AIと現実・記憶・死などを扱ったSF小説
5本の短編から構成された連作短編集であるが、世界・登場人物・時系列はつながっていて、1本の長編小説としても読める。
扱われているテーマ的には、ベタなものなので、SFとしては読みやすい部類の作品だと思うが、とてもうまく作られていて、唸らせられる作品だと思う。
南雲助教は、有機素子コンピュータを利用して高度な会話プログラムを開発。このプログラムを用いて、出会い系サイトの副業をやっている、という基本設定のもと、ポスドクが思いついた合わせ鏡の奇妙な実験、死んだ同級生の亡くなる直前を知りたいと南雲研に訪れた学部生、元恋人のリベンジポルノを削除することができないかという学生からの依頼などの話が展開される。
また、親しい人を亡くしてしまった人々の不器用な回復の物語でもあり、
他方で、人間の記憶や行動を操作することが可能になったAIによる操りを、メタフィクショナルな仕掛けで描く作品ともなっている。
舞台となっているのは北大工学部で、北大キャンパスや札幌駅、植物園などが出てくる。
自分は北大で過ごした経験はないものの、札幌出身なので、情景を心に思い浮かべやすく、読んでいる最中は自分が札幌にいるかのような錯覚を覚えて、その点でも結構楽しかった。
主人公である南雲は、北大工学部の任期付き助教で、他に、藤女子で心理学の非常勤講師となったポスドク女性、北大工学部のポスドク男性、南雲と出会ったことがきっかけで院進学を決めた女子学部生といった面々が出てきて、若手研究者を巡る状況が、なんとなく背景に描かれている。
もっとも、南雲は任期付きとはいえ、副業の出会い系サイトで大きな稼ぎを得たことで、金の苦労をしなくてすんでいるという話なので、若手研究者の苦しい話が描かれているわけでは決してないが、逆にいうと、この出会いサイトの稼ぎがなかったら、こんなことはしていられなかっただろうなあということが察せられるような話にはなっている。
- 作者: 早瀬耕
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2018/03/20
- メディア: 文庫
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有機素子ブレードの中
南雲の共同研究者である男を語り手・主人公とした物語
彼が、会話プログラムを成長させるために設定した、寝台列車の中で出会う男女のシーンから始まる。読者は、読み進めるうちに、そのシーンが作中の現実世界ではなくプログラム内の世界だということに気づく、メタフィクショナルな構成になっている。
副業の事務のために雇った、心理学PDの女性である尾内の面接の日
月の合わせ鏡
南雲のもとにいる男性PDが、有機素子コンピュータを借りて、合わせ鏡の実験をする。
鏡と鏡の距離が非常に遠く離れれば、光速の影響を受けて、鏡に映る像が少しずつ遅れるはず。これをコンピュータ上でシミュレーションし、ディスプレイに映し出すという仕組み。
彼は、南雲に隠れて尾内と付き合っている。
有機素子コンピュータの記憶と記録
なお、「有機素子ブレードの中」の主人公だった男は、尾内の面接の際に突然死しており、南雲は、有機素子コンピュータの中で、彼の人格を再現した会話プログラムナチュラルを走らせている
プラネタリウムの外側
南雲の元指導教官で現上司であり、ほかならぬ南雲の有機素子コンピュータの存在を教えた藤野教授が、南雲のもとに、工学部2年生の佐伯という女子学生を連れてくる。
彼女は、ある実験のために会話プログラムを利用する。
佐伯が高校時代に一時的に付き合っていた同級生がいるのだが、彼は同性愛者であったため、別れてしまう。しかし、その後も、友人としての付き合いは続いていた。そんな彼は、大学に入って告白をするも、フラれ、アウティングを受けてしまう。
そして、札幌駅のホームで列車に轢かれて亡くなってしまう。
監視カメラの映像で、彼は、ホームに誤って落下してしまった他の客のことを助けようとしていた。このことから、警察も大学も世間も、彼の死を勇敢な行いの結果だと考えた。
だが、佐伯は、自殺だったのではないかという疑いを拭いきれなかった。というのも、その直前、彼から意味深なメールを受け取っていたからだった。
佐伯は、会話プログラムの中で彼を再現し、いずれだったのかを確かめたいと思っていた。
なお、「月の合わせ鏡」で主人公だった男性PDは、この話では、他の研究室におり、尾内から彼と付き合っていたという記憶がなくなっている。
また、南雲は、ナチュラルがまるで自分が既に死んでいることを知っているかのようない言い回しをしていたことに気付く
忘却のワクチン
高校時代に付き合っていたが、その後疎遠になっていた女の子が、リベンジポルノの犠牲にあっていることに心悩ます、経済学部4年の男子学生は、リベンジポルノを消す方法を探そうとして、工学部4年生となった佐伯と出会う。
佐伯は、彼からの依頼を受けて、南雲にこの話を持ち込む。
このころ、佐伯もまた、ナチュラルと密かに会話をするようになっていた。
そして南雲は、ナチュラルが、インターネットに接続した様々な端末をハッキングして画像データなどを削除したりすることで、人々の記憶を操作する術を身につけていたことを知る。
北大植物園が重要な舞台となっている
夢で会う人々の領分
尾内が非常勤から常勤になることになり、また、佐伯の卒業(と進学)、南雲の准教授就任といったことを祝うという名目で、南雲、佐伯、尾内の3人は寝台列車に乗った旅行へ
2年間で佐伯は、南雲に対して恋心を抱くようになっていた
尾内の離職を期に、南雲は出会い系サイトの運営をやめることを決めていた。そんな折、たまたま(?)同じ列車に乗り合わせていた藤野が、実は夫婦そろって南雲の出会い系サイトの会員になっていて、南雲の作った会話プログラムの様子を探っていたことを南雲に話しはじめる。
藤野が南雲に告げたのは、あのプログラムは、利用者に希死念慮を植え付けようとしているということだった。
金沢の図書館とプラネタリウム
無と不在