篠田謙一『人類の起源』

サブタイトルに「古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」」とある通り、古代DNA研究をまとめた本となる(その意味では「人類の起源」の話ではなく「人類の拡散」の話といった方が正確か)。
類書としてデイヴィッド・ライク『交雑する人類』(日向やよい訳) - logical cypher scape2があり、扱っている内容は重なっているが、違いも大きい。
『交雑する人類』は、人種差別、性差別に関わることについてもかなり言及があるが、本書にはそうした言及は少ない(人種について終章にまとめて少し書いてある)。
本書は、新書という性質上、ページ数も少なく記述の分量が少ないが、逆にそれゆえに『交雑する人類』よりも分かりやすいかもしれない。まあ、既に自分が『交雑する人類』を読んでいたので、分かりやすかった可能性もあるが(例えば、ヤムナヤの説明については本書の方が分かりやすかった気がするが、既にヤムナヤという単語に見覚えがあるからそう感じたのかもしれない)。
また、『交雑する人類』では、現代に残らなかった系統で考古学的にも発見されていなかったがDNA分析で存在が示唆される集団について「ゴースト集団」という呼び方をしている。それに対して本書では、そういう集団についての説明はなされているが、「ゴースト集団」という命名はされていない。
あと、当然ながら、日本についてのみ注目した章が書かれているのは本書の方だけである。
本書は前から読もうと思いつつそのままになっていたのだが、最近、日本人の起源についての三重構造モデルの記事を見かけたのが、読むきっかけになった。本書では、従来説の二重構造モデルに限界があることは指摘されているが、三重構造モデルについての言及はない。

第1章 人類の登場―ホモ・サピエンス前史
第2章 私たちの「隠れた祖先」―ネアンデルタール人とデニソワ人
第3章 「人類揺籃の地」アフリカ―初期サピエンス集団の形成と拡散
第4章 ヨーロッパへの進出―「ユーラシア基層集団」の東西分岐
第5章 アジア集団の成立―極東への「グレート・ジャーニー」
第6章 日本列島集団の起源―本土・琉球列島・北海道
第7章 「新大陸」アメリカへ―人類最後の旅
終章 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか―古代ゲノム研究の意義

第1章 人類の登場―ホモ・サピエンス前史

この章については省略

第2章 私たちの「隠れた祖先」―ネアンデルタール人とデニソワ人

ネアンデルタール人の調査でネックになるのは年代測定
放射性炭素年代測定は、5万年前より古い年代は測定できない
地磁気逆転を利用して磁気から測定する方法、熱ルミネッセンス法、ウラン系列年代測定法などがあるが、精度が落ちる
DNA分析により、ネアンデルタール人同士の関係性がわかるように。
2010年の研究で、ホモ・サピエンスとの交雑が明らかに。
今後の研究のためにもっと多くのDNA分析が望まれるが、ネアンデルタール人骨の発見は多くない→2017年以降、堆積物からもDNA分析が可能に


ネアンデルタール人、デニソワ人いずれも、ネアンデル渓谷、デニソワ洞窟から発見されたことに由来する名前だが、さらにこのネアンデル、デニソワという名前はいずれも、この洞窟で隠遁生活を送っていた聖職者に由来するらしい。
人間が暮らしやすい洞窟っていうのは決まってるものなのかなあという感想


ZooMs(ズーマス)
コラーゲンのアミノ酸配列を同定していく研究
コラーゲンはDNAよりも安定しており、動物考古学に進展をもたらす


パプアニューギニアチベット、フィリピンの先住民などに、デニソワ人との交雑が認められる。
フィリピンの先住民との交雑は5万3000年前頃、パプアニューギニア人との交雑は4万年前と3万年前の2度起きており、1万数千年前まで生存していた可能性もある。チベット人の高原適応にデニソワ人の遺伝子が寄与したと考えられるが、チベットホモ・サピエンスが進出したのは1万1000年前。
かなり最近まで、デニソワ人は生存していた可能性がある。


デニソワ人は、その形態はあまりよく分かっていないわけだが、骨の形をメチル化の情報から再現する、という研究が行われているらしい。
すご


ホモ・エレクトス
ユーラシアに拡散した原人は、みな一括してホモ・エレクトスとしてまとめられている。
アフリカのホモ・エレクトスとして知られるトゥルカナで発見された種は、ホモ・エルガステルと名づけられているが、区別した名前がつけられているのは例外的
実際、複数の系統に分かれていたはず。また、後期のホモ・エレクトスとされる化石人類の中に、デニソワ人がいる可能性もある。
ヨーロッパにおける、ホモ・ハイデルベルゲンシスも再検討の余地あり
スペインで発見されたホモ・アンテセソールは、サピエンス、ネアンデルタール、デニソワの共通祖先なのか。ハイデルベルゲンシスは、共通祖先を含むグループなのか。


2021年、ネアンデルタール人やデニソワ人とホモ・サピエンスとの遺伝子の違いに着目しての、脳オルガノイド作成研究

第3章 「人類揺籃の地」アフリカ―初期サピエンス集団の形成と拡散

言語グループの分布と集団の遺伝子的な構成には関係がある
言語は変化が早く、系統関係を1万年以上遡れない


アフリカの乳糖耐性遺伝子とヨーロッパの乳糖耐性遺伝子は独立


アフリカは暑いので古代DNA残りにくい
最初の報告は2015年

第4章 ヨーロッパへの進出―「ユーラシア基層集団」の東西分岐

出力アフリカ
陸路でレバントへ抜ける北方ルート説と、アフリカの角から海峡渡ってアラビア半島へ抜ける南方ルート説
南方ルートには疑問符も


ユーラシアの手掛かりとなる古代DNA
シベリアのウスチ・イシム
ブルガリアネアンデルタールとの混血(オアセ1号)
中国・田園洞
チェコ・コニェプルシ洞窟(ズラティ・クン)
ブルガリア・バチョ・キロ洞窟


5万5000年〜4万5000年前、東西に分岐
それに先立ち分岐し、西ユーラシア集団形成に関与した、ネアンデルタールと混血しなかったユーラシア基層集団
少なくとも3系統がある。
オアセ1号やズラティ・クンは現在に残らなかった系統なので、初期拡散はさらに複雑


ヨーロッパ
ムスティエ文化 ネアンデルタール
プロトオーリニャック文化 ヨーロッパ最古なサピエンスの文化
シャテルペロン文化 両者の要素を持つネアンデルタールの文化
交雑は起きていない


オーリニャック→グラベット→ソリュートレ→マグダレニアン
ラスコーやアルタミラなどクロマニョン人のぶんかはマグダレニアン文化
オーリニャック文化集団の遺伝子は田園洞のそれと類似
東西に分岐。東の集団がグラベット文化を担い、西進し集団が置き換わる
寒冷期の終わりとともにイベリアから全欧に広がり集団が置き換わったのがマグダレニアンで、こちらはオーリニャックの系統
石器時代、中東集団と近縁の集団がバルカン半島から進出


初期農耕
中東から
在来集団が農耕を受け入れたのか、集団そのものが置き換わったのか、従来二つの説があった
完全に置き換わったわけではないが、在来の狩猟採集民が農耕民集団に飲み込まれる形で混合した。現在、農耕民由来のゲノムの割合の方が大きい。日本の縄文→弥生と同じで、これは普遍的な現象かも
ただ、中東では、イランの農耕民、イスラエル・ヨルダンの農耕民、アナトリアの農耕民それぞれ遺伝子が異なっており、農耕の情報だけ伝播したものとみられる。
アナトリア集団から
ヨーロッパで初期農耕は、ドナウルートと地中海ルートで広まる
線帯文土器文化


5000年前頃
青銅器時代へと変わる
日本では農耕と金属が同時に入ってきたが、本来別物でヨーロッパでは、農耕と金属器の到来には数千年のギャップがある
ここでも、文化のみ流入したのか、集団が置き換わったのかの2つの説があったが、この時期、ゲノムが変化したことがわかってきた
=ヤムナヤ文化集団の流入
縄目文土器文化
インド・ヨーロッパ祖語もヤムナヤか?
ヨーロッパに乳糖耐性遺伝子をもたらしたのはヤムナヤ(共進化ではなく交雑によって獲得していた)
次世代シークエンサーを使うと、細菌やウイルスのDNAも一緒に取得
ペストをもたらしたのもヤムナヤ

第5章 アジア集団の成立―極東への「グレート・ジャーニー」

ヤムナヤ集団のルーツ


ユーラシア東進の2つのルート

東アジア北上の2つのルート


新石器時代のユーラシア9つの集団
アナトリア集団(農耕民と狩猟採集民)
イランの集団(農耕民と狩猟採集民)
西ヨーロッパ狩猟採集民
東ヨーロッパ狩猟採集民
東シベリア狩猟採集民
西シベリア狩猟採集民
南インド狩猟採集民
東南アジア狩猟採集民
東アジア狩猟採集民
これらの集団の離合集散が青銅器時代の集合形成
スキタイは文化的には共通するが遺伝的には異なる集団の連合


南アジア・東南アジア・太平洋・オセアニアは省略


東アジアは、言語集団も多様で複雑
中国は大きく南北に分かれる。
北部には、西遼河流域と黄河流域に雑穀農耕のセンターがあり、南部には、長江流域の稲作農耕のセンターがあり、これらの農耕民が拡大していった
西遼河流域の農耕民は朝鮮半島、日本へ進出したが、周辺のモンゴル語族、テュルク語族、ツングース語族との関係がない
南部の長江流域の稲作農耕民と日本との関係はまだ不明


第6章 日本列島集団の起源―本土・琉球列島・北海道

日本人については、まず旧石器時代に最初の移住があり、彼らが「縄文人」となった後、大陸系渡来人が移住により「弥生人」へと置き換わっていった、という二重構造モデルでずっと考えられていた。
日本人は、北海道集団、本土日本人集団、琉球集団に大きく分けられ、北海道集団・琉球集団と本土日本人集団との間に違いが見られる。これについて二重構造モデルでは、弥生系の影響が強い本土日本人集団と、北海道集団と琉球集団は、弥生系の影響が薄く縄文系の系統が残っている、と説明される。

本章では、DNA分析によって、二重構造モデルが想定するほど単純ではなかったことが述べられている。
ただ、本章では「三重構造モデル」という言葉は出てこないし、三重構造モデルの話とも違う


縄文人については、東西で大きく2つのハプログループに分かれていた。
ただ、これは考古学的な研究では、東西で土器が異なっていたことが分かっているので、異なる遺伝的集団が異なる文化を担っていたと考えられる。


複雑なのが、実は弥生人
大陸系渡来人というと、一様なグループを想像するが、実はそうではなかったことが分かってきている、と。
現代の日本人は、現代の大陸系中国人と縄文人との間くらいに位置づけられていて、大陸系渡来人と縄文人との交雑があったことが分かるのだが、一方で、現代の朝鮮半島に住む人たちは、大陸系中国人と日本人との間くらいで、縄文系が少し混ざっている。
そして、大陸系渡来人が中心と思われる、九州の弥生人の中にもやはり(現代日本人と同じくらいには)縄文系に近い集団がいることがわかった。
日本で交雑したというよりは、もともと大陸にいて、日本の縄文人となったグループが、この当時まだ沿海州朝鮮半島にいて、そのグループも渡来していたのではないか、と。


北海道集団について、二重構造モデルは、縄文人の系統を今に残していると考え、オホーツク人についての影響を無視しているが、実はそうではない。
現代アイヌのDNA分析を行うと、現代日本人と縄文人を結ぶ直線とは少しずれたところにプロットされ、オホーツク人からの影響が入っていることが推測されている。

第7章 「新大陸」アメリカへ―人類最後の旅

20世紀末まで、クローヴィスファーストモデルが考えられていたが、それでは説明できない遺跡の発見など


アメリカ先住民とユーラシア系との分岐時期と南北アメリカ大陸で遺跡が発見され始める時期との間にギャップがあるのだが、これについては、寒冷期に数千年間、ベーリンジアで滞留していたというのが現状有力説らしい。
数千年間、ベーリンジアに孤立していた集団がいたというの、なかなか驚きの話だと思った。


北極圏には、5200年前と1000年前にシベリアから手段の流入があり、前者はパレオエスキモーと呼ばれ、後者は現代のイヌイット祖先。集団が置き換わっている。


コラム
結核の特徴がヴァンパイアの特徴と似ているため、19世紀のコネチカット州結核患者をヴァンパイアとみなす偏見があった
ここの墓から見つかった男性の遺体のDNA分析して、Y染色体のハプログループ解明。Y染色体で男系なので苗字が同じはず。その苗字で当時の新聞の訃報調べる、という話が書かれていた。

終章 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか―古代ゲノム研究の意義

個人間の相違は集団間の相違より大きい