『蒸気駆動の男 朝鮮王朝スチームパンク年代記』(吉良佳奈江・訳)

この前、ギリシアSF(『ギリシャSF傑作選 ノヴァ・ヘラス』 - logical cypher scape2)を読んだので今度は韓国SFを読んでみることにした。
最近、中国SFに次いで韓国SFも翻訳が進んでいる様子があるが、全然読んだことがなかったので、いい機会かと思い。また、歴史改変スチームパンクもので、同じ世界観で複数の作家が競作したアンソロジーというのが、面白そうだなとも。
5人のSF作家が飲み会の席で意気投合して作ったもので、朝鮮王朝時代(いわゆる李氏朝鮮(今はあまりそう言わないのか))に蒸気機関技術が発展していたらという架空の歴史をもとに書かれた短編集となっている。巻末に、作者による年表もついている。
また、回回人の都老(トロ)という謎の人物が、各作品を通じて歴史の背景に見え隠れる作りになっている。原題は『汽機人都老』である。


各短編の扉に訳者による解説があり、上述したように巻末の年表もあるので、韓国朝鮮史や韓国文化に不馴れな自分のような読者でも、物語自体は十分に楽しめるものになっている。日本と韓国で色々と違いはあるものの、おおよそ日本の江戸時代くらいの話だと思えば、想像もしやすいわけだが、しかし一方で、これやはり歴史改変ものなので、元の歴史を知っている方が面白いことには違いなく、その点で十分には楽しめなかったのも事実。
作中に出てくる人物や場所が、韓国時代劇ドラマでメジャーなものだったりするらしいので、韓国朝鮮史の専門的な知識までは不要だが、韓国の時代劇とか見てた方が絶対によいだろう。


スチームパンクSFとしてどうかというと、そもそもそれ以前に自分にあんまりスチームパンクへの愛好心があんまりなかったかもしれないんだけど、基本的に、ご禁制の技術をいかに扱うかという話が多く、絵的にはちょっと地味かもしれない。というか、16~17世紀を舞台にしたスチームパンクってちょっと難しくないか、と思ったりもする。
スチームパンクの花形ガジェットというと、蒸気コンピュータや飛行船だと思うが、本作では汽機人と呼ばれる、蒸気技術によって作られたロボットが主眼となっているので、ロボットSF的な要素が強い。
「君子の道」は結構面白かったと思う。汽機人以外の蒸気技術もよく出ていて、また、汽機人がどのように作られるのかという点も書かれてたり、蒸気技術というか汽機人が成り上がりの手段として使われていたり、とスチームパンク要素と世界観とがうまく噛み合っている感じ。
「魘魅蠱毒」は、時代ものミステリSFとしては面白いが、スチームパンク要素は弱め。
「知申事の蒸気」は、韓国SFアワード受賞作品とのことだが、これはかなりロボットSF寄りの作品であり、なおかつ、韓国時代劇ドラマとか見てた方が面白い奴というか、というか、むしろ見てないとそこまで面白くない作品だった。

蒸気の獄 チョン・ミョンソプ

1544年、中宗が崩御し、その廟号をどうするかという会議のシーンから始まる。
廟号を蒸宗とすべきとする士林派と中祖とすべきとする勲旧派で対立があるのだが、これは、1519年に起きた、蒸気の獄(己卯の獄)から由来する。
主人公の李川龍は、芸文館検閲といって、書記であり歴史書を担当する役職についているのだが、廟号会議の顛末をちゃんと記録するためには、蒸気の獄の真相を知らねばならないと思い立ち、士林派と勲旧派の代表的人物にそれぞれ話を聞きにいくのである。
もともと中宗は、士林派である趙光祖を重用しており、またこの趙光祖が蒸気技術推進派でもあった。なので、当初は中宗も蒸気技術を推進していたのだが、あるとき、後宮で見つかった桑の葉に、趙光祖が謀反を企んでいると読み取れるような文言が浮き出ていた(蚕の噛んだあとがそのように見えた)という噂が出てきて、趙光祖一派は流刑にあう。これが蒸気の獄である。
さらに、趙光祖流刑地で賜死される。賜死というのは、王から死毒を賜るという刑で、日本でいうところの切腹に相当するものらしい。本短編集ではたびたび出てくる。
蒸気の獄は、勲旧派による策略であると士林派は考えている。さらに晩年の中宗は、再び士林派を登用することになったので、士林派と勲旧派の対立が再燃していた。
主人公の李は、出身的にも心情的にも士林派なのだけど、実際に聞いて回ったら、蒸気の獄は王のスタンドプレーだったことが分かる、という結末になっている。
冒頭と結末に、蒸気背負子というのが出てきて、禁制ながら便利なので商人に普及していたのが、最終的には取り締まりの対象となっていく、という時代の移り変わりが表現されている。

君子の道 パク・エジン

本短編集収録作品の中でもっとも長い作品。短編というよりは中編・ノヴェラ的な長さかも、分からんけど。
「儂」が息子に対して、自分の来歴を語るという一人称形式の作品になっている。
両班身分と奴婢身分の間の身分差別がテーマになっている。
母親が奴婢だと子どもも奴婢になる。主人が自由にしてくれるパターンと、刑罰で奴婢に落とされるパターンがあるけれど、基本的には身分は代々で固定されている。
で、「儂」は、奴婢の生まれなのだけど、実はそこのお屋敷の旦那様が奴婢に産ませてしまった子である。育ての父親はやはり奴婢なのだが、彼が蒸気技術に秀でており、「儂」もそれを身につけるようになっていく。
前半はこの差別の厳しさと、親が子にふるう暴力が描かれる。子が失敗すると容赦なく殴るんだけど、しかしこれは、子を守るためでもあった。将来のためを思って、あるいは主人らにもっとひどく殴られる前に、先に殴っている、というのもあるが、「儂」の場合は、さらに奥様から無用に目をつけられないため、という理由もある。
「儂」は、怠惰な「坊っちゃん」のために、蒸気技術で活字機を作ってやる。父親から課せられた書写の課題を代わりにやってのける機械で、これにより「坊っちゃん」から庇護を受けられるようにしていく。
で、この活字機のあたりが面白くて、旦那様(父親)を欺くために、色々な機能を足していくのである。父親は目を悪くしていたので、少し人っぽいシルエットにしたりなんだりすることで騙せおおせるのである。
「儂」は、成長するにつれて自分の出生の秘密であったり、旦那様が実際には自分を奴婢の身分から取り立てる気などないことであったりを知っていくようになる。また、そのさなかに、語飛船の噂を知り、後には実際に目撃する。これは、人語を解する飛船であり、全く未知の技術であった。
旦那様の家も、朝鮮王朝名物(?)の政変と無縁ではなく、1537年の金安老への賜死など、色々と情勢が変わっていく中で、「儂」の育ての父親による蒸気技術を提供することで、サバイバルしていた。
ただ、このサバイバルにも失敗して、流刑の憂き目にあう。しかし、その流刑先で「儂」は、都老に出会い、語飛船の技術の一端にふれるとともに、活字機をより人間へと近づけていくことが可能になる。
で、「坊ちゃん」はどんどん活字機へ頼るようになっていき、その後、流刑が説かれて任官することになっても、活字機がかわりに働くほどになる。
最終的に、「儂」は息子に対して、長年計画していた、「坊ちゃん」の子どもと入れ替わる策を伝えるのである。
というわけで、本作では奴婢としての「儂」の悲惨な生活が延々と描かれて、ちょっとそのあたりは気が重くなるのだが、最後に、逆転劇的なクライマックスが待っているというものになっている。
何より、蒸気活字機を少しずつ改良しながら、最初は父親だが、最後には周囲の他の人間をもあざむいて、人間の代わりをさせていくというところが面白い。
また、主人公が技術者なので、蒸気技術についての話が多い(蒸気技術での輸送手段を考えるが、そのためにはまず道路整備が必要だ、と考えていたりとか)

「朴氏夫人伝」 キム・イファン

路上で物語を語って金を稼ぐ伝奇叟(チョンギス)という職業の男が主人公
彼は噂を頼りに、山奥で生活している鍛冶屋の李時白と夫人の朴氏を尋ねにいく。実はただの鍛冶屋ではなく、禁制の蒸気技術の研究者であることを知る。
そこに取り締まりの手が伸びるが、李時白の作った汽機人が現れる。
李時白に蒸気技術を伝えた者として、都老が出てくる。
「朴氏夫人伝」は実際に朝鮮に伝わる物語らしい

魘魅蠱毒 パク・ハル

呪術師の金という男が拷問の末、刑死する。彼は、蠱毒の呪いをしかけていたという噂によって捕まっていた。
県監の崔は、息子にこの噂の出所を調べさせる。と、噂の出所が金自身であったことと、金に娘がいたことがわかる。その娘は全く何も話さず、崔の息子は彼女に竹童という名前を与える。
金は何故、自分で自分に嫌疑のかかるような噂を流したのか。娘を守るために何かを隠したのではないか、と考えた崔親子は、竹童の手の動きが、実は地図を描いていることを突き止める。
その地図を頼りに冠岳山へ赴くと、そこは陣地になっていて、なんと汽機人の兵士が駐屯していたのである。これを目撃したということがバレたらそりゃ当然えらいめにあう、という話である。
崔(父親の方)は、これを娘のことは隠した上で暗行御史に報告して(そもそも金を刑死させたのは、この暗行御史からの命による)、賜死される。

知申事の蒸気 イ・ソヨン

正祖李サンと、その有能な右腕であった洪国栄の失脚(1779年)についての物語
この、李サンと洪国栄というのは有名な人らしくて、洪国栄の妹が側室となったあと、妹が謎の死をとげ、洪国栄も流転されたらしいのだが、この経緯が謎であるため、色々と解釈されてフィクションが作られているらしい。
この李サンという国王は、先王の孫なのだが、先王の子であり李サンの父親の気が狂ってしまったために、先王がこれを排除し、その後、李サンは既に亡くなっていた伯父の養子という形で即位、というなかなか特殊な背景をもっている。
で、本作は、この李サンの教育役が、遺体の中に動いているものを見つけて引き取ったら、実はそれが汽機人で、これを密かに育て始め、洪家の養子とする。これがのちの洪国栄となる。まだ即位前の李サンと洪国栄はひょんなことから顔をあわせ、兄弟弟子ということで一気に親しくなる。
洪国栄は、要は蒸気で動くロボットで、儒教の教えを学習しており、完全に情を排して儒教の教えに従った答えを出すことができる。即位後の李サンは洪国栄のアドバイスに基づき、政敵を排除し、その後も洪国栄を重用していく。
彼はロボットで、儒教的に君主に奉ずる原理に従って動き、私心というものはないのだが、あるとき、養父がぽろっと(これまたあまり深い意味なく)王の世継ぎについて聞いてきたことがきっかけで、妹を側室にすることを思いつく。
単に洪国栄が知っている若くて健康で教養のある女性が、自分の妹しかいなかったため、という理由なのだが、無論、はたからどう見えるかといえば、話は別である。もっとも、洪国栄自身はそういうことに気付いていない。他の者から、何故今まで外戚政治を排除しようとしたのに自分で外戚になろうとするのか、と面と向かって質問され、混乱する。
その後、この妹は亡くなってしまうのだが、それに伴ってトラブルを起こしてしまう。李サンは彼をかばいきることができず、流刑を決める。
賜死とせざるをえないが、汽機人を毒殺することはできない。李サンは、流刑先の洪国栄を訪ねると、全ての記憶を消すようにと命令し、彼はそれに従う。
でもって、この洪国栄の正体自体が一時的に記憶がとんでいた都老だったというオチがついてくるのだが、理詰めでしか判断できず人間の情が理解できないので優秀だがトラブルを起こす存在としてのロボットという、ロボットものとしてはわりとベタな設定で、しかし、最終的に李サンとの関係がなかなか泣かせるものではある。
なので、朝鮮史や韓国時代劇を全く知らなくても、まあそこそこは楽しめるのだが、しかしやっぱり、本作品の肝は、あの洪国栄の正体は実はロボットで、流刑の裏に李サンとの絆があったのだ、みたいなところにあったと思うので、洪国栄も李サンも知らないとやはりのめりこめないなあ、とも思った。