島尾敏雄『その夏の今は・夢の中での日常』

筆者の、特攻隊経験をもとにして書かれた系列の作品と、夢系列の作品とを収録した短編集
島尾敏雄については[『戦後短篇小説再発見 6 変貌する都市』 - logical cypher scape2」を読んだら「蜃気楼」が面白かったので、続いて島尾敏雄『夢屑』 - logical cypher scape2を読んだ。
島尾作品には、戦争体験を描いた作品の系列、妻との関係を描いた作品の系列、夢を描いた作品の系列の3系列があるらしいが、「蜃気楼」は夢を描いた作品の系列で、それを追うために『夢屑』を手に取ったのだが、そこに収録されていた私小説系列の作品もわりと面白かったので、さらに特攻隊関係の作品も読んでみてもいいかなと思って読むことにした。
また、「蜃気楼」は30才の頃に書かれた作品であったのに対して、『夢屑』収録作品は晩年期に書かれた作品で、同じ夢系列の作品とはいえ雰囲気が異なっていた。「蜃気楼」により近い時期に書かれた作品が収録されているのも、この本を選んだ理由である。
本書に収録されている夢系列の作品(後半の作品)は、「蜃気楼」や「夢屑」などとはまた雰囲気が異なっている。シュールレアリスティックな作品というべきか。
この系列では、「蜃気楼」や「夢屑」の方が面白い作品だったかなと思うが、本書収録作品の中では「島へ」がそれらに匹敵するくらい面白かった。


島尾作品は、私小説的な作品の場合、淡々と出来事が書かれていく感じがする。「私」の心情も書かれているのだが、それも含めて淡々としている、ような印象を受けた。
そうした描写の雰囲気は、夢系列の作品でも同様といえば同様なのだが、シュールレアリスティックな作品であるためか、より情景描写が細かくなされているような印象はある。
格別に凝った文体であったりはしないのだが、しかし、やはり書かれた時代が数十年前ではあるので、21世紀現在の感覚で読むと、古めかしい文章だったりあまり使われない語彙が頻出し、その点で、読むのに一定の集中力が必要になるが、雰囲気に浸れる。
また、時々カタカナで書かれる台詞が出てくることがあるのだけど、それが結構効果的だなと思う。

出孤島記

島尾の属していた特攻隊というのは、有名な神風特攻隊ではなく、震洋特攻隊。2人乗りないし1人乗りのボートの舳先に爆薬を搭載したもの。作中で島尾はこれを「自殺艇」と呼んでいる。島尾は、九州大学を出た後に海軍に入ったため、隊長としてこの島に赴任しているが、戦闘経験はない。
出撃直前まで行ったが結局出撃しなかった日のことを描いている
終戦間際の出来事で、沖縄から本土へ向かう米軍艦隊を攻撃するのを目的としているが、どうも奄美周辺は米軍から重要視されておらず、奄美素通りで本土へ行っているようだということが推測されているような状況。
また、制空権をとられているので、敵機はしょっちゅう来ており、そのためかつて行っていた訓練ももう行えなくなっている。このため、特攻兵も含めて畑仕事が日常作業となっている。
そんななか隊長の「私」は、時に部落の方に行ってNに逢いにいったりしている。
いずれ死ぬことが決まっている緊張感と、しかしそのための命令がなかなか来ないことによる弛緩との間に挟まれた「日常」
この緩慢に死に向かう感じは、そもそも自殺艇が大したスピードが出ないということにも反映されている(自分たちには麻痺が必要だが、その麻痺をもたらす速度もでない)。
そしてある夜、ついに出撃準備の命令がやってくる。
準備中に、第四艇で爆発事故が起きるが人的損害が全くでないという不可解な事態も起きる。
一晩中、出撃命令を待ち続けるが、結局その後命令は出されず朝を迎えてしまう。先述した通り、速度の出ない自殺艇が体当たり攻撃を成功させるためには夜闇に乗じるしかないので、夜が明ければ当然出撃はなくなる。
そして再び「日常」へと戻るところでこの話は終わる。


「私」は、一方ではわりと冷静な状況判断ができており、特攻がほとんど無意味だし戦争の大勢は決していて、このまま生き残れるのではないかという考えもあるのだが、他方で、軍人としては、彼らは特攻の訓練しかしておらず、他に何かできるわけでもなく、早く命令をもらって終わらせてしまいたいというような気持ちも抱いている。
死ぬことが決まっているからこそ、この「日常」をなんとか生き抜いているというところもある。
生き抜いているというと格好がいいが、色々なことを誤魔化しているとも言える。
例えばNとの関係だが、部下たちには隠しているという体で(というかまあバレているし、バレていることも分かっているのだろう)夜な夜な通ったりしているわけだが、この話では攻撃命令がそろそろ来そうだという予感を抱いている頃なので、Nのところに行っているわりにすぐ帰らないとまずいんだと言ってすぐ帰ろうとしている。Nが純粋に「私」のことを慕っているのに対して、なんとも言えない態度をとっている。
あるいは、隊内の人間関係というのも、本作ではあまり表だって出ては来ないが、なんとも微妙である。「私」は戦闘経験も何もなく隊長となっているが、一方で先任士官や先任下士官がいて、他方で、階級が下の方の者たちには、年かさで徴兵された者たちがいる。彼は、徴兵される前は色々な職業に就いていた者だが、今は見張りだったり何だったりをさせられている。軍の中では下っ端なので従順だけど、例えば、畑仕事など非軍事的な生活が次第に行われるようになってきて、態度が少し変わってきている者などもいる。

出発は遂に訪れず

「出孤島記」で描かれた出撃待機の夜から始まり、玉音放送を聞いた日の夜までを描く。
敵機が全く来ない日が3日続いた後、守備隊へ来るように命じられる。
戦争が終わったのではないかという予感を抱きつつ、歩いて向かう
そこで玉音放送を聞き、その後、戦争は終わったが待機は解除しないという命令を受け、隊に戻り部下たちにその旨話す。
その晩、先任下士官がやってきて、自分は戦後こういう生活をするつもりだが士官は責任をとらされると思いますよという話を一方的にされ、「私」は軍刀を握りしめて眠る。


「出孤島記」よりも内省的な感じがしたが、冒頭だけかも。
「出孤島記」ではNという名前になっていたミホがこちらではトエとなっている他、「出孤島記」では他の登場人物もイニシャル表記だったが、こちらではそういう表記はあまりなされていない
部落の人たち(もともと島に住んでいる民間人)の描写が増えたかも。

その夏の今は

玉音放送の翌日以降の話
戦争が終わった後の方がむしろ緊張状態を強いられる、というか高圧的になっている「私」
戦争中は、友好的で色々よくしてくれた部落の人々だったが、貸した舟返せとか、あげた鯉返せとか言ってくる人が出てくる。
部隊の中も規律が緩み始める。あるいは「暴発」にも警戒しなければならない。出撃待機の夜に起きた爆発事故の事後処理もしなければならない。先任士官が隊長をしている第二艇隊は、入り江の反対側に位置していて元々「私」の目が届かない部隊であったが、ますます規律が緩んでいるように見える。隊の中には、出身地域が異なる者たちが混ざっていて、その差異による軋轢が今後噴出してくるかもしれない、という考えもよぎる。
そうした状況で「私」は、以前では言わなかったような高圧的な言い方を度々してしまう(こんなどこかで聞いたような言い方をまさか自分がしているとは、というようなことを思いながら)。
2つの出来事が起きる。
まず1つとして、占領軍が入ってきたら女子どもは乱暴されるという噂がたち、部落の者たちがさらに山奥へと移動しようとしているという話を聞いて、そもそも詔勅を伝えていなかったことに気付いて部落を訪れる。そこで玉音放送の原稿を読み上げるのだが、下読みをしていなかったのでつっかえつっかえになってしまい、その上、不意にこみ上げるものがあって半ば泣きながら読むことになる。
もっとも、その前日、実際に玉音放送を聞いたときやそれを部下に伝えたときは、とても淡々とした態度をとっていて、この時も終戦について嘆くような思いや悔しい思いがあったわけではない。むしろ、そのような激情を叫んだ部下に対して、ほんとにそう思っているなら言うだけでなく実際に行動して見せろ的な冷たい言葉を言い放っていたりする。
ただまあそれが功を奏したのか何なのか、噂に惑わされないようにという「私」の話はおそらく部落の人々に伝わる。
もう一つは、ある少尉から、兵曹長がトエの家に行って暴れたという報告を受けたもので、しかし、兵曹長を呼び出すと話が食い違う。少尉はそれを基地隊長から聞いたというのだが、基地隊長を呼び出すとそことも食い違う。少尉は、「私」とは同じ大学出で気安く話せる仲であったが、兵曹長や基地隊長は、その少尉が「私」にあることないこと話すので、「私」との間に壁ができてしまったのだという。

孤島夢

戦闘艇の艇長になって航海していたら、ある島へと迷い込んでしまう。
列島に住んでいる人たちと同じ見た目をしているが言葉が通じない島があるという噂があり、それがこの島だと「私」は考える。列島の人々が、普通二文字の苗字を持つのに対して、島の人々は一文字の苗字と三から四文字の名を持つ。
東京歯科医学士で、列島風の名前を名乗っている歯科医を見つけて侮蔑する

夢の中での日常

小説が1本採用されたが、まだ掲載誌が発売されておらず、ノヴェリストとなったはいいがしかし次の作品が書けないでいる「私」が、とあるビルに住んでいる不良少年たちのグループのところに取材込みで一緒に生活しようとするのだが、そこに何故か小学校時代の友人でレプラ(ハンセン病)患者の男が「私」を訪れる。
その男は、ゴム製の器具を私に売りつけるが、私はなるべく男に触らないようにして、その後、手を消毒する。それを見た男は憤慨し、私はその建物から逃げ出す。
無数の飛行機が飛び交う空に恐怖を覚える。
母が住んでいる筈の南方の町へと向かう。「すると町は全滅した訳ではなかったのだ。」「丘陵も建物も灰になってとろけるように崩れ落ちた平面の感じがする或る区域に、その場所があるようであった。」とあり、長崎かどこかなのかもしれない。
満員電車に乗り込んで、若い女に痴漢のようなことをする
母親の住んでいる家に着くと、不義の混血児がいることが分かる。怒る父親に対して、母とその弟をかばうが、父はさらに他にも子がいるのだと責める。父のむち打ちを母の代わりにうける私。
歯がぼろぼろと崩れ落ちてしまう。
女の部屋にいくと、医者にもう見放されたという子どもがいる。そして、自分の作品が載った雑誌がおいてある。
私の頭に瘡ができて、それをはがしているうちに、腹痛が起きて、手を胃袋の中に突っ込んで、自分の肉体を裏返しにしてしまう。
まさに夢の中の世界のように、脈絡もなく次々とシーンが移り変わっていき、まさにシュールレアリスム、という感じの作品。

鬼剥げ

自分は大学まで行かせてもらったが、弟は専門学校までだったので、弟に引け目を感じている「ぼく」。また、弟は「ぼく」とは違って女性関係が進んでいて、「ぼく」の知らぬ間に女中に手を出していたりしていて、そのあたりでもコンプレックスを感じている。
さて、そんな弟から、Sの家から隣家の夫婦の営みが覗けるという話を聞かされて、ぼくと弟と知人の女と3人で見に行くことになる。
隣の家の者はまだ帰ってきておらず、弟もしらけてどこかへ言ってしまい、ぼくは女と逢引するのだが、すると、弟が担架で運ばれてくる。女は弟のところへ駆け寄るが、ぼくはこれを無視してしまう。その後、弟からそのことを詰られる。

島へ

妻と2人で、群島の中のある島へと赴く話。
島の中を歩いているなかで、光の環を目撃するが、バスを待っていた妻に急かされて何だったのか分からずじまいになる。
混み合った宿で、この島で何かの調査をしているという男と同室になる。この男は「私」のことを知っているが、「私」は思い出せない。
入り江に不思議な塔が立っていて、日に3度、鐘が鳴らされる。妻はその塔に住んでいる男のもとに通うようになる。
ある晩、妻が塔からなかなか帰ってこないので、塔へ赴く。明らかに妻がいた気配がするのに、そこの男は妻は来ていないという。しかし、妻が「私」を驚かせようとするイタズラだった。
妻と二人、宿に戻り眠りに落ちていくところで終わる。
冒頭、連絡船で群島の合間を縫って進んでいく描写で引き込まれる。
連絡船が来ればいつだって列島に帰れるのだと何度となく考えている「私」だが、必ずしも島を全部嫌がっているわけでもない感じ
同室の男が連れてきた者たちによる謎の儀式とか、不思議な塔とか、シュールレアリスティックな光景も度々出てくるが、一本のストーリーとしても成り立っている。

著者に代わって読者へ

本書は1988年に発行されているが、島尾敏雄は1986年に亡くなっているため、妻の島尾ミホが読者への言葉を寄せている。
これによれば、島尾自身は自分の作品を「眼をあけて見た周囲を書いたものと、眼をつぶったそれを表現したもの」に分類しているらしいが、ミホはここで前者についてのみ語っている。
島尾ミホにとっても、本書収録の前半3作は自分の戦争時代を描いているもので思い入れが深いようで、また夫婦で、あるいは夫の死後に改めて基地の跡地に訪れた時のことなどを語っている。
ただ、正直いうと、思い入れたっぷりに書かれているため、文章的にはくどい感じがした。亡き夫の持ち上げがすごいというか……
なお、「出孤島記」「出発は遂に訪れず」「その夏の今は」は、明らかに続き物だが、実はさらに島からの引き揚げ・隊の解散を描いた話を含めて四部作とする構想があり、この最終話にあたる作品を書いている途中で亡くなったらしい。
「出孤島記」の発表が32才の時、「その夏の今は」の発表が50才の時なので、時間をかけて書いていったのだな、ということが感じられる。

解説

巻末解説は吉本隆明
島尾の戦争体験と作品の中に見られる「死」について
それから、「夢の中での日常」や「鬼剥げ」に見られるコンプレックスについて

作家案内

野間宏に推薦され、その後『近代文学』に参加するなどしており、第一次戦後派に近い位置にいたという一方で、庄野潤三との親交から第三の新人とされることもあるがそこに収まるわけでもなく、文学史的な位置づけとしては、独特の存在であると評している。
また、東大京大のエリートコースでもなく、早慶の文科のような文学青年コースでもなく、神戸、長崎など海に関わる場所で育った点や、一時的に東京に住んでいたこともあるが基本的には奄美諸島で暮らし、鹿児島で亡くなった点など、そのあたりにも他の作家とは違う存在なのだよ、という評し方をしている。
両親が福島出身で幼少期はそこで過ごしていたことも多く、島尾というと九州・沖縄のイメージが強いが、この東北体験も重要なのだと強調しているが、具体的にどう重要なのかはいまいちよく分からなかった。
最後に、彼が大学で東洋史を専攻していたことと南島論とを結びつけつつ、死を悼んで終わり。