堀田義太郎「差別の規範理論―差別の悪の根拠に関する検討―」『社会と倫理 第29号 2014年』

『差別はいつ悪質になるのか』(http://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-60354-9.html)という書名を見かけて検索していたら、翻訳者の1人による2014年の論文がヒットしたので、読んでみた。
http://rci.nanzan-u.ac.jp/ISE/ja/publication/se29/29-08hotta.pdf


差別の何が悪いのか、ということを巡っての近年の論争の整理
まず、大きく分けると「害ベース説明」と「尊重ベース説明」に分けられる。
「害ベース説明」は、被差別者が蒙る「害・不利益」が、差別の悪であると考える。
「尊重ベース説明」は、さらに2つに分けられて、(a)差別者の「動機や意図、信念」が、差別の悪であるという説と、(b)差別行為が表現する「意味」が、差別の悪であるという説とがある。


差別の悪は何に帰属するのか。
(1)害ベース説明−害・不利益
(2)尊重ベース説明−(2-a)意図・動機
          −(2-b)意味
となる。
本論では、『差別はいつ悪質になるのか』の著者でもあるデボラ・ヘルマンによる(2-b)の立場と、リパート―ラスムッセンによる(1)の立場とを比較している。


「意味」というのは、ある行為が、人々は平等であるという道徳的価値を損なうような表現になっていて、またそれが「見下し」となっているということ
ヘルマンは、これが差別であるという必要十分条件的な定義を示すわけではないが、ある行為が差別行為となる際にみられる特徴を挙げている。
1つは、人々を区別する際に用いられる特徴が、「過去に誤処遇され、あるいは現在低い地位にいる集団を規定するような属性」であること
もう一つは、行為者と被行為者とのあいだに権力ないし地位におけるヒエラルキーがあること(ヒエラルキー条件)


この理論は、既にある差別について説明を試みるものなので、何が差別かを確実に判定できる「定義」というわけではないが、それでも、「これが差別ならあれも差別ではないのか」とかそういった議論に対して、整理する手がかりになるものな気がする。


ヘルマンさんは、倫理学者というよりは法学者みたい
リパート―ラスムッセンさんは、倫理学者のようだけど。
堀田さんは、生命倫理・医療倫理・ケア倫理あたりの人っぽい。