ジョン・ヴァーリィ『汝、コンピュータの夢(〈八世界〉全短編1)』

ヴァーリィの〈八世界〉シリーズに属する短編を集めた短編集の1巻。太陽系SFにしてサイバーパンク的なところもありジェンダーSFなところもある。でも、そういういかにもSFガジェットを押し出しているわけではなくて、プロットや人間関係にスポットが当てられているところが面白い。
書評等で見かけて面白そうだなと思ったのだけど、実は以前、「逆行の夏」だけ『20世紀SF<4>1970年代接続された女』 - logical cypher scapeで読んだことあったのすっかり忘れていた。『20世紀SF』って何故か4巻だけ読んだけど、改めて結構いいラインナップだと思う。
さて、サブタイトルにある通り、〈八世界〉という共通の世界設定を背景にして描かれている諸短編なのだけど、世界観についての説明は全くといっていいほどない。その世界で当たり前になっていることについて、わざわざ説明しないというスタイルなのだ。
それでいて、分かりにくさは全然ない。
月から冥王星にまで人類の居住区が拡大している未来。それは実は地球に侵略者が訪れて追い出された結果らしいが、それは巻末解説や書評を読んで知ったことで、この本に収録されている短編中ではそのことについて触れている部分はない。
どちらかといえば、この短編集で重要な設定は〈変身〉と独特な親子関係だろう。
〈変身〉は、性転換手術のことで、身体改造が容易になったこの時代において、人々はその人生の中で何度も性別を変えている。
身体改造技術の発達により、人々は長命になっているばかりか、人格のレコーディング技術によって、肉体が死んでも、新たな肉体を作りそこに人格をコピーすることで事実上の不死をも実現している。
こうした技術の発達を反映してか、1人の親に対して1人の子という法が徹底されており、人口抑制が図られている。
夫婦という家族の形態はもはや存在しておらず、父親というものがなくなって久しい。先ほどの1人の親に対して1人の子、というのも、正確には1人の母親に対して1人の子である。また、上述の通り、性別を自由に変えられるので、「母親」とはいうが常に女性であるとは限らない。
八世界とは、このような技術と社会制度のもとにある世界である。


八世界について、しかし何よりも印象的なのは、太陽系の風景の方かもしれない。
月や水星、金星などが舞台となるが、それぞれの舞台に応じた特徴的な風景が描かれている。幻想的であったり、不気味であったり、SFならではの景色を見ることができる。
ただ不思議、というわけではなく、やはりSFなのでサイエンス上の背景があるが、一方でハードSFのようにガチガチな科学的設定が書かれているわけでもないので、古びれることもなく、ファンタジックになりすぎることもない絶妙なバランスで書かれている。

「ピクニック・オン・ニアサイド」
「逆行の夏」
ブラックホール通過」
「鉢の底」
カンザスの幽霊」
「汝、コンピューターの夢」
「歌えや踊れ」

ピクニック・オン・ニアサイ

月面が舞台
主人公の少年フォックスは、母親のカーニヴァルとの間で〈変身〉を巡ってしょっちゅう喧嘩していた。未成年が〈変身〉を行うには、保護者の同意が必要なのだが、カーニヴァルがそれを認めてくれないからだ。
そこに、親友のハロウが現れる。男から女へと変身して。もともと同姓同士の友人だったのが、突然魅力的な女の子として現れるという展開。フォックスは勢い余って、ハロウを連れ、親には黙って、「おもて側(ニアサイド)」へと向かう。
誰も居なくなった廃墟の町が広がる「おもて側」なのだが、そこにはレスターという老人が1人で暮らしていた。
「おもて側」は月の住人から忌避されているのだが、古い価値観を引きずるレスターはむしろ1人になるためそこに住んでいた。過去の宗教的倫理観、家族観を引きずり、〈変身〉にも否定的なレスターは、フォックスにとって「愚か者」と映るが、好ましい人物であることに変わりはなく、3人の不思議な共同生活が始まる。
SF的な設定がなされているが、話自体は、王道な青春小説と言えるかもしれない。親への反発や友情、恋愛、老人世代との交流、そして「死」との遭遇。
おそらくSF設定をそんなに前面に押し出していないせいもあってか、全体的に古くささは感じないのだけれど、月のCC(セントラル・コンピュータ)だけは昔のSFだなっていう感じがする。でも、少年とコンピュータの会話はなかなかよい感じである。

逆行の夏

舞台は水星。
母親と暮らす少年のティモシーのもとに、月で育ったクローンの姉ジュビラントが訪ねてくる。
水星では、生命維持装置でもある〈服〉をまとって生活している。月の地下で生活してきて、環境工学を学ぶジュビラントと水星育ちのティモシーとの間で、月と水星の生活文化の差による軽い諍いがあったりして、〈八世界〉の雰囲気が何となく伝わってくる。
水星は地震が多くて、時には生き埋めになって掘り起こされるのを待つ羽目になるとか。
水銀の池で泳いだり遊んだりとか。
ストーリーは、なんで姉だけが月で育ったのか、もともと月にいたはずの母がなぜティモシーだけを連れて水星に来たのか。母は教えてくれず、ティモシーもこれまで聞いてこなかったのだが、姉の来訪を機にその謎を知ろうとする。

ブラックホール通過

舞台はうってかわって彗星帯
エッジワースカイパーベルト以遠のことだと思われるけど、彗星帯という言葉も、なかなか雰囲気あっていいかもしれない
宇宙空間で1人、通信傍受の任務についているジョーダンが主人公。
最初、「トリーモニシャが両足を半分コンピューター・コンソールに埋めたまま横になっているのを目にし」た、の意味が分からなかったのだけど、ジョーダンとトリーモニシャはそれぞれ別の宇宙船に乗っていて、ホログラムで通信している。ホログラムがお互いの船内に投影されているのだけど、船内の部屋や物の配置は違うから、こちらの船で相手のホログラムを見ると、相手のホログラムが変な場所にいたりすることがある、と。それで彼らはお互いに、相手の船のどこに何があるかをマーキングして、そこを避けるようにしているのだけど、それも限界がある、というのが先の描写。
宇宙空間を舞台にした超遠距離恋愛をしていて、姿は見れるけど実体には触れられないまま、どうにか関係を結んだり、もどかしさで仲違いをしたりしている。
さて、これまた、この短編中ではあまり詳しく説明されていないのだが、異星文明の情報ネットワークとして「へびつかい座ホットライン」というものがあって、これレーザー通信が太陽系近傍を通過している。彼らはその通信を傍受して、ほとんどは人類にとって意味不明な情報の中から、役に立ちそうなものを選別して、人類圏へと送り返す仕事をしている。ジョーダンとトリーモニシャは、それぞれ別の会社に所属していて、つまり、仕事上はライバル関係にある。基本的には、トリーモニシャの方が優秀っぽい。
このあたりも、設定は完全にSFだけど、物語的には、社会人遠距離恋愛ものになっているとも言える。
でも、ブラックホールが近くにあるということがわかって、という危機が2人を襲う。

鉢の底

今度の舞台は金星
マチュア地質学者というか岩石マニアのキクは、「爆発宝石」の採取のために、長期休暇とこれまでの貯金を利用して、金星へとやってきた。しかし、交通の便も不便な金星の田舎までやってきたところで、火星で購入した赤外アイが故障してしまう。
医者もいないような田舎で、唯一医療技術に詳しいのは、カワウソを連れた幼い少女エンバーだった。
生意気な少女とおじさんの即席コンビが、「爆発宝石」をとるために金星の砂漠へと向かう。
追従機って具体的にどういうものか分からないんだけど、2015年現在に読んでいると、Boston Dynamics社のロボットを想像してしまう。
気球をつけた空中自転車で砂漠を進むのも面白い。
タイトルにもなっている「鉢の底」というのは、金星独特の風景のことで、分厚い大気によって地平線が歪んで見えて、自分がいつも「鉢の底」にいるように見えることから。キクのちょっと追い詰められた状況と重なる、というか。
医者のいる町まで戻るお金がないから、仕方なくエンバーに頼むわけだけど、一方のエンバーの方にも思惑がある。彼女は聡明で博識で、金星の田舎を早くでていきたい。しかし、未成年であるという理由で他の星へ行くことができない。そこで彼女は、火星から来た旅行者と養子縁組を組むことで、金星脱出を計画していたのである。
爆発宝石が実は鉱物の類ではなかったという設定上のオチと、最初はエンバーのことを警戒していたキクが次第に彼女に惹かれていってという物語上のオチとがある。

カンザスの幽霊

これ、めっちゃ面白い。
アイデンティティSF・ジェンダーSF的な要素とミステリー的な要素がすごくうまく組み合わさっている
「ピクニック・オン・ニアサイド」の主人公であるフォックスが再登場する。既に大人になっており、今は女性として生活している。
彼女は、他の多くの人と同様に、人格を定期的にレコーディングしているのだが、実は既に3度死んでいる、しかも殺人で。
レコーディングを受けた人は、肉体が死ぬと、クローンが作られ、最後のレコーディング記録をもって復活する。これによって、死がなくなった。というか、人生においてセーブが可能になった感じか。人格のレコーディングは定期的に受けているけれど、毎日とか毎月とかやっているわけではないので、レコーディングの頻度によっては、復活の際に記憶が飛ぶ。ある意味、死はなくなったが、ある意味でやはり死はある。復活前と復活後では、記憶の多くは同一だけど、正確に同一人物かといえば、そうではない。この時代の人々は、そのあたりを納得したりしなかったりして生きている。
フォックスは、環境芸術家として生計をたてている。「ディズニーランド」という月の地下に地球の環境を再現したテーマパークで、気候制御エンジニアをしていたのだが、次第に気候プログラムが、環境芸術として鑑賞されるようになっていった。
問題は、フォックスの名声を高めた最高傑作の制作時の記憶が、レコーディングされていなかったということだ。復活後のフォックスは、自分の評判を他人事のようにしか受け取れない。
フォックスを3回も殺したのは一体何者なのか。
そういうミステリー的なプロットで話は進んでいく。
そんな中、フォックスの新しい作品が上演される日が来た。個人的な警備を伴って、何とか会場を訪れることのできたフォックスは、そこに犯人が来ていることを知る。
犯人の正体はあっと驚くものだし、そこから、フォックスと犯人が互いに惹かれ合うところが、八世界ならではの展開で、これはこのSFでないと描けない愛で、すごい。
CCがかなり人間っぽくなっていたりする。
最後は、月から冥王星への逃走で終わる

汝、コンピューターの夢

これも、人格レコーディングもの
この時代、医者(メディコ)はエリートでも何でもなく、ただの技術者になっていて、大卒の教師にちょっと見下されるような職業になっている、らしい。
あと、サイバーパンクっぽいジャックを刺すようなデバイスがあるっぽい。
人格データを一時的に「ケニヤ・ディズニーランド」の動物に移植するという休暇を過ごしたフィンガルは、しかし、会社の手違いで肉体が行方不明になり、コンピュータ上で人格データを再生されることになる。
コンピュータ内の自分の記憶から作り上げられた仮想現実の中で生活することになるフィンガル。
外界との唯一の接点は、技師のアポロニア。ただし、彼女は、彼の仮想現実の中に、超常的な形でしか介入できない。
コンピュータ内と現実世界とでは、流れる時間の速度が全然違う、というイーガン的な話でもあったり。

歌えや踊れ

土星の衛星ヤヌスが舞台
普段、土星の環で生活しているバーナム&ベイリーが、自分たちの作った音楽をエージェントに売るためにヤヌスを訪れる。
バーナム&ベイリーは、共生者のペアである。
バーナムは人間であるが、ベイリーは植物に近い存在である。宇宙服のようなもので、バーナムの全身を包み込み、神経系や他の器官などとも繋がって、宇宙での生存を可能にしている。ベイリーの光合成によって、バーナムも栄養を得ている。ベイリーは独立の人格と意識をもっているが、その声が聞こえるのはバーナムだけである。
土星の環で生活しているリンガーたちは、みな何故か芸術の才能を持っているが、それを作品化することができないので、ヤヌスのエージェントたちがそれを代わりに売っている。バーナム&ベイリーも音楽を作れるが、楽譜を書いたり楽器を演奏したりすることができない。
エージェントのティンパニは、そんな彼らに、開発中の新しいデバイスを見せる。それは、身体の動きを音楽化するというもの。ダンスすると、その神経の働きを読み取って音に変える。
バーナム&ベイリーとティンパニはセックスして、音楽を奏でることにする。