感情は、理性的な判断を妨げるものと思われがちだが、実はそうではない。感情は「合理的」判断をするのに必須のものである、というのを基本スタンスに、感情にまつわる色々なトピックを紹介している本。
面白かったところだけピックアップ
3章 幸福への近道
ここでは、感情のコントロール方法について書かれている。
プロザックの話かなと思ったら、その話もあるのだけど、それよりもさらに広い話。言葉とか音楽とか美味しい食べ物とかについてから話が始まる。
言葉というと、辛いことがあったときにはそれをなるべく言葉にしてはき出すとよい、というのがあるけれど、これが実は必ずしもよい方法ではないということが書かれていて、結構驚いた。
この、辛いことがあったときは言葉にしてはき出すというのは、フロイト的な考え方で、フロイト以降に現れた比較的新しい考え方らしい。
そういうのがうまくいくこともあるだろうけど、例えばPTSDが発症するような出来事に遭った人なんかだと、そういうことをした方がフラッシュバックに悩まされることが多くなるらしい。
プロザックの話。
何を持って幸福感を得られるのかはまだよくわかってないところが多い。例えば、エクスタシーとプロザックでは、脳内の化学的回路にもたらしている作用はほとんど変わりないらしいが、効果は全く異なる(即効性があるかどうかなど)。セロトニンがかかわっているっぽいけど、セロトニンレベルの多寡で幸福感が決まるかというと、そこまで単純ではないみたい。
5章 泣いたコンピューター
コンピュータが情動を備えることは可能か、ということを通して、情動とは何か論じることを試みる。
行動の観点による基準、機能的な基準、あるいは主観的な情感(feeling)があげられるが、ここで注意されるのが、このどれか一つが情動の「本質」というわけではないということだ。
これらが相互に関連したプロセスが情動なのだという。
また、行動を伴わない情感を、情動ではないと言ったりしないように、これらのうちどれか一つの要素が欠けたからといってそれが情動ではない、ということではないとした上で、
それ故に、情感を伴わない情動もある、と言って、コンピュータも情動を備えることができるのではないかと可能性を示している。
また、動物が人間と同じような情動を備えていないからといって、情動を持っていないと見るのはおそらく間違っているという点から見ても*1、やはりコンピュータが今後情動を備える可能性に肯定的である。
サールの中国語の部屋とチャーマーズの哲学的ゾンビについては、コラムで触れて、理屈が先行したこじつけ話としているw
あとがき
「合理的」とは何か。
経済学では、好みを最大限満足させるのが合理的であるというが、そもそも「合理的な」好みということは考えないのだろうか、と問う。
情動が持っている合理性というのは、生態学的合理性、進化論的合理性といえるようなものなのではないだろうか、としてしめている。
情動が理性的判断を妨げる、ということについて、本書は決して否定しているわけではない。
そういうことは確かに多々ある。
ただ、それは後になってじっくり考えてみて分かることであって、例えばある切迫した状況におかれて即座に判断しなければならないときなどは、理性的にじっくり考えるよりは、情動によって多少大雑把でも早く決断してしまった方が合理的であるともいえる。
このような観点は、例えばハーバード・サイモンが、情動を機能的に定義する際に指摘している。
エヴァンズは進化心理学の入門書も書いているらしく、この本では、ある種の情動が過去に人類が置かれた状況において適応的だったのではないかということが折に触れ指摘されている。
- 作者: ディランエヴァンズ,Dylan Evans,遠藤利彦
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2005/12/22
- メディア: 単行本
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*1:情動には程度の差がある