現代思想2019年9月号 特集=倫理学の論点23

タイトルにあるとおり、様々なジャンルでの論点が分かるような、コンパクトな原稿が多数収められていて、色々と入口によい感じの特集。全部は読んでいないけれども。

【討議】
ボーダーから問いかける倫理学 / 岡本裕一朗+奥田太郎+福永真弓
応用倫理学メソドロジーを求めて / 池田喬+長門裕介


応用倫理のトピックス
環境 人新世下のウィルダネスと「都市の環境倫理」 / 吉永明弘
宇宙 神話と証拠 / 清水雄也
食農 いのちを支える行動を日常に埋め込む / 秋津元輝
動物 動物の倫理的扱いと動物理解 / 久保田さゆり
ロボット ロボットは権利を持ちうるか? そして権利を持たせるべきか? / 岡本慎平
戦争 人工物が人間を殺傷することを決定し実行することは、道徳的に許容されるのか / 眞嶋俊造
ビジネス 企業それ自体の責任を問うことの困難さ / 杉本俊介
医療 リプロダクティブ・ライツとは何か / 柘植あづみ
生政治 身体の政治はなにを纏うか / 重田園江
生殖 ベネターの反出生主義をどう受けとめるか / 吉沢文武
世代間 将来を適切に切り分けること / 吉良貴之
高齢者 新健康主義 / 北中淳子
公衆衛生 公衆衛生・ヘルスプロモーション・ナッジ / 玉手慎太郎
ジェンダーセクシュアリティ トランス排除をめぐる論争のむずかしさ / 筒井晴香
美醜 外見が「能力」となる社会 / 西倉実季
共依存 親をかばう子どもたち / 小西真理子
サイバー・カルチャー 身体はいかにして構築されるのか / 根村直美
「意味」は分配されうるか? / 長門裕介


エッセイ
フィクション それでも、物語に触れる / 西田藍
占い 占いという「アジール」 / 石井ゆかり
ルポルタージュ 「良き例」を欲してはいけない / 武田砂鉄

応用倫理学メソドロジーを求めて / 池田喬+長門裕介

9月頃に、この対談だけちょっと眺めていた。あまりちゃんとは読んでいないので、下記ツイートで感想に代える。
長門さんが、池田さんの現象学倫理学について話をどんどん聞いていくという感じの対談だったかと。

宇宙 神話と証拠 / 清水雄也

宇宙進出を正当化する理由として、よく挙げられてはいるが、根拠のない主張についてシュワルツが「神話」と呼び、まとめている。
ただし、だから宇宙開発は行うべきではない、というわけではなく、シュワルツ自身も宇宙開発推進者で、ポイントは、宇宙進出の正当化を行うためには、このような主張は根拠のない「神話」なので、ちゃんとした根拠をあげるようにしようということである。
指摘されている神話は3つ
(1)人類には探検や移住への生得的衝動があるというもの
(2)宇宙は社会の停滞を避けるためのフロンティアであり、例えば、文化的多様性の増進、技術革新の促進、民主的統治の向上などを社会にもたらすというもの
(3)宇宙での活動が教育効果があるというもの

動物 動物の倫理的扱いと動物理解 / 久保田さゆり

功利主義、義務論、徳倫理による動物倫理の議論を概観したのち、これらの違いではなく共有しているものに注目したい、と
つまり、いずれも動物は苦痛などの危害を被りうる存在なのだ、という動物理解についてである。
そして、しばしば肉食の正当化に用いられるような、よくあるタイプの主張に、それとは異なる動物理解を見て取る。
動物理解の変化が倫理観の変化につながるのではないだろうか、と。

ロボット ロボットは権利を持ちうるか? そして権利を持たせるべきか? / 岡本慎平

ロボットは権利を持つことができる(can)と、持たせるべきである(should)とを区別して、(1)持ちうるし、持たせるべき(2)持ちえないし、持たせるべきでない(3)持ちうるが、持たせるべきではない(4)持ちえないが、持たせるべきの4パターンに分類し、それそれの主張を紹介・検討する。

フィクション それでも、物語に触れる / 西田藍

西田さんの実際の鑑賞経験の変化(エヴァとか)から、フィクションの中で倫理的に認めがたいものを見てしまった時に、楽しめなくなっていくことについて
これ、想像的抵抗の話だなと思った。
想像的抵抗って、実際にそんな現象あるのかってところでも議論あるっぽいんだけど、実際に想像的抵抗を感じている事例の記録として読むことができそう。

戦争 人工物が人間を殺傷することを決定し実行することは、道徳的に許容されるのか / 眞嶋俊造

LAWSについて
8つの論点を挙げているが、ここではおおよそ、それらの論点で挙げられる道徳的問題は戦闘や攻撃にまつわるものであって、LAWS固有の問題ではないのではないか(あるいは論点によっては、自動運転自動車と比較して、LAWSがダメなら自動運転もダメということになるのではないか)という形で整理している。
最後には、さらに自国の兵士の危険を減らすという意味では、むしろLAWSは積極的に導入すべきであるのでは、という観点を紹介して終えている。
『世界2019年10月号』「特集AI兵器と人類」 - logical cypher scape2での久木田の論とは対照的という感じがある。

ビジネス 企業それ自体の責任を問うことの困難さ / 杉本俊介

共同行為の哲学とか社会的存在論とかの話になっていてそれ自体面白いんだけど、企業倫理という観点からその議論ってどうなのという指摘もあり、その点も面白い


ピーター・フレンチによる企業の道徳的行為者性の議論を中心にして、紹介されている
フレンチは、企業が道徳的責任を負う(=道徳的人格を有する)ためには、道徳的行為者性を持つ必要があるとした上で、デイヴィドソンの行為者性の議論を用いて、信念や欲求を持つ必要があるとした。が、批判も多く、次いでフレンチは、ブラットマンによる行為者性を用いて、共有意図や計画が必要だと論ずるようになる。すると、今度は当のブラットマンが、共有意図は企業の行為者性を導かないと論じ、ペティットがむしろ道徳的人格のためには「会話可能性」を有する必要が論じた。
また、連邦裁判所において、企業の「人格」を認めるような判決が相次いだが、そこでは企業による表現の自由や宗教の自由が認められることになり、むしろ、企業に対する適切な規制が働かず、乱用されてしまう恐れが指摘されている。
最後に筆者は、こうした議論において、組織論の見解が生かされていない(企業の意思決定について官僚制システムが前提されているように議論されている)点と、企業はそもそも「手段としてのみ扱われる」物件的性格をもち、人格とは区別されるものだという点を指摘している


生政治 身体の政治はなにを纏うか / 重田園江

タイトルだけだと何の話なのかよく分からないのだが、不妊治療と出生前診断の話
いわゆる妊活ブログの記述を紐解きながら、いかに身体が「医療化」されているのかを追っていく。
出生前診断は、障害のあることが分かっている子を中絶するかどうかという重い、しかし普通の人が遭遇しうる倫理的判断と関わってくる話だが、出生前診断というものだけ取り出して考えるのと、不妊治療とそれに伴う身体の「医療化」という流れの中で現れてくる出生前診断(あるいは着床前診断)を考えるのでは、見え方が違うのではないだろうか、という話

生殖 ベネターの反出生主義をどう受けとめるか / 吉沢文武

非対称性に基づく論証についての整理
生についての全体的評価と比較の順番を変えると、導かれる結論が変わってくるとか、価値論的非対称性と生殖に関する義務の非対称性の違いとか、知らない論点だったので、それはそれで面白かった


自分がちょっと前から反出生主義で気になっているのは、多分、非対称性の議論そのものではなくて、存在させること(生むこと)自体の有責性ってどこまで言えるのか、ということかもしれないな、と思った
生まれてくることと生まれてこないことでは、生まれてこないことの方がよいのかもしれないが、生むことは、生まれる存在に対して利益を与える行為でも害を与える行為でもないのではないか、と。
いや、うーんよく分からない

ルポルタージュ 「良き例」を欲してはいけない / 武田砂鉄

このタイトルの付け方だと、ルポルタージュの倫理の話っぽいけど(まあそういう面もあるけど)、話の内容は安楽死のこと
生き続ける選択も安楽死をする選択もどちらにも葛藤があるだろうけれど、安楽死してよかった例ばかりを紹介するようなことが進んではいやしないか、と

ジェンダーセクシュアリティ トランス排除をめぐる論争のむずかしさ / 筒井晴香

英語圏の哲学者たちによる、トランス排除についての議論の紹介
日本では、インテリ側は親トランスの立場にたっているのがほとんどだが、英語圏では、必ずしもそうではないことなどに触れられている。
また、「裸」の社会的構築(ジェンダー化)に触れ、この問題の原理的困難さを論じている(どこを見せてもよいかという社会的規範が既にジェンダー化されていて、トランスが排除されているために、困難があるということ)
最後に、コーラ・ダイアモンドや古田徹也の議論に触れ、哲学における「むずかしさ」を示している。哲学はどうしても一般化を目指してしまい、個々人の違いなどを捨象してしまいがちだが、哲学の出発点は個々人の経験にこそある。だからこそ、例えば「この問題についてどう思いますか」と聞かれた時、冴えない返答だとしても「むずかしい問題です」と答えることから逃げてはいけない、という表明。

「意味」は分配されうるか? / 長門裕介

このタイトルにある「意味」というのは、「人生の意味」のこと。実際には、労働と人生についての話。
この論文だけ、「ロボット」とか「戦争」とかのジャンル名がついていないのだけど「労働」とか「人生」とかでもよかったのでは
シュリックの「人生の意味」についての議論から始まり、その社会哲学的応用、つまり「意味のある仕事」というのはあるのかという議論をして、その議論が、政治哲学におけるリベラル卓越主義はありうるのかという議論と実は同型である、ということを示す。