『科学2023年6月号』(特集:意識とクオリアの科学は可能か?)

クオリア構造学とかロボティクスからのクオリア研究とか言語との関係とか
以前、生体の科学 Vol.73 No.1 2022年 02月号 特集 意識 - logical cypher scape2があったけど、一部重複する人もいるけれど、領域がまた違う感じ。
『生体の科学』にもいた大泉・土谷がこちらにもいて、クオリア構造の研究がより進展しているのが面白かった。実際の実験が行われている。
クオリア構造比較実験を行ったという大泉論文と、集合的な記号創発(言語獲得)とクオリア他我問題をかけあわせる谷口論文が特に面白かった。
乳幼児のクオリアを扱った森口論文や、構成論的アプローチによる堀井論文も面白かった。内受容感覚大事。
谷口論文と佐治論文は、言語とクオリアの関係を扱っているけれど、サピア・ウォーフ仮説的な言語から知覚への影響についての話が再び形を変えて戻ってきている感じなのだろうか。
土谷・谷口対談については、4月号からの続きだったらしいので、4月号もあわせて読んだ


[巻頭エッセイ]意識の科学の系譜と最前線……土谷尚嗣

もともと主観的なものとして避けられてきたけど、測定技術が発展して、様々な意識の理論(グローバル・ワーキング・スペース説と統合情報理論が代表例としてあげられている)が出てきて活況を呈してきているが、それらの理論の「試金石」がない状況であり、クオリア構造が試金石になるはずだ、と
かつては、指導教官のコッホから、グラントにConsciousness(Cword)とか書くな、Attentionとかで書くんだ、と言われていたけど、時代が変わった的なことでしめられていた。

意識をもつのになぜ身体が必要なのか――身体的潜在経験の世界へ……田口 茂

意識に身体は必要なのか。
閉じ込め症候群の患者の意識は身体なしの意識なのでは? → そもそも意識が発生するのに身体が必要なのではないか(その後、身体が使えなくなったとしても)。
ホヤは、幼体の時は動くことができて脳があるが、成長して固着生活を送るようになると脳が消える→身体制御なくして脳はなく、脳なくして意識はない、つまり身体なしに意識はないのでは。
また、ゴンドラ猫の実験から、能動的に身体を動かす経験の重要性について。
それから、色の恒常性錯視について、仮想的に右から見たり上から見たりした時にどう見えるかというものを統合して判断しているのだ、と(少しフッサールの名前も出している)
仮想的なメンタルローテーションは明示的には意識されていない、潜在的なもので、そうした潜在的なあれこれを統合したものが、明示的に意識にのぼるのではないか。
つまり、クオリアというのは、潜在的な様々な身体的動作などの「要約」なのではないか、と。
最後に、現象学とエナクティブ・アプローチの相性の良さに触れ、今後、神経科学的なアプローチとも統合していきたい、と。

クオリアの発達的起源……森口佑介

乳幼児のクオリア研究は、言語的報告ができないこともあってほとんどなされていなかったが、その研究を少しずつしているよ、という話。
例によって視線を向けている時間を測定することで、視覚意識があるかどうか調べる実験
それから探索行動をする時間を測定することで、確信度合いを調べることで、メタ認知しているかどうか調べる実験*1
乳幼児も意識体験を持つと考えられるが、例えばイマジナリーフレンドみたいな、成人とは異なる特徴も持つ。どのように発達していくのか研究はほとんどされていない。
今後、乳幼児についてのクオリア構造(クオリア間の類似度の距離)が研究課題である、と。
構造を捉えるという先例としては、ピアジェ構造主義があった。しかし、用いている数学において限界があった(同じドメイン間でしか比較できない)。今なら、圏論を用いることができる(違うドメイン間でも比較できる)。

感情のクオリア――そのソワソワした感覚に何かメリットはあるのか?……小泉 愛

まず、感情研究においてクオリア(主観的側面)を取り扱う意義を説明している。
感情研究では、発汗量とか心拍数とか客観的側面を調べるのが主流であるが、しかし、感情そのものと相関していないことがある(心拍数が早くなるほど不安の度合いが大きくなる、とは限らないということ)。薬の開発において、心拍数が下がったから効果ありとされても、実際に不安が抑えられていなかったら意味がないわけで、クオリア研究は社会的な意義もあるのだ、と実用的側面を指摘している。
そういう指摘を自分は今まであまり見たことがなかったので面白かった。
クオリア研究において、その進化的側面や機能について着目したものは実は少ないと前置きして、「不安」の機能について試論的なことが書かれている。
つまり、行動を持続的に方向付ける機能を持っていて、だからこそ進化的に獲得されたのだろう、という話。
感情が、行動を方向付けるものとして機能していて、それが適応的だったというのは、大枠の話としては分かる。が、クオリア全体に一般化できるかどうかはよく分からないな、と思った。
あと、哲学だと、クオリアと機能の関係でいうと、志向性の話されることが多いと思うので、こういう話はあってしかるべき議論だと思うけど、ちょっと新鮮だった。

ロボットは感情クオリアをもつことができるのだろうか?……堀井隆斗

構成論的アプローチによる感情クオリア研究
ロボットが感覚情報について機械学習してカテゴリ化を行うみたいな研究だと思うのけど、ページ数の問題か、そのあたりの方法論についての紹介がほとんどなくて、こういう結果が得られたといってグラフが貼られているのだけど、そのグラフの読み方がちゃんとは分からなかった(何となくこんな感じかな、というのは分かるが)
まず、クオリアの発達について、乳幼児は言語報告が難しいので、ロボットを使うという研究について
視聴覚情報に加えて触覚情報も使うロボットと、触覚情報は使わないロボットと(C繊維を持つか否か)で、感覚情報の構造化が得られたのだけど、前者の方が人に似た構造を持つと。
次に、内受容感覚とクオリアの関係について、人間にセンサをつけて実施した研究。
これはいわば人間をロボット化した研究だという。心電とかの情報(内受容感覚)を使って機械学習を行ったのと、そうでないのを比較する。
食べ物の好き嫌いの時の反応から好き嫌いの感情構造を獲得
多くの人が、今存在しているロボットには感情はないと思っているだろうし、筆者もそのように考えているが、内受容感覚の有無(つまり臓器の有無)が重要なのではないか、と。
なお、この堀井論文は、前述の小泉論文や後述の谷口論文や佐治論文、あるいは『科学』1月号(構成論的アプローチ特集)の論文も参照している。

言語はクオリアを斉一化するために創発したのか?……谷口忠大

他我問題やサピア・ウォーフ仮説のような言語と思考の関係についての問題への、記号創発システム論からの仮説
私とあなたで同じ「赤」を感じているのかという問題と、私とあなたで「川」という言葉でイメージするのは同じなのかという問題。
記号創発システムの研究で、マルチモーダルな概念獲得というのをやっているのは、以前谷口忠大『記号創発ロボティクス』 - logical cypher scape2で読んで知っていたが、さらに、複数のロボット間で記号と観測の対応関係が揃う、これを「集合的予測符号化」と呼ぶことにした研究というのもやったらしい。
紙幅の問題もあり、さらっと紹介されるにとどまっていたが、この「集合的予測符号化」気になる。
ググったところ、https://www.jstage.jst.go.jp/article/pjsai/JSAI2023/0/JSAI2023_4H3OS6b01/_pdfがあった。
言語学習と感覚情報を同時に学習した際の内部表現
さて、その上で、タイトルにあるとおり、言語がクオリアを斉えるために生まれたのではないか、と論じている。
機械翻訳で異なる言語間で対応づけが可能に
言語学習で習得されるクオリア構造は他者と一致するという仮説
言語はコミュニケーションのために進化したといわれるが、その内実として、クオリア構造一致があったのではないか、と。
うーん、面白そうな話
ここで安易にウィトゲンシュタインの名前を出してくるの安易に過ぎるし、要検討ではあるけれど、思わずウィトゲンシュタインを想起してしまう話ではあるよなー。

クオリアと言語……佐治伸郎

最初に、モノクロのイメージが示され、これが何に見えるかという実験が紹介される。何の形とも言いがたい形なのだけど、「リンゴ」という言葉が先に提示されていると、リンゴにしか見えなくなってしまうという実験。言語による指示が、クオリアにも影響を与えるという傍証として。
また、「ネコ」という言葉でも「ニャー」という鳴き声でも人は猫を想起するけれど、言葉の方がより強く想起させるという実験もあるらしい。
言語がクオリアに影響を与える例として、言語隠蔽効果とプラセボ効果の名前も挙げている。
また、サピア・ウォーフ仮説的な話についての実験で、英語における青が示す範囲について、ロシア語はさらに2つ分かれるらしいのだが、その範囲内で、2つの色を示されて色の異同を判断させる実験をすると、どの範囲で示されたかによって英語話者とロシア語話者で判断速度が変わるという結果がみられるという。また、ロシア語話者に対して、他の言語的課題をやらせて言語面に妨害をかけると、この速度差が消える、とか。
ただし、知覚の全てが言語に影響を受けているわけではないことは筆者も認める。
例えば、以前ネットで話題になったドレス問題(「白と金」か「青と黒」か)は言語に影響を受けない。
何が言語に影響を受けて、何が影響を受けないのかは今後の研究課題だと。
その上で、言語と思考の関係については古くから論じられてきたテーマではあるが、過去においては。客観的で連続的な世界と離散的な言語の関係として考えられてきた。連続的な光のスペクトラムを、離散的な色名がどのように切り分けているのか、という問題として。
しかし筆者は、問うべきは知覚の構造と言語の構造の関係である、とする。

あなたの「赤」と私の「赤」は同じ?――自分のクオリアと他人のクオリアをつなぐ数理……大泉匡史

土谷尚嗣『クオリアはどこからくるのか?』 - logical cypher scape2生体の科学 Vol.73 No.1 2022年 02月号 特集 意識 - logical cypher scape2で扱われていたクオリア構造について、実際に行われた実験の話。
クオリアは主観だから測定できないと考えられてきたが、関係性(赤とオレンジは似ている、赤と青は似ていないなど)であれば測定できる。心理学などでは、珍しくないアプローチ。
クオリア構造を調べる端緒として(クオリアは色だけではないが)色について調べた。
類似度アンケートを行う。色の組み合わせが4桁通りあるので、1人の被験者が全部答えるのは困難。複数人の答えをかけあわせる。類似度のベクトルで、ある被験者グループにとっての色の関係性構造を作る。
別のグループの関係性と比較する。この時、どのベクトルがどの色と対応しているのかという情報はいったん外して、関係性だけにした上で、一致するかどうかを調べる。
で、これが一致した。赤が他の何色と似ているのかという関係性において、比較が可能になった、と。
また、定型色覚と非定型色覚では、一致しないことも確かめられた、と。
クオリアは、色だけでなく他にも色々なものがある。色クオリアと匂いクオリアの関係性をどう調べるかという問題もある。また、これはあくまで関係性でしかない。といった課題はあるが、しかし、少なくとも、私のクオリアとあなたのクオリアが同じであるといえるための「必要条件」は分かったのではないだろうか、と。

意識状態とは何だろうか――〈圏上の非可換確率構造〉による理解の試み……西郷甲矢人

筆者は、数学者で、量子場に関する数学の研究をしていたが、共同研究を通じて意識研究にも自分の数学研究が応用できるのかと考えるようになった、と。
最初、「状態」とは何かという話から始まる。「状態」って何となく使われているけど、数学ではちゃんと定義されている、とか
普通の確率論は可換なのだけど、これは非可換確率論の特殊ケース。量子論は非可換確率論が用いられる。で、ヒルベルト空間のことがちょっと出てくる。
で、これが量子論だけでなく意識研究にも使えるのではないか、と。
うーん、全然分からんかったー

意識に迫るべくクオリア研究を切り拓く 「アリス」から,さらに先へ〈番外編〉……土谷尚嗣・谷口忠大

土谷と谷口の対談。4月号に掲載された対談の続き、らしい。
土谷は谷口と自分の共通する考えとして「知能(意識)は関数ではない」がある、という。doingではなくてbeingなのだ、と。
谷口は、関数=function=機能であり、何か役に立つことができるとして捉える知能観を退ける。例えば、2歳や3歳にも知能があるけれど、何か役に立つようなものではない、と。
土谷は、意識研究の方法としてみな報告が必要だと考えているけど、そんなことはないはずだという。1つは、無報告no report課題というのがあり、もう1つとして、massive reportというのがある、と。後者は、先述の大泉論文でも出てきたが、複数の人の報告を組み合わせるというもの。大体このあたりはいちいち聞かなくてもみんな同じだろう、と想定する。
土谷は、自分の基本的な問いとしてクオリア構造の比較があるといい、谷口が、他我問題ですね、と拾う。谷口もそれは同じで、土谷が理学部で、自分が工学部出身なので、脳研究とロボット研究というそれぞれ別の実現方法をとったのだろう、と。
再びno reportの話に戻り、土谷はこれを「純粋経験」の話と結びつける。哲学では議論があるけれど、科学ではまだ扱われてこなかった。しかし、これも意識経験に違いないわけだから、と。

「アリス」から,さらに先へ1 ロボットに意識は宿るのか?……土谷尚嗣・谷口忠大

土谷が、意識研究においてはまず「身体なしの意識」がありうるかで意見がわかれるとして、自分は身体なしの意識は可能だと考えるという。ただし、現在のCPUに意識が生じるとは考えていない。ニューロコンピュータなら可能ではないか、と。そういう意味では、ある種の身体(素材のことか?)は必要だ、と。また、田口茂とこの話をした際に、田口は身体からの入力がなくなったら、一時的に意識は持続してもいずれ意識は消滅するだろうと考えたのに対して、土谷は脳内のループだけで意識は持続するのではないだろうか、と考える。
谷口は、身体という時3つを区別した方がいい、と。1つは、ニューロモーフィックコンピュータのような、ソフトロボティクスなど機械系の人が重視する、形態に機能が宿るというような意味での身体、2つ目は感覚運動系の身体、3つめは社会的存在としての身体。自分の場合は、2つめで使う、と。
また、意識が生じる・生じないという時、時代によって「意識」という概念の変化が起きていることに注意しておいた方がよい、とも。例えば、注意することと意識することは、かつてはあんまり区別されていなかったが、今ははっきりと区別されている。
ロボットに難しいことについての話(ものをつかんだりすることが難しい)など。
アリスの小説を書くに当たって、言語獲得についてはできるんだけど、歩かせるのが難しかった、と。
最後に、小説の中でアリスの内観報告を書かなかったことについて。これは、『科学2023年11月号』(特集:新しい恐竜学) - logical cypher scape2の岡ノ谷との対談にもつながる。

*1:メタ認知を確信度合いで調べるというのは、生体の科学 Vol.73 No.1 2022年 02月号 特集 意識 - logical cypher scape2でサルの研究で紹介されていた