『群像2016年10月号(創刊70周年記念号)』その1

創刊70周年記念「群像短編名作選」ということで、54編もの短編が一挙掲載されている。
とりあえず、ちまちま読み始めているのだが、読み終わったときに一気に書くのも大変なので、とりあえず途中経過的にメモ書きしておく。
頭から順番に読んで、河野多惠子「骨の肉」まできた(17作目。ただし2作品読んでないので、読んだのは15本)。
今のところ、安岡章太郎「悪い仲間」や吉行淳之介「焔の中」、円地文子「家のいのち」、深沢七郎「妖術的過去」、小沼丹「懐中時計」が面白かったけど、他の作品も結構面白い。
というか、自分は小説は現代のものばかり読んでて、古い作品は全然読んでいない人間で、このあたりの時期の小説は、まあ作家の名前くらいは知ってるけど……くらいなものだった。
なので、この目次を見たとき「おお、これはすごい!」とは思ったものの「果たして自分はこれを本当に読めるのか?」とも思っていた。
しかし、いざ読んでみるとこれが結構すらすらと読めるもので、意外と面白い。
あと、当たり前かもしれないけど、1950年代の作品は、戦中の話だったり、戦後すぐの話だったりするのだけど、それでいて古臭さ(?)をあまり感じないのが面白い。というか、わりと軽妙と読みやすい。
冒頭の座談会で、群像っぽい作品が揃っているというようなことが言われているけれど、「あーなんかうまく言葉にはできないけど、なんとなくわかる気がする」と思ったw


群像 2016年 10 月号 [雑誌]

群像 2016年 10 月号 [雑誌]

〈座談会〉「群像70年の短篇名作を読む」辻原 登、三浦雅士、川村 湊、中条省平堀江敏幸


三島由紀夫「岬にての物語」(1946年11月号)
太宰 治「トカトントン」(1947年1月号)
原 民喜「鎮魂歌」(1949年8月号)
大岡昇平「ユー・アー・ヘヴィ」(1953年5月号)
安岡章太郎「悪い仲間」(1953年6月号)
庄野潤三プールサイド小景」(1954年12月号)
吉行淳之介「焔の中」(1955年4月号)
圓地文子「家のいのち」(1956年9月号)
室生犀星「火の魚」(1959年10月号)
島尾敏雄「離脱」(1960年4月号)
倉橋由美子「囚人」(1960年9月号)
正宗白鳥「リー兄さん」(1961年10月号)
佐多稲子「水」(1962年5月号)
森 茉莉「気違ひマリア」(1967年12月号)
深沢七郎「妖術的過去」(1968年3月号)
小沼 丹「懐中時計」(1968年6月号)
河野多惠子「骨の肉」(1969年3月号)
瀬戸内晴美「蘭を焼く」(1969年6月号)
三浦哲郎「拳銃」(1975年1月号)
吉村 昭「メロンと鳩」(1976年2月号)
富岡多恵子「立切れ」(1976年11月号)
林 京子「空罐」(1977年3月号)
藤枝静男「悲しいだけ」(1977年10月号)
小島信夫「返信」(1981年10月号)
大江健三郎「無垢の歌、経験の歌」(1982年7月号)
後藤明生「ピラミッドトーク」(1986年5月号)
大庭みな子「鮭苺の入江」(1986年10月号)
丸谷才一「樹影譚」(1987年4月号)
津島佑子「ジャッカ・ドフニ――夏の家」(1987年5月号)
色川武大「路上」(1987年6月号)
山田詠美「唇から蝶」(1993年1月号)
多和田葉子「ゴットハルト鉄道」(1995年11月号)
笙野頼子「使い魔の日記」(1997年1月号)
小川国夫「星月夜」(1998年1月号)
稲葉真弓「七千日」(1998年2月号)
保坂和志「生きる歓び」(1999年10月号)
辻原 登「父、断章」(2001年7月号)
黒井千次「丸の内」(2003年1月号)
村田喜代子「鯉浄土」(2005年6月号)
角田光代「ロック母」(2005年12月号)
古井由吉「白暗淵」(2006年9月号)
小川洋子「ひよこトラック」(2006年10月号)
竹西寛子五十鈴川の鴨」(2006年10月号)
堀江敏幸「方向指示」(2006年10月号)
町田 康 「ホワイトハッピー・ご覧のスポン」(2006年10月号)
松浦寿輝「川」(2009年1月号)
本谷有希子「アウトサイド」(2012年3月号)
川上未映子「お花畑自身」(2012年4月号)
長野まゆみ「45°」(2012年5月号)
筒井康隆「大盗庶幾」(2012年12月号)
津村記久子「台所の停戦」(2012年12月号)
滝口悠生「かまち」(2013年4月号)
藤野可織アイデンティティ」(2013年8月号)
川上弘美「形見」(2014年2月号)


〈評論〉
「群像」70年の轍  清水良典
「群像」で辿る〈追悼〉の文学史  坪内祐三
名物コラム「侃侃諤諤」傑作選
〈創作合評〉奥泉 光+大澤信亮滝口悠生

三島由紀夫「岬にての物語」(1946年11月号)

電子版で読んでいるのだが、電子版には収録されていない

太宰 治「トカトントン」(1947年1月号)

タイトルは有名で知ってたいけれど、読んだことなかった奴
復員して郵便局で働き始めて、小説を書いたり、恋をしたり、仕事に打ち込んだりといろいろするのだけど、そのたびに「トカトントン」という音が聞こえてやる気がなくなってしまう男が、その悩みを好きな作家に手紙で出す話

原 民喜「鎮魂歌」(1949年8月号)

これは途中で読み進められなくなって、飛ばした

大岡昇平「ユー・アー・ヘヴィ」(1953年5月号)

米軍の捕虜になったときの話
病気になってもう一歩も歩けないから、タンカで運べ、歩けって言い合う(?)話

安岡章太郎「悪い仲間」(1953年6月号)

戦時中の学生の話
主人公が夏休みに藤井という学生に出会う。
これがまあいわゆる悪い奴で、彼と出会うことで主人公も雰囲気が変わっていく。で、休み明けにこれまでの友達と会うと、主人公がすっかり変わっててびっくりされる。
だけど、その前の友達も藤井と知り合って、主人公と2人、どちらがより藤井に近づけるかという競い合いみたくなっていくのだけど、それが限界を迎えていく。

庄野潤三プールサイド小景」(1954年12月号)

戦後すぐのサラリーマン家庭の話
傍目には幸せそうに見える家庭なのだけど、実は夫の方が会社の金の使いこみがバレて馘になってる。
夫の方が女に弱かったという話なのだけど、最後、プールの水面に男の頭が出ているというシーンで終わる

吉行淳之介「焔の中」(1955年4月号)

空襲の時の話
主人公の青年は、母親と女中と3人で東京の家に暮らしている。女中といっても、東京にあこがれて田舎から出てきて東京に戻りたくないものだから居候して住み着いている。
空襲受けてもぎりぎりまで逃げなかったり、なぜかレコードもって逃げてしまったり
そして、一晩あけて戻ってきて、女中が開けちゃいけない箱をあけて爆発させちゃう

圓地文子「家のいのち」(1956年9月号)

戦後、とある家をめぐる話
戦争中もずっと東京にいて、住み続けた老夫婦から話が始まって、その夫婦が亡くなって、借主が変わって。新しい借主はその夫婦のことを知らないはずなのに、なぜか思い浮かべてみたいな。

室生犀星「火の魚」(1959年10月号)

作家が、表紙のために金魚の魚拓をとろうとするけどうまくいかなくて、知り合いの女性に頼む話
読みながら、そういえば最近、金魚の話の映画があったなあとか思い出した。

島尾敏雄「離脱」(1960年4月号)

夫婦の話
ずっと勝手してた夫が妻からいろいろ

倉橋由美子「囚人」(1960年9月号)

これは急にカフカっぽいというか
Kという主人公が突然捕まって、本人は自分が罰せられるのは当然だとは思っているのだけど、裁判なし刑の執行が始まって、皮を剝がされたり内臓を鳥に食わされたりする。内臓とられても死なない。

正宗白鳥「リー兄さん」(1961年10月号)

兄弟の中で一人ちゃんと働かずに暮らしてたリー兄さん(林蔵)が亡くなって、長男が彼の住んでいた実家に戻る
リー兄さんの描いてた絵画が出てくる

佐多稲子「水」(1962年5月号)

富山から東京に出稼ぎにきた幾代。働いたお金で母親に東京見物をさせるのが夢だったが、母が危篤に陥る。親身になってくれていると感じていた雇い主は、しかし休みをくれない。そうしているうちに、母が亡くなってしまう。

森 茉莉「気違ひマリア」(1967年12月号)

あらすじというものは特にないが、マリアが、とにかく自分の住んでいるアパート(?)に一緒に暮らしてる者たちがいかに田舎者なのかというようなことを語っている話
最初わからなかったが、主人公マリアは結構老年
同じ東京の人間でも、浅草の人間はいいけど、世田谷の奴らはだめだ、ということを延々語りながら、自分の潔癖症や性格の由来が、父親や永井荷風宇野浩二室生犀星が遺伝したのだといい、他にも三島由紀夫と会った時の話とかも出てくる

深沢七郎「妖術的過去」(1968年3月号)

金次は、20歳の頃に、自分の住んでた町に一台しかない自動車の運転手と仲良くなって、自分も自動車を運転したりしたのだが、馬をはねてしまう。その後、運転手として働くようになったのち、結婚相手が、その時はねた馬の家の近くの家の娘だった。というあたりから、金次の父親が馬の呪いをきになるようになる。戦中に、その妻は死んでしまい、戦後に再婚するときも、馬がかかわってくる

小沼 丹「懐中時計」(1968年6月号)

一緒に碁を打ったりする友人から、腕時計をなくしたのをきっかけに、懐中時計をゆずってやるという話になるのだけど、いくらでゆずるかということで延々話がまとまらないうちに、次第に疎遠になっていく。
子供の頃に何度か行った街に行くときに、名前を聞くとなつかしさを覚えるけど行ったら全然知らなかった、というあたりが面白いなあと思った。
懐中時計のやりとり自体は、軽めの感じなんだけど、なんかいつの間に知り合った人が亡くなってるとかそういうのが描かれてる

河野多惠子「骨の肉」(1969年3月号)

同棲してた男が去ってしまって、部屋にわずかに残された男のちょっとした衣類とか歯ブラシとかいった荷物に悩む女。
この話は、人名も出てこないし、一人称でもなくて、「女」と「男」という呼び方だけでずっとすすんでいく。
男と暮らしてた頃の昔話で、殻付きの牡蠣とか骨付きの鶏肉とか食べたときのことが出てきて、女は殻や骨ばかり食べていて、その味覚が残っている。
最後、男の荷物を燃やす夢を見る。夢の内容と、布団の中で寝ているということが混ざり合う文章