フレデリック・ルイス・アレン『オンリー・イエスタデイ』(藤久ミネ・訳)

サブタイトルに「1920年代・アメリカ」とある通り、1920年代のアメリカを振り返った社会史。
執筆されたのは1931年で、まさについ昨日の出来事、として語られているのだが、歴史書としての距離感もありつつ、筆者のアレンは元は雑誌編集者なので、読み物としての面白さもありつつ、という本になっている。
史書ではあって、当時の他の社会科学系の研究書からの引用があったり、統計からの数値が参照されていたりとするのだが、文章そのものは、読み物として面白く読めるようなものになっている。特に最後の3章、土地や株の価格がバブル的に膨れ上がり、そしてあの大暴落に達するまでの過程を描く筆致は、読んでいてハラハラするものになっている。
ウィルソン、ハーディング、クーリッジ、フーヴァーといったこの時代の大統領それぞれのキャラクターの違いも結構浮き彫りになっていて、特に共和党3人なんてこれまでほとんど違いないと思っていたけど、意外とキャラクターが違うのが分かって面白かった。
また、麻雀とかクロスワードとか、意外なものがこの時期に流行していたのもまた。


1章 プレリュード―1919年5月

1919年5月のある夫婦の生活を描写することで、10年間でどれだけ変わったのかを示す。
(まだこれがないとか、あれを知らないとか)

2章 常態への復帰

戦後のウィルソン大統領について
14ヶ条の原則を掲げ、国際連盟の創設に尽力したことで有名だが、実際にはかなり孤立していたらしい。
というか、まあ明らかに理想主義者なので、戦争中に人々が一致団結していた時はよかったが、戦争が終わったところから彼の理想主義から人は離れていく。英仏首脳はドイツの賠償を優先しようとするし、アメリカ上院は、二度とアメリカが戦争に関わらないようにしようとする。
ウィルソンはその点、あまり会議での利害調整とかが得意なタイプではなかったらしい。
側近の意見も少しずつ聞かなくなる。
一方で、ウィルソンのすごいところは、最後には民衆の支持が得られると考えて、肉体的な負担をおして合衆国全土に演説行脚してまわるところ。
とはいえ、それによる逆転劇はなく、最終的に完全に体調を崩してしまい、ホワイトハウスで寝たきり状態になる。その後、大統領の任期が切れるまで人前に姿を見せることがなくなり、行政府は最低限の業務以外止まってしまう。
ウィルソンがホワイトハウスに閉じこもった一方で、上院は条約への修正を次々とあげていき、こうしてドイツとの講和条約も、ウィルソンの任期中は締結されずじまいとなった。

3章 「赤」の脅威

2章では、戦争中の一致団結がなくなって、常態へと向かっていったために、ウィルソンの理想主義が受け入れられなくなっていった過程が書かれていたが、3章では逆に、戦争が終わっても戦争中の気質が継続したために起きたことについて。
第一次大戦後も、赤狩り的なことが起きていたらしい*1
実際には、アメリカの社会主義者ないし社会党などの左翼政党の党員は非常に少なくて、アメリカで革命が起こる可能性は低かった。
しかし、ロシアでの革命があったこと、大規模ストライキが起きていたことから、革命への恐怖、みたいな意識はなかった。
何より、本書では、戦争中に掻き立てられていた闘争心というか敵を作ってそれを攻撃するというマインドが、戦争を終わっても抜けきれなくて、新たに「赤」という仮想的な敵へと向けられたのだと説明されている。
また、「赤」という時、実際に社会主義者かどうかはあまり関係なくて、経営者層、保守層、戦前への回帰を望む層が、自分たちと意見の違う者たちに「赤」というレッテルを貼っていただけ、というのもある。
(なお、ギャングが自分たちの凶行を「赤」のせいにして隠れ蓑に使っていたり、というのもあったとか)
それから、この戦後まで残ってしまった敵愾心みたいなものは、黒人にも向けられた、と。有名なクー・クラックス・クランがそれである。


この「赤狩り」にせよ、クー・クラックス・クランにせよ、急速に広まった一方で、その後、急速に終息していく。
日常が戻り、景気が回復するにつれ、人々の意識はもっと別のものへと向かうようになったからだ、と。

4章 回復期に向かうアメリ

ラジオ放送が始まる。
この頃、どうやって音楽を収録するか色々やってるうちに壁に布をはって吸音する方法を見つけたらしい。最初はめちゃくちゃ反響しまくりのを放送してしまったとか。


「赤」の脅威への関心が薄れて、人々の関心はさまざまな気晴らしへ
例えばスポーツ、水着美人コンテスト、タブロイド新聞、少し教養のある層だとウェルズ『世界史大系』など(ただし、読み通せた人は少ないとか)
それから麻雀が流行したらしい。ツタンカーメン王の墳墓が発見されたのもこの頃。


サッコ=ヴァンゼッティ事件
まだ、「赤」への脅威が感じられていた1920年の事件で、事件当時はそれほど注目を集めてなかったが、イタリアや南米などアメリカ国外でデモなどが起きるようになる。冤罪ではないかと言われていたが、1927年に死刑執行となる。


5章 生活のしかたと道徳の革命

フラッパーを始めとした若者の話。
女性の服装の変化や、女性が酒たばこをやるようになったことなど、あるいは性への規範意識も変化する。
スカート丈の長さの変遷について、型紙から調べた研究が紹介されている。一貫して短くなったわけではなくて、いったん長くなった年があるのだが、これはあくまでも型紙からの調査なので、実際に着られていた丈についての調査ではないという注釈がなされている。
つまり、供給側はスカート丈が短くなる傾向にいったんストップをかけようとしたのだが、人々はそれを望まなかったことがわかる、と。
若者の性については、フィッツジェラルドが『天国のこちら側』で描いたことによって、年長世代にも知られるようになったほか、『ダンサーズ・イン・ザ・ダーク』『ザ・プラスティック・エイジ』『燃えさかる青春』などの作品でも描かれた。


若者の規範意識の変化が起きた理由として、
まずは、戦争が挙げられている。戦争の時の気分が抜けきらない、というか。
また、戦争が旧来の秩序を破壊した感覚もあったのだろう。
それから、女性の社会進出が挙げられる。家電による家事からの解放と就労の増加が挙げられている。参政権の話もされているが、参政権は与えられたが実際の政治進出はそれほどすすんでいない。
また、フロイト理論の流行というのもあったようだ。
禁酒法によって生まれたもぐり酒場では、女性も酒を飲むようになったとか、あるいは、自動車の普及というのも挙げられている。動く個室としての車。
フラッパーとも言われる、この頃の女性のファッションとして、短いスカート丈、断髪、化粧が挙げられているが、これらは、若さを望むことへの反映でもあった。短いスカートや短い髪だけでなく、コルセットを使わず、女性的な身体のラインを出さないことが、子どものように見えるということだったらしい。
性についても積極的に、あけすけに語られるようになり、当時の文学作品はセックスをテーマにしたものが多い。
一方、性規範が緩くなり、ある意味で価値が軽くなったことで、例えば恋愛の価値も軽くなったという。
また、パーティへの参加態度とかが悪くなっているとかもある。あえて、遊び慣れている感を出すために、遅刻していくのが普通になったとか。
ある意味自由であったが、根強い幻滅感というのもこの時代の特徴らしい。

6章 ハーディングと醜聞

ハーディング大統領時代のスキャンダル(疑獄)について。
1920年代のアメリカ政治というと、ハーディング、クーリッジ、フーヴァーと続く共和党時代として習ったが、フーヴァーについてはかろうじてフーヴァー・モラトリアムで知っているものの、ハーディングとクーリッジについてはさっぱり知らない。
どちらかといえば、何もしなかった大統領として有名なわけだが、ハーディングとクーリッジは実は結構違うタイプの人だったんだなあということが分かった(フーヴァーはさらに違う)。なんとなく一絡げにされがちの3人だけれども。


さて、ハーディングについてだが、しかしこの章のほとんどは、彼が1923年に死亡してから後にさかれている。
中毒死だったようだが、自殺説や、妻による毒殺説がささやかれている。


ティー・ポット・ドームと呼ばれる海軍石油特別保有地がある。これはその名の通り、有事の際に海軍が使用する石油のための油田なのだが、これをシンクレアなどの石油会社へ貸与していたという事件が起きる。
有事の際の備えとしての油田なわけだが、本来、海軍大臣の許可がいるところ、内務長官の許可によってなされており、この権限委譲を認めたのがハーディングだった。
でまあ、シンクレアなどから政治家へのキックバックがあって~という疑獄事件へと発展していく。
お金の流れの中に大陸通商会社という謎の会社が出てきたりする。
上院の調査委員会で色々な人が証人喚問されるのだが、例えば、映画検閲のヘイズ・コードで有名なヘイズなんかも呼ばれている。ヘイズは、のちに証言を翻しているのだが、理由を聞かれて「聞かれていなかったので」などと答えていたりする。
これ以外にもハーディング政権においては、復員兵局の病院における汚職事件や、アメリカ金属会社事件などの汚職が発覚している。
ハーディングは自分の関係者を閣僚に任命し、こうした閣僚たちが汚職を行っており、のちにオハイオ・ギャングなどとも呼ばれた。
こうしたスキャンダルが明らかになるにつれて、関係者の中で不審な死を遂げた人も出てきたりしている。本書の中では、ハーディング自身もその1人だよね、ということが示唆されている。
ところで、こうしたことに対する国民の反応はどうだったかというと、上院の調査委員会はかなり厳しく調査したようで、ずるずると色々なことが判明していくのだが、国民側はどちらかといえばハーディング支持というか、調査側を非難するような感じだったらしい(本書では「ニューヨーク・タイムズ」ですら、というようなことを書いている)。
これ、調査の全貌が明らかになるまで、何年もかかっており、リアルタイムに触れていた国民にとっては、時々証言とかが出てくるという感じなので、全容が掴みにくかったということもあるっぽい。


7章 クーリッジ時代の繁栄

引き続きクーリッジ政権の話だが、この章は、クーリッジ政権についての話というよりは、クーリッジ政権時代の経済繁栄についてである。


まず、本書では「繁栄のバンドワゴン」という表現がされているが、それに乗り損ねた産業についてから軽く触れられている。具体的にいうと、農業である。
では、繁栄を謳歌したのは何だったかというと、自動車とラジオが挙げられている。
自動車は、フォードがかつてのT型に変えて、A型という新モデルを発表することになった際の人々の期待感についてのエピソードが書かれている。
それから、セールスマンと広告について
単に販売するというのではなく「セールスマン」という存在が大事になってきて、セールスマン同士の過剰な競争が煽られたことが語られている。営業成績ごとに、出される食事や酒が異なる宴席がもうけられたとか。
広告は、例えば口臭について煽って、医学的には特に効用のない香料を売りつけていた話とか。
まあなんというか、そういうのって1920年代のアメリカに起源があるのね、なるほど、みたいな話だった。
また、宗教と事業の関係の話が、いかにもアメリカっぽい。
この時代、(例えばフォードなどの)事業家が尊敬を集め、事業として成功しているというのが褒め言葉であり、宗教活動についても、事業の比喩によって語られるようになった、と。


最後に、クーリッジについても触れられているが、普通の人だったとか言われている。

8章 誇大宣伝時代

先に、麻雀が流行った話があったが、さらにクロスワード・パズルの流行があったのも1920年代らしい。
クロスワード自体は、さらに前からあったようなのだが、これに目を付けてうまく出版して流行させた人がいた、と。


キリスト教では、正統派(ファンダメンタリズム)が出てきて、進化論教育を禁止する州が出てきて、進化論教育を巡る裁判(スコープス事件)が起きる。
ただこれ、デイトンという町で起きたのだが、デイトンが有名にならないかなあみたいな理由で起きており、その後の裁判も、進化論教育の是非というより、宗教右派とリベラル派の弁護合戦に世間の耳目が集まって盛り上がるという方向へ進む。


リンドバーグが、大西洋無着陸横断に成功して英雄となる。
この人は結構誠実な人だったようで、世間からすごく持ち上げられるけど、居丈高になったりすることもなかったようで。
で、その後、色々と2匹目の泥鰌を狙うような冒険旅行が相次ぐらしい。

9章 知識人の反乱

知識人層というのは、ジョイスプルーストセザンヌユングラッセル、デューイ、ペトロニウスユージン・オニール、エディントンを聞きかじっており、理解できずとも相対性原理について論じ、フォードやクーリッジを超人性を疑うような人々
シンクレア・ルイスの『メイン・ストリート』『バビット』の影響力が圧倒的で、この2冊は、中西部の田舎や俗物の実業家を批判していた


代表的な人物として、新聞記者のH.L.メンケンがあげられている。
とにかく攻撃的な時評を書く人で、敵対する者に対してひたすら罵詈雑言を並び立てていたらしい。


知識人層の一般的傾向
1.性の自由を信奉、2.ヴィクトリア朝の思想への忌避、3.禁酒法反対、4.宗教に対して懐疑的、5.ブルジョワ階級への軽蔑、6.暴露ものの流行、7.大量生産と機械文明への恐れとパリへの逃避
3の禁酒法反対のところで、改良主義者(リフォーマー)が軽蔑のことばになった、とか
あと、暴露ものというのは、大衆に人気の人物をひっくりかえすことで、例えばリットン・ストレイチーによる伝記があげられている。
そして何より、幻滅が時代の気分であった。


美術や音楽にも少しずつアメリカ独自のものが生まれつつあったが(音楽であればジャズ)、特に建築では摩天楼としてアメリカの様式が花開く。
また、アメリカ文学として、ポール・バニヤンやカウボーイ叙事詩といったアメリカならではのものに価値が置かれるようになり、この時期は、シンクレア・ルイス『アロウスミス』、ドライサー『アメリカの悲劇』、ヘミングウェイ武器よさらば』、ウィラ・キャザー、ベネット『ジョン・ブラウンの肉体』、ユージン・オニールの戯曲、リング・ラードナー『ゴールデン・ハネムーン』といった作品が生まれた。

10章 アルコールとアル・カポネ

禁酒法について


禁酒法ってなんであんな法律ができたのかと思うけれど、話としては戦争中に遡るようで、戦争中というのは色々な法律が結構簡単に成立していて、禁酒法も、戦時中の統制の一つとして成立したらしい。ただ、戦争が終わるかいなかみたいな頃の話で、戦時のみの法律ではなく、憲法の修正条項として成立する(禁酒法、というのが憲法レベルで成立するのが、また不思議な感じがするが)。それだけでなく、禁酒法成立にあたっては組織的な運動もあり、一方、反対派は組織化されていなかったという要因もある。
さて、法律自体は容易に成立したのだが、いざこれを実行に移そうとすると当たり前に困難に直面する。
そもそも酒は簡単に造ることができてしまう。法を執行するための管理員も人数が不足していた。
禁酒法支持者は、禁酒により生産効率があがったり、秩序が保たれたりしていると主張しているが、そもそも、ほんとうに禁酒が達成されていたのかどうかが分からない、という点で禁酒法は失敗だったのだと本書では述べられている。
大統領選挙では、禁酒法に反対する民主党スミスと賛成する共和党フーヴァーが対決して、後者が勝利する。ただ、フーヴァーも禁酒法に対しての言い方は結構曖昧で、その動機は肯定される、みたいな言い方をしている。
フーヴァーは当選後、禁酒法に関する調査委員会を立ち上げるのだけど、この委員会の報告書もどっちとも取れるような内容に終始しており、その後、州によっては禁酒法があやふやになっていく。


さて、この禁酒法時代に、酒にシノギの匂いをかぎとったのが、シカゴのジョニー・トリオであった。彼は実働部隊を率いる者として、アルフォンス・カポネを登用する。
するとみるみるうちに頭角を現わして、カポネはシカゴ・ギャングを率いるようになっていく。
こうしてシカゴは血なまぐさい暴力が吹き荒れることになるのだが、ほかの街にもギャングは広がっていく。


また、当時は恐喝屋というのも広まったとか。
労働組合運動が過激化していく中で、ギャングとつながりができて、恐喝屋なるものが生まれてきたらしい
洗濯屋に対する恐喝屋とか、そういう感じで。
酒類密売ギャングのお気に入りがマシンガンなら、恐喝屋は爆弾だったとか


11章 ふるさと、なつかしきフロリダ

1925年に起きたフロリダ土地ブームの顛末について。
フロリダ開発をめぐって投機マネーが集まってきて、土地バブルが発生し、そして弾ける。
この章、(そして続く12章、13章は)読んでいてスリルがあって非常に面白いのだが、まとめてしまうとその内容は、上記の通り、土地バブルが起きて弾けた、というだけの話ではある。
後世の人間からするとよく分からないが、とにかくフロリダの土地ならどこでも売れていった、と。信用取引して、すぐ転売しているから、実際にお金入ってきてないから、最終的には、開発途中で無残に取り残されてしまった土地も多い、と。
もっとも、一部にはうまく成功したところもあったようだけれど(そして、だからこそ、みんな集まってきてしまうのだが)。
この章では、フロリダの土地ブームについて主に書かれているが、ニューヨークのロング/アイランドとか、アメリカの他の土地でも似たようなバブルがいくつも起きていたらしい。

12章 大強気相場

さて、本書のクライマックスが、この12章と13章となる。
1928年頃から、投機マネーが土地から株へと向かっていく。
12章は、章のタイトルに「大強気相場」とある通り、とめどなく株価が上がっていく様子が描かれている。
取引件数も増えるし、株価もとんでもない上がり方をしているのが、数値をもとにしながら書かれている。
実は、1929年のいわゆる暗黒の木曜日が来る以前に、2度ほど株価の下落があったらしい。ただ、これはいずれも持ち直していて、下落時に買った人がうまく儲けている。これは結構伏線だなあ、とは思う(実際の大暴落の際、また持ち直すのでは、と思わせてしまった)。

13章 崩壊

さて、いよいよその時が訪れるのだけど、この章は小説を読んでいるかのような面白さがある。手に汗握るというか。
表示機テープとやらがあって、それが株価をカチカチと出してくるらしいのだが、とにかく急落すぎて、このテープが全く追いつかない。数時間前の結果が表示されるとかで、自分の持っている株の株価が今どうなっているのか全く分からなかったりするらしい。
また、このテープ、文字数を省略していて、普段だとそれで問題なくパッと見ても分かるらしいのだが、この時ばかりは、分からなくなったとか。
この大暴落は、株価が下がったことで追証金の請求が来て、売らざるをえなくなって、大量の売りがかかって、さらに株価が下がってみたいなループがあったらしくて、意志とかと関係なく大量の「売り」が生じてしまう状況だったらしい。
大手銀行の頭取が密かに集まって(ヤバいことが起こっていると気取られないように、2人ずつ会議室へ行くとかしたらしい)、買い支えを決定するのだけど、ほとんど無意味だったとか。
あと、銀行窓口には融資の申込みが殺到するのだが、この時、これを断ってしまうと本当に拙いと思って、結構無理して引き受けたらしい。「このままではうちが破産します」と言われて「おそらくそうなるだろう……」と答えた人のエピソードが載っていて、本書では、その勇気が讃えられている。
そうした金融機関の努力によって大暴落自体は抑えられるものではなかったが、少しずつ鎮まっていったようだ。
とにかく、ひたすら暴落していく様子が数字を交えながら淡々と綴られているのだが、行間から当時の人々の悲鳴が聞こえてきそうな迫力のある章になっている。
このような暴落を予想していた人たちもいる一方で、ほとんど暴落に突入した状況になっても、楽観的な発言をしていた関係者も結構いる。

14章 余波―1930年、31年

当時の大統領であるフーヴァーは、ハーディング、クーリッジ時代に商務長官をしており、先の2人の大統領と比べると、実務に長けていたっぽい
この大恐慌にあたって、わりと即座に減税政策を打ち出している。ただそれ以外には、楽観主義推奨の立場を維持していて、つまり、そういう声明を出すことによって市場を安定させようとしたのだが、その甲斐空しく、というか、実際に不況に陥ってしまった中ではあまり意味をなさなかった。


本章では、1930年以降、時代の雰囲気が変わったことを述べている。
スカート丈が長くなり、正装が復活している。
性への関心も減っていくというか、もうセックスを書いている小説にはこりごりだ、というような評論が書かれたりしている。
1920年代には、ヴィクトリア朝風の文化には嫌悪がもたれていたが、これが薄まる。
また、大学教授による当世の学生についての論評で、ハクスリーの生物学的小説、ラッセルの生物学的哲学、ワトソンの生物学的心理学が時代遅れに、と書かれている。
ラッセルが生物学的哲学と呼ばれている理由は不明だが……。
知識人の幻滅モードが去る
宗教は、その威信は取り戻せていないが、宗教に対する懐疑や敵意が表立って表明されることは減少した、と。
冒険旅行の英雄やスポーツの時代も去りつつある、と。
政治への冷淡さは継続していたが、ロシアへの新たな興味が生じていることが最後に書かれている。
訳者あとがきで、アレンが、まだ始まっていないニューディール政策を予感している、というようなことが書かれているが、おそらくこのあたりのことだろう。共産主義というわけではないが、自由放任政策ではもうだめだ、という雰囲気が生じていることを感じ取っている、と。

*1:赤狩り」自体は第二次大戦後に起きたことを指す言葉だと思うし、本書でも使われていない。第一次大戦後のアメリカでも共産主義者への排斥があったということを知らなかったので