アニクリvol.7s 特集 作画崩壊/幽霊の住処

https://pbs.twimg.com/media/EBI0g0HVUAAR6Bn?format=jpg&name=4096x4096
アニクリはほんと次から次へと出るので読むのが追っつかない
この号は、夏頃に半分くらいまで読んでいたのだが、ブログ記事にするのはもうちょっと読んでからにしよう、とか思ってたら時間が経ってしまった。
アニクリは毎号、特集を組んでいるが、その中で概ねその時々の旬の作品を取り上げる形になっていることが多い。
対して今号は、作品よりはむしろ「作画崩壊」という概念に着目したものになっていて面白い。
複数の論者がそれぞれのアプローチをすることによって、「作画崩壊」についてがそれぞれの角度から少しずつ分かるような感じになっている

1 作画崩壊

てらまっと「多層化するスーパーフラット(#)作画崩壊と藍嘉比沙耶について」
安原まひろ「まなざしの先へ アニメにおけるバグと仕様の考察から」
難波優輝「作画崩壊の美学 崩れ、達成、ミスピクチャ」
竹内未生「「作画崩壊」の現象学に向けて 「キャベツ」はなぜそれとして理解できるのか」
DIESKE 「作画崩壊の形式的な分析にむけたノート」
tacker10 「DIESKE 「作画崩壊の形式的な分析にむけたノート」に関するメモ書き」

個々の論にコメントするのではなく、作画崩壊論という特集全体でコメントすることとする。
元々、作画崩壊というテーマが取り上げられるきっかけは、DIESKEによる作画崩壊の形式的な分析にむけたノート|DIESKE|noteの投稿だろう。これに対して、tacker10からDIESKE「作画崩壊の形式的な分析にむけたノート」に関するメモ書き:攪乱の渦 - ブロマガという応答がなされている。この2つの記事は、本誌にも転載されている*1
このDIESKEノートに対して、この特集に集まっている4つの原稿をそれぞれ対応させることができるだろう。
例えば、DISKEノートの第4節において、作画崩壊が「ネタ」という形ながらも人々をこれだけ惹きつけるのは何故かという問いが残されているが、これに答えたのが、難波論による、ネガティブ-ミスピクチャのおかしみについての分析であろう*2
また、同じくDISKEノートの第3節の終盤において、アニメーションが「つくりもの」でありつつ生命を宿した存在としても知覚されている二重性と、それを暴露するものとしての作画崩壊ということが指摘されているが、この指摘は、てらまっと論とも通じるものがあるし、また、安原論による、視聴者はキャラクターの顔が崩れないことを望むという指摘は裏腹なものだろう。
ところで、今回の特集で面白い位置にあるのは竹内論だろう。
DISKEノートでは、第1節において、「崩れ」が意図的かどうかと物語に貢献しているかどうかの関係について触れられている。また、難波論もここに基づき、意図について触れている。いずれも、意図の読み取りは困難であるから、別の基準を考えるという方向におおよそ論が進んでいくが、竹内論では、実際の作画崩壊の事例が視聴者からどのように解釈されているかという実例を分析することで、実践的には、意図的かどうかを判断した上で、作画崩壊の判断がなされれているということが指摘されている。
理論的な枠組みを先行させると見落としてしまいがちな部分を、事例の分析によって補足しているともとれ、竹内論がこの特集に入っている意味は大きいと思う。
その点でいうと、安原論も、実例紹介と概念の整理がうまくて、特集の導入によい。
ところで、この特集に寄せられた論のほとんどが、作画崩壊とは何かという方向で議論を進めているのに対して、てらまっと論は、作画崩壊全般ではなくて、あくまでも藍嘉比の作品を論じることに集中している。前者が、いわば一般化を目指す哲学・美学的な議論だとすれば、後者は、あくまでも個別な事例にこだわる批評としての議論といえるかもしれない。
てらまっと論は、キャラクターの同一性どころから、一枚の「絵」であることをも崩壊させる、レイヤーの多層性の暴露ともいうべき事例を引き合いにだし、スーパーフラットではなくポスト・スーパーフラットとして藍嘉比の作品を位置付けようとする。個人的に好みなのは、むしろこういう話だったりする。

2 廃墟/幽霊・キャラクターの住処

灰街令 「キャラジェクト試論 3DCGキャラクターのメディウムスペシフィシティ」

3DCGという空間に存在している、というのは自分もなんか気になっていて、キャラジェクトという概念は面白そうだなあと思うのだが、まだもう一つ掴み切れていない

難波優輝 「約束のない壊れ「キャラジェクト」の向こうで」
難波優輝 「ミスの美学 分類と価値」

この号のアニクリは、ナンバユウキ無双

みら 「<アニメ>における「バグ」の表象について」

3 バグ/輻輳する世界

あんすこむたん 「新条アカネは実相寺昭雄の夢を見るのか」
あにもに 「傷物達を抱きしめて 映画『傷物語』とアニメーションの政治性』

傷物語』の中に見られるナショナリスティクな表象を分析しながら、阿良々木暦戦後民主主義の葛藤の反映を見るというもの


これより後ろのものは未読

*1:ところで、誌面上には転載である旨の注記が直接的にはなされていなかったように思う

*2:やや細かい点になるが、そういう意味では難波論の「作画崩壊の美学」というタイトルはいささか誇大なタイトルであるようにも思える。むろん、ミスピクチャなどの概念の整理は、作画崩壊に関する様々なテーマに跨って関係しうる議論ではあるが、この論によって示されている、その整理・分析によってもたらされる嬉しさは、「おかしみ」が分析できるというところなので