『戦後短篇小説再発見4 漂流する家族』

今年に入ってから急に日本文学を読むブームが自分の中にきているが、それで色々調べていたら見つけたのが、この『戦後短篇小説再発見』シリーズ。
講談社文芸文庫・編(井口時男川村湊、清水良典、富岡幸一郎編集委員)で、2001年から2004年にかけて全18巻が刊行されていたらしい。
テーマ別に各巻12篇程度の作品が収録されている。
さすがに全18巻全てを読む気はないが、気になった巻をいくつか読んでいこうかなと。
それでまず最初に手に取ったのが、4巻の「漂流する家族」
1950年代~1980年代にかけての12篇の作品が収録されている。家族というテーマに興味をもったというよりは、安岡章太郎庄野潤三黒井千次津島佑子あたりが気になったのだが、結構あたりで、わりとどれも面白かった。
特に面白かった作品は、安岡「愛玩」、幸田「雛」、庄野「蟹」、尾辻「シンメトリック」、津島「黙市」かな。
初出媒体を見ていると、いわゆる文芸誌だけでなく、新聞や婦人公論とかが混ざっているのがちょっと新鮮

安岡章太郎「愛玩」

安岡章太郎については安岡章太郎『質屋の女房』 - logical cypher scape2であんまり面白くなかった的な感想を書いたのだが、こっちは面白かった。
終戦後、働けなくなった父、父に代わり商売をしようとしたが失敗してしまった母、戦争で脊椎カリエスになった僕、と誰も稼ぐことができなくなってしまった3人家族
父親が、知人から毛が売れると薦められてアンゴラウサギを飼い始める。
貧乏家庭でウサギを飼い始めた狂騒を描く。
思わず笑っちゃうような軽妙な書きぶりで、面白かった。
(父親の顔がウサギに似るようになってきて、最終的にウサギは手に負えなくなって業者に回収してもらうんだけど、その業者が父親のウサギ面っぷりに一瞬ぎょっとするシーンとか)
そういえば巻末に著者のプロフィールが書かれているのだが、本書が出た頃はまだ安岡は存命だったらしく驚いた。調べてみると、2013年に亡くなっていたが、当時の訃報の記憶が全然ない……。
初出:1952年11月『文学界』

久生十蘭「母子像」

失火により警察に補導された少年のことを説明しに担任が警察を訪れる。
前半では、担任が少年のことを警察に説明し、後半では、少年の内言で実際のところが語られるという構成
終戦間際サイパンにいて、母親に殺されそうになったという過去があり、それが影響しているのだろうという話をする。学校では特に問題を起こしていないが、警察は彼が過去にも女装などもしているという。
この少年は、美しい母親のことを崇拝しており、サイパンで母親と2人で心中することも甘んじていた。実際にはそうはならなかったわけだが、帰国後、母親が水商売をしていることを聞いて、その店に入ろうとしたり何だりをしていて、警察に厄介になったことは全てそれ関係
初出:1954年3月26日~28日『読売新聞』

幸田文「雛」

初めての子どもの雛祭りに張り切って色々揃えた母親の話
娘の祖父母(つまりそのうちの1人は幸田露伴)を呼んでひな祭りをするが、後日、露伴から呼び出されて、そんなにお金かけるもんじゃないということを遠回しに怒られる。暗に、姑のところにも詫びに行けよと言われていたので行ったところ、「祖母としてはもう少し隙を作ってくれると嬉しかった」ということを言われるとともに、この後、もし2人、3人と娘が産まれた場合に同じことができるのか、ということに気付かされ、父露伴から言われたことには反発を覚えたが、義理の母から言われたことには納得がいった、と
最後、その娘も大きくなって、疎開か何かする時に、ひな人形をどうすると祖父から言われたら、おじいちゃんの本を少しでも大きく持っていきなよと言われたというオチ(?)がついている。
初出:1955年3月『心』

中村真一郎「天使の生活」

純粋に愛に生きようとした夫婦が破綻するまでの話。
タイトルは、夫婦の共通の友人から、人間の生活じゃなくて天使の生活をしていると、悪い意味で言われたことから
初出:1957年11月『新潮』

庄野潤三「蟹」

家族で海へ旅行へ行ったときの話。
安い宿なので、部屋が襖一枚で隔てられているだけなので、隣の部屋の家族の様子が伝わってくる。部屋の名前に画家の名前が使われており、「セザンヌの部屋の父親は~」という風に表記されているのが、ちょっと面白い。
隣の部屋に泊まった家族の小さな男の子が、夜に童謡を歌い始め、逆の隣の部屋の女の子も同じ歌を歌い始めて、その部屋の子が「はさみうちだ」と思わず口走るシーンに笑ってしまった。
特段事件らしい事件も起きず、ただ穏やかな家族旅行が描かれているだけなのだが、面白かった。
初出:1959年11月『群像』

森内俊雄「門を出て」

ものすごく省略した要約すると、不倫現場を妻に見られた話
幽霊話と絡めて云々している
「門を出て故人と逢ひぬ秋の暮」という句があって、主人公は最初故人=死者だと思い怖い句だと思うのだが、後に、故人はふるい知り合いという意味だと気付く。
で、不倫した宿を出たところで人影を見て「あれは幽霊に違いない、幽霊でなければだめだ」と思うのだけど、家に帰ってから妻に、あの故人の意味知ってたのかと聞いたら、知ってたよと答えが返ってくる、という。
ところで、自分は不倫云々について特に倫理的な直観を抱いていないように思っていたのだけど(芸能人のその手のニュースを見てもあまり思うところがない)、この作品は、わりと受入れられない感覚があり、不倫ものは苦手なのかもしれないという気づき(?)があった。
初出:1972年12月11日『図書新聞

尾辻克彦シンメトリック

父親と娘の食事時の会話で、色々なものにシンメトリーを見いだしていく。
父子家庭で、母親がいないのだけれど、1人親でシンメトリーだ、というような話をしている。また、親と子でビックリマークになる、とか
会話文が多めで軽妙な感じの作品で、これも結構よかった。
巻末の著者プロフィールを見たら、別名に赤瀬川原平とあってまた驚いた。別名義で小説を書いているということを知らなかったという、単なる自分の無知ゆえなのだが。
初出:1979年12月31日・1980年1月7日合併号『日本読書新聞

黒井千次「隠れ鬼」

ちょっと不思議な感じの作品で、最初、妻が家出したことに父も息子も気付かなかったというところから始まって、家のどこを探してもいないという流れがあった後、電車に乗った妻の方へと話が変わる。
妻は、高校時代の同級生がたまたま乗り合わせていたことに気付いて声をかけるのだが、その後、何故か続々と同級生が乗ってくる。平日夜の上り列車で、ほとんど客がいなかったのに、同級生だらけの同窓会状態になる。
最後、妻が夫に電話をかけて、謎のしりとりをして終わる。
初出:1981年1月『文藝』

津島佑子「黙市」

母子家庭の話で、家の近くにある六義園が森のようになっていて、そこに捨て猫とかが住み着いている。
離婚した夫に子ども2人を会わせに行くのだけど……という話
黙市とは沈黙交易のことで、捨て猫に餌をあげるときに代わりに何かをもらっているのではないかということと、離婚した夫に会った際に会話ができないこととを喩えている。
元々、主人公の実家は六義園の近くにあって、子どもの頃過ごしていたのだけど、独り立ちして離れていた。しかし、自分も母と同じくシングルマザーとなって、また実家の近くに住むようになってしまったというようなことも書かれている。
都会と森、子どもたちと猫や動物、自分と元夫、自分と母、自分と子どもたちといった様々な関係が描かれている話
初出:1982年8月『海』

干刈あがたプラネタリウム

こちらは、父親はいるのだけど仕事で全然帰ってこない家庭
主人公である妻はもう愛想を尽かしているが、子どもたちは父親を慕っているところもあってまだ別れてはいない。
息子が描いている漫画、息子のチック、兄弟げんか、クラスの友達が遊びに来るなど子供との日常生活が描かれている
ある晩、子どもたちが工作して自室をプラネタリウムに変えるシーンで終わる。
初出:1983年1月『海燕

増田みず子「一人家族」

書簡体小説で、主人公の女性が学生時代の後輩にあたる女性に宛てた手紙という形式をとっている。
この後輩の女性である「あなた」が離婚することになってそれを「わたし」に知らせてきたことに対する返信となっている。
「わたし」は一度も結婚したことがなく今も独身で、一方の「あなた」は、学生時代に「わたし」にプロポーズし断られた瀬木くんと結婚していた(ただし、今回の離婚相手は瀬木くんではない)。
それでほとんどは、学生時代の「あなた」と「わたし」、そして瀬木くんの話になっている。
瀬木くんと「あなた」は、それぞれ育った家庭に問題があって、理想の家庭を作りたいという気持ちが強く、若くして結婚した
対して「わたし」は、いわゆる幸せな家庭に育ったがゆえに、家庭への憧れがなく、結婚願望も薄いまま生きてきた、と。
皮肉なものね、みたいなことを述べている手紙で、「わたし」は家庭を作らずに「一人家族」として生きるわということを書いているのだが、最後の最後に「わたし」はどうも妻子ある男性と交際して、その男性の家庭を崩壊させようとしているっぽいことが書かれて終わる。
初出:1983年7月『別冊婦人公論

伊井直行「ぼくの首くくりのおじさん」

11人兄弟である父親の弟、つまり「ぼく」の叔父についての話
羊の群れには黒い羊が混ざっていて、この叔父は「黒い」側だ、と
10代の頃に首を絞めて性的快感を覚えてしまい、以降、度々首をくくって失神しているため「首くくりのおじさん」とされている。
家族の前では無口なのが、「ぼく」と2人になると、途端に色々なホラ話をしてくれる。オーストラリアで羊の群れを管理するバイトをした話もその一つ。
その叔父がついに亡くなったので、それを回想しているという体の話(しかし、やや時系列が複雑)
初出:1988年冬季号『中央公論文芸特集』