉娃の分離に成功するが、大量出血によって彼女の父は亡くなる。


コオロギの鳴き声が戦争の音に聞こえる戦争症候群の帕
呉大佐がやってくる
家を出ることにする劉金福が、帕の腕を切り落とす


米兵の遺骨の回収をするために、米軍と遺族たちがやってくる。
黒人パイロットの遺族とか
村の人たちが観音として祀っている、空軍機に描かれていた水着女性が、実は乗組員の母親で、彼女がそれを持ち帰りたいと思っているのだけど、既に村の信仰対象になってるしどうしようかなーと劉金福が悩んだりしている。
もちろん、関牛窩にキリスト教の信仰はないのだけれど、立ち並ぶ碑とかに、黒人の母親が勝手にここが敬虔なキリスト教徒の村だと思って感動したり、とか


鬼中佐の立てこもっている訓練場に、帕がやってくる。帕の帰投をもって原隊復帰(解散)とする命令を中佐が下す。
訓練場にやってきた白虎隊の学徒兵たちと帕は最後の訓練を行う。
帕が、白虎隊の兵士たちの点呼を行うシーンがある。呼ばれる名前は和名なのだが、この和名は、もとの名前をもじったりしてつけられていて、和名が解体されて彼らのルーツを明らかにしていくようなシーンになっている。
学徒兵たちは、地元へと帰っていく
帰る汽車の中で、こっそりと日本へ帰国しようとしている、万年二等兵である坂井への暴力がふるわれる。
山の上にいる帕と汽車に乗っている学徒兵たちのあいだで、鏡の反射光を使って別れの挨拶がかわされる。


帕はようやく中毒症状から回復する。
鬼中佐の小学校時代の回想(「支那の子」と虐められていたが天皇の名前を全部暗記して書き出すことをやって見返すみたいな話)。そして、切腹自殺。帕が介錯する。


劉金福は帕を連れて台北へ行き、住人から鬼屋(ゆうれいやしき)と呼ばれる集合住宅で暮し始める。物価が日に日にどころか、刻々と上がり続ける台北では、鬼が出る部屋はかろうじて家賃がおさえられている。実際、劉金福と帕の借りた部屋には、日本人の鬼が出る。
帕は、劉金福の髪縄によって寝台にくくりつけられて、部屋に軟禁状態になる。
同じ鬼屋に住む、ハイビスカス少年となぜなぜ小僧の兄弟が帕のところへ訪れるようになる。ハイビスカス少年は、不治の病を患っており彼の薬や治療を賄うために一家の生活は困窮している。ハイビスカスが好きで、ハイビスカスの花を置いていったりする。その弟は、好奇心旺盛でどんな人にも「なぜなぜ」と聞いて回る。もはや両親には相手にされなくなっているが、帕はなるべく話を聞くようにする。
帕は、台北にくる途中で、大陸で起きている国共内戦に向かった兵士たちから、実家の連絡先を受け取っていて、彼らに消息を伝える手紙を書き始める。帕は、中国語の漢字を書けないのだが、鬼屋にいた人から教えてもらって、ゆっくりゆっくりと手紙を書いていく。
その手紙を出すために、あるいは、ほとんど家をあけてどこかに出歩いている劉金福がどこにいるか調べるため、巨大な寝台を頭上に掲げて、なぜなぜ小僧とともに台北の街を探し始める。
ただ、巨大な寝台を頭の上に乗っけて、実を言えば、さらにそこにブタとイノシシを乗っけて歩く大男はよく目立つ。台北の街で少しずつ有名になっていき、時には騒動を起こすことにもなる。
一方、劉金福は、なんとも地味で冴えない生活を送っており、遊び暮らしてるに違いないと想像していた帕は、さみしい気持ちにもなる。
ハイビスカス少年の葬儀と超巨大電球。
そして帕は、二二八事件に巻き込まれることになる。
これは、国民党軍・政府に対する民衆の暴動とそれに対する武力鎮圧である。
日本人による支配が終わり快哉の声をあげたのもつかの間、その代わりに入ってきた外省人による支配も非道いものだったようだ(行政が滞ったりする系のひどさ)。
帕は、関牛窩へ帰ろうとするのだが、その前にもう一度劉金福のことを確認しようと街に出ると、デモ隊に巻き込まれる。その中に劉金福がいるのを目撃する。
警察の狙撃兵が配置されて、遺体の転がる庁舎前広場とかにうっかり足を踏み入れてしまったりもする。頭の上の寝台で銃弾を避けつつ台北の街をくぐりぬけていく。
この間、日本の軍服を着ている者らとも交流する。帕は、眼が片方ないことを隠すために、日本軍の飛行帽と眼鏡を装着していた。戦後、日本の軍服を着ていると取り締まりの対象になっていたが、二二八事件では、抵抗の象徴となっていってもいた。
帕は、自分がいるとトラブルが起きるのだろうと考えるようになる。
関牛窩へ帰る道すがら、台北へ民衆を鎮圧しにいこうとする兵隊を乗せた汽車を見たり、それに反抗して鉄道労働者がボイコットしているのを知ったりする。
そして、劉金福が殺されかけていたのを見つける。
当時、元々台湾に住んでいた内省人なのか、戦後に台湾へきた外省人なのか見分けるために、日本語か閩南語が話せるかどうかチェックして、話せないとリンチする人たちがいた。
帕も閩南語についてはカタコトで、台北ではその訛りも目立つ原因だった。
劉金福は客家語しか話すことができない。そして、日本語か閩南語を話せと言われた際に、暗記していた嚢中の妙計(中国人だ、日本人じゃない、という北京語)を話してしまう。これによって完全に外省人と勘違いされてしまったのだ。
そして、帕は、劉金福が帕の死亡証明書を持っていたことで、祖父が台北で何をしていたのかを知る。祖父は孫を守るために、彼の死を偽装しようとしていたのだった。
帕は、劉金福を連れて家まで帰るが、亡くなってしまう。
その後、鬼となって劉金福は鬼王に再会する。
鬼王が生前の抗日運動で戦死することになった際、日本人が滅びるところを見たいから目玉を取り出してほしいと劉に頼んだのだが、劉は目をえぐり出すことに失敗してしまう。死後の鬼王が盲目なのはそのせいで、劉は目玉を飲み込んで、いつか鬼王に返すつもりだった。
この再会の時に返そうとするのだが、結局これもあんまりうまくいかなくて、なんというか最期の最期までパッとしない終わりとなる。
最終章では、劉金福の父親が、大陸から台湾へ移住してきた時の話から、劉金福の若い頃の話がされている(龍眼園の話)。
劉金福は、2人の漢人の妻と1人のタイヤル人の妾がいることが書かれている。帕の肉親は祖父以外についての情報が全然書かれていないのだが、タイヤル人の妾の孫であることが示唆されている。
何度も死のうとしても復活してきた鬼王だが、帕から妻の死について知らされ、帕に「地獄を革命してやろう」という言葉を残していよいよ亡くなる。これで鬼殺しがなったということで、完結なのだろう。
そういえばエピローグの中で、超阿塗が戦後満州に行って、あじあ号に無事対面できるエピソードがあった(文通してた日本人技術者が言い残しておいてくれていた)。あれはいい話だったけど、なんで超阿塗だけそういうエピローグが用意されていたのか。


二二八事件について全然知らなかったので、軽く検索するなどしていたが、この時に敷かれた戒厳令が解除されたのが1987年であり、さらに言論の自由がもたらされたのは、1992年の李登輝政権になってからと知って、結構驚いた。
作者の甘耀明は1972年生まれなので、10代後半から20代にかけて、この事件がようやく語られたり作品化されたりする時代を生きていたわけか。
本作において、二二八事件が大きなウェイトを占めているのが確かであるが、二二八事件を中心に描いているというわけでもない。
上巻の帕であれば、こうした事件に関与する方向に動くのだろうが、二二八事件に遭遇した帕は、できるだけ事件に関わらないように振る舞う。どうしても目立つので関わらざるをえないシーンもあるわけだが、彼はもはや無尽に怪力をふるう少年ではなくなっている。つまり、主人公は二二八事件に対してはあくまでも傍観者的な立ち位置にとどまっているのだ。
言語状況やアイデンティティの混乱として描かれている、といえばいいか。
日本人にしかなれなかった、と少年は叫ぶ。
台湾は、日本に占領されていたわけだが、日本が出ていって独立してめでたしめでたし、というわけではなく、そこに中華民国が入ってきたという複雑性がある。といっても、台湾には既に漢民族が多くいて、民族的には同じわけだが、戦後に入ってきた漢人も占領者でしかなかった、というのが悲劇的なところだろう。そして、そうすると、中華民国に抵抗する者たちが共通して話すことができるのが、その前の占領者である日本の言葉だったというのも、なんというか皮肉なところである。
そして、その狭間に落ち込んでしまった者として劉金福がいる。
劉金福は、読者的にも、そんなに好きになれる登場人物というわけでもないのだが、後半の展開は哀れを誘うところがある。
日本人でも中国人でもない台湾人としてのアイデンティティの成立として位置づけられるのだろうけれど、しかしそこで、この事件で主体的活動をする者、としてではなくて、この事件に対して受け身にならざるをえない者、という形でそれは描かれる。それは、客家とか原住民族とかさらなるマイノリティも含めた上での台湾人、ということも関係しているかもしれない。
あと振り返ってみると、作劇上、日本人としてのアイデンティティを捨てるのに、アンフェタミン中毒と戦争症候群による過酷な日々を要したのも、なかなかハードだったな。


超自然現象なりなんなりが普通に起きたりするマジック・リアリズム的な作風で、エピソードによっては結構コミカルなところがあったりもするので、結構スプラッタな描写も多かったりはする(腕切り落としたり、目玉えぐったり)が、重くなりすぎずに話が展開していく感じはする。
文章がぎっちりつまっているので、すいすい読めるという感じでもないけれど、起きている出来事の面白さは結構あって、読んでいくことができる。
いかんせん長かったなあと思わないでもないけど。