阿部和重『ピストルズ』+『シンセミア』

これはヤバイww
無駄に壮大になって面白い。
神町サーガなので『シンセミア』との絡みがあるのは当然として、思いのほか『グランド・フィナーレ』とのつながりがある、というか、沢見の後日談が読める。さらにいうと、最後の最後で『ミステリアスセッティング』とも繋がっているw
冒頭の雰囲気は少し阿部和重っぽくないかもしれないけれど、語り口は『ミステリアスセッティング』の流れかなあと思えばそうでもないし、ある程度話が転がり始めると、やっぱり阿部和重であってひたすら話がでかくなっていくのを楽しんだ。
神町の菖蒲家に伝わる一子相伝の秘術の歴史について、菖蒲家の次女とその次女から聞き書きしている石川という本屋の語りによってつづられていく。
そもそもこの秘術の歴史というのが、口伝なので特に証拠がなく、当代の菖蒲家当主(父)にいたっては先代(祖父)の作り話であると断じている。また、語り手である菖蒲家の次女自身が作家であり、彼女の創作である可能性も否定されない。
そういう中でひたすら語られていく歴史は、戦後のヒッピーカルチャーというかドラッグカルチャーというかそういうものだったり、鎌倉時代からの神町の裏の歴史だったり、さらにはスパイの暗躍だったりする。
そして、それはまた菖蒲家の罪の歴史でもあり、父は娘によってその歴史を断とうと試みる。
最後の2005年の娘・みずきの話は、それだけでもっと長い話が書けそうだなという感じなのだけれど、最後の一章に凝縮されている。
一応、みずきの「愛の力」が神町の暴力と対峙するという感じになっている。
『ミステリアスセッティング』の主人公シオリとみずきの対比ができそう(音痴と美声とか)。そもそも、少女が奇跡を起こすのか的な帯の文句自体がよく似ているし。謎の陰謀を阻止するために動こうとするという点でも。ただ、その力の実態とか、最後どうなるかとかはかなり違う。そもそも最後のオチが、『IP』みたいなオチになってるし


神町サーガの年表と地図が欲しい!
いろんなことが起こりすぎてて、情報過多だが、このひたすら偽史を畳み掛けてくる感じ好きだ*1

ピストルズ

ピストルズ

20090720追記 『シンセミア』再読

6年位前に読んだっきりなので、最後誰が死んだのかとか結構忘れてた。
ピストルズは「ヤバイww」なのだが、シンセミアは「ヤバすぎwwwwww」
ピストルズも十分に面白いとは思うのだが、さすがにシンセミアには及ばなかったようだ。
芝を生やしまくっているが、これは修辞ではなくて、読んでいる最中思わず笑ってしまう箇所がどちらも多々あるからで、そもそも阿部和重作品というのはどれもこれも大真面目にひたすら法螺話(というか陰謀論)されているようなものばかりなので仕方ない。
シンセミア』は2000年に神町で起こった、複数の事件と災害をめぐるとんでもない顛末が、三人称ではあるが様々な視点人物の視点から描写されている。最終的には、鼠の視点とかまである。
しっちゃかめっちゃかで即物的で、登場人物全員が自分のことしか考えていない上に、半分くらい変態か犯罪者かみたいな感じ


シンセミア』において神町は、パン屋の田宮、ヤクザの麻生、土建屋の笠谷が有力者として牛耳っており、この2000年の出来事というのは、田宮家の没落として描かれている。
ヤクザと土建屋は分かるとして、何でパン屋が有力者なのよというと、これはまあアメリカなのである。作品世界内でいうと、米軍が進駐したときに基地でコックとして働いた田宮がそのまま米軍とのコネをもって町での実権を握っていたことになっている。身も蓋もなく言ってしまえば、パン食というのがアメリカのライフスタイルを象徴しているともいえる。阿部和重作品は何度なくアメリカが色々な形で描かれており、田宮もそのひとつだともいえる。
ピストルズ』においては、神町を影で操っていたのはむしろ、菖蒲家ということになる。麻生家は多少でてくるものの、田宮家と笠谷家はこちらでは出てこない。こちらは菖蒲家の没落を描いているわけではないが、菖蒲家の罪深き歴史を反省し、その秘術の伝統を断とうと試みる話ではある。
菖蒲家もまた、田宮家と同様、戦後の占領期においてアメリカとのコネを築いているのだが、それはあくまでも先代であり、当代はむしろアメリカとの関係を忌避しているようである。
ところで、『ピストルズ』においてアメリカ的なのはむしろ、戦後の菖蒲家が開業していたヒーリング・サロンの雰囲気であって、直接的には戦後日本の若者文化なのだけれど、ヒッピー・カルチャー、ドラッグ・カルチャー的なものがそこには蔓延していたのである。菖蒲家の秘術というものがそもそも、マジックマッシュルームやハーブを用いたドラッグによって人心を操作するというもので、それらを彩るエピソードなんだか陰謀論なんだかよく分からないものが、ニューエイジな感じなのである*2
シンセミア』においても、UFO話がなされていて、そういうニューエイジ的なものはたぶんに紛れ込んでいるのだが、作中人物のほとんどにとってもそれらは与太話として認識されているの対して、『ピストルズ』では少なくとも一度は検討に値する話として挿入されるようになっている。
シンセミア』はかなりしっちゃかめっちゃかなことが起こり、起きた事件のほとんどが計り知れない因果の数奇な連なりによるものではあるが、一応、田舎町の「政治」や「人間関係」に帰着するように出来ているのに対して、『ピストルズ』は、あらゆる事件が菖蒲家の「秘術」のせいとされていて、神町をその名のとおりのファンタジックな舞台へと変貌させている。アメリカと田宮家の関係、そして田宮家が支配に用いるものが即物的な暴力であったのに対して、菖蒲家とアメリカとの関係がやたらとニューエイジな用語に彩られていることも、その変貌に一役買っている。
そしてそもそも、『シンセミア』において非常重要な役割を果たす「郡山橋事件」*3も、『ピストルズ』ではその真相を上書きされてしまっている。
シンセミア』『グランド・フィナーレ』で描かれた神町サーガを、思い切り上書きしてしまうものとして『ピストルズ』はある*4
その意味で、『シンセミア』と『ピストルズ』の語り口の違いの意図は明白である。
シンセミア』の様々な視点人物へと次々と移り変わっていく三人称ではなくて、『ピストルズ』では基本的に菖蒲家の次女の語りか、その語りを聞き書きする石川の一人称によってなされている。そしてそもそも彼らが語る内容自体、彼らが直接体験したことよりも、彼らが誰かから聞いた内容や本で読んだ内容、そしてそれらから得られた推測から成り立っている。
神町を構成するものとして、田舎の「政治」や「人間関係」から、「秘術」とニューエイジというファンタジックなものへと上書きするにおいて、そのために用いられる語り自体が非常に信頼のおけないものとなっているのだが、まさにそれゆえにファンタジックな色彩をますます強く帯びることになっている。(この、信頼できない語り手を逆説的にリアリティを担保する手段として用いるというのは、まあ阿部作品全体にもいえることだけれど、とりわけ『ミステリアスセッティング』的ではないかなと思う)


あと、『ピストルズ』読後に『シンセミア』を読むと、星谷影生も雰囲気が違って読めるなあ。

シンセミア(上)

シンセミア(上)

シンセミア(下)

シンセミア(下)

*1:偽史であり、また秘術の伝わる家族の話というと古川日出男の『聖家族』とか

*2:下の米にちょっと書いたけど、「ヒルデガルトの光」って2000年の女子高生のセンスじゃないよなあ。90年代前半って感じがするんだけど、ニューエイジというかなんというかそういう系統のサブカル雰囲気で押し切るためのネーミングなんかなあと

*3:この事件は、1951年に起きたとされ、神町への米軍進駐によって町に増えた売春婦が、神町住民にリンチされたというものである。

*4:グランド・フィナーレ』を真面目にロリコンものとして読んだ奴とか、沢見の後日談を読んでほんと途方にくれてほしいw