スティーブ・ブルサッテ『恐竜の世界史』

恐竜の黎明期から絶滅まで、恐竜がいかに進化し生きてきたのかを描いた恐竜入門。
1984年生まれの筆者自身や筆者の研究仲間による最新の研究成果を交えながら、恐竜の歴史をトータルに見せてくれる。

プロローグ 恐竜化石の大発見時代 
1 恐竜、興る
2 恐竜、台頭する
3 恐竜、のし上がる
4 恐竜と漂流する大陸
5 暴君恐竜
6 恐竜の王者
7 恐竜、栄華を極める
8 恐竜、飛び立つ
9 恐竜、滅びる
エピローグ 恐竜後の世界
謝辞
訳者あとがき
参考文献

1 恐竜、興る

第1章は、筆者がポーランドで、友人の古生物学者であり足跡化石を発見する天才のグジェゴシとともに発掘をしているシーンから始まる。
ペルム紀末の大量絶滅から三畳紀にかけての話、そして、恐竜形類プロロダクティルスの足跡化石について
三畳紀、最初の恐竜が現れた頃
恐竜形類から恐竜類が分岐して「真の恐竜」が誕生したが、筆者は、恐竜形類と恐竜類の違いは曖昧で、この差は言葉の上のもの、人為的なものとして、その境界は重視していない。
とにかくこの時代、恐竜が現れたが、まだ支配者ではなく、他の生き物の方が目立っていた。
第1章は、この時代の恐竜化石が産出している、アルゼンチンのイスチグアラストの話

元々この地域は、1940年代、ローマーが調査をしていて、その後50年代と60年代に地元の研究者による調査もされていて、その時発見されたのはエレラサウルスだったらしい。
が、その後調査は続かず、80年代後半にポール・セレノが改めて調査隊を組織したのが、今に続くという感じらしい。
ポール・セレノ以降の調査地だと思っていたので、ローマーが調査していたと知って驚いた。

2 恐竜、台頭する

三畳紀について
二酸化炭素濃度が高く、またパンゲアという超大陸があったために、温暖化していた。
乾燥地帯が広がり、中緯度地域湿潤地帯があった。
初期の恐竜たちは、そうした湿潤地帯(イスチグアラストや現在のブラジル、インドで化石が発見されている)に生息しており、乾燥地帯には全くいなかった。
湿潤地帯にしても、恐竜以外の生き物の方が多かった
三畳紀後期から、湿潤地帯で恐竜が数を増やしはじめ、乾燥地帯への進出も始める。
ところで、ここで、筆者が学部生時代だった頃に、博士課程の学生でありながら新進気鋭の研究者として活躍し始めていた四人の研究者がいた。本書では「四天王」と称されている。
彼らは、ニューメキシコ州、画家のジョージア・オキーフで知られるゴーストランチ、ヘイデン発掘地と名付けられた場所で発掘調査を行う。
三畳紀後期、恐竜が乾燥地帯に進出し始めると恐竜は即座にその地を征服した、と考えられていた。
ところが、ヘイデン発掘地では、恐竜は発見されたものの、よく出てくるというわけではなかった。
四天王は調査を進め、実はかつてこの時代の恐竜として発見された化石の多くが、恐竜のものではないことを明かした。
三畳紀後期、恐竜と見た目がそっくりの偽鰐類が繫栄していた。
筆者は、三畳紀の恐竜と偽鰐類の多様性を形態的異質性を用いて比較した。
それぞれの種の形態的特徴を列挙して、0か1かでチェックリストを作り、それを元に種間の距離行列を作成し、距離空間というグラフを出力する。
結果は、三畳紀を通じて、偽顎類の方が恐竜より多様性が上回っていた、というものだった

3 恐竜、のし上がる

三畳紀末からジュラ紀にかけて、主に竜脚類の話
三畳紀末、パンゲアの分裂と大噴火により、大絶滅が起きるが、何故か恐竜は生き延びる。
ジュラ紀初期から恐竜の繁栄が始まる。
何が恐竜とそれ以外(例えば偽鰐類)との違いを分けたのは、筆者は分からないという。


スコットランドのスカイ島で竜脚類を探す話。
デュガルド・ロスという人が出てくる。研究者ではないのだが、スカイ島で多くの化石を発見していて、化石だけでなくスカイ島で見つかる遺物などを集めて私設博物館を作っている。


竜脚類ってでかいよねっていうことで、恐竜の体重を推定する方法が2つ紹介されている
1つは、肢骨の太さを測りそこから推定する方法
もう一つは、3次元モデルを作り、コンピュータ上で筋肉や内臓、皮膚をつけて体重を計算する方法。三次元デジタルモデルを作るためには、普通のデジカメで全身骨格をあらゆる方向から撮影すればよい。「写真測量法」という。
竜脚類は、三畳紀、プラテオサウルスなどの竜脚形類が2,3t、ジュラ紀になると10~20tほどになり、プロントサウルスやブラキオサウルスなどの有名どころは30t超え。白亜紀になると、ドレットノータス、パタゴティタン、アルゼンチノサウルスなどおティタノサウルス類が現れ、50tを超える


竜脚類が巨大化するための5つの課題と解決策
1)たくさん食べなければならない
→長い首のおかげ
2)速く成長しなければならない
→まだ体の小さかった祖先の頃から、成長が速かった
3)効率的に呼吸しなければならない
→含気孔のある骨をもち、鳥類式の肺により効率的な呼吸が可能だった
※鳥盤類恐竜は鳥類式の肺を持っていなかったので竜脚類のように巨大化できなかった
4)骨格が強靭でないといけないが、身体がを動かせなくなるほどかさばってもいけない
→気嚢により、強靭でありながらも軽い骨格
5)余分な体熱を発散できないといけない
→気嚢により、体熱を発散させる表面積を確保した

4 恐竜と漂流する大陸

ジュラ紀から白亜紀にかけて
「進歩の行進」を描いたルドルフ・ザリンガーの「爬虫類の時代」で描かれた恐竜たちは、アメリカ西部のモリソン層で発見された。
13の州にまたがる規模で、ジュラ紀の代表的な恐竜が多く発掘されている。
1980年代には、95%という驚異的な保存率のアロサウルス化石「ビッグ・アル」も発見されている
ポール・セレノも学生向けの野外実習地として利用している。


三畳紀からジュラ紀への移行と違い、ジュラ紀から白亜紀への移行は緩やかな変化
「海水準が少し変動した」とか「海が若干寒くなった」とか
竜脚類白亜紀初期に急激に衰退。有名どころがあらかた絶滅したが、ティタノサウルス類という新しいグループがあらわれる
その代わりに、鳥盤類が栄える
剣竜類が絶滅し、それに代わり、鎧竜類が台頭
小型獣脚類が多彩になり、肉食ではない種も


ポール・セレノのアフリカ調査(ニジェールやモロッコ
カルカロドントサウルスの発見
当時のサハラ地域は砂漠ではなく湿地性の密林
カルカロドントサウルス類は、ティラノサウルス類以前の支配者
ジュラ紀後期に登場(アロサウルス類の近縁)
カルカロドントサウルス類の中で最後に進化したのは、南アメリカとアフリカにすんでいたグループで、肉食恐竜としては異例の巨大化(ギガノトサウルス、マプサウルス、カルカロドントサウルスなど)

5 暴君恐竜

5章はティラノサウルス類について、6章がティラノサウルス・レックスについて割かれている。
5章の冒頭は、筆者が友人の呂君昌と共同研究することになる、チエンチョウサウルス・シネンシス(愛称ピノキオ・レックス)の発見時のエピソードと、筆者と呂との出会いなどのエピソードから始まる。
その後、ティラノサウルス・レックスの発見とティラノサウルス類についての話へと進んでいく。

ティラノサウルス類は、ジュラ紀中期に登場している
最古のティラノサウルス類と目されるのは、2010年にシベリアで発見されたキレスクスで、全長2~2.5mほどしかない。
中国では、徐星が、やはりジュラ紀中期の小型ティラノサウルス類「グアンロン」を発見している
白亜紀初頭になると、もう少し大きくなり、エオティラヌス、ジュラタイタラント、ストークソサウルスなど、3~3.5mほどの中型ティラノサウルス類が登場してくる
シノティラヌスは、グアンロンの骨とよく似ているが、全長9m、体重は1tを越えている。シノティラヌスは、レックスの類縁なのか、原始的なティラノサウルスが巨大化したものなのか
徐星が、ユーティラヌスを発見したことで、この問題が答えられるようになる。なんと、3体もの全身骨格が発見されたからだ。
ユーティラヌスは、羽毛の生えた大型のティラノサウルス類ということで有名だが、筆者にとっては、先の問いを解くのに重要であった。
ユーティラヌスとT・レックスの骨には違いがあり、近縁ではなかった。
ティラノサウルス類は、初期の段階で既に大型化が可能だった。同じ地域に他に大型の捕食者がいる場合、ティラノサウルス類は小型~中型にとどまっていた。
白亜紀の中頃というのは、恐竜化石が少ない。
その時期のものとして、近年、ウズベキスタンで産出しはじめている。
筆者は、他の研究者とともに、2016年、ティムルレンギア・エウオティカというティラノサウルス類を記載している。筆者は、ティムルレンギアの脳函をCTにかけており、それによりティラノサウルス類であることが分かったのだが、まだ巨大化はしていなかったが、大きな脳と鋭敏な感覚をもっていたと述べている。
ところで、つい最近、筑波大と北大のチームが、ウズベキスタンでカルカロドントサウルス類の新種を発見しており、プレスリリース内でティムルレンギアに言及している。
https://www.hokudai.ac.jp/news/pdf/210908_pr.pdf
もう少し後の時代になると、北米とアジアからカルカロドントサウルス類は消えており、大型ティラノサウルス類の時代が始まるのである。

6 恐竜の王者

続いて、ティラノサウルス・レックスについて
まず、どれだけ強力な肉食動物であったのか、最新の研究をもとに紹介されている。
その話を始める前に注意書きとして、T・レックスは時々「腐肉食者であった」説が流れることがあるが、これはありえないという。例えば、現生の動物でも、腐肉食者として成功しているのはハゲタカくらいであり、他の肉食動物は、腐肉「も」食べるが、決してメインではない。


T・レックスは獲物をその強力なあごで噛み砕く。
顎の筋肉のパワーについて調べたのが、筆者の研究者仲間であるグレッグ・エリクソンだ。
彼は、青銅とアルミニウムでレックスの歯を再現して、模擬実験を実施。1万3400N、1400kg重のパワーがあったことを調べた。
噛み砕くためには、筋肉だけでなく、そのパワーに負けない頭骨の強度が必要である
それを調べたのが、エミリー・レイフィールドだ。
彼女の研究室には化石はなく、ソフトウェアのマニュアルが並んでいる。彼女はコンピュータモデルを用いた有限要素解析による研究を行っている
ほかの獣脚類には見られない、個々の骨同士がしっかりと結合して強靭な構造になっていることを突き止めた。


T・レックスは、実は早く走ることはできない。
時速15~40kmだという。
これは、ジョン・ハッチンソンという動物学者によるコンピュータモデルを用いた研究によって計算された
レックスは、走って獲物を狩るのではなく、待ち伏せによる狩りを行っていた
待ち伏せは瞬間的に体力を消耗する。それを支えるのが、鳥類型の高効率の肺と気嚢だった。


T・レックスの特徴として、あの小さな前肢がある。
何のためにあったのかよく分からないと言われる前肢だが、近年、サラ・バーチが解明している
サラ・バーチは、筆者とは同じポール・セレノ研究室での学友。
彼女は、解剖学的に筋肉を復元していき、レックスの前肢に強力な筋肉が備わっていることを突き止め、獲物を捕まえておくために用いていたとしている


T・レックスの近縁であるアルバートサウルスやタルボサウルスは群れで暮らしていたことが明らかになっており、T・レックスも群れで狩りをしていたと考えられている。


脳函のCTスキャン研究により、脳化指数が高かったことも分かっている。なんと、チンパンジー並み
また、嗅球が大きかったことや、聴覚が優れていたこと、両眼視ができたことも分かっている


巨大なT・レックスも、幼体は小さかった。
骨にある「年輪」から成長速度が非常に速かったことがわかっている。
幼体は素早く走り回れたと考えられる。もしかしたら、待ち伏せ型の成体と群れで狩りをしていたのかもしれない。
筆者の親友であるトーマス・カーは、成長過程を研究し、T・レックスの頭骨が幼体から成体にかけて大きく変わっていくことを明らかにした。幼体はまだ獲物にかみついて引きちぎる、というT・レックス独特の食べ方ができなかったらしい。

7 恐竜、栄華を極める

白亜紀の北米、南米、ヨーロッパの様子について
白亜紀にはとうにパンゲアは分裂しており、大陸ごとに恐竜の種類が異なっていた。ティラノサウルス・レックスがいたのは、北米西部のララミディア大陸で、他の大陸には進出していない

  • 北米

モンタナ州のヘルクリーク地域
ヘルクリークに初めて恐竜を探しに来たのは、T・レックスの発見者でもあるバーナム・ブラウンで、彼は1902年に、同地でT・レックスを発見した。
本章では、筆者の出身地であるイリノイ州にある、バーピー自然史博物館の調査隊によるヘルクリークでの発掘物語が紹介されている。
イリノイ州では恐竜は産出していないが、博物館に新棟を作ることになり、目玉展示のためにモンタナ州のヘルクリークへ調査に出かけたのだという。この時、古生物学芸員は一人しかおらず、その学芸員マイクと彼の友人であり恐竜好きの警察官スコットが調査隊を組織したらしい。なお、スコットは後に警察を辞めて博物館職員になっている。
彼らは、若年期のティラノサウルス(愛称「ジェーン」)を発見する。
その後、さらにトリケラトプスも発見されるのだが、1体ではなく3体発見され、初めてトリケラトプスが群れで生活することが明らかになった。
ヘルクリークにいたのは、ティラノサウルストリケラトプスだけではない。エドモントサウルスなどのハドロサウルス類やパキケファロサウルス、ドロマエオサウルス類やトロオドンなど
角竜類やハドロサウルス類は被子植物を食べるためのあごを発達させていた
小型の獣脚類は、サンショウウオやトカゲ、初期の哺乳類などを食べていた。
状況はアジアでもおおむね同じで、ティラノサウルス類を頂点ととして、ハドロサウルス類、パキケファロサウルス類、ラプトルの仲間、雑食性獣脚類からなる生態系が形成されていた。

  • 南米

一方、ブラジルはゴイアス州
筆者は、ホベルト・カンデイロというゴイアス連邦大学の教授に招かれブラジルに訪れていた。
ヘルクリークでは多く発見されているティラノサウルスも、ブラジルでは皆無
代わりに、カルカロドントサウルス類とアベリサウルス類が頂点に立っている
アベリサウルス類は、カルカロドントサウルス類やティラノサウルス類よりは小ぶりだが、獰猛で、カルノタウルスやマジュンガサウルス、スコルピオヴェナートルなどがいる。なお、前肢が貧弱だったようだ。
また、角竜やパキケファロサウルス類もおらず、一方、北米では既に姿の消した竜脚類がいた。ティタノサウルス類である。
また、中型・小型の獣脚類はいるにはいるが数が少なく、むしろその地位を、ワニ類が占めていた。

  • ヨーロッパ

白亜紀ヨーロッパの恐竜研究をした人物として、ノプシャ男爵がまず紹介されている。
ノプシャ男爵がなんかすごい人であるのはなんとなく知っていたのだが、これを読んで改めて色々と知って、さらに認識が改まった。
ノプシャ男爵は、オーストリア・ハンガリー帝国トランシルヴァニア地方の貴族。1877年生まれ1933年没。
領内で妹が発見した化石が恐竜の化石であることをきっかけに恐竜研究を始める。生物として恐竜を研究する、という当時としては先進的な研究を行い(そのような考えが主流になるのは20世紀後半になってから)、また地質学者としてトランシルヴァニアがかつて島だったことに気付き、島嶼効果による小型化が恐竜にも起きていたという説を唱えた。
さて、この人、これだけで恐竜研究者として歴史に名が残る人物なのだが、それ以外にも学術的功績があり、さらに彼の送った人生そのものがかなりドラマチックである。
彼は、アルバニアの山岳地帯に惹かれ、アルバニアに長期滞在するようになり、アルバニアについての研究でも多くの論文を残している。アルバニア学者としての一面もあるのだが、その一方で実は、帝国のスパイとしての面もあり、大戦中にアルバニア人部隊を率いたりもしている。また、自らアルバニア王になろうとしたこともある(失敗したが)。
また、彼は同性愛者でもあり、そもそも最初にアルバニアに興味をもったきっかけも、当時の恋人からアルバニアについての話を聞いたからなのだが、アルバニアで出会った青年と恋に落ち、彼を秘書として雇いつつ、人生のパートナーとしても生涯をともにすることになる。
第一次大戦後、帝国が崩壊しトランシルバニアルーマニアとなり、爵位も領地も失うことになったノプシャは、一時はハンガリーの地質学研究所に勤めるが、役所仕事が向いておらず、恋人をオートバイのサイドカーに乗せ、ヨーロッパ放浪旅行を始める。
晩年、鬱病もちとなった彼は、ピストルを使って恋人と心中してこの世を去った。
これだけドラマチックな経歴を持つ古生物学者、後にも先にも彼しかいねえだろうな、という人物である。


さて、これを受けて本章では、ノプシャが残した謎を一つあげる。
つまり、彼が発見したが植物食恐竜ばかりで、どんな肉食恐竜がいたか分からないという謎である。
ノプシャと同じくトランシルヴァニア人で、マルチリンガルで探検家でもあるマティアズ・ブレミー
彼が発見したのは、ラプトルの仲間の肉食恐竜で、しかし大陸にいる近縁種とは異なり、余分な指と鉤爪をもっていた。

8 恐竜、飛び立つ

恐竜から鳥への進化の話
まず、鳥の恐竜起源説の歴史について(ダーウィンの頃の話と、恐竜ルネサンス期の話)
恐竜ルネサンスを牽引したオストロムとバッカーは師弟関係だが、だいぶ流儀が異なっていて、深刻な軋轢があったこともあるらしい。
1996年の古脊椎動物学会で、フィリップ・カリーがオストロムに、のちにシノサウロプテリクスと名付けられることになる化石を見せる。それはまさにオストロムが探し求めていた羽毛恐竜だった。


鳥類は獣脚類の一種であり、さらにその中で原鳥類の一種である。原鳥類の中には、ディノニクスやヴェロキラプトル、すべてのドロマエオサウルス類とトロオドン類が含まれる。


鳥類の特徴とされるものは、一挙に獲得されたものではなく、進化の中で少しずつ獲得された

  • 直立二足歩行

原始の恐竜が既に獲得していた

  • 叉骨

獣脚類が進化させた

  • S字形の首

獣脚類の一種であるマニラプトル類が手に入れている。なお、原鳥類はマニラプトル類の一種。

  • 大きな脳

これもマニラプトル類の時点で既に持っていた。
なお、ここで筆者の師匠の一人であるマーク・ノレルが登場する

  • 気嚢や一方通行式の肺

これらについて竜盤類が持っていたのはすでに紹介された通り

  • 羽毛

これも獣脚類が獲得している
ところで、羽毛は何のために進化してきたのか。空を飛ぶためではない。ただ、羽毛は色々なことに役に立つので、なかなかはっきりした理由が分からない。
世界初の羽毛恐竜は、カリーがオストロムに見せた、中国遼寧省で発見されたシノサウロプテリクスだが、カナダのアルバータ州でも、実は1995年に羽毛恐竜が発見されていた。しかし、発見当時は、まさか羽毛が化石に残ると思われていなくて、2009年に羽毛だと確認された。
このカナダのオルニトミモサウルス類は羽毛だけでなく翼をもっていたが、体格・体重、前肢の長さ、翼の大きさからみて、飛行は不可能だた。
ヤコブ・ビンターは、メラノソームで絶滅した生き物の色が分かるのではないかと考えた。
恐竜の羽毛の色がわかり、それは決定的な証拠というわけではないが、初期の羽毛がディスプレイ用に用いられていたのではないかという傍証となった。
おそらく恐竜は、ディスプレイ用に羽毛を進化させ、それを巨大化させる過程で飛行能力を獲得するに至った


飛行能力の獲得自体は紆余曲折があったようだが、ひとたび飛行能力が獲得されると、その後に進化は急速に進んだ
グレアム・ロイドといスティーブ・ワンという古生物学者は、古生物学者ではあるが統計学者で、彼らと筆者は共同で、進化の速度を計算した。

9 恐竜、滅びる

本章の冒頭で、隕石衝突の日から恐竜が絶滅するまでの様子が、具体的な情景が目に浮かぶような筆致で描かれている。
続いて、筆者の、隕石衝突説の提唱者であるウォルター・アルバレスとの思い出が書かれている。
筆者は高校時代、家族とイタリア旅行することになり、アルバレスが恐竜絶滅について考え始めるきっかけとなったイタリアのグッビオの渓谷の場所を知るために、直接、アルバレスに電話をかけているのである。そして、大学の地質巡検でイタリアへ行った際に、アルバレスに再会している。


ウォルター・アルバレスはもともと、イタリアの形成における大陸移動の経路を調べようと思っていたが、白亜紀の境界を見て恐竜絶滅へと興味を持つ。地層の形成速度を知りたいと考え、父親のルイス・アルバレスに助言を求める。ルイス・アルバレスノーベル賞物理学者で、しかもマンハッタン計画に参加していて、エノラ・ゲイの後続機に乗っていたらしい。
で、地層の形成速度を調べるために着目したのがイリジウムだったのだが、それがどう考えても多すぎる量が発見され、隕石衝突説が生まれることになる。


隕石衝突による突然の絶滅説に対して、環境の変動などにより恐竜は少しずつ数を減らしていったのだという説が対立している。
筆者らは、これに決着をつけるため、白亜紀末の恐竜の多様性を調べ始めた。
再び「形態的異質性」の出番である。
恐竜の多様性は絶滅直前まで減っていなかったことが分かる。
またここでは、世界各地の恐竜の多様性についての研究を集約していっており、この本でこれまで登場してきた各地の古生物学者の名前が数名であるが言及されており、最終章らしい(?)大団円感が醸し出されている(??)
恐竜は隕石衝突以前から数を減らしていたのではなく、それゆえ、隕石衝突こそが恐竜絶滅の主因だったと言えるのである。
ただ、実は話はそこまで単純ではなく、角竜類とカモノハシ竜類の異質性と種数は減少していた。そして、これをもとにしたモデル研究によると、そのことにより生態系が崩壊しやすくなっていたことが分かった。
もし、隕石衝突が起きていなかったら、おそらくこの異質性と種数の減少は一時的なもので、また安定した生態系に戻っていたのかもしれない。
一方で、この生態系が弱くなっていた時期に隕石衝突が起きたことで、恐竜はいともたやすく絶滅したのかもしれない。もし衝突の時期が異なっていたら、恐竜絶滅はまた別の経緯をたどったかもしれない。

エピローグ 恐竜後の世界

筆者が、ニューメキシコ州で暁新世の哺乳類化石を調査している様子が書かれている。

日経サイエンス2012年1月号

www.nikkei-science.com
参考文献にあがっているもので、すぐに読めそうなもので、かつノプシャ男爵の記事だったので読んでみた。
大雑把な内容としては『恐竜の世界史』で書かれているものと同じだが、先駆的な恐竜研究者であったことが強調されている。
当時、島嶼化は哺乳類については一応知られていたが、恐竜について当てはめたのはノプシャが初で、当時は顧みられていなかった。1970年代頃に見直されたとか。また、ノプシャは、骨組織の微細構造から年齢を測定する手法を開発。これも、現在では当たり前になった手法だが、相当先駆けている。島嶼化について、単に幼体・亜成体なのではないかという批判に反論するため、年齢を測定する必要があったようだ。
また、当時、鳥は爬虫類の遠縁と考えられていたが、恐竜が鳥の先祖であるという説を支持していた(なお、この説自体は19世紀イギリスに遡る)
トランシルヴァニアは、白亜紀当時、島となっており、ノプシャはこれをハツェグ島と名付けた。恐竜が北半球を行き来するにあたっての交易路的な位置にあって、恐竜の世界的な広がりを考える上で、重要なポイントらしい。
ノプシャが先駆的な研究を行えた理由として、彼が貴族であった点を指摘している。帝国中を自由に調査できた上、各国の博物館にも自由に行けたので、当時の研究者としては相当恵まれていた、と。
帝国崩壊後は没落し、自らの化石コレクションを大英博物館に売却したらしい。