『ギリシャSF傑作選 ノヴァ・ヘラス』

ギリシャで書かれた短編SFアンソロジー
もはや完全に翻訳SFの一角をなした竹書房文庫から。
タイトルには傑作選とあるが、元の本として『α2525』という、未来のアテネを想像するという企画による短編アンソロジーがある。これにさらに英語圏で発表されていた作品が加えられている。
ギリシャを舞台にした作品がそろっており、人名なども当たり前だがギリシャ人の名前なので、そのあたりで異国情緒があるのだが、イスラム系の登場人物がいたり、移民問題を扱った作品があったりで、そのあたりにも現代のギリシャの雰囲気をどことなく感じさせるものがある。
一方、環境変動による水没した世界、ARやVRを扱ったもの、ディストピア移民問題、アンドロイドものなど扱われるSFネタは多岐にわたる。短編ということもあってストーリー的にはちょい物足りないなあと思う作品もあったが、いずれも世界観などはしっかりしていて、どの作品も面白かった。


竹書房と翻訳者の中村融により『シオンズ・フィクション』というイスラエルSFのアンソロジーが以前出版されているが、それを受けて、その後中村のもとには非英語圏SFの売り込みが結構来たらしい。
その中で中村が「これは!」と思ったのが本作ということらしい。
編者は、フランチェスコ・ヴァルソとフランチェスカ・T・バルビニというイタリア人。
英訳版があり、そこからの重訳となる。


「わたしを規定する色」「アンドロイド娼婦は涙を流せない」は設定が独特なところが、「ローズウィード」はその世界観が、「われらが仕える者」「蜜蜂問題」は物語のもたらす雰囲気が面白かったかなあ。「人間都市アテネ」「バグダット・スクエア」がそれらに次ぐかな。ここに名前を挙げなかった作品とも甲乙つけがたいところはある。

はじめに(ディミトラ・ニコライドウ)(安野玲・訳)

ギリシャSFについての説明がなされている。巻末の訳者(代表)あとがきによれば、中村が依頼して書いてもらった解説だとのこと。
世界初のSFは2世紀のギリシャで書かれた「本当の話」だとされている。が、その後、長らくギリシャにSFの伝統はなく、2000年代頃からようやく本格的にSFが多く書かれるようになっていったらしい。

「ローズウィード」ヴァッソ・フリストウ(佐田千織・訳)

温暖化により都市が水没している近未来で、主人公のアルバはダイバーの仕事をしている。
水没した建築物の安全性評価のための調査を行う仕事だが、最近、その評価をあえて下げるような証明書を作ろうとしている組織があることに気付く。
胡散臭い話だと思っていたところ、早速そこから仕事の打診がくるのだった。
主人公は危険性のあるダイバーの仕事をする一方で、気象学の学位をとるために勉強もしている。というか、その勉強の時間を確保するために、あえて危険な仕事をしている。
さて、この怪しげな会社と仕事は一体何かというと、富裕層向けに安全な危険を提供する観光業だったというオチ。
世界観や雰囲気はよかったので、もう少し長めの話が読みたかったなと思った。

社会工学」コスタス・ハリトス(藤川新京・訳)

ARがそこらじゅうに張り巡らされている未来で、ARの管理者によって、ARに表示されるガイドが違う。宗教団体とかNPOとか。
その権限をめぐる選挙が近く、主人公である社会工学者のダニエルに、投票行動を誘導する方法はないかという依頼がくる。全然社会工学的じゃない方法を提案することになるんだけども。
社会工学者がなんかたくさんいて、問題解決の依頼を受けているみたい世界っぽいのがなんか面白かった。

「人間都市アテネイオナ・ブラゾプル(佐田千織・訳)

黒人の駅長マデボがアテネ駅に着任してくるところから始まる。駅長は弁務官から着任の激励を受ける。
この世界は、都市と住民を切り離した世界で、都市は都市ごとに特定の産業に特化し、人々は世界中の都市を異動して回っている。主人公である駅長も、デリーとヨハネスブルグを転任してきた。
実は妻子がいるのだが、アテネに転勤してきたことで、おそらく今後2度と会えないという。しかし、否応なしに仕事へと適応していく。
異常な世界といえば異常な世界だが、弁務官はこの世界と商業都市アテネの理念を声高にうたいあげ、駅長も戸惑いながらもしかし淡々と適応していく。
アテネについても、哲学とか観光とかの都市なのではなく、立地を活かした商業都市に生まれ変わったのだと弁務官は説いている。
ディストピアものではあるんだけど、どこか淡々とした雰囲気があって、「恐ろしい世界だ」というよりも「へえこんな世界もあるのかー」という感じになった。

「バグダット・スクエア」ミカリス・マノリオス(白川眞・訳)

仮想現実空間で逢瀬を重ねる「私」とドラゴミル。
ドラゴミルはいつも最新のソフトを使っており、現実のアテネと寸分違わぬ空間が用意されているはずだったが、「私」が矛盾を感じるようになる。
ある日、その疑惑を晴らすために、現実世界で待ち合わせしようとする話になる。ドラゴが指定したのは風俗街で訝しむが、再開発で今は風俗街ではなくいい感じのカフェがあるのだという。しかし、いざ行ってみるとやはりそこは風俗街で、しかもドラゴは現れなかった。
再び仮想現実空間にて。矛盾に感じられた点は、ドラゴがいうところのカップリングによるものだった。その日は、アテネとバグダットがカップリングされていた。それは、アテネとバグダットを隣接させる試みで、全く異なる都市の住人の姿を真横に見ることができて、交流もできるというもの。
さて、もしかするとどちらかのアテネは、ニック・ボストロムがいうところのシミュレーション世界で、そのシミュレーション・アテネカップリングされて出会ったのでは、と

「蜜蜂問題」イアニス・パパドプルス&スタマティス・スタマトプルス(中村融・訳)

ニキタスは、ドローン蜜蜂によって生計をたてているが、ある時、この地区に生きている蜜蜂がいるという話が聞く。
もし、生きている蜜蜂がいたらニキタスは商売あがったりになってしまう。そして、パレスチナからの移民の男アクラムが、蜜蜂を連れてきたことを知る。
ニキタスは元々反移民の活動家だったが、不法移民の少年の処刑を目の当たりにして、活動を離れた。逮捕状が出て逃亡中の身であり、だからこそドローン蜜蜂による生活を手放すことができない。

「T2」ケリー・セオドラコプル(佐田千織・訳)

高価で清潔な列車T1と安価で汚い列車T2が運行するようになった時代、アレクサンドロス=フィリッポスとエリエッタ=ナタリアの夫婦は、T1に乘って産婦人科医のもとを訪ねる
しかし、医者から、DNA検査によって、生まれてくる子の目の色とその色がもたらす影響についての統計データを知らされる。
移民と格差と出生前診療とデザイナーズベイビーの話

「われらが仕える者」エヴゲニア・トリアンダフィル(市田泉・訳)

とある島で観光業に従事する人造人間の話、ということで、どことなく雰囲気が『グラン・ヴァカンス』っぽいところがある。
この島の真の住人である本当の人間たちは、海底都市にいて、彼らをコピーした人造人間たちが島では働いている。ただし、観光客にはその正体は隠されている。
主人公マノリのもとには、毎夏訪れるゲストがいる。彼女アミーリアとの出会いの記憶は、彼のオリジナルの方の記憶であって、彼自身の記憶ではないが、彼女にはオリジナルと人造人間の区別はついていないはず……。
ところで、相次ぐ地震により、オリジナルたちは地上に復活することを決め、オリジナルのマノリは人造マノリにそのことを告げる。人造人間たちは処理されることになる。
一方、アミーリアは、マノリを島外へと誘う。
人造人間は島外には出られないようになっているのだが、人間に危険を迫っている時はその限りではない。彼女は主人公に対して「助けて」ということで、島外へいく船に乗船させるのだった。

「アバコス」リオ・テオドル(市田泉・訳)

画期的な食品を作ったアバコス社の担当者へのインタビュー形式の作品

「いにしえの疾病」ディミトラ・ニコライドウ(安野玲・訳)

山岳地帯の医学研究所で働く主人公アーダのもとに新任医師のキュベレーがやってくる。
この研究所では、原因不明の不治の病の患者たちを診療し研究していた。
この世界、なんらかの大災害以後の世界で、人類は不老不死者になっている。で、この原因不明の不治の病というのは、旧世界の老衰のこと。
新人の医者は、それを暴こうとしているグループの工作員だったという話

「アンドロイド娼婦は涙を流せない」ナタリア・テオドリドゥ(安野玲・訳)

ジャーナリストのアリキのPCに残された書きかけの原稿やメモという形式の作品
虐殺市場を調査するために接触した情報提供者ディックは、アンドロイド娼婦であるブリジットを連れていた。
アンドロイドは、その機序は不明だが、皮膚に真珠層を形成する。
ディックは、ブリジットに別れた妻との別離シーンを再現させるプレイにはまっている。

「わたしを規定する色」スタマティス・スタマトプロス(平井尚生・訳)

戦争によって色が失われた世界。
とあるタトゥーをいれた男を捜すアズールを、彼女と会話した者たちの視点でそれぞれ描きつつ、それと同時に、元刑事のモハンマドの話が並行してすすむ。
色が失われた世界というのは、基本的にみな白黒でしか見えなくなっているのだが、しかし、それぞれ「自分の色」だけは見える状態になっていて、おのおのその自分の色にアイデンティティを託したりしている。
血の赤が「自分の色」だった男の犯罪をおうサスペンスもの

寄稿者紹介

訳者(代表)あとがき(中村融