島尾敏雄『夢屑』

1970~1980年代、筆者が50代後半から60代前半の頃に書かれた短編集。
『戦後短篇小説再発見 6 変貌する都市』 - logical cypher scape2で読んだ「摩天楼」が面白かったので、手に取ることにした。

解説によると、島尾作品には、『死の棘』など妻との関係を書いた作品の系列、戦争体験(特攻隊)を書いた作品の系列、そして本作(「摩天楼」)のような夢を書いた作品の系列の3系列があるらしい。

タイトルからして、夢を書いた作品の系列だろうと思われたので『夢屑』を読んでみることにしたが、本短編集収録8編のうち「夢屑」「過程」「痣」が夢を題材にした作品で、それ以外の「幼女」「マホを辿って」「水郷へ」「石造りの街で」「亡命人」は、いわゆる私小説である。また、夢を題材にした最初の3編にしても、「摩天楼」とはだいぶ雰囲気の異なる作品群であった。
しかし、いずれも面白い作品だった。
「夢屑」「過程」「痣」は筆者自身が見た夢を書き綴ったものだと思われるが、筆者自身の経験を反映したと思われるエピソードが多く、続く私小説的な5篇のうちいくつかは、それの答え合わせ的な側面もあって、面白かった。
島尾は、妻との関係を綴った『死の棘』が代表作(映画化もされている)だが、本短編集収録作は、いずれも『死の棘』完結後に発表された作品である。筆者は69才で亡くなっているので晩年の作品とも言える。「摩天楼」は1947年、30才の時に書かれた作品なので、雰囲気の違いは当然ともいえる。なお、夢系列の作品としては、1948年の「夢の中での日常」などもあるようなので、そちらも気になると言えば気になる。

夢屑

筆者が見たと思われる夢のエピソードが、断片的にいくつも書かれている。
最初の方は、比較的現実的な話が多いが、だんだんと非現実的な要素が増えていく。というか、死にまつわる夢が増えていくという構成になっている。
図書館長をやっていた頃、東京に住んでいた頃、教員をやっていた頃、ロシア人の少女との再会など、実際の経験を反映したものが多いが、夢の中の出来事なので、いずれも少し不思議なエピソードだったり、途中でぶつ切りになったエピソードだったりしている。
死にまつわる夢は、特攻隊員であった経験の反映であろうが、こちらは特攻隊の話が直接出てくるものはない。
死のうとする、あるいは死んでしまった夢などが、超現実的な雰囲気で描かれている。例えば、家族揃って入定の儀式に臨み、粘土のようなものに顔を突っ込む夢。死んだふりをして川の中に投げ込まれ、しばらく経った後起き上がろうとしたら、川の中の他の死体もぞろぞろと起き出す夢、爆発が起きて、自分の家の一室以外が消滅してしまい、妻と2人で熱死を座して待つ夢など。

過程

断片的に夢が綴られるという点で「夢屑」と同様だが、各エピソードにタイトルがふられている。
沖縄を舞台にした夢が多く、その場合、巳一という男が主人公になっている
「ドアを三つ持った細長い部屋」「青い海」「同郷の若者同士」「座談会にて」「花子になったワーリャ」「名知らぬ港町」「パーティの女」「少女を連れ出す」「散乱した肉と骨」「変事」

「過程」と同じ形式で書かれており、「過程」と「痣」とで一セットというか、あまり区別がつかない。
「菱形の凧に似た物体」「川沿いの二階屋での自由」「理髪店にて」「地が揺れる」「掃除をしないウラ」「美しくは無い女の子」「父」「痣」「潮のにおい」「みみずく」

幼女

小学2、3年生の頃に、娘のマヤと同級だったミユカとの話。
米兵を父にもち、シングルマザーのもとで育てられていて、マヤと何らかのトラブルがあり、おそらくマヤの失語症の原因となっている。
というわけで、妻とマヤはこの子を避けているのだが、主人公は何故かこの子になつかれており、主人公も邪険に扱うことができず、むしろかわいがっている。
マヤの病気のためにマヤと妻が東京へ行っていた時期にに、ミユカはますます頻繁に家に遊びにくるようになった。

マホを辿って

孫のマホについての爺馬鹿話といえば爺馬鹿話だが、マヤの関係なども含めてなかなか読み応えがあり、解説では「出色の短編」と評されている。
東京に住んでいる息子夫婦は、2,3か月に一度は孫を連れて茅ヶ崎へ遊びに来ていたが、3歳になって一人でも泊まることになる話
マホが次第に言葉を覚えて色々と話すようになっていく頃の話でもあり、マホの話し声を録音したカセットテープを主人公夫婦はよく聞いている。ところで、マホの叔母にあたるマヤは、小さい頃は活発だったが小学校3,4年生の頃から失語症になっている。マホからマヤがどのように見えるのかを心配していたのだが、マホはマヤに一番に懐いている。お泊りの時もマヤと一緒に眠っている。
一方のマヤもマホのことをよくかわいがっており、主人公にとっては、それもまた知らぬマヤの一面をみたということになる。
作家なので、ホテルに缶詰めで仕事をするのだが、その時にもカセットテープを持っていって、マホの声を聞いているところで終わっていて、まあ爺馬鹿といえば爺馬鹿なのではという話だが、マホがあっという間に成長していくことから、カセットテープに記録されている過去のままのマホと、あるいはさらに大人になっていく未来のマホという時間の重なり合いに戸惑ったり緊張したりしている主人公の様子が描かれている。
最後、2ページほど、マホの幼児言葉で語られる昔ばなしがカタカナでそれだけ書かれているところで終わる。

水郷へ

中学生くらいの頃に父に釣り旅行へ連れられた温泉地へ、再び旅行へ行く話
父とはあまり親しくなく、その時の旅行も決していい思い出ではない。そもそも何だったんだあれ、という感じの話

石造りの街で

妻とともにイタリアのFという街へ旅行した際の話
ある劇団がイタリアに行くというのでそれについていった旅行で、旅行の準備をあまりちゃんとしておらず、しかし現地についたら当然劇団はそこでやることがあるわけで、自分たちだけで過ごさなければならなくなる。
それで緊張して疲れてくるのだが、一方の妻は、思いのほか自然体で楽しみ始めている。日本にいるときと変わらぬふうに買い物したりしている。
街にでて夕飯を食べに出たときに、自分自身も次第にこの街にひきつけられていることに気づく。

亡命人

商業高等学校時代にロシア語を習った教師についての話から始まり、何故ロシア語かということで、長崎時代に知り合ったロシア人家族の話をしている。「夢屑」や「過程」で出てきたワーリャという少女は、ここに出てきている。
あとになって、横浜に移ったと聞いて消息を辿ろうとしたけれど、時間が経ちすぎていて辿り切れない。

島尾敏雄略歴

夢に関して、筆者の経験が反映されているところが多いので、巻末の略年譜やWikipediaを参照しながら簡単にまとめてみる。
横浜生まれだが、小学生の頃に神戸へ移住
神戸の商業学校→長崎の高等商業学校→九州帝大へ進学
大学生の頃に、庄野潤三と親交があり同人活動をしている。戦後には、さらに三島由紀夫らも交えて同人活動をしている。
1943年に海軍へ志願し、1944年に、特攻隊の隊長として奄美諸島加計呂麻島へ着任
島で教員をしていた大平ミホに出会い、終戦後、結婚。
戦後、神戸で教員をした後、東京へ移住。
島尾の浮気により妻が精神を病み入院。退院後、奄美の名瀬へ移住。
奄美ではまた教員をした後、県職員となり、県立図書館奄美分館の初代館長となる。
沖縄旅行もよくしていた模様。
60才の時に茅ヶ崎へ移住するが、67才で鹿児島へ戻り、鹿児島で亡くなっている。



島尾一家はなかなかみんな芸術家で、妻のミホは40才の時に小説家デビューしている。
長男の伸三は写真家で、その妻も写真家
孫(伸三の娘)の真帆は、漫画家のしまおまほ。なお、これでWikipediaを見ていて初めて知ったのだが、かせきさいだぁが、しまおまほ事実婚していて子どもがいるようだ。
なお、伸三の下にマヤという娘がいて、「幼女」や「マホを辿って」に出てくる。小学生の頃に失語症となったことが作中にも書かれているが、その後、52才で亡くなったらしい。