小島信夫『アメリカン・スクール』

第三の新人」の1人である作家の初期作品を集めた短編集
最近色々文学作品を読んでやるぞ、と思ってる奴の一環である。
小島信夫を手に取ったのは、磯崎憲一郎が好きな作家の一人として名前を挙げていたからなのと、twitterで小島の「馬」について触れているツイートをみかけたから。


収録作は、戦争中ないし戦後すぐを舞台としている。
小島自身が中国への従軍経験があるので、その頃の経験を元にしたと思われる作品も多い。
羞恥心、卑屈さみたいなものを執拗に描いていくような作品が多く、また、ドタバタ喜劇のようになっている作品も多い。
そのノリに読んでいる内にだんだん慣れていったのか、「馬」なんかは読みながらかなり笑ってしまった。


以下、各作品のあらすじをメモしているが、小島作品はあらすじではあまり面白さが分からないような気がする。
上に羞恥心、卑屈さと書いたが、主人公に何らかのコンプレックスがあって、それが文体を通じてあらわになっているのだが、保坂和志が解説で書いているように、どうも突然すぎる展開があったり、他人にはわりとどうでもよさそうなところを丁寧に書いていたりといったことと組み合わさって、コミカルな効果が出ている。
ただし、裏表紙の概要には「一見無造作な文体から底知れぬ闇を感じさせる」とあり、「闇」とまでいえるかどうか読む人次第かもしれないが、単にコミカルなわけではない。
ところで、このちょっとコミカルさも感じさせるが、しかしどこか得体の知れない文体は、現代文学にも影響を与えているのだろうなというのも、なんとなく実感できた。
実際、小島信夫wikipediaを見ると、影響を与えたものの欄に例えば「堀江敏幸保坂和志磯崎憲一郎」とある。

汽車の中

戦後すぐの混乱期、地方から東京へ向かうすし詰めの汽車の中を描いた喜劇
主人公は地方の教員で妻とともに汽車へ乗り込むのだが、最初はギリギリのところで立っていて、カーブがくるたびに落ちそうになるところから始まり、このような汽車に乗り慣れている謎の男の采配により、なんとか椅子に座ることができる。
網棚の上に寝ている男、怪しげな論文を薦めてくる隣の男、耐えられず放尿する主人公
最後、荷物を盗られてしまう

燕京大学部隊

戦争中、諜報のために英語が分かる者だけ北京に集められた部隊の話
といって、別にエリート部隊とかそういうわけではなく、各隊の歩兵の中からかき集められてきただけの部隊で、かなりテキトー
主人公から、早く帰国できるのではないかと考えその部隊へ立候補しただけで、英語がそんなにできるわけではない(なお、帰国は叶わなかったが、一方で主人公の原隊はその後全滅している)。さらにいえば、階級章をいくつか持ち歩いていて、時々勝手に階級を偽ったりもしている。
上司への報告を適当にごまかしながら、日本人名を名乗る中国人娼婦のもとへと通う日々が描かれている。

小銃

デビュー作
小銃を内地にいたときに慕った女だと思って取り扱う「私」は、射撃の腕も優れていたのだが、中国人の女をその銃で処刑することになった時から、小銃の手入れを怠るようになり、女遊びをして病気する。隊での扱いも悪くなり、「私」の態度も荒れていく
ついには、小銃に火をかけてしまう。
終戦後、武装解除のため銃を運ぶ仕事をしているときに、すっかり荒れ果てた件の小銃を手にして終わる
この作品は、コミカルさみたいなものはないけれど、プロットがしっかり構成されている。

星とは軍隊の階級章についている星のこと
二等兵である「僕」の、星を信仰するかのような軍隊生活
僕はアメリカ二世であることから、部隊の中で道化のような扱いを受けていたが、僕はさらに匹田という別の兵士を嘲っていた。その匹田が転属したあとは、大尉の当番兵となる。
自分の星に名前をつけたり、あるいは参謀の星に見とれてしまうあまりに欠礼してしまう。そのことで切腹させられそうになるのだが、臍が星に似ていることを笑われ切腹はなしになる。一方、自分の腹に三等兵の一つ星があったことに僕は悲しみを覚える。
終戦後から、ほかの士官に英会話を教えるようになる。
引き揚げ船で、星を取られる。

微笑

小児麻痺の子供を持つ父親
幼稚園や小学校に通わせながら、「病気の息子」への愛情をなかなか持てない
小児麻痺患者のためのプール教室というものに連れて行った時に、新聞の取材があって、なんとも言えない微笑を浮かべた顔が写真に撮られてしまった、という話

アメリカン・スクール

占領下の日本で、アメリカン・スクールに見学へ行く英語教師たちの話
英語教師なのに英語絶対話したくないマンの伊佐と、どうにかして自分たちの実践するモデル・ティーチングをアメリカ人に認めさせたい山田と、英語教師たちの中で唯一の女性であるミチ子の3人のやりとりを中心としたコメディ

突如、自分の家の敷地に自分の知らぬ間に家が建ち始めた「僕」の話
妻であるトキ子が勝手に始めていた工事で、それに振り回される。
その費用のために昼も夜もなく働き詰めであったが、ある時、棟梁と妻の会話で、馬小屋を建てていることを知る。
馬小屋とは一体どういうことかと棟梁をとっちめようとしたところで、電線をつかんでしまって、電気ショックを受けてぶっ倒れてしまう、というコントみたいなやり取りがなされて、読みながら声をあげて笑ってしまった。
「僕」は入院して、入院先から家の工事を見守ることになる。妻によれば、馬を預かることにしたので馬小屋を建てることになったのだとこともなげにいう
また、間男らしき影を目撃してトキ子を問い詰めるのだが、それは、病院を抜け出したあなたではないかと言われる。
ついには馬小屋が完成し、1階には馬の五郎が、2階には「僕」が住むことになるのだが、トキ子と五郎の仲が親密になっていき、「僕」は嫉妬に狂うことになる。
最後、「僕」が五郎を乗り回そうとして逆に乗り回されるような羽目になるのだが、最後の最後に、トキ子から今まで聞いたことなかった愛の告白をされて終わる。
この作品はほんとうに、現代の作品と同じような感覚で読めたというか、これを読んで、小島の文体が磯崎憲一郎などに影響を与えているのだな、という実感があった。
あと、少し違うのだけれど、唐突に中原昌也のことも思い浮かんだりした。
なお、小島信夫「馬」で検索すると、どうも村上春樹が紹介したことがあったらしくて、村上春樹経由で読んだ人のブログがヒットしたり、あるいは、それ以外にも文学研究の論文がヒットしたりする。
あと、冒頭で触れたツイートは以下。



エンマという小さな運河に囲まれた島に引っ越してきた「私」の一家
自転車で通勤する「私」は、日曜日には子供がエンマに落ちないように見張る仕事をするのだが、つい眼を離してしまう
私にその家を紹介した画家のH。Hが誘うアメリカ人。私の忍耐。池に落ちた上衣

解説

江藤淳による解説と保坂和志による解説の2本収録されていた。
江藤は、小島のシンボリズムと「年上の女」「アメリカ」というライトモチーフについて
保坂は、前触れのない突然の展開や、「〇〇は」から始まる文が続く文体について