庄野潤三『プールサイド小景・静物』

第三の新人の一人である庄野潤三により、1950年から1960年にかけて書かれた、デビュー作や芥川賞受賞作を含めた初期の作品7篇を集めた作品集。
『戦後短篇小説再発見4 漂流する家族』 - logical cypher scape2で読んだ「蟹」が面白かったのと、『群像2016年10月号(創刊70周年記念号)』その1 - logical cypher scape2で読んだ「プールサイド小景」も悪くなかったはずと思い、これらの再読も含めて読んでみることにした。
初出は「イタリア風」の『文學界』を除くと、全て『群像』である。
当時の『群像』は第三の新人の作品をよく掲載していたらしい。庄野の「静物」は、『群像』編集長から長編を打診されて書いた作品ということのようだ。
ところで「静物」は、村上春樹が『若い読者のための短編小説案内』という本の中で取り上げているらしいのだが、その本で取り上げられている6作のうち4作を既に読んでいることに気がついた。機会があれば読んでみるか。

舞踏

デビュー作
20代半ばくらいの若い夫婦の話だが、夫が職場にいる19才の少女と不倫する。
妻と別れるつもりはないけれど、恋に落ちてしまったから仕方ないじゃないかと内心で言い訳しつづける夫と、その不倫に気付いているけれど夫が隠し事をして苦しんでいるのを見ているのが苦しいんだと思っている妻。なお、3才の娘がいる。
正直どちらについても「何言ってんだこいつ」感は否めないところではあるのだが……。
妻が飲めないウイスキーをがぶ飲みして、すわ自殺を図ったのかと夫がビビり散らかす
最後、今日は巴里祭だからとご馳走を用意して、家の中で2人で踊るシーンで終わる。

プールサイド小景

芥川賞受賞作
高校の女子水泳部員が泳いでいるプールの脇で、小学生の男の子が泳いでおり、その様子を父親がプールサイドから見ている。母親が迎えにきて家族揃って帰っていく。水泳部のコーチをしている先生は、その様子を見ながら、夕食前にプールで子どもを一泳ぎさせる、これが生活というものだな、と感心しているのだが、実はこの父親、会社の金を着服しクビになったのである!
無職になって無気力になっている夫を、妻が見かねて、子どもとプールに行かせたのである。
バアの女に入れあげた末の着服であった。
妻も妻で、しかしなんとなくのんびりしていて、夫から話を聞いている内に、実は夫が仕事がつらかったのだと聞いて、どことなく同情したりしている。
ところで、いよいよずっと家にいるわけにも行かなくなってくるので「出勤」することになり、妻は家で帰りを待っている

プールは、ひっそり静まり返っている。
コースロープを全部取り外した水面の真中に、たった一人、男の頭が浮かんでいる。

というラストシーンから漂うどことない不穏さ(このシーン自体は、コーチがプール掃除をしているところなのだが)が印象的な終わり方ではある。

相客

弟から聞いた話として、以前、深夜の食堂で、お新香が食べられないのだが云々という話をしている客がいて、今でも時々気になることがある云々といったあとに、食べ物の好き嫌いというわけではないが、似たような話で思いだした話がある、と本題が始まる。
といって一体どこが本題なのかよく分からない話でもあるのだが。
長兄、2番目の兄、私、弟という兄弟で、全員戦争へ行っているのだが、2番目の兄(以下、単に兄)だけは復員後も結婚せず、独身のままでいる。その兄は、俘虜収容所の所長をやっていたことがあって、ある日、戦争犯罪者として連行されることになる。
その際、私が同行することになるのだが、兄以外にもやはり連行されることになった男がいて、警察、兄、私、その男性とが電車に同乗する。で、私は母が作った弁当と酒を持たされていたので、それを皆に薦める。すると、その男が飯を食べ始めてしまうので、いや、お酒もどうぞと薦めると、戦争中から、酒と飯を一緒に食べる癖がついちゃってるんですよ、と言われる、と。
思い出したきっかけは、この男性の酒と一緒にご飯を食べるというくだりだが、思い出されている話のメインは、やはり兄の話であり、思いがけなく連行されることになってしまって慌てる家族の話ではないかとは思う。

五人の男

5人の男について紹介(?)していく話
1人目
隣の家に下宿している、祈る男
2人目
たまたまバスで会話が聞こえてきた、愛媛という字が読めなかった男
3人目
父の知人のD氏。アメリカでギャングをのしたという武勇伝を持つ大柄な人だったが、戦後に再会したら、喘息により痩せていて、植皮手術を受けるという
4人目
やはり父の知人のN氏。自転車通勤中に蛾が眼に飛び込んで失明しそうになる。そのために仕事を休んでいた期間中に息子が川で溺れて死にかける
5人目
ガラガラ蛇に自分の手を咬ませて実験をした男。これは雑誌で見かけた話

イタリア風

アメリカ滞在中の矢口夫妻が、アンジェリーニ氏というイタリア系アメリカ人の家を訪れる話
主人公の矢口とアンジェリーニ氏は、氏が日本滞在中に新幹線で偶然乗り合わせたことをきっかけに知り合い、その後、東京でももう一度会う。という、2度きり会っただけの関係なのだが、アメリカに滞在することを知らせると、じゃあ是非家に遊びに来てくれということになってという話なのだが、ホテルに迎えに来てくれたアンジェリーニ氏が何故か不機嫌そうで、一体どうしたことだろうかと矢口が気に病みながらも、車に乗ってというところから始まる。
まあ不機嫌だった理由は他愛もないもので、アンジェリーニ氏が最初別のホテルに間違って行ってしまったためであった。一方、車中の会話の中で、日本に来たときに新婚で共に旅行中だった妻と、今は別居していて近く離婚することになりそうだということが分かる。
さて、アンジェリーニ氏の家に着くと、氏の両親と妹が迎えてくれるのだが、この4人家族は4人それぞれてんでバラバラな人物なのである。
アンジェリーニ氏はもともと教育学を専攻しており、その後、高校教師になり、日本にも教師として来日していたが、その後、再び研究へと戻ったような人物である。どのような経緯で妻と別居するに至ったかは不明だが、日本滞在時はそういう様子は全然なかった。
母親は、矢口夫妻をもてなすためにたくさん料理を作ってくれ、自分の夫の行動をたえず恥じて窘めている。で、父親は何をしているかというと、語学勉強マニアで、今は日本語勉強中のため、覚え立ての例文をのべつまくなしに言い続け、矢口の妻にずっと日本語の意味を聞き続けている。反対に妹の方は、物静かというか、心ここにあらずという感じで、家族の会話を黙って聞いて時々笑ったりうなずいたりしている。というのも、ボーイフレンドとの約束があって、彼からの電話を待っていたから。

『戦後短篇小説再発見4 漂流する家族』 - logical cypher scape2で読んだばかりなので、あらすじ・感想等は省略

静物

父親、細君、女の子(小5)、男の子(小1)、小さな男の子(3歳)の5人家族の日常を断章形式で描いた作品。「蟹」に出てくるのと同じ家族である(「蟹」では女の子は小6、男の子は小2になっている)
あらすじはなんとwikipediaにまとまっていたので、それに代えてしまいたい。
静物 (小説) - Wikipedia
このWikipediaを見れば分かるとおり、非常に他愛もない日常生活のワンシーンが18片切り取られて並べられているのである。
本作と「蟹」は、地の文が非常に切り詰められていて、場合によってはカギ括弧の台詞文だけで続くシーンも多い。「「  」/と父親は云った。/「    」/と男の子は云った。」という、普通の文章教室とかだと直されてしまうのではないかと思えるような文章が続くシーンがあったりもする。
「舞踏」から「イタリア風」までとはまた異なる文体で、このどえらくシンプルな文体と断章形式があって、ただ日常風景が淡々と進むだけの作品なのだけれど、確かにこれは何かすごいものを読まされているのかも、と思わされる。
出版社の紹介文では「家庭の風景を陰影ある描写で綴った日本文学史上屈指の名作『静物』」とあり、Wikipediaでは「それらの話の奥に過去の出来事から生じる不安が見えてくる」とあるが、過去に何かがあったことを示唆しているのは第7節だろう。
女の子が幼い頃に映画を見に行ったら結構残酷なシーンがあって、その度に女の子は絵本で顔を隠していたというエピソードであるが、その頃家庭で起きたある問題についても、女の子は見ずに済ませたのだろうというようなことが書かれている。何が起きたのかは明示はされていない。
第7節に出てくる映画の主人公は死ぬらしいのだが、他に第3節の死んだのに蘇ったスージーちゃんのエピソードなど、女の子と死の関係を匂わすものがある。
また、14節で、眠り続けている妻を起こしに行こうと思ったら起きなかったという、10年くらい前、女の子がまだ小さかった頃のエピソードがあるのだが、「舞踏」にあった、ウイスキーを飲み過ぎて昏睡していた妻のエピソードに似ていて(しかし、「静物」では詳細が一切省かれている)、女の子が小さかった頃に何かあったのではないかと思わせる。
断章形式の本作において、物語性は非常に薄いが、釣り堀で釣った金魚が最初の節と最後の節、ならびに第4節などに登場してきて、本作を貫く縦糸となっている。
ところで、男の子が何かいうと、小さな男の子がそれを復唱するくだりが何度か出てくるのだが、かわいらしい。
父親は、子どもたちに対して淡泊でも無関心でもなく、そこそこ一緒に遊んでやっていたりもするが、必ずしも積極的ではなく(休みの日は基本的には寝ている。たまに遊びにいくとして近所の釣り堀)、何かズレているような感じもする(女の子が小さい頃に一緒に見に行った映画は論外としても、男の子たちに話している猪の話とかも子ども向けの話かというと首をかしげる)あたりが、しかし何か妙にリアルな感じもする
「舞踏」や「プールサイド小景」の父親よりは、父親をやっているような気もする(が、この父親の若い頃が「舞踏」なのかもしれないという感じもする)のだが、優れてよい父親かといえばそんなことはないだろう。
ところで、小島信夫『アメリカン・スクール』 - logical cypher scape2の「微笑」や「鬼」に出てくる父親は、外形的にはわりと積極的に子育てに関わっている父親であったが、内面では子どもと関わることを疎んでいる感じがあって、それはそれで男親っぽい内面であるよなと思われるのだけど、「静物」の父親は内面描写が薄いので、そのあたりのことがよく分からない。
平凡な父親であるようでいて、何かズレているような感じもする、意外ととらえがたい人物として造られている気がする。