アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』

人類存亡の危機に立ち向かうべく、別の惑星系へ旅立つことになった1人の科学教師の物語。
アンディ・ウィアー『火星の人』 - logical cypher scape2アンディ・ウィアー『アルテミス』 - logical cypher scape2に続くウィアーの第三長編。
アストロバイオロジーSFであり、ファーストコンタクトSFでもある。


邦訳は2021年12月にでたようなので、2年くらい経っているのか。そんなにめちゃくちゃ放置していたわけでもないけど、それでも結構読みそびれていた作品だ。
『火星の人』も『アルテミス』も面白かったので、本作もきっと面白いのだろうという予想はしていたのだが、なんとなく読み損ねていた。
ここ1年ほど、「おすすめSF」とかその手の記事には、必ず『三体』と本書のタイトルが挙げられていたような気がするが、それだけに逆に、天邪鬼になってしまって読むのを避けていたところもあるかもしれない。


さて今回、実はこの本を読んではいない。聞いた。
オーディオブックで聞いたのである。
『SF超入門』のオーディオブックが出るのでオーディオブック自体の良さをオススメする。 - 基本読書を読んで、オーディオブックを試してみようかなと思ったのがきっかけであり、なんとなく白羽の矢が立ったのが本作だった。
オーディオブックの聴取体験自体は決して悪いものではなかったが、手元にテキストがないのでこのブログ記事は完全に記憶のみで書いている。
オーディオブックの難点みたいなものを挙げ連ねようと思えば細かいことを色々挙げられるが、しかし、本書をオーディオブックで聞いたこと自体は全体としては悪くなかったように思う。
ただし、自分の生活とあまりマッチしていないというか、オーディオブックで一冊聞き終わるのに結構日数がかかってしまった。もちろん、オーディオブックがなかったら本作を実際に読む機会はもっと後になっていたかもしれない(場合によっては読まずじまいになっていたかしれない)ので、その点、オーディオブックがあってよかったとは思うのだが、今後継続的にオーディオブック聴取を組み込むのもちょっと大変かなと思った。


以下、ネタバレに配慮せずにあらすじや感想を書く。
本作は各所で「ネタバレを踏む前に読むこと」が推奨されており、実際そうした配慮により、自分もネタバレを踏まずに読むことができたのは確かであるが、このブログではあまりそういう配慮しない方針なのであしからず。
ところで、本作についてネタバレを回避することを求める人たちは、一体どの点が致命的だと考えるのだろうか。
というか、謎解きがプロットを推進しているので、ありとあらゆる点が致命的だと言われればそれはその通りなんだけど、順々に読んでいくと順当に解けていくので、「これは意外な展開!」みたいなところはあんまりない気がする。
いや、逆に意外性がないからこそ、事前に知らない方がいいのかもしれないが。
ラストについては、納得感はあるけど意外ではあった。違うラストを予想していたので。しかし、このラストについては、本作の魅力にとってあまり大きなウェイトを占めていないなと思う*1
個人的には、グレースが何故ヘイル・メアリー号になることになったのか、というところが、下巻のプロットにとって一番重要な謎だったと思うので、この点についてのネタバレは致命的になるなと思う。
一方で、それ以外の点についていうと、ネタバレがあったからといって、決定的に面白さを削ぐことにはならないのではないか、と個人的には思う。
もちろん、これは受け手の側の問題であるので、「絶対ネタバレは踏みたくないんだ」という人は回避すべきだと思う。
一方で、この作品について、あらすじを全て知った状態でも読む価値があるのかといえば、個々の結論よりはその結論に至るプロセスに面白さのある作品だから、読む価値はあると思う(逆にそのプロセスまで細々と記されたあらすじを知ってしまった場合、本文を読まなくてもいいことになるかもしれないが、そこまで細かく書かれたあらすじは本文とほぼ一緒ではないか、という気はする)
もっとも、文体重視の作品なのかプロット重視の作品なのかといわれれば、圧倒的に後者ではあるので、プロット全部が分かってしまうと削がれてしまう面白さは確かにあるが……。
このぐたぐだした文章で何か言いたいかというと、「ネタバレしないこと」は確かに望まれる配慮なのかもしれないが、一方で、「物語内容について一切合切触れずに感想を書くこと」がよいことだとも思わない、ということの正当化である。



この作品は、2つの時系列のパートが交互に進んでいく構成になっている。
1つは、記憶喪失状態で宇宙船の中で目覚めた男の話
もう1つは、地球を救うプロジェクトに巻き込まれた科学教師の話
後者は前者による回想になっていて、だんだんと、何故自分がこの宇宙船に乗っているのかを思い出していくという展開になっている。
宇宙船のパートは、まさに『火星の人』のウィアーらしいパートで、一つ一つロジカルにユーモアを交えて問題を解決していく、というものになっている。
(ところで、基本的にポジティブでユーモアを忘れないというのは、ウィアー作品に一貫した特徴だが、前2作と違って、下ネタはほとんど言わなくなっていたと思う。主人公が中学校教師だからだろうか。また、前2作と比べると、ネガティブになることもあったり、人間的弱さも垣間見えたりするところがある気がする)
そもそも自分が一体何者なのかも忘れた完全な記憶喪失状態の中、自分がヤード・ポンド法メートル法を使い分けていることから、自分はアメリカ人の科学者なのではないか、とか推理していくのである。
一方、過去のことも少しずつ思い出していき、自分の置かれた状況を理解していく。
彼は、ライランド・グレースという名前で、中学校の科学教師をしていた。何故か今は宇宙船に乗っていて、太陽系ではない恒星系を飛行している。他のクルーは亡くなっており、宇宙船に一人きりという状況になっている。
グレースは一体何故、恒星間飛行をすることになってしまったのか。
太陽が光度が謎の減少を始め、それはなんと、謎の宇宙微生物が太陽のエネルギーを食べていたからだった。
太陽光度の減少は、近いうちに地球の寒冷化をもたらし、人類は絶滅の危機に陥ることが予想された。
グレースは、ストラットという謎の女性に突然拉致されて、この微生物を調べるように言われる。グレースはもともと宇宙生物学者だったのだが、生命誕生に必ずしも水は必要ではないという論文を発表した際にフルブッコにされたのがきっかけで、研究者をやめて中学教師になっていたのだった。
グレースは、この太陽のエネルギーを食べる微生物をアストロファージと名付け、培養に成功する。
このアストロファージ、もしかして水不要生物なのではないかと最初考えるのだが、基本的には地球生物と同じ仕組みで、ミトコンドリアなども持っていることが分かる。
で、太陽以外にも光度減少が起きている恒星が他にも発見される。アストロファージは、特定の波長の赤外線を発する(ペトロヴァ・ラインと呼ばれる)ので、それを観測することで、他の恒星もアストロファージに「感染」したことが分かる。さらにその中で、タウ・セチ(くじら座タウ星)だけが、アストロファージに感染しているのに、光度減少を起こしていないことがわかる。
何故、タウ・セチは光度減少が起きていないのか、それを調べるためにグレースはタウ・セチ星系までやってきたのだった。
さて、アストロファージはミトコンドリアを持っているので、地球生物と祖先を共有している可能性があり、アストロファージは恒星間移動が可能な生物であることから、パンスペルミア仮説が強く示唆されるわけであり、本書でもそのことへの言及が度々ある。
がしかし、地球滅亡の危機を救うことが主人公たちの主目的であり、本書のプロットもそこへ向けて進むので、アストロファージ播種メカニズムやパンスペルミア仮説の検証などは行われない。このあたり、SF的には大ネタだと思うのだけど、あまり掘り下げがない。
また、グレースの持論である生命水不要説については、彼をアストロファージ研究に引っ張り出す際の動機付けに使われた後は、ほとんど出てこない。アストロファージには水が必要だったので、グレース説はやっぱり間違いだったという結論で終わっていたように思う。
あの説は、グレースの宇宙生物学者としてのユニークさを示すものだと思うのだけど、伏線として用いられることがなく、物足りなさがあった。
別に、必ずしもSF的大ネタをかまさなきゃいけないわけではないだろう、といえばその通りなんだけど、うーん。
なんでアストロファージの感染拡大がこのタイミングで起きたのかとか、過去に起きたであろうパンスペルミアもアストロファージ的な何かの感染拡大として起きたのかとか、そのあたりは気になるっちゃあ気になる点である。


さて、回想パートでは、地球でのアストロファージ対策大作戦の様が描かれていくことになる。
具体的には、ストラットという謎の女性が中心となって、次から次へと世界中の頭脳が招聘されてくることになる。
ストラットは、世界各国からとんでもない権限を付与されており、人類を救うという目的のため、タウ・セチへ行くための恒星間宇宙船を開発するプロジェクト・ヘイル・メアリーを進めていくことになる。
これはグレースが発見したことだが、アストロファージは、E=mc2通りに質量をエネルギーへ変換できる夢の仕組みをもちあわせている。これをもとに恒星間宇宙船を実現しようというのが、プロジェクト・ヘイル・メアリーだ。
エンジンの開発、アストロファージの量産、宇宙船の設計、そして4年間という長期航行をどのように乗り切るのか、解決策をどのように地球へ持ち帰るかという課題が次々と現れ、それらの解決策を持ち合わせた研究者が次々とスカウトされてくる。ストラットは、太平洋上に中国の空母を貸し切っていて、そこで研究開発がすすめられる。
また一方、地球の寒冷化を少しでも遅らせるため、人為的に南極の氷床を溶かして温暖化を進めるという策もとられる。
人類にとって未曾有の危機をもたらすアストロファージだが、エネルギー問題を解決してくれる超有益な存在でもあるし、恒星間宇宙飛行をするにあたっては放射線防護材としても使用できるというお役立ちアイテムにもなる。アストロファージって便利だな的な展開が面白くもあるけど、ご都合主義にも見えなくもない(ちゃんと理由付けはされているけど)。まあ、本書は、ご都合主義的にうまくいく展開が面白さの源になっている気もするので、ご都合主義だからよくないわけでもないけど。
人間は長期間閉鎖空間に置かれると殺し合いを始めてしまう。これを防ぐためにストラットは、人工昏睡技術に目をつけるのだが、人工昏睡ができるのは、昏睡耐性遺伝子を持った人だけという限定がつく。
まあとにかくこの回想パートは、何故か次第にストラットの副官的なポジションにおさまっていくことになるグレースが、ひたすらストラットに振り回されながら、個性の強い世界各地の科学者たちと知り合っていく、という物語になっている。
宇宙船パートと回想パートは交互に進むので、大体宇宙船パートで出てきた謎や問題が、回想パートで解決されていくような感じになっている。なんでこんな風になっている? ああ、こういう理由があったためか、と。


一方の宇宙船パートの方だが、ファーストコンタクトものになっている。
大体状況が分かってきたところで、他の宇宙船と接触することになる。それはやはりアストロファージに「感染」したエリダニ40星系からやってきた異星種族(グレースは「エリディアン」と名付ける)だった。
クモのような姿をしており、また岩のような見た目をしているため、グレースはこの個体のことを「ロッキー」と呼ぶ。
未知の宇宙船の発見から、相手のことを推論しながら徐々にコミュニケートしていく様子は、ウィアー作品ならではのファーストコンタクトで面白い。
元素の周期表とか数字とか物理とかの共通しているところから翻訳を進めていくわけだけど、それ以前に、きっと自分と同じようにアストロファージについて調べにきたに違いないという前提があって、それは大きな賭けでしかないんだけど(グレースもそれは分かっている)、それに成功していく。
エリディアンは、地球とは全く異なる環境(高温・高圧・アンモニアが主成分の大気、重力も地球より大きい)で進化した生物で、その生理や習慣も異なる。何より彼ら(あるいはロッキー)は優れたエンジニアリング技術を持っている。
以後、グレースがサイエンス面を、ロッキーがエンジニアリング面を担当するという分担がなされ、異種族間バディものとなっていく。
まあ、科学に関する語彙が翻訳・修得できるのは分かるとして、それ以外の、(言語学面では素人のはずのグレースとロッキーが)正直そんな簡単に翻訳・修得できるのかってレベルの語彙でも会話できるようになっていて、そのあたりの難しさはわりとスルーされていた。もっとも、そのあたりの難解さまで細かく拾っておくと、物語が進まなくなってしまうので仕方がない。
エリディアンは、人類にとっては未知のキセノナイトというキセノンを含んだ金属を、あらゆる工業製品の材料として使用している。このキセノナイトがかなり万能だったりする。アストロファージとキセノナイトがあると、大体の問題が解決するんじゃないかな、と。
このエリディアン、人類よりも優れた種族なのではと思われるのだが、実は科学知識についてはそうでもないことが分かってくる。
彼らは、視覚を持たず、聴覚によって周囲の環境を把握している。また、超人的な記憶力と計算力を有している。そのためか、彼らは放射線と相対論について全く知らず、なおかつコンピュータに関わる技術も全く持っていないのである。そんな状態で有人宇宙飛行を達成してしまったことによる悲喜劇もある。
こちらの宇宙船パートは、彼らが協力しあいながら、タウ・セチ星系のアストロファージの謎に挑み、タウメーバを採取し、帰還の算段をたてるという物語で、船外活動や惑星への接近などアクションシーンも豊富なものになっている。


いずれのパートでも、様々な問題がグレースの前に立ちはだかるが、それらは全て解決される。実験に失敗したり、迂回したりすることもあるのだが、それでも問題は解決されるものとして描かれている。
問題解決のための科学的プロセスがこの作品の魅力であり、優れたハードSFになっているのは間違いない。
しかしここでは、あえて、本作の解決されざる問題について触れておきたいと思う。
それは、グレースの個人的な問題と、ストラットが語る人類史の問題である。
ストラットは、旅立つ前のグレースに対して、自分が歴史を専攻していたこと、そして人類の歴史のほとんどは食糧争いだったことを告げる。アストロファージ禍が、再び人類を食糧争いに突き落とすになるだろうことを語る。
本作で登場する様々な問題は、自然科学と工学によって解決される問題ばかりだといってよい。しかし、人類がいかにしてこの争いを回避できるか、争いに突入するとしてもどれだけその被害を最小限に食い止められるかという、社会科学や政治に属する問題に対する解決策は、明示されない。
ストラットという人物は、各国政府からフリーハンドの権力を与えられており、プロジェクト・ヘイル・メアリーを遂行するための政治的問題をその権力によって悉くすり抜けていくわけだが、食糧難に陥った際に人類がとるであろう行動に対しては、さすがのストラットも無力であり、歴史を学んだストラットは誰よりもそのことを痛感している。
それは、彼女がプロジェクト・ヘイル・メアリーの実現になりふり構わず奮迅する理由でもあるのだが、この問題は、グレースが直面しない問題でもある。
グレースは、人類がそのような決定的な危機に陥る前に旅立ち、そして、グレースが地球に戻るよりも前に、太陽系のアストロファージ問題は解決する。太陽の光度が回復した早さから、少なくとも人類は宇宙航行技術などは維持できたと推測されるが、人類がどのように困難の時代を生き延びたかは描かれない。
無論、本作にとって、その点が描かれないこと自体は必ずしも瑕疵ではない。
作品の完成度を考えた時、地球の社会科学的問題をあえて描かなかったことは正しいのだが、しかし何故、ストラットは地球を去るグレースにわざわざそんなことを語ったのか。
無論、1つには、特攻ミッションであるヘイル・メアリー号への搭乗を断固として拒否するグレースに少しでも動機付けを与えるためかもしれない。
しかし、ストラットという登場人物レベルで見ればそうかもしれないが、作品レベルで見たとき、そもそも何故グレースは無理矢理搭乗させられなければならなかったのだろうか。
ここにグレース個人の問題が見えてくる。
グレースは、もともとアストロバイオロジー研究をしていた科学者だったが、自説が認められなかったことをきっかけに、中学校の科学教師になった人物である。
彼が、科学教育という仕事にやりがいを持っていることはよく分かるのだが、しかし、彼が転職した経緯自体は、かなりネガティブなものである。
ストラットは、グレースが何事からも逃避しているのだと指摘し、グレースもこのことを認めている。このシーン自体は、グレースがかなり追い込まれている場でのことなので差し引いて考える必要はあるが、しかし別のシーンでグレースは、教師でいると子どもたちから尊敬されて居心地がよい、ということをかなり無防備に語っており、これは事実だと思われる。
教師が教え子から尊敬されること自体は良いことではあるが、教師自身が「みんなが僕のことを尊敬してくれる環境って気持ちいいなあ」と浸ってしまうことは必ずしも健全ではないだろう。少なくともこの物語において、グレースが教師になった動機が「みんなが認めてくれないから研究はやめて、みんなが尊敬してくれる教育をやろう」というものであり、それがグレースの弱さ・逃避的な傾向と結びつけられているので、よいものと見なされてはいないはずだ。
無論、グレースがこうした人間的弱さを持っていることは、グレースという人物のリアリティや魅力ともなっていることは確かだ。全然、英雄的な動機をもっておらず、死にたくないというある意味当たり前の感情を抱えた人物が、行きがかり上、英雄になっていくという物語自体は、読者の共感を誘うものだとも言える。
(グレースが実は志願者じゃなくて無理矢理乗せられたことと、彼の人間的弱点は密接に関わっている)
しかし、結局この、グレースが「研究から教育へと逃げた」という個人的問題が解決されたように見えないのが、物語の作りとしては気にかかる。
もちろんグレースは、子どもたちのことが好きで、教育にも情熱を傾けている人で、決していやいや教育をやっている人物ではない。
とはいえ、じゃあ彼の科学に対する情熱はどうなったのか。最終的に教師として生きることを選択するとしても、それは逃避からではない、という動機付けの再設定みたいなものがあった方がよかったのではないか、と思うところはある。
自分は、回想パートと宇宙船パートが合流してグレースが地球を見るところで終わるのかな、と途中までは予想していたのだが、この予想は外れた。それ自体はそれほど問題ではない。グレースが地球に帰らず、エリドにとどまる展開自体はロッキーの存在を考えると説得的だし、エリディアンと人類の共存という希望あるシーンでもある。
しかし一方で、グレースがエリドで教師をしていたことは気にかかった。
エリディアンの子どもたちに対してグレースが先生をやっているシーンは、絵としては美しいものがあるし、うまく物語の円環を閉じているようにも見える。
だが、上述の理由により、教師をやっている動機付けをもう少しはっきり示してほしかったところがある。
例えばグレースは、宇宙船パートの中で、エリディアン生物学についてもっと研究したいぞ、と思っているシーンがあり、科学者としての情熱がまだ残っていることがありありと窺えるのである。アストロファージの生態や伝播、あるいはパンスペルミア仮説との関係など、彼にとって興味深い研究テーマはまだまだ残っているはずである。彼は、プロジェクト・ヘイル・メアリーにとって必要な問題を優先するために、そうした純粋に科学的な問題を後回しにしていたはずだ。
すぐには地球に戻らずエリドにいることにしたのはいいとして、エリドにおいて彼には研究したいことがいっぱいあるはず。しかし、後日談にはそうしたことは描かれておらず、彼はエリドで教師の仕事をしている。
もちろん、この後日談においてグレースは既に50を過ぎており、それなりの時間経過があったことが分かる。その間に学究生活も送っていたのかもしれないし、その中で自然と教師の仕事が持ち上がり、積極的に科学から教育へと意識が切り替わったのかもしれない。
しかし、そのようなことははっきりとは描かれていなかった。
そしてもう一つ気にかかることは、彼の地球に対する消極的な態度である。
もちろん、彼と地球の間には相対論的距離が立ちはだかっており、また、そもそも地球での人間関係が希薄であることもあり、戻るよりも、バディであるロッキーとともに過ごす方がよい、という選択は理解できるものではある。
とはいえこの結末は、グレースが、地球人類がアストロファージ問題を解決できたかどうかはっきりするまで、地球に向き合うことを避けていたようにも読める。
後日談は、ロッキーが太陽の光度が回復したことをグレースに告げに来てくれたシーンを描く。しかしそのことは、グレース自身は必ずしも太陽の観測にコミットしていなかったことを意味するし、またその後の彼の独白は、太陽の光度回復がわかってようやく、自分が地球に帰ることを検討し始めたようにも読めるからだ。
本作は、次々と様々な問題が持ち上がるが、しかし次々とそれらの問題は解決されていく。たまに解決が足踏みすることもあるとはいえ、その足踏みも含めて解決のプロセスは小気味よく進んでいくし、それが本作の魅力になっていると思う。
しかしだからこそ、人類の争いという問題が、解決策を明示できない=本作では描くことができない問題として残される。
「本作では描けない」ということと、グレースの「地球に向き合えない」という逃避的傾向は重なり合っているように思える。
これが本作の欠点なのか長所なのかは判断しかねるところがある。
古典的な脚本術というレベルで考えると、主人公の個人的な問題が解決されないままになっているのはあまり望ましくないことのように思える。
一方でしかし、自然科学・工学のレベルでは解決できない問題(人類の争いという問題とグレースの個人的問題の両方)があることを示す点で、ある意味では作品の誠実さとしても捉えることができるかもしれない。
ただし、物語全体に対してこれらの要素が浮き気味に思えるので、個人的には欠点寄りに捉えている。

*1:もう少し詳しく書いておくと、グレースが地球に帰還するところで終わると思っていたので、そうじゃなかった点は意外だったということなのだが、しかし、グレースが死ぬことはないだろうなと思っていて、実際死ななかったので、その時点で地球に帰還するかどうかは物語にとっては些細なことだな、と思う。あと、ラストの展開全体はともかくラストシーンの中のラストシーンについては物申したいことがあり、本記事の後半に書いている